第7話 女医
ベッドというのは、人間が心身を癒やす場所だ。
暖かい布団の中で眠れば体は修復され、心も休まる。
しかし全てのベッドがそうとは限らない。
シーツ、枕、毛布、おまけに壁も天井も真っ白な病室では、全然リラックスする気分になれなかった。
AMF関東第三支部、医療班エリア。
ドルゲドスの襲撃で重傷を負った唯はAMFに回収された後、直ちに緊急手術を施されていた。
幸いにも手術は無事に成功し、こうして病室のベッドに寝かされている。
「久しぶりに来たな、ここ」
装者に成りたての頃はよくヘマをやらかし、医療班の世話になったものだ。
最近は械獣を無傷で倒せることが多かったのだが、まさかあんな格上械獣が出てくるとは。
未だに自分が生きていることが信じられない。
窮地を救ってくれたのは、突如現れた龍の少女。
「嶺華さん、かっこよかったなぁ」
唯が命の恩人に想いを馳せていると、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
「お姉ちゃん! 大丈夫!???」
病室のスライド式扉が勢いよく開かれた。
ドアに肩をぶつけるのも厭わず突っ込んでくる人影。
「怪我は!? 腕とか足とか繋がってる!!?? 私の臓器移植する!?????」
「お、落ち着きなさい」
唯の体をぺたぺたと触ってくるのは、愛する妹・梓だ。
学校が終わってから直行してきたのか、その格好は制服のままだった。
「落ち着いてなんていられないよ! どどどどこがまずいの???」
「大丈夫、大丈夫だから」
気が動転しっぱなしの梓の頭を撫でてやる。
どっちが病人なのか分からないが、妹を安心させるのが姉の努めだ。
「ほ、本当に大丈夫??」
尚も心配そうに見つめてくる梓。
「うん、痛みはもう引いてるから」
実際、歯を食いしばらないと耐えられないような痛みは無くなっていた。
唯が寝っ転がっているのは、手術で消耗した体力を回復させるためだ。
「良かった……!」
ようやく一息ついた梓が抱きついてくる。
「痛っ」
「あ! ごめん!」
「ちょっと、こっちは怪我人なんですけど……」
流石にダイレクトハグは痛かった。
「だってお姉ちゃん大丈夫って言ったじゃん」
「あ、そうね」
「妹の前だからって強がっちゃだめだよ」
「はいはい、ごめんなさい……ってなんで私が謝ってるの!?」
「ふふふ……ちょっとは元気でた?」
「もう、……ふふ」
顔を見合わせて笑う二人。
無機質だった病室が、少しだけ温かく感じられた。
唯はいつも梓の笑顔に助けられている。
ちょっと落ち着きがないのが心配だけど。
「二人共、病室ではお静かに」
姉妹水入らずスキンシップの最中、病室の入り口から白衣の女性が入ってきた。
「美鈴さん!」
彼女の名は陣内美鈴。
AMFの補佐官だ。司令の次に偉い立場である。
「唯ちゃん、もう痛みは引いた?」
「はい! うまく治療してもらったおかげです」
美鈴は直接メスを握る訳では無いが、隊員たちの体調をこまめに把握している。
故に、AMF内ではかなり慕われている存在だ。
かくいう唯も美鈴には頭が上がらない。
「美鈴さん! お姉ちゃんは大した怪我じゃなかったんですか?」
「命に別状は無いわ。ちょっと内臓が傷ついたのと、肋骨にヒビが入ったくらいよ」
「ええ!? 全然大丈夫じゃないじゃないですか!! 安静にしてないと!!」
素っ頓狂な声を上げた梓は、唯をベッドに組み伏せた。
病み上がりの唯に抵抗する力はなく、大人しくベッドに張り付くしかない。
「いい、お姉ちゃん。絶対安静だからね!」
「だからもう治してもらったんだって」
「その通り、もう大丈夫よ。臓器の傷は綺麗に縫合したし、骨の損傷は塞いだもの。明日の朝には退院していいわよ」
AMF医療班は、その名の通り負傷した隊員の治療にあたるチームだ。
そんじょそこらの大病院よりも充実した医療設備と医師を抱えている。
骨折程度の傷なら、2泊3日で完治できてしまうのだ。
「私は大丈夫だから。心配かけてごめん」
「そ、そう……?」
心配性の梓はようやく手を離してくれた。
「それより梓ちゃん、予備隊に臨時任務の招集かかってたわよ」
「あ! そうだった! 集合時間は……17時!? あと3分しかない!」
携帯端末の表示を確認した梓は、顔を青くした。
「遅刻は成績に響くわよ~」
「今すぐ行きますスグ行きます! じゃあ、お姉ちゃんまた明日ね! 帰ったら退院パーティーしようね!!」
梓は踵を返し、全力疾走で病室を飛び出していった。
それにしても落ち着きがなさすぎる。
「お姉ちゃんは梓が心配だよ……」
嵐が去った病室には、唯と美鈴が残される。
「さて、私が来たのは回診だけが目的じゃないわ」
美鈴は病室のパイプ椅子に腰掛け、足を組んだ。
