第百七十九話 お前はもっと強くなれる
「戦って貴方たちを全員倒せば済む話です」
「……ほう、その身体で戦えると――――本気でそう思っているのですか?」
「貴方こそ疲労程度で私が戦えなくなると思わないことですね」
「いや……そんなことは思っていませんよ、なんたってあの『千軍の翼』ですからね。正々堂々戦うほど馬鹿ではありません。だからこそ準備は万端なのですよ。やれ、ザイラス』
「はっ、『ディバイド・ドレイン』」
ザイラスと呼ばれた部下が何かを唱えると、セレスティアの身体から力が抜ける。
「くっ、何ですかこれは……?」
「ザイラス、説明してやれ」
「はっ、指定した一名を弱体化させる福音です」
「――――というわけです。使いどころを選ぶ地味な能力ですが、貴女のような強力な個に対しては絶大な効果を発揮します。我々も時間をかけて調査しているのでね。例えば千の敵を薙ぎ払う大技『インフィニット・ブレードストーム』たしかに脅威ですが、あの技はその分体力を必要とします。今は使いたくても使えないのでしょう? 極度の疲労に加えて弱体化……さらにここは地下で星の癒しが使えないこともわかっています……さて殿下、これでもまだ戦うおつもりですか? 私としては大切な花嫁に手荒な真似をしたくはないのですが……」
勝利を確信したシュレクターは、にいっと酷薄な笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇
どうすればいい……?
彼らの言うことが信用できないことはわかっています。たとえどんな約束をしたとしても、目的を達成した瞬間、平気で反故にすることでしょう。
ならば私に残された道はただ一つ。戦って勝利すること。
ですが……この状況は非常にマズいですね……勝てるビジョンが描けません。
こんなの初めて――――いいえ、そういえば一度だけありましたね。
そう……あの日、あの時……私が先生に出逢った日――――
「ま、参りました……」
あの頃の私は、自分が最強だと思い上がっていました。そんな時、偶然訪れた街で出会ったのが先生でした。当時先生は臨時の剣術講師をしていて、私は冷やかすつもりで密かに参加して――――単なる暇つぶしのつもりだったのですが……私は何度も勝負を挑みましたが、一度も勝てないどころか一撃を当てることさえ出来なかったのです。
ショックでした。自分より強い者がいるなんて考えたことも無かった。生まれた時からスキルに恵まれて、最高の環境で技を磨いてきた私より先生は強かった。それも圧倒的に。
「先生!!」
「えっと……?」
「……セレスです」
「なんだいセレス?」
「私はなぜ先生に勝てないのでしょうか?」
「ははは、これはまたストレートに聞いてきたな。一応言っておくがセレスは十分強いぞ、センスも技も申し分ない。正直技術的なことで教えることは何もないくらいだ。余程良い先生に指導を受けていたのか……それとも天性の才能か――――あるいはその両方かもしれないが。それでも不満なのか?」
「はい、なんだか悔しくて……私、負けたことなかったんです……今まで」
「そうか……セレスは意外と負けず嫌いなんだな」
面白そうに微笑むと先生は私の頭を慰めるように撫でた。
まるで呼吸をするように自然に撫でられたので、私としたことが反応すら出来ませんでした。
「そ、そんなんじゃありません……」
生まれて初めて男の方に頭を撫でられたというのに、ちっとも嫌じゃなくて……むしろ先生に頭を撫でられてドキドキしてしまったのは内緒です。
「……ずいぶん女性の扱いに慣れていらっしゃるんですね」
「そうかもな。もしかして嫌だったか?」
「いえ……そういうわけでは……」
なら良かった――――そう言って微笑む先生の顔が眩しくて思わず顔を背けてしまう。
「セレス……お前はなぜ強くなりたいんだ?」
「え? それは……私の役目だから……」
「役目? 武門の家の子なのかな? まあそれでも良いさ。自分がなりたい姿を明確にイメージして近づく努力をする。そしてまた新しい高みを目指すんだ。強くなるのに終わりはない、俺とセレスの違いは……きっとセレスの周りに目指す高みが見つからなかったからかもしれないな」
「じゃ、じゃあ……先生を目標にしても……良いですか?」
「俺? 別に構わないぞ。ここに居る間はいつでも稽古を付けてやる」
それから私は毎日先生の道場に通って指導を受けた。
「セレス、初日の時とは動きが見違えて来たな」
「本当ですか!! でも相変わらず一度も当てられないので実感は全く無いのですが……」
というよりも、先生は全然本気を出していないように見える。それがとても悔しい。
「ハハハ、お前に当てられるようじゃ先生失格だからな」
「言いましたね……もう一度お願いします!!」
そしていよいよ先生から指導してもらえる最終日――――私は寂しくて悲しくて、初めての感情に困惑していました。
「セレス、本当はもう少し教えてやりたかったんだが、最後に何か聞きたいことはあるか?」
「はい……どうしたら先生に勝てるか――――ではなく、どうしたらもっと強くなれますか?」
先生には勝てない。私はなぜかそう理解していた。直感的に。
「己の限界を超えることだ。強さとは誰かと比べるものではないからな」
「己の限界を超える……?」
「難しく考えなくて良い。想像してくれ、敵は強大で剣も折れ体力も尽きた、敵が魔物だったり戦場ならそのまま殺されてしまうだろう。セレス、お前ならどうやって勝つ?」
「え? 武器も無くて体力も無いんですよね……うーん、何とか逃げて次のチャンスに賭ける……とか?」
「そうだな、逃げることも大事なことだ。死んだら全部終わってしまう。だから勝てない相手から逃げることは決して恥ではない。偉いぞセレス」
「えへへ……」
また頭を撫でてもらいました。先生の手はゴツゴツしているけれど大きくてとても温かい。なぜだかとても安心するのです。
ですが……今日で先生との時間は終わってしまいます。嬉しいのにそのことを思うと胸が苦しくて叫びたくなります。いっそのこと――――先生について行けたら――――連れて行ってくださいと言えたら良かったのに――――
「逃げるのは正解だ。だがな、限界を超えて強くなりたければ逃げたら駄目だ。限界を超えるとは……そういうことだ。俺は……何度もそういう状況で生き残って来たからな。でもセレスにはおすすめはしない。鍛錬や経験を積み重ねることでも強くはなれる」
普段飄々としている先生が一瞬見せたその表情を私は一生忘れることはない。私は――――先生のことを何も知らないんだとその時初めて気付いた。そして――――最初から強い人なんているわけないんだっていう当たり前のことすらも忘れていたのです。
その時初めてわかった。わかってしまった。私がなぜ先生に勝てないのかということを。
私は泣いた。なぜもっと先生のことを知ろうとしなかったのか。
いつの間にか先生の存在が私の心の中で大きく代えがたいものになっていたことに気づけなかったのか。
突然泣き始めた私にオロオロしていたけれど――――
先生はいつものように私の頭を撫でながら――――最後に言ってくれましたね。
「いいかセレス、これだけは忘れるな。心を強く持て、心の強さは本人次第、どこまでだって強くなれる。武器もスキルも才能も体力も関係ない。最後に勝負を分けるのは――――いつだって心の強さ、想いの強さなんだ。心が折れなければ、想いが天に届くほど強ければ――――必ず 自分自身が応えてくれる。人の可能性は――――無限大――――」
――――お前はもっと強くなれる