第82話 ファイト・クラブ II
敷城市北西部、雑居ビルが見下ろす交差点。
その一角にある公園にて、二体の鋼が対峙する。
片方は、赤黒の長剣を携える紅蓮の炎鬼。
もう片方は、攻めの大鋏と守りの大盾を携える異形。
八本の多関節足で公園の花壇を踏み荒らしながら、カニ型械獣が唯の方へと近づいてきた。
苔のような緑色の装甲に覆われた巨体が間近にそびえ立つ。
両者を隔てるものは、唯の腰の高さほどの生垣だけだ。
械獣の胴体上部から突き出した目のような器官が白く発光する。
あれが本当に視覚を司るデバイスならば、唯の足元で震えている少女のことも見えているだろう。
唯は大切な家族を庇うように、一歩前へと踏み出した。
うっすらと立ち込める霧の粒子が械獣の発した光でキラキラと輝き、第二ラウンドの火蓋が切って落とされる。
「はああぁッ!!」
先に動いたのは唯。
四角い生垣を飛び越え、雄たけびを上げながら械獣に向かって突撃する。
真正面から接近する唯に対し、カニ型械獣は右腕の大鋏を突き出した。
鋼鉄のギロチンが唯の体を真っ二つにすべく閉じられる。
唯は鋭い三日月に触れる直前で素早く腰を落とすと、大鋏の下をスライディングでくぐり抜けた。
流れるように立ち上がり、械獣の背中に長剣を突きつける。
「後ろはガラ空きなんじゃない?」
唯に背後を取られたカニ型械獣は慌てたように体を反転させ、左の大盾を構えた。
大柄な体躯に似合わぬ俊敏な動き。
唯が何も考えずに長剣を振り抜いていたら、その刃はあっさり受け止められていただろう。
だが唯は攻撃しなかった。
じりじりと後ろに下がりながら、挑発するように叫ぶ。
「私を捕まえてみなさい!」
腰の鞘に剣を収めた唯は、械獣に背を向けて走りだした。
カニ型械獣は一瞬戸惑ったように硬直したが、すぐに唯を追いかけてくる。
「(よし、そのまま私について来い)」
梓を守る。
そのために、唯はまず械獣と妹を引き離すことにした。
あの大鋏の狙いが万一にも妹へ向かぬよう、械獣のヘイトを全て自分に集めるのだ。
「こっちよ!」
ガシャガシャという多関節脚の騒音を背後に聞きつつ、唯は走った。
械獣が追撃を諦めぬよう、時折振り返っては剣を構える。
振り下ろされた大鋏をステップだけで回避し、剣を収めてまた逃走。
械獣が自分だけを狙っていることを確認しながら公園の出口へと駆ける。
足首を掬い上げるような大鋏の薙ぎ払いをジャンプで躱し、そのまま先ほどのトイレ棟の屋根に着地する。
闇雲に攻撃しても唯を捕らえられないと判断したのか、カニ型械獣はトイレ棟から数メートル離れた位置で停止した。
屋上と地上、両者の目線の高さがちょうど揃う。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
余裕そうな笑みを演じて煽る唯。
言葉の意味を理解したのかは不明だが、カニ型械獣は怒ったように両腕を掲げた。
敵の狙いは完全に唯へと一本化されたようだ。
「(さて、これだけ逃げる相手にどう対応してくる……?)」
唯は次なる攻撃に備えて械獣を観察する。
すると、大質量を支える多関節脚が一斉に縮んだ。
危険を察知したアームズが網膜プロジェクターに赤いマーカーを表示する。
予測された攻撃範囲は、唯の周り全部。
赤が視界を埋め尽くす。
直後、緑色の巨体が高々と跳躍した。
「(バッタですか!?)」
四階建ての雑居ビルの高さを軽々と超えるジャンプ力。
唯は首を痛めそうになりながら、太陽を覆い隠した巨影を見上げて唖然とする。
中型トラックほどの物体が脚の曲げ伸ばしだけで跳んだ、という光景に現実味がまるで感じられなかった。
だが驚いている暇は無い。
直径4メートルあまりの鉄塊が、唯のいるトイレ棟めがけて降ってきたのだ。
唯は水泳の飛び込みのように屋上から地上へダイブ。
そのすぐ後、轟音と共にトイレ棟がぺしゃんこに潰れて全壊した。
あと一秒判断が遅ければ、唯は巨体の下敷きになっていただろう。
「ヘビー級なのかライト級なのか、どっちかにしてよ!」
械獣の理不尽な機動力を目の当たりにして、思わず意味不明な愚痴を漏らす唯。
豪快なボディプレスを披露したカニ型械獣は瓦礫をかき分け、悠々と立ち上がってみせた。
着地の際、多関節脚にはとてつもない負荷が掛かったはずだが、八本の脚は一つも欠けることなく元気に蠢いている。
