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鎧装イリスアームズ ~超次元に咲く百合~  作者: 秋星ヒカル
第二章 愛憎螺旋 編 
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第86話 残霧の潜伏者 III


 真横から、恨みがましい羽音が襲った。


「あぐッッ!?」


 唯の横っ腹に凄まじい速度の鉄塊が衝突する。

 炎鬼の飛翔方向が強引に変えられる。

 梓に向けて伸ばした手が、虚空を掴む。


 唯を弾き飛ばした犯人は、先ほど公園で戦った方のハチ型械獣であった。

 下腹部の針を失っても尚その飛行能力は健在であり、こうして捨て身の体当たりを仕掛けてきたのだ。

 ただの鉄塊が突っ込んだ程度で業炎怒鬼の次元障壁が破られたりはしない。

 しかし、100%慣性で飛んでいた唯にとっては致命的。

 一度軌道を逸らされてしまえば二度と復帰することは叶わない。

 いくら手を伸ばしても、囚われた藍虎にはもうどうやっても届かない。

 重力に捕まった唯の体が落下を始める。


「お姉ちゃん……! 助け…………」


 空へと遠ざかっていく械獣の方を見上げた時、梓と目が合った。

 業炎怒鬼の権能でブーストされた動体視力によって、唯は彼女の表情をはっきりと視認できた。


 最後に見えた妹の顔は、恐怖に歪んでいた。


「あずさ……待って…………」


 無力な呟きを漏らした直後、妹の姿が視界から消える。

 全身に叩き込まれる硬い打撃。

 眼前を流れる灰色の激流。

 一切の減速なくマンションの壁に激突した唯は、そのままコンクリートの外壁を突き破って建物内を転がった。

 アクセルとブレーキを踏み間違えた自動車事故のように、他人のプライベート空間をめちゃくちゃに破壊する。

 住人は皆地下シェルターへ避難しているため部屋には誰もいなかったが、ソファーやベッドといった家具は木っ端微塵。

 埃と建材と木くずの混ざり合った粉塵が部屋中に舞う。

 真っ二つに折れた木製テーブルを下敷きに、ようやく唯の体が停止した。

 業炎怒鬼から注入された薬剤の効果が切れたのか、体が鉛のように重くなった。


『唯さん! しっかりしてくださいまし! 唯さん!』

「うっ……く…………」


 ぶり返す脇腹の痛み。

 耳元で叫ぶ嶺華の声は聞き取れていたが、返事をするだけの息が吸えない。

 五階建てのビルから突き落とされたのだ。

 アームズの次元障壁が衝撃を吸収してくれたとはいえ、シェイクされた内臓には多大なダメージが蓄積されている。

 自分でも生きているのが不思議なくらいだ。

 それでも、唯は歯を食いしばって身を起こした。

 ぐわんぐわんと揺れる平衡感覚の中、言うことを聞かない足腰を引きずるようにして、粉塵まみれのカーペットの上を這う。

 鎧の隙間から滴る生暖かい血をべっとりと床に塗り拡げながら、冷えていく体に鞭打ってベランダの方へ。

 束ねられたカーテンをロープ代わりに掴んで引っ張り、腕の力だけで無理やり立ち上がる。

 割れた窓をくぐってベランダに出た唯は、手すりから身を乗り出して空を見上げた。


 梓を咥えたハチ型械獣は、もはや小さな点だった。

 くすんだ黄色の異形は一気に高度を上げ、霧の領域を突き抜けて飛び去っていく。


「あ、ああ………………!」


 ベランダの手すりを握る手から力が抜ける。

 愛する家族が、世界でたった一人の妹が、敵の手に落ちた。

 炎鬼の力を出し惜しみなく解放したのに、守れなかった。

 夢なら覚めて欲しいと願った。

 けれど体の痛みも、喉の乾きも、紛れもない現実だった。


 悪夢はそれだけでは終わらない。


「な、に…………?」


 肌に触れる空気の流れが変わる。

 降り注ぐ日差しが暖かさを増す。

 見上げた空は、霞がかったような灰色から鮮やかな青色へ。


「霧が……晴れる…………!」


