第94話 蟲の巣窟 III
唯が赤黒剣の柄を握りしめるのと同時に、岩壁のような巨体が攻撃を開始した。
攻撃といっても、ミサイルやビームが飛んでくる訳ではない。
ただ、歩く。
ダンプカーのような太い左脚が、二人の装者をぺしゃんこに踏み潰さんと一歩踏み出した。
大きさの割に動きは素早い。
弾かれるようにして左右へ走った唯と嶺華のすぐ後ろで、ビルを降らせたようなストンプが突き刺さる。
超重量を支えていた甲板であっても速度を伴った激突には耐えられず、金属が引きちぎれるような音を残して陥没した。
「やるって言いましたけどッ! こんなのどうやって戦えと!?」
「体が大きければ強い、というものでもありませんの。関節の裏や重心の要を狙って潰せば、巨体は簡単に転ぶものですわ」
「なるほど……試してみますか」
大型械獣を何体も屠ってきた嶺華は、自分の背丈より遥かに大きい敵との戦い方を熟知している。
唯は彼女の言葉に頷くと、ヘルクルモスが右脚を振り上げるタイミングに合わせ、地についたままの左脚の裏側へと回り込んだ。
『プロミネンスラッシュ』
赤黒剣のトリガーを押し込み、巨獣の膝裏めがけて爆炎の斬撃を飛ばす。
狙い通り、紅蓮の円弧は変形途中の関節部に吸い込まれた。
炎が爆ぜる。
だが、ヘルクルモスの動きは鈍らなかった。
飛ぶ斬撃が直撃した部分は無傷だ。
「(カニ型の盾と同じ、業炎怒鬼の次元障壁干渉を跳ね返す装甲!)」
灰色の地面を派手に叩き割った右脚を間近で観察し、慄く唯。
ただの次元障壁とは異なる、特殊なバリアが両脚の表面を覆っているようだった。
巨体においては脚が弱点になり得ると理解した上で、対策済ということだろうか。
「下半身はそれなりに頑丈なようですわね……ならば、上の方はいかがですの?」
唯の攻撃が通らなかったのを見て、今度は嶺華が素早く床を蹴った。
今しがた地面を踏み抜いた械獣の膝に飛び乗ると、それを足場にまた跳躍。
左手に機械大剣を掴んだまま、軽やかなステップで械獣の体を登っていく。
アームズの膂力に支えられているとはいえ、超人的なバランス感覚である。
械獣の背中を覆う装甲の凹凸に爪先をひっかけながら巨体を駆け上がった嶺華は、瞬く間にヘルクルモスの首筋まで到達。
クワガタの大顎のような頭部を見上げ、獰猛な笑みを浮かべる。
「首の強度を確かめて差し上げますわ!」
ヘルクルモスが何らか対処するよりも早く、しなやかに身を捻った少女の機械大剣が半月を描いた。
紫電を纏う龍の一撃が、巨獣の喉元を掻っ捌く……と思いきや。
「なッッ!?」
嶺華は愛剣から伝わる予想外の感触に目を見開いた。
並大抵の械獣であれば次元障壁ごとぶった斬ってしまう機械大剣。
その一太刀が、ヘルクルモスの表皮に阻まれた。
電磁石のような反発で吹き飛ばされた黄金色の少女が機械大剣と共に落下する。
彼女は猫の受け身のように華麗な宙返りを披露し、着地には成功したものの、すぐそこへ械獣の反撃が迫る。
ブオンという重たい風音を伴って振り回されたヘルクルモスの腕を間一髪で躱す嶺華。
一旦械獣から距離を取った少女の元に唯が合流する。
「嶺華さん! 大丈夫!?」
「ええ……ですが、奴の上半身も妙な障壁に覆われているようですわ」
「そんな、じゃあやっぱり、アームズの攻撃は全く通らないってこと?」
「どこかに弱点があるはずですの! あれほどの巨体ですもの、全身をカバーなんてできるはずがありませんわ……!」
陥没した床から脚を引き抜いたヘルクルモスが機敏に動き出す。
械獣の進行方向から逃れつつ、その全身に目を凝らす二人。
しかし目視では、どの部位に特殊な障壁が展開されているのかは判断できなかった。
『フッフッフッ……オマエたちガどんな弱点を見つけるのカ、実ニ興味深イ』
上空のハチ型械獣から注がれる嫌味たらしい笑い声。
ニードル本体の顔は見たことがないのに、ニタニタと笑う口元だけは鮮明にイメージできた。
「とにかく攻撃を続けるしかありませんわ!」
「了解!」
唯と嶺華はその後も械獣の豪快な歩行に巻き込まれないよう気を付けながら、ヒットアンドアウェイ戦法で斬撃を繰り出し続けた。
ヘルクルモスの足先、股の間、腹部、二の腕、角の先端と、様々な部位に刃を押し当てる。
だが、どの攻撃も見事に跳ね返されてしまった。
今まで戦った械獣であれば、表皮に展開された次元障壁は装者の武器に纏わせた次元障壁を干渉させることで引き剥がすことができた。
それに対してヘルクルモスの装甲からは、次元障壁同士が干渉し合う時のオレンジ色の火花が散らなかった。
まるで鋼鉄の城壁を木の棒だけで叩いているような、ゼロダメージの手応え。
