2 別れの日
喪服の人がぽつりぽつりと、昼下がりの寺に集まっている。八津が亡くなって三日。俺も退院し、こうして八津の葬式に参列している。八津の両親は俺たちの関係を理解しようとしてくれていた。だからこそ、安置室でも通夜でもできる限り身内の扱いをしてくれた。それでもその他の人たちにとってみれば、俺は異質だ。異端者であり、あいつのせいなのでは?と言う声だって聞こえる。そうかもしれない。俺が一緒にいなければ、もしかしたらこんな事にはならなかったかもしれない。でもそれでも、俺は何を以てしても、八津が好きで、愛していた。誰よりも好きだった。
外は明るいのに、独特な妙なその雰囲気に耐えられず、そっと本堂を後にする。
「おにいちゃんはやつちゃんのおともだち?」
五歳くらいだろうか。小さな目をクリクリさせて、本堂外廊下の端に座り込んでいる俺にその小さな女の子は話しかけてきた。他の大人たちは遠巻きにしている中、こうやって普通に近づいてきてくれるのはもはやこの子くらいなものなのだろう。
「うん。八津はお兄ちゃんのお友達で、一番大切な人だったよ。お兄ちゃんはね、八津の事が大好きだったんだ。」
「みみもね。やつちゃんだいすき。いっしょだね。やつちゃんはどこに行っちゃったんだろうね。おにいちゃんわかる?」
「そうだな。お兄ちゃんも分かんないや。知ってたら教えて欲しいな。八津に会いたい・・・」
こんな小さな子の前で、と思って我慢していたのに、その純粋な思いに触れるとどうにも我慢できず、涙が溢れて溢れて、どうにもならない。すると、その小さな同志は優しく頭を撫でてくれた。
「よしよし、おにいちゃん。よしよし。みみがよしよししてあげるから、げんきになってね。」
「・・・ありがとう。」
消え入るような声でそうお礼を言うと、その子はにっこりと笑った。純粋なその笑顔に久しぶりにまともにほんの少しだけ光を見られた様な気がした。
程なくしてその子の母親が探しにきて、ご迷惑をおかけしませんでしたか?と恐縮して頭を下げる。またね!と言って手を引かれていくその子はどこか八津に似た笑顔を浮かべながら、手を振って帰っていった。恐らく大きく批判をするわけではないのだろう。それでも、俺が誰でなぜここにいて、ここまで涙に暮れているのか、その理由はわかっている。どこかの誰かの話なら理解はするが、それが身内に起こるとなれば、話は別。そうなるのは当事者の俺だって理解できる。誰だって、普通に年頃で異性と出会い、恋をして、結婚して、子どもを作って、育て、老後を迎えると思っている。俺だってそう漠然と思っていた。それでもそうはならない瞬間が人生にはあるのだ。それが俺には起こって、そして今日その運命の相手は骨になる。
俺の両親と妹も参列して、向こうの両親に挨拶している。妹は八津に懐いていたから、ボロボロと涙を流している。それでもやはり、俺たちは日の目を見られないカップルで、どんなに愛し合っていたとしても、公には友達。噂が一人歩きして、話の種にされたり、コソコソと陰口を叩く様子もみて取れる。こんな日くらい一番近くで過ごしたかった。それでもこんな日だからこそ、俺は一番近くにいる事が許されなかった。
八津の病状を知っていた両親と兄姉は悲しんで憔悴していたものの、心のどこかでいつかもしかしたら、そんな気持ちを抱えていたようだった。こんな状況でも俺に最大限の配慮をしてくれて、陰口が聞こえそうならそっとその間に入ってくれた。世間体から堂々とそばに置いてやれない後ろめたさもあったかもしれない。それでも俺をそばに置こうと努力してくれた。葬式が終わり、親族のみが火葬場へ移動する中、さっと車に乗せてくれたのも一緒に支えてきた、見守ってきた八津の姉だった。
「まなとくん。あなたは八津の形見なの。勝手を言ってごめんね。でもあなたは生きてね。八津の分まで生きてね。八津と最後まで一緒にいてくれてありがとう。」
窓の外を見ながら、消え入りそうな声で呟くお姉さんにかける言葉が見つからず、ただ嗚咽だけを漏らした。泣いても泣いても、それでも何も変わらない。それはお互いに分かってはいるのだけれど、それでもその苦しくて辛くて逃げ出したいその瞬間を生き抜くためには泣かずにはいられなかった。涙を流す事で感情をブレブレにして、せめて思考を遮る事ができたから、それをせずにはいられなかったのだ。
約千度の炎に包まれた俺の愛した人は七十分でその姿をかえ、受け入れられるか否かなんてそんな感情はあの瞬間に置いてけぼりになったまま、もう後戻りは出来ない現実だけが横たわっていた。