 眼下の街並みに立ち込めていた白い壁が引波のように消えていく。

 道路に沿って、それまではぼんやりとしか見えなかった建物の輪郭が次々と現れる。

 霧に包まれていた街並みが、本来の景色を取り戻していく。

 もちろん、唯の視点映像を共有する嶺華たちも異変に気付いている。


『マルル! 現地の状況はまだ分からないんですの!?』

『敷城市上空に待機させている偵察機のセンサーが回復しました。直ちにスキャンを再開します…………コアユニット反応を複数確認!』

『複数? 飛んでいる2体と、装者2名を合わせて4つでしょう?』

『いえ、周辺一帯に反応多数!』

『どういうことですの!?』


 インカムの向こうで慌ただしく叫ぶ嶺華とマルル。

 しかし唯の耳は、彼女たちの声よりも、周囲から響く音に釘付けだった。


 ブブブ…………という不快な羽音。

 その二重奏……三重奏……四重奏……。

 耳を澄ます必要もないくらい騒々しい、羽音のアンサンブル。

 霧の晴れた住宅街を見渡した唯は、おぞましい光景に息を呑んだ。


 家々の間で揺れ動く昆虫の触角。

 街路樹の葉をざわめかせる半透明の翅。

 くすんだ黄色の異形が3体、5体、10体、20体…………もう、数えきれない。

 おびただしい数のハチ型械獣が、街のいたるところに潜んでいた。


「な………………」


 炎鬼の装甲をも貫いた、厄介な械獣。

 その械獣が、群れをなしている。

 今までの戦いとはあまりにもかけ離れすぎた敵の数に、口を閉じるのも忘れて立ち尽くす唯。

 そんな満身創痍の装者に構う個体は一体もいない。

 街中に羽音を轟かせながら、鋼鉄の昆虫たちが一斉に飛び立った。


 空を覆い尽くさんばかりの大軍勢。

 地上を流れる影の列は途切れることを知らない。

 何かに導かれるようにして、上空のある一点へと集結していく。

 合流したハチ型械獣たちはグルグルと円を描くように旋回を始めた。

 太陽の下で巻き起こる鋼鉄の竜巻。

 まるで怪しげな儀式のよう。

 一糸乱れぬ械獣たちの渦の中心で、青空がぐにゃりと歪んだ。 

 その歪みは徐々に広がっていき、やがて円形の膜を作り出す。

 陽の光を遮る膜の向こうに映ったのは、仄暗い星空。

 ガラガラという音と共に膜の表面がひび割れ、崩れていく。

 亀裂の向こうから染み出した夜が、青空を黒く塗りつぶしていく。


『敷城市上空に巨大な空裂が出現!』

『唯さん! 警戒してくださいまし!』


 嶺華に言われなくとも理解できる。

 不快な羽音のオーケストラに導かれ、異次元の空から何かが来る。


「っ……!?」


 最初に見えたのは、黒ずんだピンクの球面だった。

 カラフルなイースターエッグが腐敗したような毒々しい色の物体。

 その直径は軽く10メートルを超えており、空裂の縁を飛ぶ械獣の大きさとは比べものにならない。

 大昔の飛行船のような物体は、星空の世界から地表へ、ゆっくりと降下してくる。

 外気に触れる面積が増えていくにつれて、シルエットの全容が明らかになっていった。

 最初に顔を出した物体は下腹部の底面であり、その上には胴体や頭が存在している。

 胸部から生える細長い六本の脚。

 触角と複眼と大顎で構成された頭部。

 形状だけで言えば、周囲のハチ型械獣たちとよく似ていた。

 違いは下腹部の先端に針が無いことくらいか。

 とはいえ、その桁違いの大きさは他のハチ型械獣と一線を画している。


『全長は約30メートル。敵群体のボスにあたる個体と推測されます』


 マルルの解説は的を得ていた。

 空で群れる無数のハチ型械獣たちが「働き蜂」ならば、大穴から降臨した個体は「女王蜂」と言えるだろう。

 その女王と入れ替わるようにして、一体の働き蜂が星空の世界へと昇っていった。


『神代梓のコアユニット反応ロスト。デンゼルスペースに入ったようです』

『わたくしたちのように、ニードルにも母艦があるのかもしれませんわね』

「だったら、マリザヴェールで追いかけられませんか!?」

 

