第百八十話 覚醒
……そうでしたね。
『千軍の翼』なんて呼ばれても、私は今でも己の限界を超えることが出来ていない。
先生のことを考えると、セレスティアの心は温かいもので満たされる。
あの時、先生からもらった言葉の意味をセレスティアは実感していた。もう何一つ残っていないと思っていたのに、まるで泉のように勇気と力が湧き出てくる。
私はもっと強くなれる――――こんなところで私は負けられないのです。
死ぬわけにはいかない。先生と再会するまでは――――
――――私、強くなりましたよって褒めてもらうまでは。
『……ウルミ、一つだけお願いがあります。今から私は――――だから――――』
『……かしこまりました。どうか……戦の女神イラーナの加護がありますように』
「どうしました? 私はあまり気が長い方じゃないんですが――――」
言葉ほど苛ついた様子も無く楽しそうにセレスティアを見下ろすシュレクター。
「シュレクター、なぜ私が『千軍の翼』と呼ばれているのか……その真の答えを教えて差し上げましょう――――『ウィングド・アサルト 』!!」
彼女の背後に展開される無数の剣影がまるで翼のように広がってゆく。千の軍勢を一振りで薙ぎ倒すと言われるセレスティア最強の大技。その凄まじい剣速から生み出される風刃は広範囲にわたってその威力を炸裂させる。
――――が、しかし、その威力は本来のものからは遠くかけ離れており、帝国兵を一掃するには足りなかった。
とはいえ威力不足といっても並みの兵士相手ならそれでも十分殲滅出来る威力ではあった。そういう意味ではさすが帝国の精兵というところだろう。地下道という場所ゆえ、帝国兵からすれば攻撃方向がわかりやすかったため、盾で防ぐことが出来たことも大きかった。さらに言えば、本来――――ウィングド・アサルトは広い場所でこそその威力を存分に発揮する技だ。風に乗せて不規則かつ縦横無尽に襲い掛かる剣影から逃れることは難しい。
「ハハハ、まさかあの状態から大技を繰り出すとは賞賛に値しますが、やはりダメージは深刻なようですね。その様子ではもう腕を上げることすら出来ないでしょう?」
シュレクターの言う通り、セレスティアはもはや愛剣を支えにしてかろうじて立っている状態。
だが――――彼女の目は死んでいなかった。
「……ふふ、私が何のために大技を放ったのか……まだ気付いていないようですねシュレクター?」
肩で大きく息をしながらも不敵に笑うセレスティア。
「……何?」
「中将っ!? ざ、ザイラスが……!?」
シュレクターが慌ててかたわらを見れば上半身を喰いちぎられて絶命しているザイラスの変わり果てた姿が。
ワオーン!!
シュタッ セレスティアの傍らに大きな黒狼が降り立つ。
セレスティアの星の癒しとは違い、ウルミの獣化は別に満月が見えている必要はないのだ。その代わりに満月の日にしか変身は出来ないのだが。
「ぐっ、おぞましい亜人風情が……!!!」
「ふふ、これで弱体化は解除されましたね」
呻くシュレクターを睨みつけるセレスティア。
「ふう……やれやれ、まるで勝ったような様子ですが、状況は変わっていないのですよ? 無理に大技を使ったせいでもう満足に動くことも出来ないことはわかっているのです。こちらも被害は出ましたが、それでもまだ精兵が五百以上残っています。現実は残酷ですねえ……お転婆な姫さまには少し痛い目に遭っていただきましょうか。一気にやりなさい、ただしくれぐれも身体に傷はつけないでくださいよ」
一斉に帝国兵が襲い掛かってくる。状況は実際のところシュレクターの言う通りで、弱体化は解除したもののその代償は大きい。
獣化したウルミがセレスティアを守ろうと奮闘しているがさすがに多勢に無勢、帝国の精兵五百を相手に守り切れるものではない。
「その狂犬は殺して構わんぞ」
「待ちなさい!! ウルミを殺したら私はこの場で自害します!!」
「……チッ、死なない程度に痛めつけなさい」
さすがに死なれては都合が悪いらしい。とはいえ、だからといって状況が好転するわけでもなく――――
ギャウンッ!?
