第93話 蟲の巣窟 II
群がるハチ型械獣をバッサバッサと斬り捨て、焼き焦がしながら突き進む唯と嶺華。
灰色の大地、すなわちニードル母艦の甲板上を駆け、盛り上がった小山の麓まで辿り着く。
「はぁッ、はぁッ、はぁッ……」
唯の額に汗の粒が浮かぶ。
業炎怒鬼の荒ぶる破壊衝動は抑え込めているものの、気の抜けない連戦で息が切れてきた。
流石に少し休憩したい。
敵地で叶うはずのない願いを抱きつつ、後ろを振り返る。
すると唯の望み通り、何故かハチ型械獣たちの追撃が止んでいた。
「もう終わりですの? わたくしたちには敵わないと、その小さな頭でもようやく理解できたようですわね」
機械大剣を構える嶺華は余裕の笑みを浮かべる。
彼女の威容に恐れをなしたのか、まだ無傷のハチ型械獣たちは少し離れた上空に固まり、こちらの様子を伺っていた。
これ以上の損耗は許容できないという判断だろうか。
とにかく唯はこの機を逃さず、肺一杯まで深く息を吸い込んで呼吸を整えた。
異次元空間といえど、満ちる空気は地球と変わらない。
「ふぅ……あいつら、もう諦めたの?」
「わたくしたちが油断したところを襲ってくる算段かもしれませんわ。そうなる前に、ニードル母艦の内部へ入りますの」
「じゃあ、急いでこの山みたいな建物を調べましょう。入口は……反対側?」
二人は上空に注意を向けつつ、小山の入口を探して歩き回る。
間近で観察すると、小山の斜面は開閉式のドーム屋根のように連なる装甲板で覆われていることが分かった。
ピタリと閉じた装甲板は灰色の甲板上に隙間なく接地しており、これでは鼠一匹入り込めないだろう。
そのまま小山の周りをぐるりと一周してみるも、扉どころか通気口すら見当たらなかった。
地球でも古代文明のピラミッドは後年の研究者が入口を見つけるまでに長い年月を要したらしいが、目の前の構造物はそもそも人が入ることなど考慮されていないように思える。
械獣の艦なのだから当然か。
「あてが外れましたわね」
「他の場所を探しますか? 次は甲板の端っこをぐるっと回ってみるとか」
「はたして一日で踏破できる広さなら良いのですけれど」
「むぅ……」
唯は灰色の地平線を見渡し、途方もない距離感に口を噤んだ。
代案が無いのは嶺華も同じようで、二人で困り顔を見合わせる。
ふと天を仰いだ時、ハチ型械獣の群れの中から一匹だけ、二人の頭上へゆっくりと降下してくる個体があった。
『オレ達ノ巣を土足で踏み荒らスのは、感心しないナァ』
「ッ!!」
そのハチ型械獣から声が発せられた瞬間、唯と嶺華は素早く剣を構えた。
複数の男の声を重ね合わせたような合成音声を耳にしただけで、唯の内心では怒りがはち切れそうになる。
「ニードル……!」
敷城市の人々を絶望に陥れ、唯の愛する妹を攫った張本人。
高い知能を持つ『コード付き』ならば理解できるだろうと、唯は敵意と苛立ちを込めて叫んだ。
「今日の用件は一つだけよ。梓を返しなさい!」
「大人しく従わないと、この山を平らに均してしまいますわよ」
機械大剣を軽々と振り回しながら圧をかける嶺華。
装甲板で守られているくらいだ、この小山は械獣たちにとっては重要な設備なのかもしれない。
艦の設備を壊されたらニードルも嫌がるだろう。
だが二人の期待に反し、械獣のスピーカーから垂れ流されたのは哀れみにも似た笑い声だった。
『平らに均す? フッフッフッ……それなら主語ヲ間違えているゾ』
ズズン、と足元が揺れた。
「何!?」
「唯さん! 山から離れますの!」
嶺華の言葉に叩かれるようにして飛び退く唯。
直後、小山の表面の装甲板が動き出した。
キュオオオォォォオォォォ!!!!
