1 来なかったいつもの今日
近藤まなと、二十六歳。たった二十六年しか生きていないこの人生で心から愛した人に先立たれました。その最愛の人は奇妙な約束だけを残して、ふらりといなくなってしまったのです。酷いですよね。それでも俺は再会を諦められないから、また会えるその日まで、一人この場所で彼を想うのです。喜びも怒りも哀しみも楽しみも全て全ていつだってあなただけのものなのだと苦笑いをしながら。
*****
朝。
部屋のブラインドからチラチラと光が差し込む中、いつもの様にスマホのアラームで目を覚ます。一度、二度とスヌーズを止めながら、この朝の気だるさに浸るのが好きだ。
今日もそんな日だった。
冷たい・・・
いつもの様に隣のベッドで眠る八津の手を触ると感触が違う気がした。力も入っていない。
え・・・?
ガバッと飛び起きると、口から泡を吹いた八津がそこに横たわっていた。床には沢山の処方薬の空シートが散らばっていて、途中で吐いたのか飲みきれなかったのか口元に張り付いている物もあった。
まさか、オーバードーズ・・・?
いつもと同じ場所に、いつもと同じ格好で、いつもと同じ・・・
「救急車!」
*****
そこから先はほとんど記憶がなくて、目を開けて見えた天井は知らない天井で、消毒液の独特の匂いがした。部屋じゃない。
そうか。
あの時、八津が死んじゃったのかと思ったけど、実は俺が死んじゃっていたのかな。
それなら、その方がいいや。
あ、でも八津は寂しがりやだから、俺が先に死んじゃったら一人で生きていけるかな・・・
ご飯とかちゃんと食べられるかな・・・
掃除もしないんだろうな・・・
あいつ世話しないと生きていけないから・・・
「お兄ちゃん!お母さん!目、覚ました!お兄ちゃん!わかる?!大丈夫?!」
「みか・・・?あれ、俺これ走馬灯?」
「何言ってんの!お兄ちゃんは生きてるよ!ほら!私のあったかいのわかるでしょ?!」
点滴の刺さっていない方の腕をガッと持ち上げられて、その手を強引に美香の頬に当てられる。
温かい。
その瞬間、朝の八津の手の冷たさが身体中に蘇って、震えが止まらなくなる。
「八津!八津は?あいつはどうした?八津は?!」
「八津さんは・・・」
「どうしたんだよ!八津はっ!あいつは!」
「近藤さん!落ち着いてください。落ち着いて!近藤さん!」
錯乱した俺の対処のために、男性看護師が数人やってきたようで、暴れて点滴を抜きそうになる俺をベッドに押さえつける。遠くで恐怖に怯えた母親と妹の美香の啜り泣く声が聞こえる。看護師に病室の外に連れ出されているようだ。
ああ、何だろう。
何が起こっているんだろう。
その瞬間にまたふっと視界が真っ暗になって、俺は意識を失った。
*****
まなと、まなと・・・
いつまで寝てんの。起きて・・・
俺とした約束、覚えてる・・・?
約束だからね・・・
忘れないで・・・
絶対に・・・
「八津・・・!」
同じ病室のベッドだった。
朝の光がブラインドから差し込み、何でもないかのように外は晴れている。ただ漏れてくるだけの光でも眩しくて、目が焼けそうだった。本当ならそんな事ないはずなのに、今は明るい光がどうにも耐えられない。
コンコン・・・
「まなとくん。起きた?」
「八津ママ・・・」
「おはよう。調子はどう?」
「おはようございます。調子は、わかりません。」
「そっか。八津の事、聞いた?」
「あいつ、死んだんですか・・・」
「・・・うん。ほんと、バカよね。親を置いて先に死ぬなんて。まなとくんを置いていくなんて。・・・でも、最後まであの子と一緒にいてくれてありがとう。本当に・・・ありがとう・・・」
「やつぅ・・・なんでだよぉ・・・なんでだよぉ・・・」
背中をさする八津ママの手が温かくて、ああ、やっぱり八津はあの時死んでいたのだ、と実感する。受け入れられるかは別として、あの時の冷たさをただ指先に改めて思い知る。
あの朝に、あの瞬間に、命は存在していなかった。
八津は、死んだ。