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鎧装イリスアームズ ~超次元に咲く百合~  作者: 秋星ヒカル
第二章 愛憎螺旋 編 
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第75話 不穏なる霞


「状況を聞かせてくださいまし」


 嶺華が指示すると、センタールームの上部から白い板がふわりと降りてきた。

 前にも見た、汎用的な映像投影装置である。

 糸で吊っている訳でもなく、空中を無音で漂うモニターはどういう原理で動いているのかさっぱり分からない。

 唯は質問が口から出そうになるのを抑え込み、マルルの報告に耳を傾ける。

 白い板には、上空から俯瞰するような視点の映像が鮮明な解像度で表示された。


『本艦の偵察機が撮影している敷城市北西部の様子です』


 嶺華と肩を寄せ合い、モニターに映る景色に目を凝らす。

 異変はすぐに分かった。

 

 家々を敷き詰めた街並みのうち、ある特定の区域だけが、真っ白な塊に覆われている。

 まるで巨大な綿あめを地上に落としたかのようだ。

 白色があまりに濃すぎて、中の建物の輪郭すら確認できない。


「雲が映り込んでるって訳じゃなさそうですね」

『敷城市内は快晴です。偵察機が飛行する高度600メートル付近までに、雲の発生は確認されていません』

「ではあの白い部分が全部『霧』なんですの?」

『はい。当該区域では地上から50メートルほどの高さまで霧が充満しています』


 6階建てのビルが丸々隠れてしまうほどの分厚い壁。

 不可解なのは、その発生範囲の内と外が明確に分かたれていることだ。

 霧が発生していない区域との境目はケーキの断面のようにスッパリと途切れている。

 気象学に疎い唯の目から見ても、単なる自然現象でないことは明らかだった。


「一体いつから出てるんだろう」

『正確な発現日は不明ですが、最初に霧が確認されたのは5日前です。

 その時は半径3キロメートル程度の範囲だったようですが、時間経過と共に拡大。半径10キロメートルを超えた現在も徐々に範囲を広げています』


 このまま霧の陣地が広がり続けるとしたら、街全体が呑み込まれるのもそう遠くないだろう。


「昼夜をまたいでも消えず、成長し続ける霧……械獣の仕業に違いありませんわ」

「というか、AMFも事態は把握してるんですよね?」

『はい。彼らは既に調査を開始しています』

「完全に出遅れてるじゃないですか」


 街の異常事態を1週間近くも放置していたことを知り、焦燥感に駆られる唯。


 AMFもマリザヴェールも、械獣が出現すれば直ちにアラートを上げられるよう、24時間態勢で観測設備を稼働させている。

 だが技術レベルは雲泥の差だ。

 AMFの空裂レーダーの場合、監視するのは街のあちこちに配置した気圧計の数値などである。

 空裂発生時特有の数値のゆらぎを検知できるものの、それはあくまで械獣出現に伴う間接的な事象だ。

 一方マリザヴェールの場合、コアユニットの波動そのものを直接捉えることができる。

 かつてのデリートのように、AMFの観測設備には反応しない敵であっても、マリザヴェールならば検知できた例もある。

 械獣発見がAMFよりも遅れるはずがない。


「あの霧が械獣のせいなら、5日前の時点で分かりそうなものですけど……」

「マルルが今まで気づかなかったのは、械獣のコアユニット反応が無かったからではなくて?」

『マスターの仰る通りです。本艦に備わる観測設備はいずれも平常時と変わらないステータスを示しています。偵察機のセンサー類の数値も同様で、械獣の反応は一切検知されていません。より正確に言えば、霧の中だけが観測不能となっています」

