5 祠堂八津の重い重い愛
重いのは重々承知だ。想いを拗らせ過ぎて、来るところまで来てしまった。これが気が触れた、と言うやつなのだろう。ただ、それでも、どうしても今日も俺はまなとを想う。想い続ける方法を、愛し続けられる方法を探している。
それは日本で言うところの冥婚が一番近い形になるのかもしれない。ただ今ある説のそれはあくまで独身のまま死んでしまった者の為に同年代異性の架空の人物絵を描いた絵馬を以てして、婚儀とするものが主流だ。地域や国によっては細部異なる事もあるらしいが、どちらにせよ死んだとて世帯を持っていればあちらでも寂しくないよね、と言うような類だ。かつての権力者たちが家来や軍隊もろとも埋葬したのと似たような理由だろう。そして俺が昔留学先で聞いたこの噂はまた少し違う趣旨のものだった。
・・・好きな人にね、死んだら自分の骨を食べてほしいって頼んで、それを約束してもらうの。これが第一段階。次に運よく自分が先に死ねて、尚且つ相手が自分の意思でその骨を食べたら第二段階が完了。その後その食べた人が死んだら晴れて約束が実行されて、その二人は永遠を手にするんだって。・・・
俺がどんなに望んでも、何とか約束を取り付けても、まなとが俺の骨を口にしない限りは何も起こらない。それでもどうしても永遠を共にできるかもしれないのなら、眉唾物の噂だったとしても、その先がなかった俺にとってそれは十分すぎるほどの藁になった。
*****
「五年。五年だけ自由にしていいわ。五年経ったらその男とキッパリ別れて、家に戻りなさい。その後は結婚して、子どもを作ってもらいます。祠堂家に生まれた以上、お前にそれを拒否する権利はないから。わかったわね。」
まなとの元から突然姿を消してからの二年間は死に物狂いで研究し、論文を仕上げ、教授に絞られまくって、慣れない海外の土地で一人頑張った。それは最低博士号でも取れば許嫁の事は考えてやると言う言葉を信じたからだった。今の家で絶対的権力を持つ祖母の言葉だった。全てを捨ててまなとに一緒に逃げてくれと言う事だってできた。もしかしたらそうすれば良かったのかもしれない。それでもそんな事をすればそれはまなとをこの上なく縛り付けてしまっただろう。俺の家族がまなとの家族に何か危害を加える可能性すら考えられた。家は金持ちだけれど、それは俺の金ではない。家を一歩出たら、ただの世間知らずの若造でしかない。社会的信用も何もない。愛があれば、それだけではどうにもならない事くらいは甘ちゃんの俺にだってわかった。だからこそ、まなとは待ってくれると信じて、一度ちゃんと向き合って戦って、その上でちゃんと迎えに行きたかった。それなのに、帰ってきた俺に祖母が放った言葉はそれだった。
何となく分かっていた。そんな気はしていた。それでももしかしたらと、地獄に垂らされた細い細い蜘蛛の糸に縋るそんな気持ちで俺の全てを賭けてみたが世間はそんなに甘くなかった。社会的信用は多少なりとも得られたが、それでも家の名前に刃向かえるような、そんな力は全く持っていなかった。よくてやっとスタートラインと言ったところだろう。じゃあ俺が普通に許嫁と結婚したとして、子どもを作ったとして、ずっとこの連鎖を続けていくのだろうか。それが全ての人にとっての幸せなのだろうか。俺には分からなかった。それはまだまだお前がガキなだけだ、そう言われても反論もできない。分からないものをどうしようもなかった。ただその場はとりあえず、その祖母の主張を飲むより他なく、それならばと早々に解放されたのだった。
五年。俺はその限られた時間で解決策を見つけるしかなかった。
