第百七十一話 女王との邂逅
どこまでも続く花畑……あふれんばかりに降り注ぐ光のシャワー。
俺は見たこともない場所に呆然と立っていた。
「ファーガソン?」
背後から声をかけられて振り向くと、そこには見覚えのある女性が。
「女王……陛下?」
そうだ……さっき女王陛下の手を取って……これは……どういうことだ? なぜ俺の名前を知っている?
「逢いたかった……逢いたかったよ、ファーガソン……」
ぽろぽろ涙を流しながら抱きついてくる女王陛下と思われる女性。
これは……どうすれば良いのかわからない。
まるでイッヌのようにクンクン鼻をこすりつけて泣きじゃくる彼女を眺めていることしか出来ない。
「あはは、久しぶりだね」
ようやく落ち着いたのか顔を上げる女王陛下。涙と鼻水で酷い有様だが、その現実離れした美しさがそれすら絵画のように見せてしまう。
「いや、女王陛下、俺はたしかにファーガソンだが……初対面のはずだ」
混乱が加速する。どうにも会話が噛み合っていない。
「ファーガソン、なにその他人行儀な呼び方? 私はエレンディアだよ、昔みたいにエレンって呼んで?」
エレンディア? そうか……思い出したぞ。なぜ彼女を見覚えあるのか。
子どもの頃、毎日のように屋敷で眺めていた肖像画、イデアル家初代当主ファーガソンとその妻エレンディア……彼女によく似ていたんだ。
「なあエレンディア、いやエレン、さっぱり状況がわからないんだが……説明してもらっても?」
「あれ? もしかして記憶無いの……? 嘘……でしょ……」
にっこにこしていたエレンが頭を抱える。その落ち込みようはすさまじく、声をかけることすらできない。
それでも彼女はポツリポツリと語り始めた。千年前、一体何があったのかを――――
◇◇◇
「しっかりしてファーガソン!!」
「ハハ、すまないエレン。頑張ったが俺ももうそろそろ限界みたいだ……」
「何言っているんだよ、まだたったの三百年だよ? まだまだ生きられるって」
エレンの呼びかけにも微笑むだけで精一杯の様子のファーガソンに焦るエレン。
「なあ……エレン、キミの故郷……ミスリールへ連れて行ってくれないか?」
「ファーガソン……まさか……駄目だよ、木になればたしかにずっと生きられるかもしれない。でも……それじゃあもう二度とこうやって話したり抱き合ったり出来ないんだよ?」
「そうだな……だが……それでも俺は……お前と生きていきたいんだ。どんな形でも見守っていたい……愛してるよエレン」
「ファーガソン……」
エルフの秘術には人を樹木へと変える魔法がある。ミスリールにはそんな人々の想いが今でも息づいている。
「……一つだけ方法がある」
「……何をするつもりだエレン?」
これまでもエレンはあらゆる方法でファーガソンの寿命を伸ばそうとしてきた。
ファーガソンが三百歳という人族としては異例の長寿を得たのもそのためだ。
「……転生の秘術だよ。これ以上寿命を延ばすのが無理なら、もう一度ゼロからやり直せばいいんだ」
「そんなことが出来るのか?」
「……うん。でもその代わり私は国へ帰って王位に就く必要があるけれど……ね。でも、ファーガソンとまた逢えるならそのくらい我慢できるよ」
その後、エレンはファーガソンを連れてミスリールに戻り残りの日々を穏やかに過ごした。愛する妻と掟によりミスリールに離れて暮らす三人の娘たちに囲まれた生活は、ファーガソンにとって何より幸せな時間であった。
――――ミスリールへ移ってから数年後、ファーガソンの死に際してエレンは女王の権限で転生の秘術を実行したのだ。
そしてエレンは、女王として義務を果たした後、転生したファーガソンとの再会を夢見ながら眠りについた。
転生の儀ではファーガソンがいつ転生するのかまではわからない。だからこそエレンは彼が転生し、逢いに来た時に眠りが覚めるようにしていたのだ。
その事実を知っているのは、側近の数名のみ。家族すら知らない事情故、エレンは王位を譲ることなく眠り続けた。それを可能にしたのは、長寿のエルフという特殊性あってのこと。当時の事情を知るものが変わらず存命だからこそである。
「はあ……というわけでね、簡単に言えば転生の魔法を使ったの。ファーガソンの魂が再びこの世界で生を受けるように、ね。こうしてちゃんと逢いに来てくれたから成功したんだと思っていたけど……まさか記憶を失っているなんて……」
初代ファーガソンの記憶か……うーん……断片くらい残っていればと思うが――――
「すまない、そこまでしてもらったのに全く覚えていない。ただ……エレンのことは忘れていないんだと思う。魂が、心が喜んでいるのがわかるから」
いつの間にか俺の目から幾筋もの涙が零れ落ちていた。悲しい涙ではない。とても……とても温かい涙。
きっとそれは……エレンとの再会を喜んでいる涙なんだと思うのだ。
「うん……そうだね。記憶を失っていたってファーガソンはファーガソンだ。記憶はそのうち戻るかもしれないし……ね」
エレンも泣きながら笑っている。
うん、そうだな……きっと俺はこの笑顔が大好きだった。
心からそう思うよ――――エレン。
「ところでエレン、ここは一体何処なんだ?」
「ああ、私の夢の中の世界だよ」
ああ、夢の中だったのか。
「エレンは寝ている間、外の世界のことは知らないんだよな?」
「いいや、謁見の間で私に触れた者の記憶から大体の様子は把握しているよ」
なんでも謁見の際に手を取って触れるようにしたのは、俺が再び逢いに来たときのため、そして情報収集の二つの目的があったらしい。
「それでね、記憶……見せてもらったよ。大変だったね……」
「エレン……俺は……何も出来なかった……出来なかったんだ……」
両親、姉、セリーナの家族、領民たちを守れなかったという自責の念が消えることは決してない。
それでも――――知ってくれている人がいる。それだけで救われることはあるのかもしれない。エレンのその慈母のような優しい視線が優しくて、その言葉が温かくて涙がとめどなく流れ落ちる。
「そんなことはない。その時出来ることを懸命にやってきたから今のキミがいるんだ。キミがいたから救えた命もたくさんある、自分を責めるなとは言わないよ、でも私はキミを誇りに思ってる。ファーガソンは生まれ変わっても全然変わってないね……キミはいつだって正直で優しく強い男だ。そして――――私が生涯で惚れた唯一の男なんだよ」
なんでだろう。エレンにこうやって抱きしめられると安心する。
「それから……あの子たちも元気そうでなにより」
「……あの子たち?」
「フリンとエリン。私たちの娘だよ。アルディナはずっと側に居たから知っているけど」
ちょっと待て……フリンとエリンが俺の娘……? え……? アルディナもそうなのか? そうか……そういうことになるのか。
「ええっと……ちょっと実感が湧かないな」
「あはは、だろうね。まあ今のファーガソンは転生したわけだから別人みたいなものだけど。あの子たちはお父さん大好きだったからファーガソンに惹かれるのも当然かな」
なんか……複雑な気分だ。まあ……悪い気はしないが、な。