「マリザヴェールの設備で観測できないのであれば、やはり」

『バラルの技術を用いたジャミングが展開されている可能性は極めて高いと言えます』


 オーバーテクノロジーまみれの超次元母艦を欺く技術。

 それを持つのは同じくオーバーテクノロジーを振りかざす者だけだ。


「とにかく械獣が出てるんでしょ? だったら私が行って倒してきます」


 唯は買い物に行くような軽いノリで呟くと、センタールームの壁際に立てかけた赤黒剣の方へと走った。

 最近は仮想戦闘シミュレーターの訓練ばかりで、ギザギザ峰の刀身は相当に飢えているはずだ。

 久方ぶりの敵の気配に、分厚い漆黒の鞘の中で舌なめずりをしていることだろう。

 唯は吸い寄せられるように剣の柄を掴み、深く考えずに空裂を開こうとする。

 だがその前に、黄金色の少女に制止された。


「お待ちなさい。まだ敵の姿が見えないのに、どうやって倒すんですの?」

「ええと、適当に歩いて探そうかと」


 唯は口に出してみてから、初めて自分の無計画さに思い至る。

 マルルの話によれば、霧の中のどこに械獣がいるのかは全く分からない。

 捜索しなければならない範囲は半径10キロメートル、つまり端から端までは20キロメートルだ。

 今から急いで現地に行ったとしても、縦断するだけで日が沈んでしまう。

 広がり続ける霧の中を闇雲に走り回り、形も大きさも不明な械獣を偶然見つけられるなど、楽観的すぎる皮算用だった。


「唯さん一人では歩き疲れるだけですわ」

「そうですよねー…………うーん、どうしよう」


 長剣を握ったまま天を仰ぐ唯。

 手首にかかるずっしりとした重みは無言で不満を表明しているようだった。

 愚直に突撃することしか能が無い装者に対し、嶺華はちょっぴり悪そうな笑みを浮かべつつ提案した。


「そう難しく考えることはありませんわ。古来より『索敵』というものは耳目が多いほど捗るもの。隠れている械獣をあぶり出すなんて地道な作業、人数の多い方々に任せておけばよいのですわ」

「AMFの調査を待つってこと?」

「ええ。彼らが薮をつついて蛇が出てきた所に唯さんが駆けつけ、彼らの手柄を横取りしてしまいましょう」

「ははぁ、さすが嶺華さん。策士ですね」

「聡明と言ってくださいまし」


 敵の姿さえ捉えることができれば、あとは猪突猛進な唯の土俵だ。

 並大抵の械獣は業炎怒鬼(ゴウエンドキ)の圧倒的な攻撃力でもって即粉砕できる。

 本命が出てくるまで、こちらはお茶でも飲みながら待っていれば良いだろう。


「それに唯さん、ヴァルガイアの話をお忘れではありませんこと?」

「あ、そうだ! 『コード付き』がいるんだった」


 明確に人格を持つ械獣・『コード付き』の襲来。

 その脅威は、巨大龍がわざわざ出向いて伝えに来たほどだ。

 既に地球に潜伏しているとしたら、今回の霧の発生に関わっている可能性もある。


「敵の戦力を見極めるまで、出撃には慎重になるべきですわ」

「確かに……じゃあ、偵察任務は引き続きAMFの血税部隊に任せましょう」

「唯さんの物分かりが良くて助かりますわ。械獣が街を破壊している様子もありませんし、まだ慌てる時間ではありませんもの」


 嶺華の口ぶりからは、デリートに苦汁を舐めさせられた時の経験が滲み出ている。

 アームズの性能を過信して前線に飛び出せば、急に足元を掬われる。

 それが高い知性を持つ『コード付き』の恐ろしさなのだ。


 ひとまずの方針が決まり、再びソファーに腰を下ろす二人。

 退屈そうな赤黒剣を宥めるように抱きかかえる唯は、より詳しい情報を得ようと天井に問いかける。


「マルルさん、AMF部隊の状況は分かります?」

『霧の外に限ってですが、無線通信をリアルタイムに傍受できています』

「通信は筒抜けなんですね……」


 あっさり盗聴されている前職場に苦笑い。

 人間同士の戦争ではないのだから、AMFは通信の暗号化にあまりコストをかけていない。

 それでも一般市民が用意できる無線機器に抜かれるほどやわな暗号化ではないはずだが、流石にオーバーテクノロジーまみれの超次元母艦にマークされているなんて想定外だろう。