全てを把握している執事の山﨑さんは事前にまなとの事を調べてくれていた。これではただのストーカーだが、それでも何よりまなとに相手がいたりしたら、それは邪魔したくなかった。俺の都合で突然目の前から消えて、二年後に改めて現れるなんて相手がいようがいまいが、人としては最低だ。そのどん底で差し伸べられた手があったなら、その手を取って幸せになってくれていても全く問題はない。それでも俺を待っていてほしいと思うのはエゴ以外の何物でもなくて、それでもその希望を失いたくなかった。今また五年と言う十字架を背負ったばかりにも関わらず、それでも、何を言われても、今は愛する人をもう一度この手に戻したかった。
俺が強制連行されて姿を消した後も、まなとはあのマンションで、大学で、変わらず同じように生活をしていたようだ。大学卒業後は家から一時間足らずの会社に通勤しているとの事。家は変わっていないものの、仕事が忙しく生活は不規則なようだった。帰国後、実家に寄った後の夜に一度近くに行ってみたものの、家の明かりはついていなかった。電話をしてみる事も、部屋の入り口に座り込んでみる事も、お守りになっていた合鍵で入って待つ事だって考えた。それでもそれは違う気がして、どうにかしてまた出会えないかと接点を探しているうちに一週間が経とうとしていた。
その日はお世話になった教授が来日していて、夕食を一緒にした帰り道に二人でよく乗った路線の電車を見かけて、特に何も考えずに閉まる寸前のドアから車内に滑り込んだ。二十二時過ぎの電車は混んでいる車両もあれば、もう空いていてポツポツしか座っていないような車両もある。酔いどれ客と残業に疲弊した客とバイト帰りの学生が皆無関心にそれぞれがスマホに熱中したり、寝こけたりしている。その時、ブワッと鳥肌が立った。
まなと・・・!
まなとが長い座席の一番端の席で仕切りの壁にもたれて無防備に眠っている。よっぽど疲れているのだろう。途中の駅に着いても、アナウンスが流れても変わらず夢の中だ。熟睡しているのをいい事に、そっと隣の席に座る。外の匂いに混じる懐かしいまなとの匂い。今すぐにでも抱きしめて、押し倒して、抱き壊したいくらい、一瞬で全ての感情が蘇ってきた。どうして俺は二年も放っておけたのだろう。少し痩せて、頬がこけている気がする。触りたい気持ちを押し殺して、今はただ隣でまなとが当たり前にいる世界に浸りたかった。
一駅、二駅、あと少しでまなとの家の最寄駅だ。電車の揺れに身を任せて、たまに触れ合う肩が幸せで、涙が出そうになる。ガタンっと大きく揺れたその瞬間に、壁にもたれていたまなとがこちら側に倒れてきた。久しぶりに肩に感じるその重さとその体温が嬉しくてたまらない。興奮して血が沸るような気さえした。
「・・・八津!」
やっと起きたまなとは目を大きく見開いたかと思ったら、大粒の涙をボロボロと溢した。電車の中なのに、ぱらぱらとは言え他の乗客の目もある中でただ俺に再会した事でボロボロと。俺はどんなに好きだと言ってもこんなに想いの丈を伝える事ができていない。それでもまなとはそれを一瞬でやってのけてくれる。疲れた体に突然俺が現れて面食らってしまったまなとはその後力が抜けてしまって、何とか電車は降りたものの家までは背負って帰る事になった。それでもその重みが懐かしくて、幸せで、道ゆく人に驚いた顔で見られても嬉しかった。
まなとの部屋は二年前と何も変わっていなかった。流石に俺が置いていったものは無くなっていたものの、その他の配置はほとんどそのままで、違っていたのはスーツやネクタイ、玄関に革靴があった事くらいだろう。やっと少し正気を取り戻したまなとが慌てて喋り出すも、またすぐに顔中涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって喋れなくなってしまう。こんなに涙脆かっただろうかと思うも、今も一人でこの変わらない部屋にいる所を考えると、そうさせたのは俺自身かもしれない。
どんなに心細かっただろう。どんなに寂しかっただろう。