しかも防御範囲が盾限定だったカニ型械獣と違って、全身のどこを攻撃しても同じように弾かれてしまう。
「もしかして、本当にあの表面積の全部が、特殊な障壁で覆われてるの……?」
『ゴ名答。下等生物は気付くのが遅いナァ』
肩で息をする唯と嶺華に対し、上空を悠々と泳ぐハチ型械獣からニードルの誇らしげな解説が轟いた。
『ヘルクルモスの体表は「アメビウムスキン」で隙間ナク覆われていル。キャントガムドに搭載したアメビウムシールドの改良版にしテ、試製でない完成版ダ。
……ツマリ、ヘルクルモスに「弱点部位」ナド存在シナイ!』
これがアクションゲームのボスだったなら、必ずプレイヤーが勝つための抜け道や攻略法が用意されているものだ。
しかし、目の前に立ちはだかる鉄壁械獣は、倒されるために存在している架空の敵とは違う。
突きつけられた現実に、唯の口からは思わず弱音がこぼれた。
「私たち二人でも、勝てない……」
『ソウダ。オマエたちはココで果テ、デンゼルスペースの藻屑にナルとイイ!』
ニードルの言霊を体現するかのように、ヘルクルモスが唯たちの方へと突っ込んで来た。
ただ走る。
それだけの挙動なのに、50メートル級の巨体ともなれば広範囲攻撃と同義だ。
人間とは歩幅が違いすぎるため、まっすぐに逃げるだけではあっという間に追いつかれ、踏み潰されてしまう。
唯と嶺華は体力測定のシャトルランのように次々と走る方向を変え、辛うじて轢殺を免れていた。
けれどこちらの攻め手は無し。
二人のスタミナが切れるのは時間の問題だ。
打開策が何一つ見いだせず、焦りからくる嫌な汗が唯の背中をじっとりと濡らした。
その時、隣を走る嶺華がハッと気づいて指差した。
「唯さん! ニードルが! あそこに艦内への入口がありますわ!」
彼女が指し示したのは、ちょうどヘルクルモスが寝そべっていた場所の中央。
そこに一辺が3メートルほどの四角い穴が開いていた。
さっきまで穴なんて無かったはずだが、隠し扉があったということか。
その穴の中へ、ニードルの声を垂れ流していたハチ型械獣が降下していくところだった。
「あいつッ! 自分だけ逃げるのかッ!」
「ここでヘルクルモスを倒す必要はありませんの! 中に入ってしまえば、このデカブツは追ってこれないはずですわ!」
当たったらただでは済まなそうなフルスイングの剛腕を避けつつ、二人はハチ型械獣が消えた穴へと駆け寄った。
穴の中を覗き込んでみる唯。
底は見えなかった。
アームズの次元障壁で落下の衝撃は軽減できると分かっていても、飛び降りるのは躊躇してしまう深さだ。
「嶺華さん、この」
「させませんわッ!」
唯が後ろを振り返るよりも早く、嶺華はぐるんと身を翻して機械大剣を薙いだ。
鋭い音と共に、くすんだ黄色の影が後ずさる。
ハチ型械獣の急降下刺突であった。
仄暗い夜空を見上げると、高高度で待機していた働き蜂の群れが続々と唯たちの方へ降下してくるのが見えた。
けたたましい羽音は、巨獣の攻撃が届かない穴の中への侵入は許さないと、二人に警告しているようだ。
「唯さんは早く中へ! あのハチ型を追ってくださいまし! 奴の行き先にニードルの本体か、妹さんがいるかもしれませんわ!」
「嶺華さんも一緒に!」
唯が呼びかけるも、嶺華は機械大剣を構えたままだった。
「わたくしは後ろの械獣たちを足止めしますわ。艦内へ侵入できたとして、閉所で追い回されることになれば妹さんの捜索どころではないでしょう」
「でも、それだと嶺華さんがヘルクルモスから逃げられないんじゃ……」
鉄壁械獣は健在。
地響きを伴う足音が迫り、今まさに唯たちを踏み潰そうとしている。
「駆雷龍機の俊敏性は業炎怒鬼よりも上ですの。あんな大ぶりの攻撃など、わたくしなら容易く避けられますわ」
「それはそうかもしれませんけど、」
「即断即決ですわ!!」
嶺華は問答無用とばかりに、唯を突き飛ばした。
「へぁッ!?」
エレベーターシャフトのような縦穴へと放り出される唯。
ほぼ垂直の壁にバウンドしながら転げ落ちていく。
「うわあああッ!!」
唯は空中でじたばたと藻掻き、少しでも減速しようと壁に手足を押し付けた。
真っ暗な穴の中に散る火花が視界をチカチカと刺激する。
幸いなことに、穴の傾斜は垂直から徐々に傾いて、曲がっていった。
坂道と呼べるくらいの角度に突入した頃、唯はなんとか停止した。
入口の方を見上げたが、既に嶺華の姿は見えない。
彼女の叫び声だけが穴の中に響いた。
「唯さんは妹さんの確保を最優先に! わたくしはこいつらを適当に蹴散らした後、すぐに追いつきますわ!」
「わ、分かりました! 嶺華さんも、どうか無茶はしないで!」
少女の返事があったのかは不明。
頭上から降り注ぐ不快な羽音の嵐が、他の音を全てかき消してしまった。