第百二十八話 差し入れ
「アルディナ、夕食の差し入れだ」
エルフたちの入管施設は、俺たちの野営地全体を見渡せる高台にある。当初あれほど当たりの強かった入国警備隊だったが、顔を見るなりあっさり本部まで案内してくれた。
「おお、ファーガソンか。差し入れとは有難いが、我らエルフは基本的にこのミスリール森の恵み以外は食さんのだ」
「そうだったのか……それはかえって申し訳なかった。それじゃあこのまま持って帰る――――」
「待て……何やらとても美味そうな匂いがするな……」
帰ろうとするとアルディナにグッと肩を掴まれた。
「隊長、我らの任務は人族のことを調べることですよね? その対象には当然食べ物も含まれるはず」
「聞こえます……私たちに食べて欲しいと訴える食べ物の声が……」
フィーネとティアが畳みかけるようにアルディナに訴える。
「良かったら少しだけでも……食べてみるか?」
「むう……それもそうだな。よく考えてみればせっかく作って持ってきてくれたのだ。その気持ちに応えないというのは誇り高きエルフとしてあまりに非礼」
どうやら食べるらしい。
「旨っ!? なんだこれは……マズいな……食べる手が止まらない……」
「はわわ……美味しいです隊長……とろけてしまいます」
「なんというか罪深い味がしますね……何という背徳感……」
どうやらエルフにも好評のようだ。当然ながら普通のメンを使ったヤキソバだ。俺が打ったメンを出したら今度こそ斬られてしまうだろう。
「もし気に入ったのならヴァレノールの町へ行ってみると良い。このヤキソバに似たドラゴンブレス焼きが食べられるぞ」
「本当か!! わかった。ヴァレノールならすぐに行けるから、視察と情報収集を兼ねて行ってみよう」
これでヴァレノールに行くエルフが増えれば良い交流になるかもしれない。決して狙ったわけではないが、もしそうなればヴァレノールにもう一つ、エルフに出会える町という売りが増えることになる。
「ファーガソン、ちょっと良いか?」
「どうしたリエン?」
「ちょっと気になる動きがある」
リエンは以前国を失った反省から常時広範囲の索敵魔法を展開するようになっている。何かが引っかかったのだろうか?
「どうしたファーガソン、何かあったのか?」
俺たちの会話を気にしたアルディナが近づいてきた。
「ああ、リエンが索敵魔法で気になる動きを捉えたらしい」
「索敵魔法? 言っておくがこの森の中の警戒態勢は万全だぞ?」
よほど自信があるのだろう。少しだけムッとしたような表情を見せるアルディナ。
「警戒態勢は万全か……そうだったら良いんだけど。街道から外れた森の中を人族が十人、エルフが二人……移動中だ。少し離れた場所に本隊らしき集団もいるな……五十人くらいか……状況から見てエルフ二人が拉致されている可能性が高い」
リエンはアルディナの言葉に気を悪くすることなく淡々と事実を述べる。
チッ、エルフを狙った連中か……?
「なんだと!! それは本当か魔法使い!? 距離と方角は?」
「北北東、距離はここから……およそ十キロだ」
「馬鹿な、その方面には特に厳重に結界が展開されている。侵入者がいればわかるはず……」
信じられないという表情を浮かべるアルディナ。
「悪いけど結界を無効化、もしくはかいくぐる方法はいくつかある。保険の一つとしては有効だが信頼しすぎるのは逆に危険だ」
リエンの故郷、フレイガルドが落とされたとき、頼みの結界は機能していなかったと聞いた。昨日まで大丈夫だったからといって、明日も大丈夫というわけではない。そのことを身をもって知っているからこそ彼女の言葉は重く説得力を持つ。
アルディナもそのことに気付いたのだろう。一瞬で表情が変わる。
「むう……わかった、お前たちが嘘や戯言を言うメリットは無い。信じよう。ティア、お前は至急森全体へ知らせよ、フィーネ、お前は私の代わりにここを頼む」
「はい、至急」
「わかりました」
ティアとフィーネが慌ただしく走り出す。
「アルディナ、一人で行く気か?」
「私一人の方が速い。森を出る前に足止めする!!」
「待て、俺も行く」
「私も行きます」
セリーナも同行を申し出る。
「しかし……」
渋るアルディナ。神聖な森に人間を入れることに抵抗はあるだろう。ましてや現在進行形でエルフに危害を加えているのがその人族なのだから。
だがそれでも――――
「迷っている時間はないぞ。それにどうやって連中を追うつもりだ?」
リエンの冷えた視線がアルディナを射抜く。
たしかに今アルディナが一人で追ったところでどうにもならないのは事実。
「わかった……特別に同行を許可する――――ただし遅れるようなら置いてゆくぞ?」
「心配するな俺は本気で走れば馬より速い」
「ふふ、この碧眼の刃のスピードを舐めないで欲しいですね」
森の民であるエルフは森の中での機動力は人族のそれを大きく凌駕する。それでも俺たちが後れを取ることはない。
「それじゃあ間に合わない。全員まとめて風魔法で補助する」
リエンの魔法が発動する。
風の抵抗が無くなると同時に少しだけ身体が宙に浮いたような感覚になるが実際は浮いているのではなく、風のベールが全身を覆っているからなのだろう。
「なっ!? 風魔法を四人同時に……だと? お前ただの魔法使いではないな……何者だ?」
アルディナが驚きで目を見開く。エルフは人族よりも魔法に長じた種族だ。その彼女から見ても驚くほどの魔力操作ということか。
そういえば以前エリンが言っていたな。
ただ風を操るだけでは駄目なのだ。走る速度を上げるには複雑で繊細なコントロールが要求される。一人なら自分の動きに合わせることも可能かもしれないが、他人の動きを、しかも複数同時となるともはや異次元で想像すらできない――――と。
「私はただのリエンという魔法使いだ。そんなことより集中してもっと速度を上げないと間に合わない」
「すまないリエン、余計な詮索だったな。急ごう」
そこからは全員無言で走る。
風の力を借りて俺たちは森の中を疾走する。音もなく草一本葉一枚揺らすこともない。森の動物たちでさえ目の当たりにしなければ気付かないほど静かに。
「これは……すごいですね」
ずっと無言だったセリーナが思わず感嘆の声を漏らす。
アルディナの力で行く手を塞ぐ植物は皆身をよじって場所を空けるのだ。まるで森の中にぽっかりトンネルが出来るかのように――――
「くそ、間に合ってくれ……」
アルディナの声にも焦りがにじむ。
出来るなら本隊に合流する前に救出したいが――――