そう思うと、触れずにはいられなくて、その指先に、手のひらに、腕に、全てにまなとの体温を感じようと、ただただ抱きしめて、愛してるとごめんを交互に呟き続けた。泣き疲れて腕の中で眠ってしまったまなとの頭を撫でながら、タイムリミットについて考える。
どうすれば、俺は愛するこの人を守れるのだろう。どうすれば一緒にいられるのだろう。ただ人生を共に過ごしたい、ただそれだけなのに、それが叶わないであろう未来がチラついてまなとの寝顔を見ると、幸せと悲しみが一緒に押し寄せて心が崩壊しそうになる。
俺は改めてまなとと同棲を始めた。翌年の後期から母校の大学で助教としてのポストを得た俺はそれまでの季節を主に主夫として過ごした。残業が多かったまなとは会社を辞め、大学時代のツテを使ってフリーランスに転向した。在宅での作業が増えたから、スペースを増やすために同じマンション内の広めの部屋に引っ越したりもした。通勤の必要がなくなったのはいいが、仕事が入ると昼も夜もなくなるのは大変そうだった。それでも時間には比較的自由が利いたから、言いはしなかったものの、俺個人としては独り占めできているようで嬉しかった。最初は何もできなかった俺も主夫として、家事全般できるようになってきていたから、何事もやってみるものだと感心している。
冬が厳しさを増してきた頃、父さんから連絡が入った。別荘にまなとを連れて来ないか、との事だった。恐らく祖母には内緒なのだろう。いつもその時期の祖母は山﨑さんを連れてハワイの別荘に行っている。その限られた居ぬ間を狙ったようだった。祖母が絶対反対、許すまじの強行姿勢を貫いている中、両親は一定の理解を示してくれていた。兄と姉がいた事も大きかったが、皆そのしがらみの中で生きる事の良し悪しをその体で日々感じていたからこそ、それに向き不向きがある事も重々承知していた。俺がその水に合っていない事くらい、すぐにわかった。それでも祖母は絶対で、その意見に刃向かう事は許されない。ただそうであっても、まだ足掻ける事があるのではないかと、俺が五年の制限時間を生き始めたところからより気にかけてくれていたのだった。両親はこの期限が諸刃の剣で、危うい事に気が付いていた。ここで対応を間違ってはいけない、それは思いがけぬ結果を生むとそう感じていた。
あの早朝の踏み込みを忘れた訳がないまなとは両親に別荘に誘われた事を伝えるとわかりやすく動揺した。実際不法侵入で訴えられたらそれまでと言えるくらい酷い所業だった。もし訴えられていたとしても示談で済ませるべく手を回すだろうが、それにしてもとんでもないものだった。金持ちが嫌われるのはこういう時なのだろうと本気でそう思った。両親はその手のものではない、大丈夫だと話して、それならばとまなとは別荘行きを了承してくれた。それでも実際にその日程を終えるまでは戦々恐々だったに違いない。実際、これを祖母が仕組んでいたとしたら、また組み伏せられて離れ離れにされてしまう可能性は十分にあったから、俺自身山﨑さんに連絡してハワイに祖母と滞在している事を確認できなければ羽田から飛行機に乗る覚悟はできなかった。キラウェアの山頂に向かう車内だとGPS情報を付けて送ってくれたメッセージを確認して、俺はまなとと別荘のある九州に向かった。父が祖母から譲り受けたこの別荘は山の中にあり、温泉が引かれている。子どもの頃は長期休みになると遊びに来ていたが、高校生になった頃から足が遠のいていた。少しだけ古くはなった建物以外、周りの森や広い庭は昔のままで、その場所にまなとを連れて来れてすごく嬉しかった。俺の都合はもちろんだが、もしかするとこんなにもしがらみだらけの俺に嫌気が差して、いつの日か期限を待たずして俺の方が捨てられるかもしれない。その期限の理由をもし知る事があれば、身を引く事だってあり得る。二年間、何の音沙汰もなかったのは誰かが何らかの釘を刺していた可能性がないはずはなかった。
