第百七十話 謁見の間
「ところでファーガソン、街中で散々やらかしたみたいだな?」
「うっ……それは不可抗力というかだな……」
「ハハハ、別に責めているわけではない。これでファーガソン法の必要性に一層説得力が増すと思ってな? むしろよくやってくれた」
上機嫌に笑うアルディナ。
「ところでアルディナ、陛下はどんな方なんだ?」
「母上のことか? 心配するな謁見といっても形式だけのこと。実際に話をするわけではない」
……母上? 女王だったのか……てっきり男性かと。現在、大陸主要国に女王を戴く国家は存在しない。先入観とは恐ろしいものだ。
それより気になることを言ったな……
「話をするわけではないというのはどういう意味だ? 言葉を交わしてはいけない――――ああ、なるほど、俺のフェロモンで万一のことがあったら不味いから――――」
「いや違う、それは今更過ぎるだろう? そうではないのだ……母上……いや、女王陛下は――――」
――――もう千年近く目を覚ましていないんだよ。
アルディナが少し寂しそうに笑った。
圧倒的な長寿を誇るエルフの中でも、ハイエルフと呼ばれる銀髪の王族はそもそも寿命という概念がないそうだ。
しかし数千年、数万年を生きる中で、徐々に人としての自我を放棄して眠る時間が長くなるらしい。そして二度と目を覚ますことはないのだと。
寿命は無いがそれがエルフにとっての事実上の死なのかもしれないな。少なくとも周囲から見れば同じことだろう。
「母上は私を産んでから百年も経たないうちに眠ることが多くなり……今ではまったく目を覚ます気配すらない。この状態が続くならば近いうちに新たな王を立てようという動きが表面化するかもしれない。姉上たちは戻ってくる気はないようだから、その場合、私が王位を継ぐ可能性が高いのだ」
アルディナは単なる王族ではなく、フリン、エリンに次ぐ継承順位三位、姉二人が事実上継承権を放棄しているので、現在国内筆頭継承者なのだという。
「そろそろリエンの準備も出来たようだな。ファーガソン、入って良いぞ」
アルディナが楽しそうに手招きする。
「リエンはどんな感じ――――おお!! 可愛いじゃないか、似合っているぞ」
「そ、そうか? なんというか恥ずかしいんだが……」
生地が薄くて体のラインが強調されるからだろう。恥ずかしそうにアルディナの後ろに隠れるリエン。
普段はローブで隠しているが、容姿、スタイルともにエルフとはまた違った意味で絶世の美少女だ。さすがは王女さまといったところだろう。
「安心しろ、エルフの男はお前の身体を見ても何も感じないし興味も無いだろうからな」
「いや、それは気にしていないというか……だがそれはそれで何か腹が立つが」
アルディナの的確なフォローだと思うが、リエンは納得が行かない様子だ。
「ハハハ、そんなことで腹を立てることはないだろう」
「……ファーガソンは何も感じないんだ……? ふーん」
何やら機嫌を損ねたらしい……難しいお年頃だな。
「それでは謁見の間に向かうぞ」
アルディナに付いて王宮内を移動する。
清潔に保たれた通路は天井から床に至るまで黄金色の光を放っており、幻想的なまでに美しい。ここが巨大な樹の中なのだとは実際に見た後も信じられない気分だ。無駄な装飾が無くシンプルなのはエルフの文化的なものが背景にあるのだろう。
「同じ魔力でもこの場所に満ちているものは性質が全く違う、むしろ聖女の持つものに近い……実に興味深い」
リエンは景色などお構いなしに全く別のところで感動している。俺には魔力の違いなどわからないが。
「本来は細かい儀礼やマナーがあるが、お前たちは異邦人ゆえ気にせず自分のスタイルで構わない。ただし謁見の間では求められない限り極力発言は控えてくれ」
「わかった」
静寂に美を感じるエルフにとっては大切なことなのだとか。気を付けなければ、な。
「女王陛下にはどう接すれば良い?」
「寝ておられる陛下の手に軽く触れるだけで良い。反応することはないだろうが、陛下と謁見したという事実がこの国では重要なことなのだ」
リエンの疑問にアルディナが応える。
なるほど……だから全身念入りに浄化したのか。人族の世界で謁見の際王に直接触れることはまずあり得ないので、とても新鮮だ。
アルディナと俺たちの名前が読み上げられ、いよいよ謁見の間に入る。
謁見の間にはすでに大勢の貴族たちが平伏しながら通路の両脇を埋めているが、誰一人言葉を発しないので異様なまでに静寂で、それゆえに緊張感というか無言のプレッシャーを感じる。これなら好奇の目に晒される方がずいぶんとマシかもしれない。
まず目に飛び込んでくるのは、謁見の間の明るさだ。金色の輝きは一層強く、真昼のように暖かく明るい。いたるところに見たこともない種類の花々が咲き誇りその広大な花畑の中央に女王陛下の玉座というか寝所がある。
最初に呼ばれたのは、アルディナ。
「一応手本を見せる」
アルディナがゆったりとした動きで玉座の前に進むと、深く一礼した後で両手で女王陛下の手を取って口づけをする。
これは家族だからで、俺たちはもちろん口づけする必要はない。
「陛下、今日は私にとって、そしてこのミスリールにとって大切な客人を招きました。どうか加護を賜りますようお願い申し上げます」
遠目でははっきりわからないが、娘であるアルディナの問いかけに女王が反応した様子はない。
次に呼ばれたのは、リエン。
アルディナはそのまま女王陛下の隣に立って見守ってくれている。
女王陛下の前に立った時、リエンが少し驚いたような様子を見せたが、特に言葉を発することなく静かに手を取る。
先ほどリエンは、魔法で語りかけてみるつもりだと話していたので、おそらく今、念話のような魔法を使ってコンタクトを試みているのだろう。
だが……やはり反応は見られない。身体は生きていても事実上死んでいるということなのだろうか。
「ファーガソン殿、前へ」
とうとう俺の番か。
意を決して前に出る。動作はアルディナの真似をすれば良いだろう。
これは……すごいな…。
リエンが驚いたのはこれかもしれない。
圧倒的な魔力のゆらぎ。魔力に疎い俺ですら濃密な質量を感じるほどだ。たしかにこれは生きているのだと強く実感した。
それにしても……万を超えて生きたエルフとはここまで凄まじいものなのか。
魔力に質量を感じたのは、チハヤが聖女に覚醒した時以来か。逆に言えば、聖女であるチハヤの魔力がいかに常識外れなのかがよくわかった。
もしかしたら……今目の前で寝ている女性は、この世界で最も神に近い存在なのかもしれない。自然と畏敬の念があふれてくる。
この方がエリン、フリン、アルディナの母上か……。
三人の誰よりも幼く見えるその姿に母親をイメージすることは難しい。
だが……なんだろう……この感覚は? 初めて会ったはずなのに初対面の気がしない。
この面影、どこかで見覚えがある気がする。誰だ……誰に似ているんだ?
「ファーガソン?」
アルディナが心配そうに声をかけてくる。
しまった、つい考え込んでしまった。
深く一礼した後、両手でその華奢で傷一つない手を取る。
ここは……どこだ?
俺は……謁見の間にいたはず……だ。