第81話 ファイト・クラブ I
地上に飛び出した唯は、長剣を抜き放ちながら自分の立っている場所を確認した。
片側二車線道路の交差点。
一角には四階建ての雑居ビルが立ち、信号機を挟んだ対角の敷地は公園になっている。
その風景が肉眼で見えているということは、この辺りは霧の支配が及んでいないということ。
雪山で吹雪が弱まったかのように、建物や木々の輪郭が一通り視認できた。
交差点から数百メートル離れた先は相変わらず真っ白な壁に覆われており、霧が薄くなっているのは唯のいる交差点の付近だけだと分かる。
先ほどまでひんやりとした空気に包まれていたからか、空で輝く太陽の光はいつも以上に暖かく感じられた。
だが日向ぼっこに興じる暇は無い。
人の気配が消えた街に木霊する、重機が走行するような音。
ビルの合間から巨体が顔を出した。
「こいつが、AMF隊員たちを襲った犯人……!」
メタリックで緑がかった体表。
大岩のように聳える胴体。
その高さはおよそ4メートル。
見るからに重そうな体躯を支えるのは、八本の多関節脚。
ガシャガシャと騒音を撒き散らしながら蠢く脚は一本一本が太く、巨体を生き物のように滑らかに運ぶ。
胴体上部から生えた二つのロリポップキャンディーのような部分は目なのだろうか、先端の球体が探照灯のように明るく光っている。
そして何より目を引くのは、左右非対称の腕だ。
右手側は、地下道を裁断した鋭い大鋏。
左手側は、岩壁のように分厚い大盾。
全身を一言で表すならば「カニ」であった。
川辺の岩場とかにいそうなカニの姿そのものである。
まあ地球上のどこを探しても、中型トラックより大きなカニなど存在しないが。
『大鋏の形状を分析。道中にあった遺体の損壊状況から、AMF部隊壊滅の直接的な要因はこの械獣であると断定できます』
『コード付きが連れてきた械獣に違いありませんわね』
「さっきのコード付きが司令役なら、こっちは実行犯ってとこか」
霧に潜む敵は一体ではなかった。
デリートの時と同じく、コード付きは械獣を使役することができるらしい。
人を切り刻むことに特化した異形が、人が営んできた街を闊歩している。
『唯さん、やりますの?』
「うん。隊員の仇討ちだなんて思わないけど、こんな化け蟹を放置する訳にはいかないでしょ」
『分かりましたわ。ならば業炎怒鬼の力、見せつけておやりなさい!』
「今度は立体映像じゃなくて実体があるみたいだし、一気に片付ける!」
嶺華の檄に大きく頷いた唯は、長剣を振りかぶりつつ腰を落とした。
炎鬼のアームズは暴れる時を待っていたと言わんばかりに、背部装甲から轟く吸気音のボルテージを上げる。
生物じみた容姿には驚いたが、唯は恐怖など感じていなかった。
ただ図体がでかいだけの械獣であれば、業炎怒鬼の敵ではない。
脳をチリチリと誘惑する破壊衝動に導かれ、唯は迷わずトリガーボタンを押し込んだ。
『プロミネンスラッシュ』
斜め45度に振り下ろした長剣から、爆炎の弧が放たれる。
対するカニ型械獣は左腕を体の前に突き出した。
炎はそのまま大盾に直撃し、白煙の華を咲かせる。
敵の体表に展開された次元障壁が紅蓮の一撃を弾いたようだ。
無論、唯は飛び道具だけで械獣を粉砕できるとは思っていない。
カニ型械獣が左手を突き出した時には既に、斬撃の後を追って走り出していた。
「はぁッッ!!」
飛ぶ斬撃はあくまで牽制打。
唯は白煙を吹き飛ばしながら力まかせに赤黒剣を薙ぎ払う。
濃密な次元障壁を帯びた刃を押し付けてやれば、械獣の次元障壁ごと大盾を叩き斬れるはずだ。
ところが。
「硬い!?」
手首から伝わる予想外の反発力。
長剣の動きがビタリと止まる。
前傾姿勢で腕にありったけの力を注ぎ込んでも、刃はそれ以上前に進まなかった。
堪らず剣を引き戻す唯。
すると唯の視界の中に、赤い四角形のマーカーが表示された。
網膜プロジェクターに映る業炎怒鬼の攻撃予測だ。
唯は咄嗟に械獣の大盾を蹴って後ろに跳んだ。
コンマ一秒後、真横から右腕の大鋏が現れる。
鋭く尖った一対の三日月が唯の眼前でガチンと閉じた。
「ひぃぇッ、危なッ!!」
ひるんだ唯に向かって、今度はカニ型械獣の方から接近してくる。
唯の頭をかち割らんと振り下ろされる大鋏。
