第百六十九話 秘めたる想い
災害級――――本来これは魔物の脅威度を表す指標だ。
数ある指標の中で最も高い、つまり一番危険な魔物――――文字通り、人の力ではどうにもならない、過ぎ去るのを待つしかないレベルの脅威、ドラゴンなどがこれに該当する。ちなみに魔王だけは例外的に滅亡級と表現される。
◇◇◇
突然災害級ファーガソンがエルミスラの街を襲った。
まともに吸い込んでしまったら致死レベルの危険で膨大な量のフェロモンを撒き散らし、女性エルフを魅了して実質インフラを破壊。訓練された精鋭兵士たちもこれには無力であった。
さらにはエルフの鉄の自制心すら災害級ファーガソンの前では何の役にも立たなかった。
人々は救いを求めてファーガソンたちが居る秘湯へと押し寄せたのだ。
「ハアハア……危なかったです。本気で死ぬかと思いました」
一人で何とかしようと頑張ったシルヴィアだったが、津波の前の砂城のごとくあっけなく飲み込まれてしまった。群衆が浴場に雪崩れ込んでくるのがあと少し遅かったら……どうなっていたかわからない。
「良かったですね。元に戻ったみたいで」
「まあ……な。結果的に公衆浴場に行った場合と同じ結果になってしまったが」
「ふふふ、結果良ければすべて良し――――ですよ、ファーガソンさま」
結果良ければすべて良し――――か。
そう……だな。俺もそう思うよシルヴィア。
「ああ、お前の笑顔が見られたからな」
「え? 私……笑ってましたか?」
照れくさそうに笑うシルヴィアの頭を撫でる。
「シルヴィア、疲れているところ悪いが、そろそろ王宮に行かないとマズいんじゃないか?」
「大変……時間ギリギリです。走りましょうファーガソンさま」
「王宮まで道案内頼む」
「ふえっ!?」
シルヴィアを抱き上げて走り出す。
「ファーガソンさま」
「ん? どうした」
「いいえ、なんでもございません」
私が感情を見せるのは――――
――――生涯貴方だけです。
私の愛しいご主人さま。
◇◇◇
エルミスラの街の一番奥にソレはあった。
ミスリール国の王宮。
王宮と聞いて思い浮かべるものとはかけ離れている。
遠くから見て初めてわかった。見たことも無いほどの巨大な木だ……木そのものが王宮になっている。
その樹皮は黄金色に輝きを放ち、眺めているだけで癒されてゆくような気がする。
「原初の樹セレスティアルオーレアです。この国が建国された当初からすでに大樹だったと言われています。女神の導きによってこの地にやって来た始祖さまの逸話から『約束の樹』とも呼ばれていますね。エルミスラを走る街道は、すべてセレスティアルオーレアの張り巡らされた根の上にあります。つまりエルミスラはセレスティアルオーレアの上に建設された都市ということになります」
大樹の上に建設された都市か……。もしかして回復の力の源はこのセレスティアルオーレアによるものなのだろうか……?
「なあシルヴィア」
「はい、何でしょうか?」
時間には間に合ったみたいだが、心配なことがある。
「こんな状態で陛下に謁見して大丈夫だろうか?」
エルフは匂いに敏感らしいから不敬罪とかで捕まったりするんじゃ……
「大丈夫だと思いますよ、一応消臭の魔法はかけておきますけれど」
「シルヴィアは陛下がどんな方かを知っているんだよな?」
「存じ上げていると申し上げたいところですが、話したことは一度もございません」
よく考えてみればメイドと王が話はしないか。しまったな……ミリエルかアルディナにちゃんと聞いておくべきだったかもしれない。
「お召し物を換えさせていただきます」
謁見にあたっては伝統にのっとり正装することになっている。義務ではないが例外は無いとのこと。人族の俺も当然従うべきとのことで、現在シルヴィアに手伝ってもらいながら衣装合わせをしているところだ。当然だが、帯剣、武器の使用は認められていない。
「そういえばリエンはもう来ているのか?」
「はい、リエンさまも別室でお着換え中です」
男の俺よりも女性の方が大変そうだな。
「……やはりサイズが合わないですね。エルフの男性は皆線が細いので……」
「手間をかけてすまないな」
エルフの男性はごく一部の例外を除いて女性に間違えるほどだからな……。
「いいえ、この分厚い胸板がたまらないのです。それに、服のサイズは魔法で直せますから――――オートテイラー・スペル!!」
シルヴィアの魔法で服のサイズがぴったりに。すごいな……エルフの生活魔法。
「とってもお似合いですよ、ファーガソンさま。破壊力がさらに増しています」
「そうかな? なんだかスース―して居心地が悪いんだが……」
エルフの正装は下着を付けないため何となく心もとない。
生地は肌に優しくて、おまけに軽くて通気性も抜群だから文句はないんだが……
だが……たしかにシルヴィアの言う通りなのかもしれない。着替えた後、他の王宮メイドたちからの視線が尋常ではない。
「我々王宮メイドは鋼の自制心でなんとか律しておりますが、他の貴族方は耐えられないでしょうね……どうぞお気を付けくださいませ」
「気を付けろと言われても……な」
「そうですね、王宮にいる間は可能な限りアルディナ殿下に常に寄り添っていただくと良いでしょう。それに謁見の間に入ってしまえばさすがに下手なことは出来ません」
まあ……それしかないだろうな。
「ファーガソン、用意は出来たか?」
控室にアルディナがやってきた。
「ああ、こんな感じだ」
「おお!! 想像以上に似合っているじゃないか!! うう……これはなかなか……来るものがあるな」
慣れているはずのアルディナですらこの反応なのか。
「それではファーガソンさま、私はここまででございます」
そうか……なんだか寂しいな。一緒に居た時間は短かったが濃密だったからな……。
「ああ、本当に助かったよシルヴィア。またな」
「シルヴィア、無理言って悪かった。案内もどうせお前がしてくれたのだろう?」
「大役をお任せいただいたこと感謝しかございませんアルディナ殿下」
結局、最後まで頭を下げたまま、シルヴィアと視線を合わせることはなかった。
「ファーガソン、シルヴィアは変わったな」
「わかるのか?」
「ふふ、あの氷のメイドと呼ばれる無臭の女がお前にだけ感情を向けていたからな。だがおそらく……私以外の者では気付くまい。さすがは特級メイド完全に消していたつもりだろうが……別れる瞬間、ほんのわずかだが漏れてしまったのだろうな……ファーガソン、無理にとは言わないが、機会があればまた会ってやってくれ」
「ああ、そうするよアルディナ」