精進落としで用意された食事は食べたような気もするし、何にも手をつけなかったような気もする。その時に何を話したのか、何を話せなかったのか、それもよく覚えていない。ただ同じように悲しいはずの八津の兄姉が気にかけてくれていた事は覚えている。せめてお手伝いくらいできればよかったのに、そんな事すら出来なかった弱虫で意気地なしの俺は記憶しない事で自分を守ろうとしたのだろう。
全てが終わった時、八津のお兄さんが俺を手招きして車に乗せた。家まで送るよ、そう言って走り出した車内でおもむろにハンカチに包んだ遺骨を差し出した。
「まだ君たちが別荘にいた頃、突然八津が電話をかけてきてね。俺がもし死んだら、骨をまなとに分けて欲しい。今の法律では家族になれない。ともすると、葬儀にすら参加させてもらえないかもしれない。今の話じゃないよ、そう前置きをしながらも、八津は真剣にそんな話をしてきたんだ。献身的に支えてくれるまなとくんにちゃんと何か残せないか、そう考えたんだろうね。財産ならともかく、遺骨ってのがまた驚きはしたけど。でも確かに君たちのようなカップルは社会的な保証がないに等しい。どんなにお互いを想っても、どんなに身を粉にしても、相手の家族が拒否したら、何もさせてもらえない可能性があるんだ。私の周りにはあまりいなかったから、八津にそんな話をされて、そう考えるとゾッとしてね。男女なら愛なぞなくとも夫婦になれて、社会的保障も、信用も簡単に手に入る。子どもを持たない幸せもまああるでしょう、そう思ってもらえるくらいの世界にはなっただろう。でも同性のカップルは許されない。色々な意見があるのは百も承知だよ。だけどやはり、それが自分の大切な人が渦中だと・・・辛いね。特にまなとくんには家族にできないケアを一番近くでしてもらえた。こんな最後になってしまったけれど、それでもこれは家族ではできなかったんだよ。本当に感謝している。ありがとう。それでも家はまだまだ古い。常識なんて時代で変わるのに、私さえ分かっていなかったんだから、当事者じゃない親戚に分かれというのは難しいだろうね。今の私にできる事と言えばこれくらいだった。許してほしい。祠堂家が君にかけてきた数々の非礼を詫びる。申し訳なかった。一緒に八津と生きてくれてありがとう。」
受け取った骨をそっと撫でて、この形になってやっと一部だけでも俺のものになったのかもしれないと、そう思った。社会の望む形にはなれなかった俺たちは今やっと、永遠のその淵に辿り着けたのかもしれない。
「骨じゃない・・・生きている八津を、君に手渡す事ができれば・・・どんなに良かっただろうね・・・バカだよ、本当に・・・」
懸命に涙を堪えながら、手に血管が浮き上がる程に握りしめた手をそっと解く。気持ちがありありと分かるから、その行間のゼロ文字さえも分かるから、残された俺たちは一体どうしたらいいのか、それをこれからその命が尽きるまで問い続けるのだろうなと心に思う。
「お兄さん、八津は俺よりデカいから。手渡すのは無理ですよ。来世ではあいつより大きくなってみせます。そして今度こそ絶対に最後まで一緒に生きます。骨。ありがとうございました。これでまた今日から八津と一緒に暮らせます。」
「はは、あいつ大きかったからな。いつの間にか俺よりも大きくなって、それでもどうしても末っ子だったからね。心配で心配で。こんなに素敵なパートナーのいる人生を送れて良かったよ。でもね、まなとくんはまだまだ若いんだ。新しい出会いを諦めてはいけないよ。君は幸せになって欲しい。俺が言えた義理ではないのかもしれないけれど、本心なんだ。まあ、俺としてはまたたまに八津の思い出話をしてくれると嬉しいけどね。」
「新しい出会い、か。多分俺の人生は八津が最後です。最初で、最後で、最高の、パートナーでした。気を遣わせてしまってすみません。それでも、俺が生涯愛すのは八津だけ。今は会えなくなってしまったけれど、また会えると思うんです。その日まで、俺は、沢山の話を用意しておこうと思います。だからこれからもお兄さんやお姉さんとお話しできたら嬉しいです。」
「そっか。本当に八津は愛されてるんだな。手段を選ばずに独占しようとした愚弟の気持ちが今少しだけ分かったよ。本当にありがとう。そしてこれからも縁がある事を願う。」
「はい。喜んで。」
少しぱらついていた天気雨がやっぱりやめた、と言わんばかりにさっと止んだのは八津の仕業だろうか。いつも気まぐれで、それでいて優しくて、強くて、弱かった。身勝手なようで、人の顔色を窺って、本当に欲しくても諦めて。器用で不器用で愛すべき馬鹿野郎だった。
次に会ったら覚えてろよ。絶対に泣かしてやる。