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第百七十五話 冬の到来


「閣下、亜人どもの引き揚げが終わったようです」

「そうか……ようやくだな」


 王国軍の総指揮を執っているフェリックス=アルジャンクロー公爵はほっと安堵の息を吐く。


 開戦当初の指揮官が戦力の逐次投入というマズい対応をした結果、亜人たちの過去にないほどの大攻勢を受けて防衛線が突破されるという非常事態になった王国軍。その結果防衛ラインが広がり戦線が拡大。どうにもならなくなった段階で事態の収束に乗り出したのがフェリックス公爵であった。本来内政を得意とする彼だったが、王国の最高戦力である千軍の翼セレスティア王女を伴い自ら戦地へ赴くと、同時に国内各地から冒険者を集めて一気に劣勢を挽回、失地を奪還し侵略者を敵地まで押し戻すことに成功した。


 しかし戦いによって得るものはほとんど無く、一方的に失うだけの消耗戦である。兵士たちの士気を保つのもそろそろ限界に近かったというのが正直なところ。


 むろん冬ごもりのことは計算に入ってはいたものの、実際にどうなるかはわからない。とにかく被害を最小限に食い止めて、冬の間に戦力を休ませ作戦を練り直すことを目標に粘り強く戦ってきた公爵にはまさに福音ともいえる朗報であった。




 北部戦線の地は元々冷涼な気候ではあるが、冬ともなると朝晩の冷え込みが厳しいものになる。


 観測用に張った水が初めて凍った日、各陣地から亜人兵が引き揚げたとの連絡が入ってくる。


 亜人は頑強だが人族よりも寒さに弱く、動くこともままならなくなる。


 そのため本格的な冬の季節が始まる前には亜人たちは冬ごもりに入るため自動的に戦いは終わる。


 逆に言えば、それまで防ぎきれば良いのだとも言える。


 ただし、亜人は冬ごもり中に一番繁殖するので春が来るとその数は増えてしまうのであるけれども。



「フェリックスおじさま、亜人たちが完全に引き揚げたそうですね」


 生地の厚い冬用のマントを颯爽と翻しながら現れたのは、王国の最高戦力の一人『千軍の翼』セレスティア王女。


「ええ、念のためしばらくは一部部隊を残して警戒は続けますが、明日には初雪も観測されるかもしれないとのこと。もう大丈夫とみて構わないでしょう」


 すでに本隊の大部分は順次撤退し始めており、フェリックスたち指揮参謀本部も最前線だった山岳エリアから国境沿いの街ノーザンフォートレスまで後退している。


「そうですか……それは良い知らせですね。兵士たちも家族の元に早く帰りたいでしょう。財政的な負担が大きいのは承知していますが、十分に労ってあげてくださいね」

「はい、兵の士気を考えればそこは出し惜しみすべきではないですからね。まあ……その点は元々得意とするところですし、王国の財政は私が一番わかっておりますのでいかようにもなるというものです」


 今回は騎士団だけではなく、多くの冒険者も参戦しているので通常よりも支出は大きい。しかし今後のことを考えれば、ここで割に合わないと思われれば戦力の確保が難しくなってしまう。


「それにしても我々が命懸けで戦っているというのに王都の貴族連中は今この瞬間もパーティを楽しんでいるでのでしょうね……それを考えると少々憂鬱になります」


 フェリックスが大きく息を吐いて空を仰ぐ。普段不平不満を口にする男ではないが、セレスティアは本音で話せる数少ない理解者、彼女の前では口も軽くなる。


「私たちが戦っているのは貴族のためではありません。この国で生きているすべての民を、そのかけがえのない命と財産を守るためです。そうではありませんかフェリックスおじさま? まあ……お気持ちはわかりますけれど」


 セレスティアがクスクスと笑う。


「はは、殿下には敵いませんな。いやおっしゃる通りです。今の発言は忘れてくだされば」

  

「はい、そのように。ところでフェリックスおじさま、少し気になっていることがあるのですが……」

「気になること……もしかして獣人のことですか?」

「はい……おかしいと思いませんか?」


 ヴァルガンドの亜人には獣人たちも含まれる。とはいっても、ヴァルガンドにおける獣人たちの立ち位置は奴隷としてのものである。


 過去、亜人たちは獣人たちに最も過酷な役目を与え、まるで消耗品のように扱っていた。


 だが今回、亜人たちの軍勢の中に獣人たちの姿は見当たらなかったのだ。


「それについては私もいくつか仮説を立てておりました。獣人を主体とした別動隊がいるのではないか、あるいは戦力になるほどの数が揃わない、もしくは絶滅した可能性などですね。どちらも可能性は低いでしょう。捕らえた亜人たちに尋問してはみたのですが、要領を得ない答えばかりで……正直わからないとしか言えません」


 愛娘の筆頭護衛に獣人のネージュを付けるなど、保護に積極的なフェリックスにとって敵兵に獣人がいないことは正直有難かった。もっとも理由がわからない以上油断も安心も出来ず、好材料とも悪材料とも言えない。


「まあ……わからないことをこれ以上考えても仕方がありませんね」

「そうですね。殿下も急ぎ引き揚げの準備を進めていただければと思います。この後王都で重要なイベントがありますからね」

「そうでしたね。リュゼも王都には来るのでしょう? 早く会いたいものです」

「ですね、私も今からそわそわしておりますよ」

「まあ……フェリックスおじさまったら。あ……それから聞いていただきたいことがあるのですが、この後時間よろしいでしょうか?」

「もちろん構いま――――」


「殿下、閣下、お話し中に申し訳ございません」

「どうしたクロヴィス?」


 フェリックスの副官クロヴィスが慌てた様子で駆け寄ってくる。


「実は――――逃亡してきた複数の獣人たちを保護しております」


「なんだと!?」

「本当ですかクロヴィス?」


「はっ、酷く衰弱しておりますが、現在は落ち着いております」

「わかった、すぐに会おう」

「フェリックスおじさま、私も同行します」




「……なるほど、歴史的な不作と天候不良で食料が……」


 保護された獣人たちの話は衝撃的なものであった。ヴァルガンドの状況は悲惨を極め、深刻な食糧不足で共食いを始める亜人たちも出始めている。


「おじさま、これで大挙して襲い掛かって来た理由がわかりましたね」

「ああ、それに獣人がいなかったのも納得だ。彼らの分の食糧が惜しかったのだろう」


 獣人といえども食事がとれなければ動けずお荷物にしかならない。食べ物は敵から奪えば良い、彼らの目的は最初から我が国の食料だったのだろう。


「となると……これはマズいかもしれない」


 フェリックスの端正な顔が大きく歪む。


「クロヴィス!! 全軍に撤退中止命令を出せ!!」

「え!? しかし閣下、すでに大半の部隊は――――」

「動ける部隊だけでも良い、とにかく急げ――――」

「は、はっ、かしこまりました」


 亜人どもはまだ撤退していないのではないか?


 フェリックスは苦々しい表情で鉛色の冬空を睨みつけるのだった。  

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