第百五十六話 千軍の翼
「だがマール、帝国にも今すぐに王国に攻め込む余裕はあるまい? それに北部に展開している王国軍主力は強力だ。多少の増援程度では崩せんぞ? 狙いはなんだ」
「はい、私は下っ端ですから詳しい情報は持っていませんが、帝国の方針は明確です。ヴァルガンドと王国を戦わせ両国の弱体化、あわよくば共倒れを狙っています――――」
悔しいがその作戦は大いに成功している。王国軍の主力は泥沼の連戦で疲弊している。正規軍だけでは兵力を維持出来ず、各地の冒険者まで動員せざるを得ない状況になっているのだから。それはヴァルガンドも同様だ。
「しかし、それとは別に極秘作戦が実行に移されようとしています。これはクライゼルドと意識を共有した時に知り得たことなのですが――――帝国の狙いは、『千軍の翼』の確保です」
「ファーギー、『千軍の翼』って?」
「……王国軍主力の中核を成す白獅子騎士団長にして王国第二王女セレスティア=レオンハート殿下のことだ。単騎で千の軍勢に匹敵するその強さから『千軍の翼』と呼ばれている。お会いしたことは無いが名実ともに王国の最高戦力の一角だろう」
「わあ!! 王女様なのに強いってカッコいい!!」
「噂は聞いたことがある。一度手合わせ願いたいものだな」
チハヤとセリーナが瞳を輝かせている。理由はそれぞれ違うだろうが。
「ファーガソン……どうしよう……お姉さまが……」
「リュゼはセレスティア殿下と仲が良いのか?」
「お姉さまは従姉よ。とっても可愛がってもらっていて、何度も助けてくれたの……もしお姉さまに何かあったら……」
目に涙をためて震えるリュゼ。
「リュゼ……俺に出来ることが無いか考えてみる。お前の大切な人なら喜んで力になるよ」
「ありがとう……ファーガソン」
とは言ったものの……現状出来ることはほとんどない。ここから北部の最前線までは早馬を飛ばしても十日はかかる。その頃には北部地方は冬に入って事実上休戦状態になるだろう。それまで何事も無いように祈るしかない。
だがまさか……帝国の狙いが王女殿下だったとは。だが……考えてみればこれ以上ないほど的確な作戦だ。
国力で押されているとはいえ、王国軍は精強で戦力の質も高い。いかな帝国とは言え、正面衝突すれば甚大な被害は免れまい。一方で万一王女殿下が帝国の手に落ちれば……王国の士気は地に落ちる。たった一人を狙う。いかにも姑息な帝国らしいやり方だ。
泥沼の北部戦線が維持できているのも、各地の冒険者たちが大人しく招集に応じているのも、『千軍の翼』王女殿下のカリスマによるところが大きい。彼女が最前線で指揮を執っているからこそ王国軍は強いのだ。
◇◇◇
――――北部最前線 野営地
「くそっ、数が多すぎる……駄目だ、突破される――――全軍撤退――――ひけっ、引けえええ!!!」
夜の闇に乗じて奇襲をかけてきたのは、ゴブリン、コボルト、オーガの混成部隊。その数五百。対する斥候部隊は二百にも満たない。
人族にとって夜の闇は厄介でしかないが、夜目の利く亜人たちにとっては一番力を発揮する時間帯でもある。視野だけではない、嗅覚や聴覚も人族よりも優れている。
おまけに平地が少ない山岳地帯では騎士団得意の集団戦法が展開できない。
個々の戦いとなるとただでさえ腕力に劣る人族を中心に構成される王国軍が苦戦するのも無理のないことであった。
そして――――亜人最大の脅威は、その旺盛な繁殖能力だ。
妊娠期間は半年ながら、一度に生まれる数は平均五人から八人、種族にもよるが五年から十年で肉体的に成熟するほど成長が早い。エルフとは真逆でその分平均寿命は十年から三十年と人族に比べて短めだが、人族からすれば常に新しい戦力が補充されているのと同じ。倒しても一向に数が減らないのだ。
更には亜人は他種族間でも子を成すことが出来るがその逆は無い。そのため国境付近の街や村では人族の女性が襲われたり攫われたりといった事件が後を絶たず対応に苦慮している。
王国としても目の上のたん瘤であり、王国領内に進攻してきた場合は撃退するものの、追撃して亜人領域まで深入りすれば被害も大きくなり、山岳地帯が多くを占めるヴァルガンドを占領したところで旨味は少ないという消極的な理由で根本的な解決には至っていない。
そして現在、昨年から続く亜人たちの大規模侵攻は過去最大規模であり、王国としても主力を派遣して早期に撃退すべく奮闘しているが、得意のゲリラ戦法で夜襲を繰り返すヴァルガンド連合軍はそれを簡単には許さない。
結局、戦局は膠着状態となっており、終わる気配のない戦いに両軍ともに疲弊していた。
「うわあ!! た、助け――――」
足場の悪さに足を取られて転倒した兵士の頭上からオーガの持つ巨大な鉄棒が振り下ろされる――――
『 ハーモニック・バリアント 』
ガキイイイン――――
辺り一帯を光輪が包み込み、その光に触れた瞬間にすべての攻撃がはじき返される。
『て、テガシビレタ……』
衝撃で落とした鉄棒を拾おうとしたオーガの首が落ちる。
『インフィニット・ブレードストーム!!』
『ギャアアア!!?』
無数の剣影が嵐のように敵に襲い掛かり、亜人たちは為すすべもなく切り裂かれて倒れてゆく。
気付けば奇襲を仕掛けて来た亜人たちはほぼ壊滅していた。
「大丈夫ですか?」
凛とした佇まいには近寄りがたい強烈なオーラが渦巻いているが、その声は慈愛の女神ミローディアのようにどこまでも優しさに満ちている。その燃えるような深紅の瞳は戦の女神イラーナのように苛烈で力強いが、その眼差しは癒しの女神エイリースのように温かくまるでひだまりのようだ。
「は、はいっ!! あ、ありがとうございます!! セレスティア殿下」
「少し足を捻ったようですね。星よ、この者を癒したまえ――――アストリアル・エンブレイス」
千軍の翼 セレスティア・レオンハートの力は武勇だけではない。星の力によって癒しの奇跡を行使することも出来る。
王国軍にとって――――いや、王国に暮らすすべての民にとって、彼女は勇者であり同時に聖女のような存在でもあった。