「それで、彼らの調査はどんな感じなんでしょうか」


 世間話のような感じで何気なく聞いてみると、マルルはAMF部隊の状況を淡々と整理してくれた。


『無人機による偵察を試み、失敗。

 歩兵部隊が何度か霧の中に突入しましたが、帰還者はゼロ。

 いずれも全滅したようです』


「…………え?」


 さも平然と告げられた被害状況に、唯の表情が凍りつく。

 歩兵の全滅。

 つまり、既に死者が出ている。


『基地からの通信によると、次は装者を投入した強行偵察を行うとのことです』

「まさか、(あずさ)が出撃するの!?」

『はい。本艦が今回の事態を把握できたのも、式守景虎(シキモリカゲトラ)のコアユニット反応を検知したからです』


 敷城市を管轄するAMF関東第三支部。

 現在、その基地に所属する装者はたったの一人。

 つい最近まで唯が努めていた役目を引き継いだのは、神代梓――愛する妹であった。

 装者になるために必要な訓練や調整をすっ飛ばし、突貫で仕立て上げられた18歳の少女。

 唯や嶺華との衝突を除けば、今日が初陣となる。

 孤立無援の霧の中、一人で戦う妹の姿を思い浮かべた瞬間、唯は反射的に立ち上がっていた。


「私、やっぱり今から行きます!」


 迷いなく言い切る唯。

 つい先ほど決めたばかりの方針を速攻でひっくり返し、嶺華から呆れたような視線を向けられる。


「はぁ……わたくしの話を聞いていませんでしたの?」

「もちろん聞いてましたよ」

「ならば軽率な出撃は危険だと理解したはずですわね」

「はい。だから、私が梓を助けに行くんです」

「妹さんだって械獣と戦う力を持っているのでしょう。唯さんが行った所で、また襲われるだけでは?」

「それでも、行きます」


 嶺華の冷静な意見を聞いても尚、唯の気持ちは1ミリも揺るがなかった。

 無論、2週間前の死闘とも言える姉妹喧嘩を忘れた訳ではない。

 妹の説得を続けるかどうかも決められていない。

 しかし唯の中では、妹だけを戦場に立たせる、という選択肢は完璧に叩き潰されていた。


「もし本当に『コード付き』が出てきたら、梓に敵うはずがない」

「……まあ、そうでしょうね」


 藍色のアームズを纏った梓は、3メートル級の雑魚械獣くらいまでなら倒せるかもしれない。

 だが、いくら装者とはいえ実戦経験が浅すぎる。

 いきなりデリートのような怪物に遭遇した場合、勝ち目は無いだろう。

 装者の敗北とは即ち、落命である。


「『コード付き』と戦ったせいで梓が死んだら、私は一生後悔する。どうしてあの時助けられなかったんだろう、って。だから、私は行く。行かなくちゃならない」


 嶺華の機嫌を損ねることも恐れず、自分の確固たる意志を伝える唯。

 すると黄金色の少女は、難しい表情を崩して笑った。


「やれやれ。唯さんがそこまで言うのでしたら、わたくしに止める権利はありませんの。唯さんの好きにしなさいな」

「ありがとうございます!」


 嶺華は引き止めることよりも、背中を押すことを選んでくれた。

 それが嬉しくて、唯は湧き上がる笑みを噛みしめながら頭を下げた。


 黒い長剣の柄に指を這わせ、青白いホログラムを起動。

 住み慣れた街を目的地に指定する。

 仄かに熱を帯びた長剣を鞘ごと一振り。

 憩いの空間に、無骨な亀裂が走った。

 広がっていく裂け目の向こう側には、マリザヴェールの窓から見える星空とは全く別の、薄暗い空間が見えている。


 異次元世界と地表を行き来するのも慣れたものだ。

 空裂をくぐる直前、少女が低い声で釘を指す。


約束(・・)は、覚えていますわね」

「はい。この体は嶺華さんに捧げるもの。もう自分を傷つけるような真似はしません」

「よろしくてよ」


 唯の答えが期待通りだったのか、嶺華は満足げに頷いた。


 械獣を倒せたとしても、梓と対峙したら一悶着あるだろう。

 けれど、同じ過ちは繰り返さない。

 もう心を迷わせることは無い。

 梓に何を言われようが、刃を向けられようが、唯は毅然とした態度を貫くつもりであった。


「わたくしの剣は未だ改修中。今回ばかりは本当に助けてあげられませんから、決して油断なさらぬように」

「安心してください。危険だと判断したら、すぐに撤退しますから」


 口を開けた暗闇を前にして、深呼吸する唯。


 現状、敵の情報は一切不明。

 地上で待つのは『コード付き』か、ただの械獣か、もしくはその両方か。

 業炎怒鬼の火力が素直に通用する相手かどうかも分からない。

 強敵と相まみえる覚悟を決めておくべきだろう。


「では、行ってきます」

「お気をつけて」


 帰るべき場所はこの星船。

 龍の少女との約束を胸に刻み、唯は不気味な霧の海へと挑む。


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