第83話 鬼槍天劾
「私の武器が剣だけだと思った?」
そう言うと、赤黒剣の柄から手を離した。
重力に従い、カニ型械獣の頭部に落下する唯。
ロリポップキャンディーのような部分の付け根に腕を引っかける。
それが視覚を司るデバイスなのかは分からないが、発光する先端を直視しないように気を付ける。
攻撃がやってくる前に、緑がかった体表の上を這うように移動。
械獣の体表とアームズの装甲が直接触れ合い、次元障壁同士の干渉で絶え間なく火花が散る。
そんな些事に臆することなく冷静に、唯は械獣の背中側、つまりカニの甲羅にあたる部分へと回り込む。
大盾による殴打は械獣の眼前で止まり、風圧だけを唯に届けた。
「ここなら自慢の腕も無意味ね!」
カニ型械獣は唯を排除しようと、左右の腕をブンブンと振り回している。
だが、唯には当たらない。
カニの身体的構造を模しているのならば、両腕の可動域はせいぜい頭上まで。
械獣がどんなに腕を伸ばしても、背中にぴったりと張り付く唯に触れることはできなかった。
「教えてあげる。パンチってのはこうやるのよ」
唯は左手で目のような器官の付け根を掴んだまま、無防備な甲羅に右拳を叩きつけた。
バチンと弾けるオレンジ色の火花。
拳から伝わる確かな手応え。
唯の何倍もの大きさの体躯がぐらついた。
爆炎の斬撃すら防いだ大盾も、背中側への攻撃までは防げない。
「はァッ! せやッ!!」
二発、三発と続けて鉄拳を打ち込む唯。
炎鬼の背部装甲からは肉食獣の唸り声のような吸気音が響く。
両腕にエネルギーを漲らせながら、獲物を喰らえ、壊せと叫んでいる。
剣がなくとも、その欲望は原始的な暴力となって出力されるのだ。
唯は己の心身が、炎鬼の鎧と一つになっていくのを感じた。
「まだまだァ! うらゃああッッ!!」
夢中で右腕を往復させる唯。
械獣を覆う次元障壁は削り取られ、弱まり、甲羅部分の装甲が陥没していく。
カニ型械獣も無抵抗ではない。
八本の多関節脚をひっきりなしに動かし、全身をコマのように回転させながら暴れ踊る。
対する唯は左手一本で激しいロデオに耐えていた。
械獣の目のような器官の付け根は、アームズの握力で変形を始めている。
「大人しく、しなさい!」
唯が渾身の力で右拳を突き刺すと、カニ型械獣の動きが突如として停止した。
大岩のような巨体がゆっくりと沈んでいく。
力尽き、唯を引き剥がすのを諦めたのか。
いや違う。
多関節脚が一斉に収縮したのだと気付いた時、唯は強制的に空へと打ち上げられた。
カニ型械獣が唯を乗せたまま数十メートルもの高さまで跳躍したのだ。
「おわあッッッ!?」
急上昇する視界。
絶叫アトラクションの如き猛烈なGが襲いかかる。
唯は振り落とされないよう両手で械獣の頭部にしがみついていた。
やがてGが和らいだかと思ったら、今度は無重力空間に来たかのような浮遊感。
足腰の力が抜けるような不気味な感覚だった。
眼下には街を覆う霧が雲海のように広がっていたが、景色に見とれている場合ではない。
最高高度に達した後、体が重力を思い出す。
「ッッ!!!!」
大質量の鉄塊と共に急降下。
パラシュート無しの自由落下は地面にぶつかる直前までひたすらに加速するだけだ。
舌を噛まぬよう歯を食いしばった直後、衝撃と轟音が唯の全身に浴びせられる。
械獣の頑丈な多関節脚はアスファルトを踏み抜き、交差点のど真ん中に特大のクレーターを作った。
「ぐッ……このぉ…………」
唯は腕が千切れるかと思ったが、なんとか手を離さずに耐えることができた。
しかし巨体はまたしても沈み込み、次の跳躍体勢に移行する。
械獣の体表を覆う次元障壁を剥がせば跳躍は不可能になる、という分析を聞いた気がするが、まだまだこちらの手数が足りないということか。
だが今はしがみつくのに必死で両手は塞がっており、反撃に転ずることができない状況。
拳を握るために手を離し、振り落とされてしまえばそれこそ勝機を失う。
厄介な大鋏と大盾が届かない今のポジションに再び取り付くことは難しいだろう。
もっとも、このまま跳躍を繰り返されては、振り落とされるのも時間の問題であった。