 嶺華たちがいるマリザヴェールも、異次元空間・デンゼルスペースを航行している艦だ。

 同じ空間にいるのだから、梓を助けに行けるのではないかと淡い期待を抱く唯だったが。


『敵母艦の反応は捉えていませんが、本艦の近くでデンゼル濃度が極端に高い宙域を発見しました』

『まさか、次元障壁のようなものがニードルの母艦全体を覆い隠してますの?』

『詳細は不明です。しかし、高濃度のデンゼル粒子で生成された障壁に接触した場合、本艦の船体は間違いなく大破します』

『つまり、追跡はできないということですわね』

『はい。ハチ型械獣が開いた空裂を直接通る以外に、敵母艦へ侵入することは困難でしょう』

「…………くそう」


 弱々しい声で悪態をつく唯。

 空に蔓延る羽音が憎い。

 彼らのような飛行能力があれば、すぐにでも大穴に飛び込んで梓を追いかけられるのに。

 今の唯には、異次元空間へ連れ去られた妹を救う手立ては何一つ残されていなかった。

 絶望に打ちひしがれる唯の真上で、機械じみた男の声が鳴り響く。


『やア、二本角の地球人。ずいぶんと良い顔になっタじゃないカ』


 唯のいるマンションのベランダの一つ上の階、その壁に一体の働き蜂が張り付いた。

 下腹部の針が根本から粉砕された個体である。

 その頭部スピーカーがキィンとハウリングし、唯の鼓膜に憎たらしい言葉を刻みつけてくる。


『ヨク見てオケ。アレがソルム・ビーナの統率者、クィム・ビーナでアル。実に美シイ姿だろウ?』

「あんな化物のどこが美しいのよ……それより、梓を返して!」

『彼女ハ貴重なサンプルとして採取させテもらウ。非力な人間がオレたちの力を模倣シタ鎧……確か「アームズ」と呼ぶのダったか。フッフッフッ、興味深いデータが取レそうダ』

「ふざけるな! あんたの狙いは私でしょ! 梓は関係ない!!」

『オヤ、何か勘違いをしてイルようダナ。バラルミストをばら撒いたのモ、キャントガムドを放ったのモ、すべてオレたちの軍勢が到着スルまでの時間稼ギにすぎナイ』

「なんですって!?」

『クィム・ビーナの召喚には多数のソルム・ビーナが必要なんダガ、一体一体は脆いのが欠点でナ。オマエに邪魔されズこの時ヲ迎えられタ以上、もうオマエのことを気にカケル必要はナイ』


 街を覆った濃霧は、無数のハチ型械獣たちの隠れ蓑。

 AMF部隊を襲撃したカニ型械獣は、唯の注意を引き付けるための囮。

 データを取るためだとか、わざわざ目的を声に出して教えてくれたのも、本当の狙いを悟らせないためのブラフだったのだろう。

 唯は誘導されるがままに戦い、まんまと働き蜂の集結と女王蜂の降臨を許してしまった。


「あんたたちは、一体何をしようとしてるの…………?」


 械獣を群れという単位で連れてきたコード付き。

 高度な知能を持つ敵性存在が何を語るのか、唯は自分で聞いておきながら、答えを聞くのが怖くなった。

 しかし饒舌なニードルは、もったいぶることなく答えてくれる。

 

