第百十話 ヴァレノールの姉妹
「隊長、逃げましょう、もう限界です!!」
部下たちが叫ぶ。
押し寄せる黒い塊。六本の脚を使って壁だろうがお構いなしに向かってくるおぞましい存在に我々は防戦一方。最後の防衛ラインも崩壊寸前だ。
「あと少しだ。町民が逃げる時間を少しでも稼ぐんだ!!」
声を枯らすほど叫んでみるものの、たしかにこの辺りが限界だろうな。
「もう嫌だ……俺は逃げる」
「馬鹿野郎、逃げるってどこへ逃げるんだよ? どこもかしこも虫だらけなんだぞ」
隊員たちからも弱気な声が漏れ始める。
ここが潮時か。
「総員退避するぞ!! 町舎へ避難する。怪我人が優先だ、焦るな!!」
平和そのものだったこの町を突然襲った悪夢。
最初の一匹が外壁を越えて侵入して来てからはあっという間だった。
まるで黒い洪水のように町は虫どもに飲み込まれた。
不幸中の幸いだったのは、騎士団が常駐していないこの小さな町で定期的に行われているギルドと防衛隊の合同演習の最中だったということ。
武装した多くの戦力が結集した状態でゼロタイムで対応できたのは大きかった。これがもし就寝中の夜中だったら? 想像しただけでゾッとする。とはいえ、現状を考えれば危機的な状況であることになんら変わりはないのだが。
それでも非戦闘員を逃がすだけの猶予を稼ぐことが出来たのだから意味はあった。襲撃を知った他の町から応援が到着するまで持ちこたえられるかと問われればわからないと言わざるを得ないが。
「怪我人を運び込め!! 援軍が来るまで持ちこたえるぞ」
町で一番頑丈な建物である町舎に立てこもる。ここには食料などの備蓄もあるし地下室もあるから万一突破されたとしても生き残れる可能性が一番高いのだ。残念ながら収容できる人数が少ないため、町民にはバールへと向かってもらった。街道にはこちらへ向かっている隊商や冒険者もいるだろう。楽観的にはなれないが、あの時点ではそれしか選択肢が無かったのだ。
なぜこの町が襲われたのか皆目見当がつかないが、たまたま通りがかっただけという可能性もある。であれば虫どもにどこまで意思があるのかわからないが、じっと身を潜めていればこのまま通り過ぎてくれるかもしれない。助けが来るまで最短でも二、三日……いや……ある程度戦力を揃えなければならないことを考えればもっとかかると考えた方がいい。正直言って厳しいな……。
「サッリはどうした?」
町舎の中に妹の姿がどこにも見えない。先に避難させたはずなのに……
「サッリならネッコが心配だからって様子を見に行ったきり……」
「馬鹿野郎っ!! それを早く言え!!」
あの子は近所のネッコたちの面倒をよく見ていた。くそ!!
「隊長、外は危険ですっ!!」
「そんなことはわかってる、だがサッリを見捨てるわけにはいかない」
「でしたら私も一緒に――――」
「駄目だ、私に何かあった場合、まとめられる者がいなくなってしまう。お前はここに残って私の代わりに指揮を執れ。後は任せるぞガルニエ」
「はっ……戦の女神イラーナの加護がありますように」
「そんな顔をするな。大丈夫だ、妹を見つけたらすぐに戻る」
頼む……生きていてくれ……
私たちはたった二人の家族じゃないか。お前がいなくなってしまったら私は……
◇◇◇
「良かった……こんなところにいたんだね。怖かったね。一緒に安全なところへ行こうね」
か細い鳴き声をたよりにようやく見つけた仔ネッコ。この子だけが心配だった。
他のネッコたちは大丈夫。きっと上手く隠れているはずだ。
『GYIIIIIIIIII・・・・・・・』
「ひっ!?」
突然視界が暗くなる。ギチギチと聞いたことのないような音が背後から聞こえてくる。
振り向けば……真っ黒の虫の魔物!? マズい、見つかってしまった。
『ミイィィ……』
「心配しないで大丈夫だよ、私がやっつけてあげるから」
震えている仔ネッコをそっと抱きしめる。
お姉ちゃんには敵わないけれど、私だって戦える。そのために辛い訓練に耐えて来たんだから――――!!
落ち着け……呼吸を整えるんだ。魔力を集約させるには呼吸が大事。
私なら――――出来る!!
『舞い踊れ、焔の精!辺り一面を火の海に――――」
『焔舞!!』
私が使える最大火力の魔法。先生に褒められたこともある。炎属性だけは素晴らしいって。
『GYAAAAAAAAAAA!!?』
黒い虫の化け物には剣や槍も硬くてあまり通用しないけれど、どうやら炎に弱いらしい。薄い羽根から勢いよく燃え始めるとあっという間に全身に炎が広がる。
「今だ」
灼熱の炎が魔物を焼き尽くすと同時に走り出す。
早く町舎へ――――!!
「……どうして? さっきまで居なかったのに……」
行く手を遮るように黒い壁が出来ていた。仲間を呼んだのかしら……それとも魔法を使ったから?
『GYGYGY……』
『GRRRRRR……』
『GATIGATI……』
駄目だ……逃げ場なんてどこにもない、すっかり囲まれてしまった。私の魔力では焔舞はもう使えない。あと少しだったのに……お姉ちゃん……ごめんなさい。
がぱあっ
大きく開けられた口から透明の粘液がボトボト垂れている。地面からじゅわっと湯気が立ち昇る。あれに触れると溶かされてしまうんだろうか? 怖い……怖いよ。
「私が引き付けている間に逃げて」
『ミイィィ……』
この子だけでも逃がさなければ……それなのに離れてくれない。お願いだから逃げて!!
虫の魔物がじりじりと迫ってくる。
『KISHYAAAAAA!!!!』
そのうちの一匹が大きく跳躍した。駄目、足が動かない!?
ぎゅっと目をつぶってしゃがみこむ。
『燃え盛る怒りよ、我が手に集いて斬り裂け――――」
「……え?」
『烈火破斬!!!』
炎を纏った大剣が黒光りする魔物を両断し、斬られた魔物は傷口から焼け焦げて絶命した。
「はあああああ!!!!!」
剣の炎舞が黒い壁を次々と斬り割いてゆく。あれほど居た虫たちだが、炎が燃え移って阿鼻叫喚の地獄絵図となっている。残りの魔物も火を嫌ってか潮が引くように離れてゆく。助かった……の?
「お姉ちゃん!!!」
「馬鹿サッリ、無茶しやがって……でも生きていて良かった……」
大きく肩で息をしているお姉ちゃん。それはそうだろう、ずっと最前線で戦っていたのだ。私を助けるために無茶をしているのは明白だ。
「ごめんなさいお姉ちゃん……」
「話は後だ。急いで戻るぞ」
「うん」
でも私たちはまだ気付いていなかった。本当の脅威の存在に。