第92話 蟲の巣窟 I
デンゼルスペース。
そこは人類の住む水と緑の星とは対照的に、無機質に満ちた異次元の空間である。
偽りの夜空が見下ろす大地に、唯と嶺華が降り立った。
嶺華の纏うアームズ・駆雷龍機は高貴な龍の姫に相応しいドレスだ。
黒と白を基調とした上品な鎧には、黄色の稲妻模様が袈裟懸けに浮かび上がっている。
その堂々と勇ましい立ち姿からは右腕を欠いた負い目など微塵も感じさせない。
また、唯の纏うアームズ・業炎怒鬼は頭部に禍々しい二本角を頂く装束だ。
漆黒で塗りつぶされた装甲には、真紅の焔模様がメラメラと刻まれている。
両機体が万全のコンディションであることは、静かに唸る吸気音が証明していた。
並び立つ二人の装者は共に剣を構え、周囲を取り囲むハチ型械獣の群れを睨みつける。
「あらあら。熱烈な歓迎ですこと」
「何体いるか、数えるのも面倒です」
住処を踏み荒らされたのがよほど気に障るのか、ハチ型械獣たちは不快な羽音の大合唱を披露してきた。
昆虫を模した頭部の複眼、その光学カメラの視線が上空から無数の敵意を突きつけてくる。
「呑気に探索する時間はなさそうですわね。唯さん、走りますわよ」
「了解!」
短く言葉を交わし頷き合った二人は力強く大地を蹴った。
硬い鉄板のような地面からゴング代わりの甲高い音が響く。
その音を合図にハチ型械獣の方も動き出し、前衛の数体が二人の前に降下してきた。
人間よりも一回り大きい異形が正面に立ち塞がるが、それに怖気づいて足を止める二人ではない。
赤黒剣と機械大剣、淡く輝く二振りの刃は獲物を求めて舌なめずりしているようだった。
唯は前方から突っ込んできた一体のハチ型械獣を斬り飛ばしながら、自分たちが降り立った空間を改めて見回した。
日が沈んだ直後の薄暗い空がずっと維持されているかのような、陰鬱な世界である。
この空間のどこかに、人型械獣ニードルと、異次元空間を航行できる奴の母艦が存在する。
そしてその艦には、連れ去られた妹も。
ニードル母艦と呼ぶことにしたその敵艦を見つけ出し、囚われた妹を奪還する。
それが姉である唯の使命である。
そのためにまず第一の関門として、この大地に降り立つこと自体が難問だった。
ニードル母艦の周囲は強力なデンゼル粒子の障壁で覆われており、外部からの侵入を拒んでいた。
マルルの分析によれば、障壁は空裂を開く力をもってしても越えられない壁だという。
唯一の出入口は、AMF関東第三支部の真上に建設された六角形の大穴のみ。
その空裂は24時間体制でハチ型械獣たちが警備していたのだが、二人が実行した「雷槍作戦」によって突破することに成功した。
試製雷槍一号――母艦マリザヴェールにて急造された、このミサイルのような乗り物のことである。
二人が立ったまま乗り込める槍は飛翔中、表面に次元障壁を展開。
空間を歪ませることによって空気抵抗を跳ね除け、戦闘機のパイロットにのしかかるような重力加速度すら躱すことができる。
それでも生身の人体では到底耐えられないレベルの負荷が加わるため、搭乗者はアームズを纏っていることが前提だ。
かつて次元障壁を操る翼で縦横無尽に跳躍していた駆雷龍機のシステムを参考にしているのは言うまでもない。
マリザヴェールから打ち出された試製雷槍一号はその名に恥じぬ雷の如き速さで六角形の空裂に突っ込み、警備のハチ型械獣が反応する前に唯たちを敵地へと送り届けたのであった。
次なる関門は、ニードル母艦を発見し、その内部へと侵入することである。
「ニードル母艦はどこ? 艦らしいものは見えないけど!」
「わたくしたちが降りたこの場所こそが、既にニードル母艦の甲板上と考えるべきでしょう」
「ここが!? 端っこも見えないのに!?」
見渡す限りの地平線を眺めれば、嶺華の言葉を素直に咀嚼することに躊躇いを覚える。
この大地全てが、一隻の艦。
想像とかけ離れたスケールに、唯の脳はなかなか納得しない。
しかし、取り囲む耳障りな羽音こそが、唯の立っている場所が敵地であることを裏付けていた。
「ニードルは唯さんの街に100体以上の械獣を放ったのですわ。母艦にはさらに多くの軍勢がいるはずですの。そいつらを全て収容できる艦ともなれば、キロ単位の大きさなのはむしろ自然ですわね」
「ここがニードルの……ということは、この地面の下に梓がいるってことだよね……」
「唯さん、前ですわ!」
反射的に剣を薙いだ唯は、眼前に迫っていたハチ型械獣の針を弾いた。
次撃が来るよりも先に踏み込み、昆虫の大顎を斬り飛ばす。
手痛い反撃を受けた械獣は地面を転がったが、唯が呼吸を整える間もなく、別のハチ型械獣が二体、三体と続けて突撃してくる。
当然ながら、械獣たちはニードル母艦を探索しようとする唯を黙って見過ごしてはくれない。
「くっ、こいつら、邪魔だなッ!」
「雑魚が何体集まろうと所詮雑魚ですわ。命知らずな方々には、望み通りわたくしたちの力を見せて差し上げますの」
片腕で機械大剣を振るい、ハチ型械獣の胴体を豪快に両断する嶺華。
彼女のフォローを受けつつ、唯も械獣たちの迎撃に集中する。
こちらの腹を貫かんと針を突き出してくる械獣に対して、唯は腰を低くして赤黒剣を振るい、黒ずんだ黄色の鉄塊を捌いていく。
