聖女は婚約破棄されたくて悪役令嬢に聖なる力の失い方を相談することにした
6000字余りの百合短編、聖女×悪役令嬢です。
表現はなるべくマイルドにしましたが、少なくとも15歳未満はご閲覧をお控えください。
なお登場人物は品性を喪失しておりますので、生暖かい目でお読みください。
「――――勝った! 今日はボクの勝ちだねグラッセ!」
「ん…………なんですその呼び方は。人参ぶち込みますわよ?」
「うわこわ。お貴族様とは思えない」
「誰のせいだと…………まぁ、負けは認めましょうか。もう、足腰が立ちません」
令嬢グラスは、己の自慢の髪が巻きを失ってヘタっているのを確かめ、少しのため息をついた。
彼女は――――ドリル神拳の使い手。
その巻いた二本の髪を拳のように操り、螺旋の力を生み出す超人であった。
「食べ物で遊んじゃダメだよグラス。
それで、早速聞きたいんだけど。
急募・これの失い方」
聖女フジカは右手を握り、グラスに向かって真っ直ぐ伸ばした。
『ガチャリ』と物々しい音がする。
足腰が立たないと宣った令嬢は、這いつくばって後ずさった。
「ここここここここここ!」
「ブフォ」
鶏のように甲高く慄くグラスの声に、フジカが吹き出した。
左手で口元を抑えるが、相変わらず震える右手がグラスに向いている。
しかも横に避けるグラスを正確に狙い直す。
「こちらにそれを向けるんじゃありませんしまなさい!」
「はあーい……ブフ」
たまらず悲鳴のような声を上げるグラス。フジカはまだ笑いがおさまらない様子だ。
手を下げる聖女を、令嬢が睨みつける。
グラスにとっては、笑い事ではないのだ。
フジカの【聖なる力】は、たびたび暴発して大惨事を巻き起こしていた。
(まだ人死は出してない。
ですがこれは、この子の思惑とは別に早急に対処したほうがいい……)
グラスは胸中で決意する。もう戦う力は必要ないのだから、早く封印すべきだと。
聖女フジカは『伝説のカバディマスター』を自称する、邪魔と嫌がらせの天才。
戦闘能力は、ない。
だが、地球から召喚された彼女は、【聖なる力】を授かっている。
その名も、『聖・弾道拳』。
恐るべき破壊力を誇り、一撃で街を滅ぼすのだ。
なおロケットとは言うが飛び出さない。
ただ殴りかかるだけなので、フジカ本人は毎回反動から自力で生還している。
そこまで振り返り、グラスはふと、気になった。
「フジカ。なぜ急に【聖なる力】を失いたいなんて言い出したのです」
先の通り、危険な力でもある。グラスとしては別に封じることに否はない。
だが国家に属する聖女の力。貴族たるもの、勝手に頷くわけにもいかないのだ。
ゆえフジカが勝ったら協力する、と勝負して――――グラスは、負けた。
とはいえ、フジカの側から見れば、事情が異なる。
その力は、聖女フジカの立場を保証してくれるものでもある。
本人が、捨てたいと言い出すようなものでは、ないはずなのだ。
グラスに促され。
フジカは、重く口を開いた。
「…………婚約破棄されたくて」
「おう貴様、人の婚約者寝取っておいて言うに事欠いてふざけておられますの?」
グラスの髪が再び巻きを取り戻し、怒髪天を衝く。ついでに言葉遣いもおかしくなった。
「ちょちょちょ、まだボクもキミも寝てないでしょ寝取りじゃない!」
「そうじゃないそこに直りなさい」
「なんでやグラスがコイズ王子に振られたのは別にボク悪くないでしょ!?」
「よぉし戦争ですね?」
「のー!?」
第二王子コイズ。グラスはその元婚約者。
そして、フジカは彼の現婚約者だった。
「……確かに、勇者と聖女で引っ付けたいという、国の思惑もありました」
勇者に選ばれたコイズ、騎士にして伯爵令息のクリス、聖女フジカと、公爵令嬢にして魔術師のグラス。
四人は魔王討伐の使命を帯び、旅をしていたことがある。
「でしょー? これは政略結婚なのよ」
「だからといって、振られたわたしを指さして『ざまぁ』と笑った貴様は許されぬ」
