第百六十七話 温泉とシルヴィア
「シルヴィア、エルミスラの街にも温泉があるのか?」
「ございます。といいますか……この大陸にある温泉の八割はこのミスリールにあると言われております。そしてその約半数がここエルミスラに集中しているのです。正確には温泉の恵みに集まったエルフたちが作った街がエルミスラの街の始まりなのです」
ということは……ミスリールは温泉の国で、エルミスラの街は温泉街ということか。街のあちこちから立ち昇る煙は湯けむりだったんだな……。これだけの巨木が育っているのも温泉の力と無関係ではあるまい。
「それだけたくさんあるとなると、どこへ行って良いかわからないな」
「ご安心ください。特級温泉ガイドの資格を持つこの私がファーガソンさまにぴったりの温泉を選んで差し上げます。何かご希望はありますか?」
特級温泉ガイドの資格も持っているのか……よくわからないがすごいな。
「そうだな……せっかくなら温泉に入りながら何かつまめるところが良いんだが……」
朝から何も食べていない上に、会議を挟んでアルディナ、ミリエルとずっとファーガソンしていたからな……さすがに腹が減った。この後王宮で食事が用意されているとはいえ、何か食べておきたい。謁見の間で腹が鳴ったら恥ずかしいからな。
「かしこまりました。温泉に入りながら私を美味しくいただける場所ですね。丁度良い所がありますのでご案内します」
……ブレないな、シルヴィア。
「ファーガソンさま、有象無象が集まっている混雑している混浴の公衆浴場と私と二人きりで入れるドッキドキの秘湯どちらがよろしいですか?」
公衆浴場の評価に悪意が感じられるのは気のせいだろうか? というか公衆浴場でシルヴィアを美味しくいただくのは若干抵抗があるのだが……。
「そうだな、せっかくなら公衆浴場に行ってみたいな。街の人々と裸の付き合いをして語り合ってみたい」
「……公衆浴場……ですか? 私は構いませんが覚悟はおありでしょうか?」
「覚悟? 何の覚悟だ?」
先行していたシルヴィアが立ち止まり振り返る。その表情は真剣そのもの……いや、違うな、完全に無表情だった。
「決まっております、公衆浴場にいる全員とファーガソンするお覚悟です」
「……ぐっ!? ぜ、全員……か」
そうか……裸で混浴ともなれば必然的にそういう展開に……
「……俺の考えが浅かったな。二人で入れる秘湯に案内してくれ」
無理すれば出来なくもないだろうが、これから謁見するという時にさすがにマズいだろう。今更感がすごいが俺にも最低限の理性が残っている。
「さすがファーガソンさま、そうなるだろうと思ってすでに秘湯に到着しております」
元々選択の余地が無かったような気がするが、きっと腹が減っているせいだな。
「湯加減はいかがですか、ファーガソンさま?」
「ああ、いい感じだ。さすがエルミスラの温泉は泉質が違うな」
俺もそれなりにいろんな場所で温泉に入って来たが、レベルが違う。お湯じゃなくて回復薬なんじゃないかと思うくらい全身の毛穴から疲れや汚れが流れ出てゆくような感覚。熱めの湯が好きな俺にとって温度も丁度良い。
それにしても――――いつの間に服を脱がされたんだろうな、俺。
シルヴィアは服を脱がす魔法でも使えるのか?
「……失礼します」
隣にメイド服を着たままのシルヴィアが入ってくる。
「服は脱がないのか?」
「全裸の方がお好みですか? 人族の殿方はメイド服が好きだと聞いていたのですが……」
「まあ……否定はしない。ちなみに俺は大好きだが」
「やはり!! その昔、人族はエルフのメイド服にいたく感動してその意匠を国へ持ち帰ったと聞いております」
全然知らなかった事実が……。そうか……貴族制だけじゃなくてメイド文化もエルフから伝わったものだったのか……。
「ちなみにメイドとは、古代エルフ語で『至高の存在』という意味です」
「なるほど……たしかにわかるような気がする。勉強になる――――」
「メイドジョークです」
「……どこからだ?」
「ふふふ、メイドは古代エルフ語で『奉仕する者』というのが本当です』
唐突にジョークをぶちこんでくるな……
「ファーガソンさま」
「なんだ?」
「ここは笑い過ぎて涙が出てくるところかと」
「期待に応えられなくてすまないな」
「まあ、仕方ないです。特級メイドと二人きりで温泉に入っているのですから頭の中はきっとファーガソンのことで一杯なのでしょう?」
くっ……力強く否定したいが、出来ない自分が悔しい。
「だがシルヴィア、メイド服は嬉しいが濡れてしまったらこの後大変じゃないか?」
「ご心配なく、エルフは生活魔法が使えるのですよ? お忘れですか」
そうだったな。洗濯、乾燥はお手の物だった。ましてやシルヴィアは特級……無駄な心配だったか。
「ついでに防水の魔法をかけておりますので、脱がせるのも簡単です」
「……至れり尽くせりだな」
「特級メイドですので。ご希望であれば脱衣魔法でお好みの演出も可能ですが」
ここまでされたら応えなければ男じゃない。
「ふふ、その表情……やる気十分といったところですね。ですが私を早く召し上がりたいという気持ちを少しだけ抑えていただいて、その前にこちらをお召し上がりください」
「……これは?」
こぶし大の深緑の……実? 鈍い光沢のある表皮には細かい凹凸がある。初めて見る食べ物だな。
「こちらはエルダートレントの実です」
「エルダートレントに実がなるなんて聞いたことが無いが」
「百年に一度しか実を付けませんのですべてミスリール国内で消費されます。ご存じ無いのも当然かと」
おお……そんな貴重なものを食べられるなんて……
「シルヴィア、これはどうやって食べるんだ? そのままかじれば良いのか?」
「いいえ、エルダートレントの実は非常に硬い殻に覆われておりますので、特殊な器具を使い殻を割って中身を食べるのです」
ふむ……たしかに硬そうな殻だな。
「どれ、ちょっと試してみて良いか?」
「え? まさか素手で割るおつもりですか? 不可能――――」」
メキ……バキンッ
「割れたぞシルヴィア」
「…………」
相変わらず無表情だが、何となくポカーンとしているような気がする。
「……素敵です。さすがに驚いてしまいました」
「はは、これでも最上位の白銀級冒険者だからな」
「そうでしたね」
そう言ってこちらを見つめるシルヴィアの顔が赤い気がするのは――――温泉のせいだろうか?