別荘で滞在の間、両親はまなとを知ろうと心を砕いてくれた事は見ていて分かった。息子が選んだ相手を同じように大切にしようとしてくれていた。何をどうしても俺たちに子どもができる事はない。それでもそこに同じように心があって、愛があって、それを尊重しようとしてくれた。都会育ちだったまなとにはこの山の中が新鮮だったし、素直に喜んでくれる事に両親も喜んだ。途中たまたま電話をしてきた姉がなぜ呼んでくれなかったのだと愚痴り、その事を聞きつけた兄がまた電話をしてきて笑ったりもした。俺は愛されていて、まなとは受け入れられていた。それでも俺たちの関係は決して認められる事はない。
その後も兄姉の家族にまなとを紹介して、一緒に過ごす事もあった。甥や姪もまなとに懐き、たまに預かる事さえあったくらいだ。その時もまたまなとは受け入れられていたが、俺たちは依然認められていなかった。
段々とその境目に耐えられなくなったのは俺の方で、祖母のいない行事にまなとを連れてこいと言われるとそれに応答できなくなっていった。連絡先を交換していたまなとに連絡が入って、まなとからどうする?と言われても俺が表情を固くするから察して段々とその話をしなくなっていった。家の大きな節目や行事が近くなると感情が昂って眠れなくなったり、ひたすら機嫌が良かったり、逆に悪かったりと冷静さを保てなくなる日が出てきた。そうしている間にもタイムリミットは刻々と近づいていき、あの日の光景がフラッシュバックして、過呼吸になる事さえあった。ある程度はまなとが一人で対応していてくれていたものの、突然たづねてきた姉がたまたまその状態の時の俺を見てしまって事態は急変した。まなとは姉に事情聴取され、俺は別荘での療養を命令された。別荘近くの心療内科にたまたま姉の知り合いがいたから、その医師と連携しつつ、こちらの家は借りたまま、まなとと共に九州の別荘に移り住んだのだ。まなとが仕事でどうしても上京が必要な場合のみ戻る程度でほとんどの時間を二人で別荘で過ごした。その間の行事は全て欠席扱いで、久しぶりに発作も起こさずに落ち着いて過ごす事ができていた。まなとはインターネットさえあれば、どこでも仕事ができたから、移り住もうが今まで通り仕事をこなしていて、俺は結局助教は諦めた。いつ発作が起こるかわからない中で教鞭を執りつつ、実績を積むのは厳しいとの判断だった。体が落ち着かない事には何もできないからと、本調子になるまでは主夫に徹するとまなととも話して決めたのだ。
別荘で過ごす時間は落ち着いていて、発作の起こる回数も格段に減っていた。だからと言って服薬をやめるわけにはいかず、量を減らす事はあっても引き続き療養を続けていた。それでもたまに落ち着かなくなる事はあって、その度にまなとを心配させたのだった。そんな時ふと思い出したのだ。あの噂を。タイムリミットが迫る中、その信憑性のない噂がどんどん心の拠り所となっていった。
その日はとてもよく晴れていて、まなとの仕事も一段落していた。久しぶりに美味しい魚を食べようとニ人で遠出したのだった。そこで俺はあの噂を本気にする事にした。
「この魚、骨まで食える。うめえな。帰りに買って帰ろっかな。」
「あのさ。俺が死んだらさ、俺の骨食べてよ。んで、まなとの一部にしてよ。」
「何だよ、それ。魚の骨は食べられても、人の骨は食えねえよ。ダメだろ。俺捕まるわ。」
「それでもさ、俺はお前に食べて欲しいのよ。俺、お前を独占したいの。」
「おっもい奴だな!普通に愛される事で満足しろよ。」
「足りないよ。俺はまなとを好きすぎて、独占したすぎてさ。だからさ分かれよ。」
「いや、分かんないよ!怖いから。ないない!」
「なあ約束して。じゃなきゃこれ食べない。」
「あ!またミニトマト残して!ガキじゃねえんだから、食えよ!」
「じゃあ約束してよ。俺が死んだら、そしたら、俺を喰ってくれ。」
「もう何訳わかんない事に意地張ってんだよ!わかったよ!約束はする。けど、俺が先に死ぬ!そしたら俺はお前を食わずに済む。」