「ごめんなさいでした!!」
ドリル髪を収め、グラスはため息をついた。
「許しませんが、置いておきましょう。
聖女の力を失えば、政略結婚も成り立たなくなる……そこの道筋はわかりました。
問題は、なぜあなたがそうしたいのか、です。
地球に帰りたくなりましたか?」
「…………うちには、帰りたく、ないよ。そうじゃないの」
「では、なぜ」
「いやその……ボク、やっぱコイズのこと嫌いだし」
「あほかぁ!」「ぶべらっ!」
聖女はドリルにしばき倒された。
さらに二つのドリル髪にぺちぺちされている。
「いた、いた!? あ、ちょっと気持ちい」
「しつけが足りない駄聖女め……どういうことです。ならなぜ、王子の求婚を受けたのか」
「ん、んー……」
とぼけたようなふりをして、少し真剣なフジカの様子を見て、グラスは髪を引っ込めた。
「結構真っ直ぐに好いてくれるし。愛して、くれるかなって。
でも……やっぱり男の人は、無理だったよ。
それに」
聖女は令嬢の瞳をじっと見て、続ける。
「コイズが意見の違いから、キミを追い出したこと。
正直ボク、まだ根に持ってるんだよね」
「そのせいであなたは死にかけたんですものね」
「そーだよ。コイズもクリスも魔王に倒されて。
密かに追いかけてきてくれてたグラスがいなかったら、ほんとにやばかったんだから」
むっとしながら言うフジカに、グラスは微笑みかけた。
「…………最初にそう言いなさいおばか。気を揉んで損をしましたわ」
「ばかってい……心配してくれたの?」
「少しは祝福してさしあげようと思っていたのに、結婚直前になって突飛なことを言い出すのですもの。
ついに頭がおかしくなったのかと思いきや、いつものあなたで安心しました」
「…………それは一周廻ってボクのことを馬鹿にしてるんだな???」
口先をとがらせて不満を訴える聖女に、令嬢はにやりと笑って見せる。
「そうです」
「むきー!」
「ロケットパンチは向けるんじゃありません!!」
「じゃあこれ外してよ!」
「外せるかぁ!」
――――ドリル光線とカバディ念動の攻防がしばし続き。
「…………以前に読み解いた文献の範囲だと、『清らかさを失ったら』無くなるそうですが」
二人は落ち着き、元の話題に戻った。
「ふふーん。ボクきよらかー?」
「欠片も清らかさはありませんね」
「むきー!」
「……しょうがありません。負けは負けですし、それについては調べておきます」
聖女は煽られて怒り心頭だったが、令嬢の回答を受けて調子よく満面の笑顔となった。
「早めによろしく! 結婚もう来月なんだよぉ」
「分かっています。早速かかりますが、フジカはどうします?」
「ごめんだけど、しばらく泊めて……この心境で王城帰るのはつらみ」
「しようのない。部屋は用意しませんので、その辺で寝なさい」
「扱いが雑ぅ!」
ごろごろと転がり回る聖女は。
そうは言いつつも、別に不満そうではなく……楽しげに笑っていた。
◇ ◇ ◇
「ん。負けた……」
聖女フジカが倒れ伏す。
その右腕が、ぷるぷると震えていた。
脚や腰もがくがくとしており、もう一度立てる様子もない。
「この体力お化けめ! ですが勝ちは勝ち。さぁ吐きなさい。何があったのです、フジカ」
王都に呼び出され、戻ってきたフジカの様子があまりにおかしいが、口を割らない。
グラスは勝負を仕掛け、なんとか勝ちをおさめた。
「……………………婚約破棄された」
「ざまぁ?」
「そこは『はぁ?』っていうとこじゃないの!?」
「ざまぁ」
「言い直して指さして笑うのどうかと思う! 恥を知れご令嬢!」
「ぷぎゃー」
「むきー!」
――――真・ドリル螺旋と多重次元絶殺パルクールカバディの攻防がしばし続いた後。
「さて……ブフ……理由まで話してもらいましょうか……ブフォ」
「ぐ……! だが負けは負け。カバディマスターの誇りに誓った勝負……!
