第79話 観測不能地帯 IV
深い霧の中、怪しげに浮かぶ黒い人影。
その正体は人語を操るほど高い知能を持つ『コード付き』。
不気味な輪郭だけの存在に向かって、唯は毅然とした態度で話しかけた。
「おほん。あなたに話があります」
「…………フム?」
「あなたは何者? ここで何をしてるの? この辺で人間を殺したのはあなたの仕業? あなたたちの目的は何?」
矢継ぎ早に質問を投げつける唯。
もちろん真剣に答えてもらう気は無い。
唯の喧嘩腰な物言いに対して、コード付きはおどけたチャラ男のように笑った。
「オイオイ、イッペンに聞くなよ。コッチはオマエらの低レベルな言語に合わせてやってルんだゼ」
「いいから早く答えて!」
「偉そうな奴ダ。拒否したらどうナル」
「あなたの身の安全は保証できない」
「ホウ? オレに勝てると思ってるのカ?」
「どうかな。やってみないと分からないんじゃない?」
唯はニヤリと唇を歪めながら、左手でクイクイと手招きした。
安っぽい挑発。
内心逃げ出したい気持ちで一杯だが、恐怖を表情に出さぬよう堪えた。
「フッフッフ、えらく野蛮な個体だなァ」
すると、今までその場でゆらめくだけだった黒い影に、動きがあった。
こちらに向かって一歩踏み込んだのだ。
「(乗ってきた!)」
黒い影が一歩、また一歩と近づいてくる。
唯との距離が縮まる。
間近で見ても尚、ぼやけた人型の輪郭は曖昧なままだった。
顔がついているのかも分からない影絵のような塊が、ゆっくりと唯のもとへ歩いてくる。
「(今だ)」
目測2メートル。
黒い影が長剣の間合いに入った瞬間、唯は手首に力を込めた。
「せやぁッ!!」
ほぼ予備動作無しの、瞬発力特化の一撃。
破壊に飢えた赤黒剣の刃を押し付ける。
姿勢を低くして踏み込みながら、上半身をひねって剣を振り抜く。
敵の体表を深々と抉らんとする初撃だった。
黒い影は回避することもガードすることもせず、ただ無防備に刃の直撃を受け入れる。
長剣の太刀筋は唯の意図した通りに人影へと食い込んだ。
だがしかし。
唯の手には、敵を斬った手応えがまるで無かった。
「なッ!?」
虚空を突き抜ける長剣。
不意打ちに近い攻撃だったのに、目標は既に剣の間合いから消えている。
驚きつつもすぐさま剣を構え直す唯。
顔を上げると、黒い影は唯の前方3メートルほどの位置に佇んでいた。
剣がヒットする瞬間に飛び下がったとでもいうのか。
「だったら、これはどう?」
唯は網膜プロジェクター越しに敵影を睨みつつ、視線操作でアームズに指示を送る。
コマンドが受け付けられたと同時、背部装甲の吸気音が急激に大きくなる。
長剣の切っ先を頭上に掲げた後、柄のトリガーを押し込みながら一気に振り下ろす。
『プロミネンスラッシュ』
剣筋に沿って噴出する爆炎。
垂直な斬撃の柱が前方へと飛翔する。
駆け抜ける炎は進路上の霧を吹き飛ばし、一直線に視界が開けた。
まるでおとぎ話の英雄が海を割ったかのように、霧の壁が谷を作る。
爆炎の直撃を受けた人影は跡形もなく掻き消えた。
路面にはブレーキ跡のような焦げ目が伸びており、炎の威力を物語っている。
しかし、その攻撃が当たった時に発せられるはずの音や光は確認できなかった。
「また避けられた……?」
首を傾げつつ、再び剣を振り上げる唯。
すると背後から、
「面白い技だナ」
「ッ!」
不快な合成音声を囁かれ、全身の毛が逆立った。
唯は反射的に体を180度回転させる。
『プロミネンスラッシュ』
トリガーを押し込みながらの薙ぎ払い。
今度は扇状に広がる爆炎を放った。
超至近距離にいたコード付きには回避不可能。