「まあ、いいや。それでも。約束だからね。絶対忘れないでよ。」
「お前バカじゃねえの・・・。」
「俺はバカだよ。まなとを好きすぎて、バカになってんの。」
「ほんっとバカ。分かったよ。分かったから、ほら、トマト食え!」
「ありがと。でもやっぱまずいな。」
「まずいと思うからまずいんだよ。いつまでも子ども舌だな、全く。」
これで第一段階の約束は完了だ。後は俺に何かあった時に骨をちゃんとまなとに渡してもらう必要がある。これは兄さんに頼んでおこう。まなととは正式な家族にはなれない。そうすると、葬式にさえ参列させてもらえないかもしれない。次世代の権力を考えると兄さんに頼むのが堅実だ。こんな俺を毎日支えてくれるまなとと家族になれない世の中なんて、何が正しいんだ。あまり考えるとまた発作が起きてしまうから、思いを留めつつも、やはり解せない。今の俺にはこんな噂レベルの呪いに頼るしか、まなとと永遠を誓う道がない。
季節が変わって涼しくなった頃、まなとの仕事の関係で一旦別荘を引き払う事になった。俺もその頃はだいぶ落ち着いていたし、心配ではあるものの、元の生活に戻る事になった。ただ、三年近く感情に揺さぶられ続けていた俺は周りの視線を欺いて、隠れて薬を飲む事が増えていた。だから落ち込む回数が減り、傍目には落ち着いたもしくは治ってきているように見えたのだ。
この時、既に俺は生ではなく、死に片足を突っ込み始めていたのだろう。
リミットまであと半年。そんな事を考えているのはもしかしたら俺だけだったのかもしれない。それでもやはりその期限は絶対でゆるゆると時間が過ぎていく中でその外堀は着実に埋められていった。
俺はもう耐えられなかった。
あと三ヶ月。そう数えたある日の夜。まなとはやっと終わった仕事の疲れでいつもより早めに横になっていた。その寝顔を見て、頭を撫でた。無意識に手に頭を擦り付けるまなとを見て、涙が溢れた。
弱くてごめん。誰よりも愛してる。だからもうまなと以外の事を考えなくていい世界に行きたい。ごめん。
そう呟いて、枕元に用意していた水を手に処方された全ての薬を掌にバラバラと載せた。一度に飲むのは難しいかもしれない。最初に考えた時は体が震えた。一度に大量に錠剤を飲む事自体に対しての恐怖もあったし、これでいいのかと当たり前の葛藤もあった。生きて共に過ごせるのなら、それに越した事はない。それでも日を追うごとに自分が自分で制御できなくなっていく感覚が募って、まなとの心配そうな顔を見るのも辛くなった。笑うとエクボができて、歳を経てもその可愛さは残っていたのに、その顔が大好きだったのに、まなとが心から笑った顔を最後に見たのはいつだろう。そう考えた時に全ての揺らいだ心が消え去って覚悟が決まった。この覚悟を生きる方向に向けられたのなら良かったのかもしれない。それでも俺にはその選択ができなかった。どうしても。三度に分けて百錠近くを飲み込むとそっと布団に潜り、まなとの頬にキスをして、抱きしめた。
愛してr・・・
言い終えないうちに舌が痺れ、視界がブレた。最後の意識を振り絞って、まなとの体からそっと離れる。直後には体が痙攣し、感覚が段々と遠のくのがわかる。
あぁ、せめてこの瞬間にまなとを起こさないといいな。その瞬間は見せたくないな。わがままばっかりだった俺を愛してくれたのに、それなのに。こんな方法でしか未来を見出せなかった。
ごめん、ごめんね。愛し方が間違ってるよね。ごめんなさい。でもここで終わりにすれば、この部屋を出なくていいんだ。大好きなあなたの隣をこの人生の締めくくりにできる。
そう思いながらも、もう意識をその体で感じる事はできない。俺は重圧に耐えきれず、噂を信じて、愛を貫くと言い訳をして、愛する人にその亡骸を発見させる道を選んだ。
俺はこんな愛し方しかできなかった。
誰よりも、誰よりも愛しています。
ごめんなさい。