『オレたちモ前線基地が欲しいと思ってナア。コノ街にはうってつけノ場所がアル』


 ピンク色の巨体がゆっくりと移動を始める。

 グルグルと旋回する働き蜂の渦も、巨大な空裂を維持したまま女王に追従する。

 ハチ型械獣たちの進路に目を向けて、唯は言葉を失った。


 敷城市で最も高い、街を象徴する十階建てのビル。

 械獣たちがまっすぐに向かっているその場所は、AMF関東第三支部の基地であった。

 現在あのビルに装者は不在、いや、仮にいたとしても、これだけの数の械獣を前にしては全く意味がない。


「基地が制圧されたら、この街は…………!!」


 地上から飛び立つ薄紫色の翼。

 スクランブル発進した無人戦闘機(ヴォイドファイター)の編隊が迎撃を試みるようだ。

 だが通常兵器の空対空ミサイルなど、械獣にとっては豆鉄砲も同然。

 発射されたミサイルは全弾命中したものの、次元障壁に守られた械獣の表皮には煤すら付かない。

 攻撃を終えたばかりの無人戦闘機の後を、群れから飛び出した数体の働き蜂が追いかける。

 ヴォイドファイターの最高速度はマッハ1.5であったが、ハチ型械獣の方が圧倒的に速い。

 あっという間に背後をとられた無人戦闘機は、針の刺突によって次々と撃墜されていった。


『コノ街カラ始マリ、コノ島モ、他の陸地モ、そしてコノ星を、我ラが手にスル! 求メ続ケタ新天地ニ、我ラは至れり!!』


 唯の頭上でニードルの声を伝えていた働き蜂がマンションを離れ、女王蜂に付き従う群れの方へと飛んでいく。

 高らかに鳴り渡る合成音声は、侵略者の勝鬨。 

 彼らの進軍を阻む者は、誰一人としていない。


 陽が傾き、空がオレンジ色に変わってゆく中、働き蜂の大群を引き連れた女王蜂は基地の中央棟に悠々と到着した。

 屋上のヘリポートを細長い脚で掴んで着陸し、半透明の翅を畳む。

 毒々しいピンク色の巨体の真上では、働き蜂たちが旋回を続けている。

 空裂を抱く鋼鉄の輪はまるで、女王の冠のようにも見えた。

 街を防衛する使命を帯びたビルに、絶望の星灯りが降り注ぐ。


 AMF関東第三支部、その基地施設の陥落。

 それは、南関東一帯が人間の住めない土地になったことと同義である。

 この狭い日本列島で、突然発生した300万人以上の難民を受け入れられる宛は無い。

 地下シェルターの備蓄食料も有限だ。

 逃げ場を失った人々は、地下シェルターの中で飢え死ぬか、地上に出て械獣に殺されるか、そのどちらかを選ばなくてはならない。

 ジャミングが解除されたことにより街頭カメラの中継映像も復活しているのだとしたら、今頃地下シェルターの中は恐慌状態となっているだろう。

 そう遠くない未来、この街は血みどろの地獄になる。


 恐怖と絶望に支配されていく街を、唯は呆然と見つめていた。

 大切な人に託された赤黒剣は、この手の中にある。

 なのに。


「私には、何もできない…………」


 力を手にしたと思っていた。

 この力があれば、どんな敵も斬り伏せて、困難を吹き飛ばすことができると信じていた。

 けれど。

 翼を持たぬ破壊の鬼は。

 生まれ育った街が滅んでいく様を、ただ見ていることしかできなかった。


『唯さん、帰投してくださいまし。今のわたくしたちに、奴らを止める術はありませんわ』

「…………りょう、かい」


 傷つき、血を流す唯の体は、嶺華の重苦しい声に対して反論することを許さない。

 沈みかけた夕陽に背を向ける唯。

 震える手で赤黒剣を振り下ろし、生じた亀裂の中へと逃げ込む。

 空裂が閉じるその瞬間まで、煩わしい羽音がずっと聞こえていた。


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