炎の斬撃が黒い影を上下真っ二つに引き裂いたのを、この目ではっきりと確認した。
なのに、剣から伝わる抵抗はゼロ。
人影は煙のように霧散し、その場には破片一つ残らない。
「どこへ行った……」
「……野蛮なのに加えテ、頭が回らないんだナァ」
「そこか!!」
唯は辺りを見回し、霧の中に再度浮かび上がる影を見つけた瞬間、今度は直接駆け寄った。
走りながら赤黒剣を力一杯振り抜く。
が、やはり全く手応えがない。
空振りの勢い余ってバランスを崩し、転びそうになるのをなんとか踏みとどまる。
「学習能力の無い奴ダ」
肩で息をする唯を嘲笑うかのように、くぐもった合成音声がどこからともなく聞こえてくる。
爆炎で吹き飛ばした霧の壁は瞬く間に復活し、唯は再び白き牢獄に閉じ込められた。
『もしかすると、敵の実体はこの場には存在しないのかもしれませんわ』
「それってつまり、あれは幻? いや、立体映像か何か?」
「ゴ名答。偽りの影に立ち向カウ勇姿、実に滑稽ダったゼ」
嶺華との会話が聞こえていたのか、コード付きは小馬鹿にしたように種明かし。
いつの間にか唯の真正面に、こちらを見下ろす人影が浮かんでいた。
背景は白い壁のみなので分かりにくいが、その体は確かにうっすらと透けている。
「この卑怯者! 私と戦う気なら、直接来なさいよ!」
「何故わざわざ本体ヲ晒ス必要がアル? ジャミングウェーブで制圧デキないオマエの前に立ツなんテ、リスクが高イだろウ。先任者の二の舞イはゴ免だゼ」
「どうしてそのことを知って……?」
「我々は一にシテ全。先任者たちの失敗データは全テ共有済なのサ」
業炎怒鬼にコアパルスジャマーキャンセラーが搭載されていることも、そのおかげでデリートを倒せたことも、最初からバレていた。
ならば警戒されるのは当然だ。
コード付きの言っていることは至極真っ当である。
唯は足音も気配もない、ただの虚像に踊らされていた。
無駄に体力と気力を消耗しただけと気づいた唯は、苛立ちを募らせながら息を吐く。
「じゃああんたは何しに来たのよ。こんな手の込んだ立体映像まで用意して、私をからかいたかったの?」
「今日ハただの挨拶サ。デリートを破壊した人間がドンナ奴か興味が湧いてナ。オマエのおかげで良いデータが取れタ」
「(くっ、それが目的か)」
効かないと分かっているコアパルスジャマーを浴びせたのも、容易に回避できる投げ槍で攻撃してきたのも、業炎怒鬼の実力を確認するための実験だったのだろう。
まんまと敵の思惑通りに動いてしまい、唯は悔しさに唇を噛む。
「ダガもう十分ダ。脅威と認定するホドじゃねェな」
「用が済んだらとっとと失せて」
「そうしヨウ。他にも活きノいい奴がイルようダしナ」
「(ッ! まさか……)」
心臓がドキリと跳ねた。
霧に覆われた街の中、唯以外でコード付きが関心を向けるターゲットなど決まっている。
「(梓が危ない……!)」
コアパルスジャマーまで持ち出されては、何の耐性もない梓のアームズは赤子の手をひねるように無力化されてしまうだろう。
鎧を剥ぎ取られた梓を、コード付きは生かしたままにしてくれるのだろうか。
物言わぬ肉塊と化したAMF隊員の姿がその答えだ。
「待て! 戦うなら私とッ!」
叫べども、虚像を引き止めることはできない。
黒い影はその色を薄めながら、唯から遠ざかっていく。
「フフフ、最後にオレから、一つ助言ヲしてやろう」
影の色が完全な白と同化する寸前、コード付きはやけに人間臭い言い回しで告げた。
「人間は失敗を共有することもできず、後悔だけが得意な生き物ダ。
オマエも後悔したくなきゃ、せいぜいあがいてみることダナ」
そう言い残し、人影は霧と混じり合うように溶け消えた。