第百七十八話 セレスティアの決断
「マズいですね、亜人たちの狙いがノーザンフォートレスであるならば――――急いで戻らなくては」
「はい、先に戻らせた部隊の安否も気になります」
過去亜人たちにノーザンフォートレスまで押し込まれたことは一度も無い。
そのため国境に近い街ではあるものの、そこまでの危機意識というのは持っていない。ましてやこれから厳しい冬がやってくるこの時期、まさか亜人たちが襲ってくるとは夢にも思ってはいないだろう。例えば夜間地下道を使って街内に侵入を許せば甚大な被害が出ることは容易に想像できる。今思えば、ウルミたちの陣地を襲ったのは本隊をノーザンフォートレスからおびき出す囮かもしれないとセレスティアは考える。
亜人たちがそこまで考えて行動するとは考えにくいが、可能性として排除できない。あるいは入れ知恵をしているものがいるのかもしれないが。
幸いセレスティアがノーザンフォートレスを飛び出した段階ではまだそれらしい動きは確認できなかった。まだ間に合うはずだ。間に合ってくれと祈る。
「ウルミ、乗りなさい」
「よ、よろしいんですか!?」
ペガサスは基本的に主人と認めた者以外をその背に乗せることはしない気高き獣だ。
――――が、空気を読めないほど堅物でもなかったりする。単にセレスティアのペガサスがそうだったというだけかもしれないが。
「空を飛んで行かないんですか?」
「ここから地下道を通って向かいます。どこへ繋がっているのか、空からではわかりませんから」
「なるほど、ですが……奇襲をかけるつもりなら、地下には敵がひしめいているのでは?」
「ふふ、逃げ場がない場所に集まっているならば……それは敵ではなく的というのですよ、ウルミ」
超怖ええ……この人やっぱりヤバい。
ウルミは辛うじて口には出さなかったものの、女神のように微笑む上司に戦慄する。
『ぎえええっ!!?』
『うぎゃああ!!?』
『がああっ!!?』
地下空間に無数の絶叫がこだまする。
突然背後から謎の攻撃を受けてパニックに陥る亜人たちが逃げようとして更なる混乱とパニックを呼ぶ。
ゴブリンなどの小型の亜人などは大型の亜人に踏みつぶされて圧死する一方、トロールやオーガといった大型の亜人は狭い地下空間で逃げる場所も無く一方的に的にされて絶命する。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図がそこに繰り広げられていた。
「うへえ……容赦ないな……うちの女神さまは……」
本気でこの大軍を殲滅する勢いで攻撃を繰り返すセレスティア。一方の亜人たちは反撃どころの騒ぎではない。文字通り――――的に成り下がっている。
「はあ……はあ……あらかた片付いたようですね……」
荒い息を吐きながらがくりと膝を突くセレスティア。すかさずウルミが肩を貸してペガサスの背で休ませる。
無理もない、混乱による同士討ちもかなりあったが、結果的にたった一人で万を超える軍勢を屠ったのだ。いかに彼女が強いとはいえ体力、魔力、精神力には限界がある。
「団長……いくらなんでも無茶しすぎですよ」
「あはは、でもね、これで奇襲作戦は実行できなくなったのですから……それにヴァルガンドの戦力を一気に削る千載一遇のチャンスでしたから……」
ヴァルガンドの亜人たちが厄介なのは神出鬼没のゲリラ戦法を使ってくるからだ。障害物が多く視界が限られる山岳地帯ではセレスティアの力を存分に発揮できない。今回のように逃げ場がない状況というのはある意味で最高の条件であったのだ。
それに加えて獣人の件もセレスティアを突き動かしていた。ヴァルガンドの戦力を大幅に削ることが出来ればその分救出作戦の成功率も上がり時間の猶予も得られる。
セレスティアは以前からヴァルガンドを獣人たちの治める国に出来ないかと考えていた。獣人たちだけではなく、王国にとっても友好的な国が誕生し、北部からの侵入が無くなれば一石二鳥、いや一石三鳥、大きなメリットがある。