体を捻って躱す唯だったが、械獣の攻撃はこれで終わらない。
右腕を振り上げ、また振り下ろし、突き出し、鋏を閉じる。
八本の多関節脚を小刻みに動かしながら、ボクシングのジャブのように素早い連続攻撃を繰り出すカニ型械獣。
ブンブンという風切り音が鼓膜をビリビリと震わせる。
反撃の隙は無く、唯は回避に専念するしかない。
「パワータイプなのにすばしっこい……!」
分厚いコンクリートを簡単に噛み砕いた大鋏が迫る度、お腹の奥がキュッと締めつけられるような感覚が襲う。
業炎怒鬼の次元障壁であれば、大鋏に挟まれてもある程度は耐えられるかもしれない。
しかし、アームズが無事でも唯本人の体が押し潰されてしまう可能性はある。
鋏の内側に並んだ歯のような突起を見て、試しに挟まれてみる勇気は出なかった。
あの鋏に捕まることだけは絶対に避けるべきだと思う。
後ろ向きに走りながら逃げていると、背中に硬い衝撃があった。
ぶつかったのはビルの外壁。
気づけば壁際まで追い詰められていた。
「くッ……」
それ以上後ろに下がれない唯に向かって、カニ型械獣の右腕が突き出される。
鋭いギロチンが首を刎ねる直前、唯はわざと地面に尻もちをついてこれを回避。
標的を逃した大鋏は壁際に設置してあった飲料の自動販売機を乱暴に挟んだ。
甲高い音と共に金属製の自動販売機が圧搾され、上下に引きちぎられる。
コーラやサイダーといった炭酸飲料の容器が一斉に破裂し、色とりどりの液体が噴出した。
道中で倒れていたAMF隊員たちも、あんなふうに体中から色んなモノを撒き散らしながら大鋏の餌食になったのだろうか。
痛みを感じる余裕があったかは定かでないが、おぞましい最期を想像しただけでゾッとする。
もしかしたら、梓もあんな風に。
「ッ! 喰らえ!!」
唯は嫌な想像を振り払うように、長剣を振り回しながら立ち上がる。
しかし、カニ型械獣は素早く反応。
巨体とは思えないほどの速度で左腕を引き寄せる。
械獣の胴体を狙ったはずの太刀筋は、またしても大盾に阻まれてしまった。
火花と共に弾かれる刀身。
手放しそうになった長剣の柄を握り留めつつ、唯は大鋏の間合いから転がるように離脱した。
炎鬼の力で圧倒するはずが、逆にこちらが圧倒されている。
唯の頭はその事実をすぐに理解できず、敵を前にして呆けてしまう。
『唯さん! 一旦距離を取るのですわ!』
「り、了解!」
耳元で叫ぶ嶺華の声にハッとした唯は、械獣に背を向けて走り出した。
戦いずらいビル側面から離れ、交差点の方へ。
カニ型械獣は発光する目のような器官を唯に向けたものの、すぐに追ってくることはしなかった。
その隙に横断歩道を渡りきった唯は、そのまま交差点の反対側にある公園へと駆け込んだ。
花壇や生け垣が小綺麗に整備されたその公園は遮蔽物が多い。
唯は戦場を見下ろせる場所を探し、傍にあった公衆トイレの屋根にジャンプで登った。
乱れた呼吸を整えつつ、マイクに混乱をぶちまける。
「嶺華さん! 何ですかあの装甲!? なんで斬れないの!?」
『業炎怒鬼の剣でも貫通できない盾……ただの次元障壁ではないようですわね』
「じゃあ一体どうすれば……!」
『落ち着いてくださいまし。敵の動きを観察し、攻撃を通す策を練るのですわ』
嶺華の冷静な声を聞き、いくらか動揺の収まった唯はカニ型械獣の挙動にじっと目を凝らした。
械獣は左右非対称の腕を威嚇の如く掲げながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
見れば見るほど、地球に生息するカニそっくりだ。
八本の脚に加えて二本の巨大な腕はもちろん、平べったい甲羅に、その胴体からアンテナのように突き出した二つの目。
スケール感は違うが、体を構成するパーツはいずれも唯のよく知るカニそのものである。
械獣を送り込んでいるのはバラル連邦とかいう地球外生命体の大国? らしいが、彼らの星にも全く同じ見た目の生物がいるというのか。
いや、偶然にしては出来すぎている。
地球の生物を模倣したと考えるのが自然だろう。
今まで戦ってきたクマやカマキリ、カラスのような外見の械獣たちも同様。
何が狙いかは不明だが、わざわざ攻撃先の星の生物を模倣した兵器を作って破壊活動を行うなど、悪趣味極まりない。