じゃあ言うけど」
いやにため込む聖女に、令嬢は首をかしげる。
「はい」
「吹くなよ?」
「はい。何が待ってるんです?」
「漏らすなよ?」
「はい。なんかイントネーションおかしくないです?」
「王子が背孕みした」
◇ ◇ ◇
――――令嬢の尊厳が大変なことになったので、しばらくお待ちください。
(脚注):【背孕み】
男性が妊娠することの表現。
なお、この世界の場合もあり得ることではない。
◇ ◇ ◇
「真実の愛に、目覚めたんだってさ……」
「仮に小さな宇宙とか第七感とか第八感に覚醒してもそうはなりませんわよ!?」
令嬢が床を両手で激しくだんだん叩いている。
あまりの理不尽に、彼女の理性は限界を迎えていた。
対する聖女は……宇宙の真理を見ているような顔をしている。
「なっとるんだなぁ。もう安定期入ったってさ」
「ばかな……しばらく公務から退いているとは聞いていましたが」
「ボクもね? なんか妙に避けられてるし会えないから、それで不安になったのもあるんだよ。
まさか浮気されてるとはねー!」
フジカはけらけらと笑い出したが、正気を失ったような声だった。
「浮気のレベルがちょっとハイ過ぎておかしいです。
お相手はどなたです? 大問題になったのでは?」
「クリスだよ」
「ブフォ」
クォーツ伯爵の息子、騎士クリス。
勇者たる第二王子コイズとともに、魔王討伐の戦いに赴いた人物である。
「まさか旅の間から!?」
「じゃなくて、割と最近みたい。ボクとの婚約より後っぽい」
「えぇ~……? 何があって男に走ったのよ……。
いやそれより、あなたこれからどうするの? フジカ」
「どうしよっかね」
二人はようやく正気に戻ってきた。
王家入りがなくなった、とあれば。
この世界で聖女の身分を保証するものは、限られる。
グラスは目を伏せがちに、フジカの右腕を見ながら尋ねた。
「その『聖・弾道拳』。喪失方法が分かりましたが、どうします?」
「まじで? さすグラ」
「ん……魔族の古文書にあったのです。それで?」
「そう、だね……いらないし、お願いしようかな」
グラスは。
がしっとフジカの手を握り締め。
その体を横抱きにした。
「は、ちょ、な、えええ!?」
「ではまず、あなたを地球に帰すところからです」
「なんだってどういうことだいやだボクはおうちに帰らないぞ!?」
「ダメです。こういうことは、ちゃんとしなくては」
「どういうことだー!? というかこのまま出ようとするな! さてはまだ正気じゃないな!?」
「わたしは正気だ! 最っ高の解放感ですわ!!」
「変な扉を開けるなやめろー!!」
◇ ◇ ◇
「か、勝ったぞ! さぁいうことを聞けグラス!!」
「んっ。いやですいーやーだー!!」
「なんでそんなにいやなのさ! 一緒に王都の公爵別邸まで行くだけでしょ!!」
駄々をこねていた令嬢が、ぐたり、と倒れ伏す。
「……手紙でいいじゃないの」
「そのお手紙でお許しがさっぱりもらえないから!
会ってお話するんでしょうが!!」
「えぇ~……」
ごろりと転がってから、仰向けになったグラスが盛大にため息をついた。
「あなたのご両親は、いい人たちだったじゃないの。
その気質もご理解されていたし。
たまに顔を見せに帰る以外、特に言われたこともないし。
とても……喜んでいらっしゃったし」
「う。ボクんちのことはいいじゃないか。
それを言うなら、公爵閣下だっていい人だよ。
話せばわかってくれるって」
「…………頭の固い人です。理解など、してくれませんわ」
「王子が背孕みした国で何言ってんの?」
「ブフォ」
「もうすぐ生まれるってさ」
「ブフーッ」
グラスはまだ、王子が騎士と結婚することに頭がついていっていなかった。
「ということでだいじょーぶだいじょーぶ。
そも二人の結婚式の準備を進めてるのは、キミのお父さま。
ご理解してくださるって」
「いやですぅ。わたしはここにすみますぅ」
「いやここは元々キミの家じゃんよ。ほらいくよグラス」
「ちょ、そこは手じゃなくて髪!? あ、付け根弱いんですから触らないで!!」
「弱点だから触ってるんだよー」
けらけらと笑いながら。
少し優しい目をしながら。
聖女は令嬢を引きずっていく。
「今度はキミの番だからね」
「それはそれとしてこのまま連れ出そうとするなぁ!?」
「え? そういうの好きなんじゃないの??」
「わたしは正気に戻ったんです!!」
「聞こえんなぁ」
◇ ◇ ◇
