7 海の見える墓地
海を臨む墓地に祠堂の墓はある。美海は祠堂家に代々仕える山崎家の人間で、ここに眠る祠堂八津と今日一緒に埋葬される近藤まなとをどちらも知る一番若い身内だ。
ふわっと風が吹き抜け、その先に目を向けると手を繋ぎ微笑み合う二人の姿が見えた気がした。それはキラキラと輝いていて、この世のものとは思えなかった。実際八津さんもまなとさんももうこの世にいないから、そういう意味ではその通りだ。
まだ小さかった頃に八津さんはよくお菓子をくれたから記憶にある。そしていつの間にかその命を絶った事も少し大きくなってから理解した。まなとさんに初めて会ったのは多分八津さんのお葬式の日。私は普段着ない黒い服を着て、みんなで集まって、静かにしてなさいと言われたけれど、何が起こっているのかはよく分かっていなかった。何が何だかよく分かっていなくても、お堂の端で俯くまなとさんは今にも消えてしまいそうで、子どもながらに声をかけずにいられなかったのだけはよく覚えている。大事な何かが消えてなくなってしまったかのようなその人はそれでも笑いかけてくれて、そしてボロボロと泣いた。この人が愛した人は八津さんで、そしてその頃いなくなったのだ。少しずつ少しずつ歳を重ねるにつれて、この悲恋が私にも分かっていった。世界はこんなに変わっても変わらないものはあって、それはいいものも悪いものもある。そして肯定的な意見もそれが自分の身に起これば、その答えは簡単に翻る。それどころか、攻撃的にさえなる。誰もが悪意を持っている訳ではない。ただ、誰かを愛する時、その方法や術の全てが相手にとって正しいとは限らない。
五歳の時から何となく世界が隣接してきたまなとさんが先日亡くなった。今日は納骨で海の見えるこの墓地に私も頼んで付き添ってやってきたのだ。本来八津さんは代々の祠堂家の墓に入るはずだった。けれど、唯一残した遺言でまなとと同じ墓に入りたいとあったから、とりあえずは祠堂の墓に入り、彼の死後にご遺族との話し合いで問題なければ改めて墓を作ろうという話になっていた。祠堂としても、彼にいい人がいれば八津の遺言に縛られる事は望まなかったし、すぐにその話を持ちかける事はしなかった。
ただそのまなとさんも遺言を残していた。
死んだら、八津と一緒の墓に入りたい。同じ海を見たい。
示し合わせたような二人の遺言を以て、墓は両家の了承の下に、海が見える丘の上の墓地に新たに造られた。これから二人は新しく二人を始めるのだろう。二十年の時を経て、今やっとまた始まったのだ。死が二人を分つまで、と普通は誓うところだが、この二人にこれは認められなかった。だから死が再び二人を逢すまで、お互いを愛し続ける事を誓ったのだろう。そしてやっと手を繋いで微笑み逢えた。
二人がいてもいなくても、世界は動いているし、朝は来て、夜になる。春の次は夏だし、その後は秋、冬、そしてまた春が来る。常識が非常識になる時に感じる恐怖は想定外だし、そんな事起こらなければいいと思う。それでも起こってしまうなら、その時私は何ができるだろう。多分大した事はできないのに、大層な事を言ったりするのだ。何もかも分かっているような顔をして、知ったかぶりをして。そんな風に思い詰める私の憂いを吹き飛ばすかのように、その想いを持っていくかのように頭がふわっと撫でられた。懐かしい匂いがした気がしたけれど、見上げてもそこにあるのは空で、雲で、それ以外は何もない。
どうぞ安らかに、ではない。多分、ここで言うべきは。
どうぞ、どうぞお幸せに。