タイトスカートから覗く長い脚。
黒いストッキングに包まれた美脚は、白衣にそぐわない色気を醸し出している。
「昨日の件ですよね。もしかして、予備隊もその調査?」
「ええ。予備隊には謎の装者の遺留物が無いかを探してもらってるわ」
梓が所属するAMF予備隊は、新米隊員を中心とする後衛組織だ。
彼女たちの任務は械獣の痕跡調査、戦闘後の残骸回収、補給物資の運搬などなど、地味な仕事が多い。
「突如現れた謎の装者。彼女は一体何者なのか、どこの組織の所属なのか……我々は何も知らない状況よ」
「所属って、あんな強力なアームズ、AMF以外ありえなくないですか?」
アームズの運用は誰でもできるわけではない。
装者の育成やアームズの整備には、とにかく凄まじいコストと技術と人員が必要になる。
連邦政府が世界中のリソースをかき集めて結成したAMFの他に、アームズを最前線で運用できる組織など聞いたことがない。
「それがAMFの装者じゃないらしいのよ。本部に問い合わせてみたけど、あんな装者は登録されてないって」
「開発元のゼネラルエレクトロニクス社は?」
「もちろん問い合わせたわ。けど、機体も装者も心当たりは無いそうよ」
「アームズの総本山でも知らない機体ですか……」
「そもそも、あの装者が人間かどうかどうかも疑わしいわね」
美鈴はタブレット端末を取り出すと、動画を再生して見せた。
映し出されたのは昨日の戦闘。
黒銀の装甲を纏った少女が、重力に囚われない高速機動で械獣を圧倒している。
「うーん、こうして見ると人間離れしてますね」
「司令室の中では、『カミナリ械獣』の正体じゃないかって話が最有力だわ」
「『カミナリ械獣』? 確かに雷っぽい攻撃をしてましたけど……」
「というか唯ちゃん、一番近くで目撃したのは貴方なんだから。何か覚えてることはない?」
昨日出会った少女のことを思い出す唯。
人形のように整った美貌。美しく輝く黄金色の長髪。
凛とした佇まいや気品に溢れる言葉遣い。
倒れる唯に手を差し伸べてくれた時、唯は心奪われそうになった。
いや、もう奪われているのかもしれない。
「嶺華さん……もう一度お会いしたいなぁ」
「『嶺華』? 謎の装者がそう名乗ったの?」
眉をひそめる美鈴。
そういえば、名前を知っているのは唯だけだ。
「戦闘の後、話しかけてくれたんです。普通に日本語喋ってましたし、人間じゃないってことはないと思いますけど」
「それは重要な情報だわ。名前以外には何を話したの?」
美鈴はタブレット端末の仮想キーボードを叩き、唯の言葉をメモし始めた。
その勤勉さに応えようと必死に頭を巡らせる唯だったが、所属とかそういった話の記憶は無い。
「子供を助けてくれて、それで……すぐいなくなっちゃったんです」
名前以外、身元特定に役立ちそうな情報は話していなかったはずだ。
「それだけだと何も分からないわね……」
美鈴は有益な情報が得られず、少しがっかりした様子だった。
「すみません、あの時は必死で……もう一言、二言話せたらよかったんですけど、余裕なかったです。はい」
「ま、病み上がりの唯ちゃんをあんまり問い詰めても仕方ないわね。今日はゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます」
美鈴はタブレット端末を仕舞い、パイプ椅子を折りたたむ。
今日の事情聴取はここまでらしい。
「今度彼女に会ったら、色々聞いておいたちょうだいね」
そう言うと美鈴は病室から出ていった。
再び一人になり、病室に静けさが戻る。
「今度会ったら、か…………」
枕に頭を預けた唯は、もう一度嶺華のことを思い返してみる。
電光石火の如く戦場を駆け抜ける龍。
彼女が再び現れるとしたら、やはり械獣と戦っている最中だろうか。
もっと言えば、唯が械獣に負けそうになった時。
「私が死にそうになったら、嶺華さん来てくれるのかな?」
治療を受けた胸に手を当てる。
死にかけるのはもう御免だが、二度と会えないのは嫌だ。
そうは言っても、わざと械獣に負けて嶺華を待つのはいくらなんでも無謀か。
「やっぱりもう一度嶺華さんに会いたい…………あー、せめて連絡先くらい聞くんだったなー」
後悔の涙を流す唯は、毛布を頭まで被った。
ポジティブなことを考えよう。
もしも次会えたなら、何を聞いてみようか。
「住んでるところ? 普段何食べてるの? ご趣味はなんですか?……いやいや、それはお見合いか」
しばらく毛布の中で悶えていた唯だったが、変な妄想以外は浮かんでこなかった。
疲労が蓄積した肉体が眠気を訴えてくる。
美鈴の言う通り、今日はさっさと休んだほうがいいだろう。
唯は諦めて力を抜くと、すぐさま深い眠りに落ちていった。