「まけ、ちゃった」
「…………勝って、しまいました」
「ん」
いつものように。
それが決着の証として……勝者が敗者の唇を奪う。
勝ちを収めたグラスが、負けたフジカの横に寝転ぶ。
令嬢は、仰向けのフジカの肩に頭を乗せ、甘えるように頬を寄せた。
彼女の鼻先が、唇が、体の横に流れている柔らかなところに、触れる。
「そ、こ。なんかすごい、クルんだけど」
「いつかのためにと、執拗に開発した甲斐がありました。
いえ、その…………今日は、本当、は」
何か消沈した様子のグラスを、少しだけ気遣って。
フジカは話題を変える。
「可愛かったね、赤ちゃん」
「……ええ」
「王子、思いっきりお母さんの顔してたね」
「……………………ええ」
グラスは複雑な顔で頷いた。
幸せそうな、メス顔の元婚約者を見るという不思議体験。
あまりの衝撃に、令嬢はまだ現実が飲み込めていなかった。
「浮気の原因、ボクらのこと知って脳破壊されたからだってね」
「ええ………………ええ!?」
予想外の追加情報に、グラスが顔を上げた。
フジカが遠い目をしている。明らかに、現実が嫌になった顔をしていた。
「ほら。討伐から帰った後、ボクら大喧嘩して……仲直りセッ、したでしょ?」
「露骨な表現やめなさい」
「それが知られて、まずキミが浮気したって王子が騒いで……婚約破棄になったみたい」
「はぁ。ん? クリスと殿下が浮気したのは」
時系列で言えば。
第二王子コイズと、公爵令嬢グラスが最初に婚約していた。
グラスとフジカが浮気し、それが知られてグラスは婚約破棄された。
王子と聖女フジカが婚約したのは……その後。
そして以前のフジカの言葉通りなら、クリスと王子の浮気はさらにその後となる。
「ボクと王子が婚約して、少し経ってから。
ほら、ボクはキミんとこ入り浸ってたでしょ?」
「ええ……あー」
「ボクの浮気を疑われて……どっかでバレたみたい。
相手が、キミだってことも」
「おぉぉぉぉぉ、隙の生じぬ二段構えの寝取られ……」
ひどい話を聞いて、グラスは頭がだいぶ混乱した。
「つまり、最初にボクを押し倒したキミがすべての原因ってことさ!
さすがの悪役令嬢」
「ごめんなさいでしたぁ……」
令嬢の意識が、いい感じに別の方に沈んだのを見て。
フジカは静かに、続ける。
「『勝った方が産む』んでしょ? 何が不満なの?」
それが今回の二人の、勝負の内容だった。
いろいろなんとかして婚姻しようとはなり、両家への挨拶も済ませた。
そこでグラスが「実は女人同士で妊娠できる方法がある」と爆弾を投下した。
どちらが最初の子を産むかで、もめにもめ、勝負にもつれ込んだ。
ただ盛り上がっただけとも言う。
「…………あなたの【聖なる力】」
グラスは肘を入れ、上体を少し起こした。
じっと、聖女の瞳を見つめる。
横目で……彼女の向こうの、右手を見ながら。
「子を孕めば、無くなります」
「そう、だったんだ」
「だからわたしは、負ける、気でした」
フジカは魔王との戦いが終わった後、その右腕をずっと気にしていた。
危険すぎる力の扱いに、困っていた。
グラスはそんなフジカの、助けになりたかったのだ。
だが土壇場で。
その意思が、揺らいだ。
「なんで勝っちゃったのさ」
グラスは髪を力なく、聖女の白い肌に垂らしながら。
そっとその胸元に、顔を埋めた。
フジカの右手が、優しく令嬢の頭を抱きしめる。
「決まっているでしょう……あなたの子が、欲しくなったのです」
弱弱しく言う令嬢の言葉を聞き、彼女の頭を撫でる聖女の手が、止まる。
フジカは力を振り絞り。
寝返りを打ちながら、身を起こした。
上下入れ替わり、グラスを組み敷いていく。
「フジカ?」
「――――そう言われて、我慢できるわけ、ないでしょ」
「…………体力お化けめ」
フジカはぴたりと合うように、腰を進める。
「ずっとこれ、嫌がってたの。
できちゃうから、なんだよね?」
「――――――――そうです。魔族の秘法として、伝わっています」
「まじかよ異世界ファンタジー」
「ん」
肌を、重ね。
「…………フジカ?」
聖女がぴたり、と動きを止めた。
「グラス。これさ」
「はい」
「どっちが子どもできるか、わからなくない?」
「……………………あ」
こうしてしばらく後、【聖なる力】は失われた。
彼女たちの家は長く、子どもの声が絶えることがなかった。
なお、最初の子をどちらが産んだかは。
「わからなかった」という。