幸いなことに、ソルム・ビーナ単体の耐久力は低く、業炎怒鬼の通常攻撃で撃破できるレベルだ。
敷城市では不覚を取ったが、正面から冷静に対処すれば一体一体は大した脅威ではない。
問題はその数だった。
嶺華と二人がかりで斬りまくっているのに、周囲を取り囲むハチ型械獣の数はどんどん増えていた。
まるで蜂の巣を叩いたように、倒した数以上の増援がやってくる。
対空砲台のように敵を一網打尽にできる兵器があれば良いのだが、剣一本で敵地に乗り込んだ二人の手数は限られている。
これでは一向に梓の捜索を始めらず、唯は焦燥感だけを募らせていく。
「きりがない!」
「こいつらの相手はほどほどで良いですわよ。今日は敵を全滅させることが目的ではありませんから」
「もちろんです。だから早く梓を探さないと……!」
「妹さんの救出も重要ですが、帰り道を確保することもお忘れなく」
二人を無事ニードル母艦へと送り届けた試製雷槍一号だったが、欠点が一つ。
それは片道切符であることだ。
母艦マリザヴェールから撃ち出されることで推進する試製雷槍一号は、最低限の姿勢制御機能しか持たない。
つまり、自力で離陸して飛ぶことはできないのだ。
梓を救出した後は、この敵陣の只中から、別の方法で脱出する必要がある。
「まずはニードル母艦の中枢部を目指しますの。障壁を発生させている制御装置を破壊できれば、マリザヴェールからの援護が受けられますわ」
嶺華から事前に聞かされていたのは、ニードル母艦全体を覆う強力なデンゼル粒子の障壁を解除し、嶺華の母艦であるマリザヴェールを直接乗り付けるという大胆な作戦だった。
障壁がダイレクトコア通信さえ阻害してしまうため直接マルルと連絡を取ることはできないが、障壁の反応が消えたことを確認次第、迎えに来てくれるよう頼んである。
「でも中枢って、こんなに大きい艦のどこをどうやって探します?」
「艦といっても体積の大半は動力部と格納庫ですわ。中枢部までの導線はそう複雑ではないはずですの」
「内部に侵入できてしまえば、道なりに進むだけで中枢部へ辿り着けるかも、ってことですか」
敵は械獣、食事も睡眠もとらない無機質な兵器の集まり。
そう考えると、母艦に必要なのは械獣とその整備物資を格納する空間だけ。
人間の乗組員を収容する船と違って、寝泊まりする住居スペースは不要だ。
ニードルが自分の拠点をわざわざ迷路にするような趣味を持っていなければ、案外シンプルな構造なのかもしれない。
楽観的推測であることは承知の上だが、そもそも二人だけで械獣の大群の中に飛び込むだけでも分の悪い賭けなのだ。
確証を得られるまで立ち止まるより、一歩でも前へ進む方が良いだろう。
「分かりました。とにかく内部への入口を探しましょう」
「ええ。わたくしとしては、あそこが怪しいと思うのですけれど」
「それは私も同感です」
360度、どの風景を切り取っても平らな地面かと思いきや、一箇所だけ盛り上がっている場所があった。
巨大な卵が横倒しとなって半分埋まっているような小山。
遠くて分かりにくいが、小山の表面には所々複雑な模様が描かれている。
艦内への入口があるとすれば、あの小山が最有力候補だろう。
「唯さんはあの小山に向かってひたすら走り続けてくださいまし。背後の敵は、全てわたくしが引き受けますの」
「頼みました!」
二人を行かせまいと、ハチ型械獣は尚も数を増しながら襲いかかってきた。
次から次へとやってくる昆虫の群れは蠢く塊となり、偽りの夜空に雲のような影を浮かべている。
だがどんなに敵の数が多くとも、唯は恐怖など感じていなかった。
炎鬼の鎧が脳を刺激して闘争心を煽ってくるのもあるが、それだけではない。
憧れた龍の少女と、肩を並べて戦える。
異形を斬り飛ばす剣の音色を聞く度に、唯の体は火照り昂り、無限に勇気が湧いてくる。
「道を開けろぉぉぉ!!!!」
赤黒剣の切っ先を前方に突き出して構えた唯は、小山に向かって突撃騎兵の如く一直線に駆けた。
炎の鏃が闇を裂く。
刀身から噴き出す爆炎が械獣たちの装甲を焦がしていく。
二角の鬼の正面は危険であると悟ったのか、その背後に回り込もうとするハチ型械獣。
極太の針が唯の死角から弾丸のように迫るが、唯の背中に達する前に械獣の下腹部は真っ二つとなった。
敵の狙いを見切った嶺華が雷龍の瞬発力でもって迎撃したのだ。
「遅すぎますわね。唯さんの背中をつけ狙う卑怯者は順番に並びなさいな。このわたくしが、まとめて鉄屑に返して差し上げますわ!」
稲妻のドレスがジグザグに舞い、紫電振りまく機械大剣が羽虫共を次々と切り刻んでいく。
唯に致命打を与えそうな個体を優先かつ的確に排除している様は、流石の戦闘経験が成せる技である。
そのおかげで、唯は暴走機関車のように、前方にいる敵だけをがむしゃらに屠ることができた。
思い切った立ち回りができるのも、嶺華のことを信頼して命を預けることができるから。
同じ艦で同じ時を過ごし、寝食を共にした二人の気持ちは、言葉を交わさずとも通じ合っている。
息の合った炎鬼と雷龍のコンビネーションを止められるハチ型械獣は、一体もいなかった。