孤軍奮闘していたウルミもとうとう力尽きる。
「よし、縛り上げろ!!」
「――――させません!!『 ハーモニック・バリアント』!!」
光の輪がウルミを包み込んで帝国兵の接近を許さない。
「ウルミ!! 一旦引きなさい!!」
跳ね起きた黒狼は脇目もふらずに地下道の奥へと消えた。逃げたわけでもセレスティアを見捨てたわけでもない。
セレスティアの意図を正しく理解して足枷にならないように引いたのだ。
「わずかに回復した魔力を部下を助けるために使うとは……つくづく愚かですね」
もはやセレスティアには何も残っていない。体力も魔力もそして唯一の味方すらこの場にはいない。
だが――――それでもその眼から戦う意志の炎は消えることはない。
「たとえ私がここで倒れたとしても――――この王国には私よりずっと強い戦士がいます。だから――――私は安心して全力で戦えるのです。後を託せる者がいる――――それを信じられることが私の力の源泉なのです。王国を――――舐めるな!!!」
どこにそんな力が残っていたのか――――セレスティアは止まらない――――
剣を振るうたびに帝国兵の首が飛ぶ。
相手は殺す気でいるのに、殺すどころか傷をつけるなと言われている帝国兵。これではさすがの精兵たちもうかつに近づくことが出来ない。
「くっ、化け物か……」
「駄目だ……正面から戦おうとするな、囲め!! 盾を使って体力を使わせ一斉に抑え込むんだ!!!」
しかし、必死に戦い続けるセレスティアではあったが、一瞬体勢を崩した隙を狙われた。
「今だ、かかれ!!!」
ここぞとばかりに群がる帝国兵によってとうとう押さえつけられてしまう。
「やれやれ、おかげで兵の大半を失ってしまったか……抵抗できないように奴隷の首輪を付けなさい」
シュレクターの指示で奴隷の首輪を付けようとする帝国兵だったが――――
「駄目です、受け付けません」
奴隷の首輪は力量差のある相手、強い意志を持つ者には装着することが出来ない。
「ほう……ここまで弱っていてもなお拒絶しますか。仕方ありませんね、適当にいたぶって心を折ってやりなさい」
「よろしいので?」
「ああ、この際傷は気にしなくて良いですよ。後で治療すれば構いません」
あの英雄を好きに出来る――――帝国兵たちの嗜虐心に火が付いた。
「ぐはっ!?」
帝国兵の靴先がセレスティアの腹に深く食い込む。
「へへっ、王国の英雄様もこうなってはただの女だな、ハハハ」
私が負ければ……王国は蹂躙され国民たちはもっと酷い目に遭わされるでしょう――――
『セレス……お前はなぜ強くなりたいんだ?』
私は――――皆を守りたい――――皆が笑って暮らせる国を――――この王国を愛しているから
いいえ、それだけではありませんね――――
私は――――先生のようになりたい――――強くて優しいあの人のようになりたい――――ずっと追いかけて来た
先生は私の目標で――――
「中将、少し楽しんでも構いませんか?」
「まあ……傷モノにしなければ少しくらい構わん。部下も大勢殺されたんだ。それくらいはな」
どうやら痛めつけても効果は薄いと判断したシュレクターが下卑た笑みを浮かべる。彼はどうすれば心が折れるのかをよく知っているのだ。
「へへへ、まさか王女さまで楽しめるなんてな、今回の任務に選ばれて良かったぜ」
「よし、邪魔な鎧を脱がせろ」
「すいませんね、これも任務ですから~」
ふざけるな――――
私の身体に触れて良いのは――――この世界でただ一人
――――先生だけだ
ゴツゴツしていて温かくて――――
想像も出来ないほどの努力と――――絶望と悲しみを知っていて――――
それでも――――その手が届く範囲なら――――助けようとする
誰よりも強く優しい――――その手だけだ
だから――――
「私に――――触れるな――――!!!!!!!!」
――――空気が弾けた