だからこそ無理をしてでも勝負に出た。
「ごめんなさいウルミ、私はちょっと動けそうにもないです。後は任せても良いでしょうか?」
「ハハハ、もちろんです。そのくらいお安い御用ってもんですよ」
やることといっても、後は出口を見つけて地下から出ること、くらいだ。おそらくはノーザンフォートレスの近くまで来ているはずなので、いくらでも応援は呼べるだろう。
「――――っ!?」
「どうしましたウルミ」
ジッと暗闇を見つめるウルミ。
「――――人です、団長」
「人? こんなところに……」
「これはこれは……そこに居られるのはもしやセレスティア殿下ではございませんか?」
暗闇から姿を現したのは、漆黒の軍服に真っ赤なコートを羽織った軍人。
「何者ですか? 人に名を尋ねるときは自らの名を名乗るのが礼儀でしょう? それとも……帝国ではそんなことすら教えていないのでしょうか?」
「これは失礼しました。ご賢察の通り、私は帝国軍第二師団長のシュレクター中将です。以後お見知りおきを」
オールバックにした金髪を神経質そうに撫でつける壮年の男。
「シュレクター中将ですか……そのような方がこんなところで何をしてらっしゃるのでしょうか? 散歩ではなさそうですし……まさか私の返事を直接聞きに来られたわけではないでしょうけれど」
グッと警戒心を高めるセレスティア。フェリックスから帝国が背後にいる可能性を聞いてはいたものの、まさかここまで直接的に出て来るとは彼女も想像していなかったのだ。
「ハハハ、そのまさかですよ。陛下が待ちきれないと仰るのでこの私自らお迎えに上がりました。当初の計画では街を包囲して――――ということでしたが、貴女がここにいらっしゃるなら話は早い。私も無駄な血を流したいわけではありませんからね」
「……その言い方、まるでその気になればノーザンフォートレスを落とせるように聞こえますが? 残念ですが亜人兵はもう残っていませんよ」
「ふふん、亜人兵など最初から捨て駒ですよ。まさかこんな形で失うとは想定外でしたが……結果的に貴女を疲れさせることが出来たので良しとしましょう」
「なるほど……シュレクター、今回のヴァルガンド侵攻の筋書きを書いたのは帝国だったのですね」
「さすがセレスティア殿下、その通りです。とはいっても、やったことは食糧不足になるようにしたことと、獣人どもの地下道を亜人どもに教えただけですけれどね。追い詰められた亜人どもが王国と潰し合ってくれれば帝国にとってメリットしかありません」
「外道が……」
吠えるウルミ。
「おや、ここにも獣臭い獣人がいるのですか。安心してください、アナタもじきお仲間の所へ送って差し上げます」
「お前だけは絶対に許さねえ……そのすました面喰いちぎってやる!!」
「やれやれ、野蛮な生き物はこれだから困る。そろそろお話は終わりにしましょう、セレスティア殿下に回復の時間を与えるわけにはまいりませんので」
シュレクターが指を鳴らすと、ぞろぞろと帝国兵が集まってくる。
「帝国兵が千名おります。言っておきますがただの千名ではありません。いずれも厳しい基準をクリアした一騎当千の精兵たちです。さすがの貴女でもその疲労した状態ではどうにもなりませんよ?」
有象無象の寄せ集め集団であった亜人たちとは全く違う。彼らが夜闇に乗じてノーザンフォートレスに侵入した場合、おそらく短時間で占拠される可能性が高いだろうと理解出来てしまう。
「……私が時間を稼ぎます。団長だけでも逃げてください」
勝ち目はない。瞬時にそう判断したウルミ。
「おっと、逃げても構いませんが、その場合……ノーザンフォートレスの住人たちが大量に死ぬことになります。賢明な殿下でしたらどうすべきかご理解いただけると思いますが」
「……わかりました」
「だ、団長、駄目です逃げて――――」
「戦って貴方たちを全員倒せば済む話です」