耳を劈く絶叫のような甲高い不協和音。
音源は小山の中だった。
『平らに均されるのハ、オマエたちの方ダ』
地面の揺れが急激に強まっていく。
ピタリと閉じた装甲板がゆっくりと解けていき、生き物のように顫動を始める。
山が、いや、巨大な何かが、ゆっくりと起き上がっていく。
『短命なオマエたちの存在ナド無視してもよいのダガ……同胞を無為ニ失ウのも好ましくナイ』
ニードルの言葉よりも、唯は目の前で急変する地形に釘付けだった。
ドーム屋根だと思っていたのは、巨獣の表皮。
屹立していく物体は間違いなく、械獣の定義に含まれるのだろう。
けれどその大きさは、今まで戦ってきた械獣たちとは一線を画している。
唯は口を閉じることも忘れて、その姿を視界に収めようと必死だった。
上空を飛び回る働き蜂、ソルム・ビーナとは比べものにならない。
敷城市に現れた30メートル級の女王蜂、クィム・ビーナですら届かない大きさ。
高層ビルを根本から見上げた時のような、足がすくむ感覚。
唖然とする唯の頭上で、ニードルの声が高らかにその名を告げる。
『我ラが守護神、鉄壁鎧虫ヘルクルモスよ。自ラ命を捨テに来た愚カナ侵入者共を、徹底的に叩キ潰セ!』
骨格は前傾姿勢の二足歩行。
太い腕には五本の爪。
背中には、山と見紛う重厚な甲殻。
アルマジロのように収縮するその甲殻は、堅牢性を保ちながら本体の動きを邪魔しない。
背中だけでなく、腹や四肢の表面も硬そうな装甲に覆われている。
全身が鉄壁の名に恥じぬ重装甲であった。
下半身は上半身よりも太いシルエットとなっており、超重量を極太の二本脚が支えている。
あんなものが人間の街を歩いたら一瞬で道路を踏み抜き、地下に沈んでしまうだろう。
ニードル母艦の甲板が陥没しないのが不思議なくらいだ。
そして巨体の頂上、械獣の頭部もまた特徴的である。
さすまたのように伸びた二本の刺々しい角。
言うなれば、頭部の形状はオオクワガタの大顎そのものであった。
角の内側に生える大小様々な突起が一度挟んだ獲物を決して離さないと主張している。
とはいえ、あんなに広い大顎で挟めるのは都市部のタワーマンションくらいだ。
「ヴァルガイアと、同格の大きさですわ……」
嶺華の漏らした呟きを聞いて、唯もようやくスケール感を認識する。
械獣を前にして腰が抜けるような感覚は、敷城市に舞い降りたヴァルガイアを見上げた時に味わったものだ。
つまり、ヘルクルモスと呼ばれた械獣の身長はゆうに50メートルを超えていた。
「そん、な……」
「大ボスの、おでましのようですわね」
「デカすぎますよ!!!!」
梓を助けると意気込んでいた唯も、さすがに立ち向かう気力が失せてしまうほどの体格差だった。
マリザヴェールの仮想戦闘シミュレーターでは図体の大きい械獣と戦う訓練もあったが、こんな桁違いの大きさの仮想敵、それこそヴァルガイアと直接戦うような理不尽モードは実装されていなかった。
相手からすれば、身長2メートルにも及ばない人間の女など手のひらで握りつぶせるサイズである。
小さな虫が大型動物に立ち向かうような無謀。
唯は思わず剣を取り落としそうになる。
その時、隣に立つ龍の少女が機械大剣の切っ先を地面に叩きつけた。
「唯さん。ここで立ち止まっているだけでは、妹さんを取り戻すことなどできませんの」
「そ、そうですけど……」
「大丈夫ですわ。唯さんは死なせません。何故ならわたくしがついているから」
「嶺華さん……」
唯を鼓舞する嶺華の声も若干震えているように聞こえた。
こちらも彼女を守ると誓った身、彼女一人で戦わせる訳にはいかない。
「剣を持ちなさい! 行きますわよ!」
「……ええい、やってやりますよ!!」
唯は臆病風を無理やりねじ伏せ、龍の少女と並んで赤黒剣を振り上げる。
どの道この空間から逃げ帰る手段なんて存在しないのだ。
二人で力を合わせて、この鉄壁械獣を突破する以外に未来は無い。