「他に武器は…………そうだ!」
唯は網膜プロジェクター上のインターフェースを視線操作で舐めると、とあるコマンドを打ち込んだ。
命じたのは、両腕が塞がった状態でも機能する大技。
紅蓮のアームズが主人の命令に即応する。
炎鬼の頭部に屹立する二本の角。
その先端がハの字に閉じると、角の周囲の光が歪んだ。
発現したのは円錐形の槍。
それは濃縮された次元障壁が作る衝角である。
背部装甲の吸気音が今日一番の咆哮を轟かせると、コアユニットから供給された膨大なエネルギーが頭部に集った。
衝角が太陽のように明るく輝いた時、炎鬼の装甲から必殺を告げる電子音声が鳴り渡る。
『バイオレント・チャージ』
唯は上半身を大きく反らして振りかぶると、械獣の外殻めがけて勢いよく頭を叩きつけた。
「うおルァア!!!!!!」
鬼槍が異形を貫く。
械獣を守っていた次元障壁をぶち破り、緑がかった分厚い装甲を粉砕。
飛散した金属片が紙吹雪のように宙を舞う。
カニ型械獣の全ての脚と腕が、雷に撃たれたかのように痙攣した。
「どラァッ、ガらアァア!!」
唯の必殺は一撃では終わらない。
獣のような叫び声を上げながら、ゼロ距離衝角突撃を繰り返す。
過激なロックミュージシャンのヘッドバンギングの如く、何度も、何度も、何度も。
頭をスイングする度、快楽物質が脳内に溢れ出した。
ハカイイコールキモチイイ。
暴虐の方程式に導かれ、痺れるような快感が肺腑を満たしてゆく。
「ウぉりゃアアアッ!!!!」
唯の執拗な攻撃によって、械獣の外殻にはいくつもの風穴が空いた。
穴は広がり、繋がり、やがて縦長い裂け目を作り出す。
その隙間から胴体内部が露出した。
甲羅の下に詰まっていたのは蟹味噌ではなく、メタリックな人工物であった。
大小様々な四角い物体と、ジャングルジムのように張り巡らされた銀色のケーブル。
それらの間を縫うように半透明の管が通っており、管の中には真っ青な液体が充填されていた。
まるで水冷用のパイプを埋め込まれたタワーPCの内部を覗いているよう。
そんな精密機器の詰まった械獣の体内に、鬼の角が容赦なく突っ込んだ。
破断した管から青い液体が洗剤のように泡立ちながら噴出する。
それが致命傷となったのか、カニ型械獣は前のめりに倒れこんだ。
姿勢制御を担当していたモジュールが壊れ、自重を支えることすらできなくなったのだろう。
地に伏したカニ型械獣はギブアップを申告するボクサーのように両腕と多関節脚をビクビクと震わせている。
「へへへ…………」
抵抗する術を失った獲物の上で、ゆらりと立ち上がる紅蓮の鬼。
焔模様の刻まれた黒き鎧は毒々しい色の湯気に包まれていた。
高熱を帯びた鬼の装甲に械獣の体液が付着し、蒸発して生じた湯気である。
「ふんッ!!」
唯は甲羅の割れ目に両手の指をかけると、ありったけの力を込めてこじ開けた。
分厚い装甲が飴細工のように変形する。
歪な入場門の奥を覗き込めば、千切れたケーブルの束の向こうで眩い光を放つ立方体が見えた。
械獣の心臓部、すなわち底なしのエネルギーを生成するコアユニットだ。
敵の急所を発見した瞬間、唯はあまりの興奮に笑いが抑えきれなかった。
「あはははははッ、頂きまぁす!!!!」
械獣の体内に両腕を伸ばし、輝く立方体を刺々しい鬼の手で鷲掴み。
そのまま無理やり引っこ抜く。
コアユニットと繫がったケーブル類がブチブチと千切れ、植物の根のように垂れ下がった。
外気に晒された立方体は心臓の鼓動のようにチカチカと明滅している。
周囲に漂う霧の粒子のおかげで、妖しげな光は幻想的な芸術へと昇華した。
「わあ綺麗…………と思ったけど、こんな汚いモノは要らないな」
手中の輝きを一瞥した唯は、立方体を乱雑に放り捨てた。
ボロボロに荒れたアスファルトの上を跳ね、黒く汚れるコアユニット。
その明滅が徐々に弱まっていく。
立方体の光量と同期するように、械獣の目のような器官も光を失う。
カニ型械獣は最期に弱々しく大鋏を開くと、そのまま動かなくなった。
派手な爆発は起きない。
ようやく解放された赤黒剣が、カランという乾いた音と共に転がった。