「重そうな図体なのに盾が出てくるスピードが速すぎる。こっちの攻撃は全部盾に合わせられちゃう」
『業炎怒鬼と同じような攻撃予測機能が搭載されているのかもしれませんわね』
『攻撃が通らない理由は不明ですが、盾以外の部分を狙うことを推奨します』
「それができれば苦労しないんだけど…………ん?」
マルルに追加の分析を依頼しようとした時、唯は視界の端に妙なものが映っていることに気づいた。
公園の敷地内、四角く剪定された緑の生け垣。
道路から死角となったその陰に、無造作に転がる藍色の鉄塊。
否、それはただの鉄塊などではなく、人の形に整えられた鎧だった。
「まさか…………!?」
唯はトイレ棟の屋根から飛び降り、微動だにしない鎧のもとへと駆け寄った。
その藍色の鎧にはやはり見覚えがある、それもすごく最近。
直接刃を交えたのだから、忘れるはずがない。
「梓ぁッッッ!!」
うつ伏せに倒れていた少女は、やはり愛する妹であった。
首筋のあたりを覗き込み、アームズの非接触センサーで呼吸と脈拍を確認する。
網膜プロジェクターにはオレンジ色のフォントで体温が表示された。
「(良かった、息はある!!)」
幸いなことに、体は冷たくなっていなかった。
鎧を軽く持ち上げ、呼吸しやすいよう横向きの体勢にしてから肩を叩く。
すると梓はゆっくりと目を開けた。
「ぅ…………」
「梓! 私が分かる?」
唯の呼びかけに対し、妹は弱々しく唇を動かした。
「ぁ……おねえ、ちゃん………………わたし…………げほッ! げほッ!」
何か言おうとした途端、口から真っ赤な血の塊を吐き出す梓。
かなりのダメージを受けているようだ。
「梓!? しっかりして!」
話を聞く前に、止血が最優先だ。
唯は妹の体をなるべく動かさないよう注意しながら、外傷の位置を探った。
だが、今吐き出したもの以外に流血の痕は無い。
械獣との戦いで傷を負ったのかと思ったが、彼女の体は綺麗なまま。
ついでに鎧にも目立った汚れは付着していなかった。
「わたしは、大丈夫。ちょっと薬が切れただけ……」
「薬って、この前ボリボリ食べてたやつ?」
梓と戦った時のことを思い出す。
怪しげな白い錠剤を服用した直後、彼女は戦闘能力を飛躍的に上昇させていた。
あの力は一時的なものだったはずだが、カニ型械獣と交戦した時にも服用したのだろうか。
「それよりも…………ううっ、ごめんなさい…………」
梓は瞳に涙を浮かべながら声を絞り出した。
「わたし、装者になったのに……お姉ちゃんみたいに戦えなかった……わたしのせいで、みんなは…………」
「他の隊員はどうしたの? 一緒に偵察任務に就いていたのよね?」
「みんな殺されちゃった……………………わたしが、逃げたから」
梓が無傷のアームズを纏っている理由に合点がいく。
彼女の部隊がカニ型械獣に襲撃された時、非力な新米装者は白い錠剤に縋るしかなかった。
しかし、薬によって得られた疾風の力を、彼女は逃亡のために使ってしまった。
共に霧の中へ踏み込んだ同僚たちを見捨てて、梓は一人でこの公園に隠れていたのだ。
「梓…………」
唯は仕方ないと思った。
カニ型械獣の得物は、リーチと俊敏性を兼ね備えた大鋏と、業炎怒鬼の刃ですら弾き返す堅牢な大盾。
リーチが短く、単発攻撃力の低い双剣使いの梓にとって相性は最悪である。
勝ち目の無い戦から逃げた梓を、責めることはできなかった。
「ごめんなさい…………わたし、アームズがあればお姉ちゃんに追いつけると思ったのに…………ごめんなさい…………」
「…………分かった。よく頑張ったね、梓」
涙声で懺悔する妹の頭を優しく撫でてやる。
彼女が無事で良かったとか、母艦に連れ帰りたいとか、その瞬間だけで唯の胸中では様々な感情が渦巻いていた。
だが姉妹の絆を確かめ合う前に、邪魔者を排除しなければならない。
唯の背後からメキメキという音が聞こえた。
カニ型械獣が道路沿いの街路樹を薙ぎ倒し、公園の敷地内に入ってきた音だ。
「あとはお姉ちゃんに任せなさい」
立ち上がり、振り返る唯。
迫りくる巨体に向けて、赤黒剣の切っ先を突きつける。
「こいつは、私が倒す」
炎鬼の布告には、霧を焦がすような怒気が籠もっていた。