頑丈すぎる械獣の様子に辟易していると、インカムの向こうで見守る嶺華が声をかけてきた。
『唯さん! 大丈夫ですの?』
「平気! それより、械獣の動きで何か気付いたことはあります? 弱点とか!」
『マルルが今の動きを分析中ですわ』
『械獣は全身に展開した次元障壁によって内外の衝撃を緩和し、自壊を防ぎつつ高機動戦闘を可能としているようです』
『敵の次元障壁を一部でも引っぺがすことができれば、小癪な動きを封じられるかもしれませんわね』
「そのためにはやっぱり大盾の守りを越えるしかないか……っと、話はまた後で!」
械獣が再び突進してきたのを見て、唯は相談を打ち切って逃走を再開。
公園の敷地を飛び出し、片側二車線の広い車道へ出る。
カニ型械獣も唯のすぐ後ろから追いかけてくる。
両者は最初に会敵した交差点まで戻ってきた。
「ここまで誘導できれば十分か」
ひとまず械獣を公園から遠ざけることには成功。
もう妹を巻き込む心配はない。
背を向けて逃げるのは終わりだ。
「いくよ! 業炎怒鬼!!」
唯はその場で反転し、脚部装甲の爪先を路面に突き立てて急ブレーキをかける。
黒いアスファルトをザリザリと擦りながら減速する炎鬼。
カニ型械獣を正面に見据えた唯は、路面を蹴り壊すほどの勢いで一気に加速した。
走りながら剣を振り上げる。
視線も切っ先も、械獣の右腕に狙いを定める。
そう見えるように大げさな動きで。
対するカニ型械獣はスッと右腕を引き、代わりに左腕の大盾を突き出してくる。
先ほどから何度も目にした行動。
それ故に、予想も容易だった。
長剣を振り下ろすと見せかけて、ぐるんと時計回りに身をひねる唯。
そのまま360度回転しつつ、強烈な後ろ回し蹴りを放った。
いつか見た嶺華の技。
唯が惚れ込んだ龍姫の旋脚。
そんな唯の憧れに、炎鬼の装甲が応える。
「おりゃあッ!!」
横薙ぎの踵がカニ型械獣の左腕を弾き飛ばした。
巨体が大きく仰け反り、鉄壁の守りが崩れる。
「その腕貰った!」
唯は今度こそカニ型械獣の右腕、大鋏の付け根めがけて灼熱の長剣をねじ込んだ。
大鋏を落とすことができればカニ型械獣の攻撃力は激減する。
武器を無くした甲殻類など、茹でられるのを待つ食材と変わらない。
あとは相手の次元障壁が尽きるまで切り刻むだけだ。
しかし、そう易々と思い通りにならないのが械獣である。
「なッッ!?」
ゴキンという鈍い音と共に火花が散った。
手首から衝撃が伝わり、繰り出した長剣が静止する。
業炎怒鬼の刃は、一対の三日月に囚われてしまった。
敵ながら見事な白刃取り。
大鋏の内側にある歯のような凹凸が、赤黒剣の刀身をがっちりと咥えて離さない。
「このッ……外れろ……!」
唯は柄を握る手のひらに力を込め、長剣を無理やり引き抜こうとした。
腰を低くして両足で踏ん張ると、背部装甲から悲鳴のような甲高い吸気音が響く。
だがアームズの膂力をもってしても、万力のように締め付ける大鋏はびくともしない。
綱引きのような格好で硬直する唯。
そこへ、弾いた左腕が戻ってきた。
カニ型械獣は大盾を鈍器のように振り回し、唯の側面を殴りつけようとする。
唯は長剣の柄を握ったまま、右足を真横に伸ばして中段蹴り。
大盾の殴打を足の裏で受け止める。
剣を離さなかったのはいいが、片足立ちの不安定な姿勢になってしまう。
唯の力が緩んだ隙に、カニ型械獣は長剣を挟んだままの右腕を持ち上げた。
当然、長剣の柄を握る唯も一緒に釣り上げられてしまう。
「うわわッ!!」
じたばたと動かした足が虚しく空を切る。
踏ん張る地面がなければ、もう剣を引くことはできない。
カニ型械獣は勝ち誇ったかのように右腕を高々と掲げる。
腕だけ見れば、まるでアームを可動域限界まで伸ばしたショベルカーのようだ。
唯の体は地上から4メートル以上、械獣の胴体よりも高い所で宙吊りとなった。
鬼の装甲の全質量がぶら下がっているというのに、長剣は全く抜ける気配がない。
「くッ……」
カニ型械獣の左腕が引き絞られ、無防備な唯を再び狙う。
このままでは剣を取り戻すことはできず、大盾による殴打を避けることもできない。
ならばと唯は、短く息を吐いてから覚悟を決める。
「私の武器が剣だけだと思った?」
そう言うと、赤黒剣の柄から手を離した。