第74話 輝きの秘密
暗黒の異次元空間に浮かぶ巨大な艦・マリザヴェール。
居住スペースの中で最も広いのがセンタールームである。
20畳を超えるリビングのような部屋には、長いダイニングテーブルやら本格的なホームシアターやら、大家族の団欒に適した設備が揃っている。
住人は二人しかいないので若干持て余している感もある。
白いソファーに深く腰掛けた神代唯は、穏やかな微睡みに後ろ髪を引かれつつも目を開けた。
「……あれ? 私、寝ちゃってた…………?」
壁に掛かる文字盤の無いアナログ時計に目をやると、短針は右斜め上を指している。
昼食をとった後、うたた寝してしまったようだ。
午前中の戦闘訓練でひと汗かいたせいだろう。
ふかふかの背もたれが、寝起きの心地よい倦怠感を受け止めている。
窓の外は相も変わらず昏い夜空。
時計を掛けた所で、日向暮らしに慣れた唯の体内時計は狂いまくりだ。
毎晩しっかり8時間寝ているのに、時折こうして気絶にも似た昼寝を貪ってしまう。
といっても、時計に支配された人間社会から脱出した唯は、いつどこで休憩を取ろうが誰にも怒られない。
異次元空間に勤労の義務など無いのだ。
ここで、唯は鼻腔をくすぐる甘い柑橘系の香りに気づいた。
視線を真下に向ける。
黄金色の髪が視界に入った瞬間、心臓がビクンと跳ねた。
「ひゃわっ!?」
短い悲鳴を上げた唯だが、ソファーから立ち上がることはできない。
下半身をがっちりと押さえつける重しがあったからだ。
唯の心拍数を猛加速させた犯人は、ニタニタと薄ら笑いを浮かべた。
「あら、もう起きてしまいましたの?」
黒いワンピースを着た覇龍院嶺華が、唯の太ももを枕にして横たわっていた。
両足をソファーの肘掛けに乗せる少女の寝姿は、お行儀の悪さを感じさせないほど優雅であった。
「嶺華さん? あの、これは一体……?」
「唯さんのおみ足は素晴らしい寝心地でしたわ」
「私は嶺華さん専用クッションですかい」
同年代の女性と比べてやや筋肉質な唯の太ももは、膝枕としての品質が高いらしい。
一般販売の予定は無いが。
「って、何してるんですか」
「買ってきて欲しい本がありましたので、そのお願いに。けれど唯さんったらお昼を食べ終わるなりスヤスヤ寝息を立て始めましてよ。起きるまで暇ですから、わたくしも一休みすることにしたのですわ」
「えぇ!? 起こしてくださいよ」
「だってあまりに気持ちよさそうに寝ているんですもの。疲れているなら、もう少し寝ていても構いませんのに」
「平気です大丈夫です! ていうかこんな状態で眠れませんから!」
寝落ちの一部始終と間抜けな寝顔を至近距離で観察されてしまったと知り、唯は恥ずかしさで耳たぶを赤らめた。
「本ならすぐ買ってきます」
「別に急ぎではありませんわ。今度お買い物に出た時で良いですから、『龍神戦記』の新刊を買ってきてくださいまし。頼みましたわよ」
「了解です!」
愛する彼女からのお願いにビシッと快諾する唯。
後で買い物メモに追記しておかなければ。
ちなみに『龍神戦記』とは嶺華が好きなSF漫画である。
先週第175巻が発売された。長すぎだろ。
聞けば、作者は代替わりしながら連載を続けているらしい。
第1巻が出たのは80年前で、現在は5代目が執筆担当だという。
世代を超えた人気もすごいが、既刊が全てこの艦に揃っていることの方が驚きだ。
「それにしても、嶺華さんの髪って本当に綺麗ですよね」
窓から差し込む星灯りを受けてキラキラ輝く黄金色の長髪。
美しき至宝を間近で眺めながら、唯は感嘆のため息を漏らした。
天に恵まれた艶やかな髪色は神々しさすら感じる。
「当然ですわ。毎日しっかりケアしてますもの」
「流石嶺華さん。私もこんな綺麗な髪だったらなぁ」
「唯さんの髪だって綺麗ですわ」
「あはは、ありがとうございます。でも私の髪色は地味で普通だし、嶺華さんと比べたら……」
唯の地毛は紫がかった黒色。
髪型は幼いころからずっとショートで、肩より下に毛先が行ったことがない。
長く伸ばしてみたい気もするが、あまりに美しいロングヘアーが隣にいるせいで相対的に似合わないんじゃないかと考えてしまう。
唯は美術品を扱うような手つきで黄金色の髪に触れた。
その時。
「…………ん?」
きらびやかな毛先の反対側。
少女のつむじの近く。
そんな所をまじまじと見るのはナンセンスだという自制心が吹き飛ぶくらい、唯は衝撃的な発見をしてしまった。
毛根付近が黒い。
輝く黄金色の髪が、途中からただの黒髪に変わっているではないか。
「れ、れ、嶺華さん!?」
「なんですの?」
「えっと……」
不思議そうに首をかしげる嶺華に対し、唯は挙動不審に言い淀んだ。
髪のトラブル? だとしたら、ものすごく言いづらい。
例え事実だとしてもダイレクトに指摘したら、しばらく口を利いてくれなくなるかもしれない。
しかし、遅かれ早かれ本人も気づくだろう。
「わたくしの髪がどうかしまして?」
怪訝な目で見つめられてしまい、唯は意を決して告げることにした。
「嶺華さんの髪が……その…………黒髪に、なってます」
唯の重苦しい宣告を聞いた嶺華は、一瞬ポカンと口を開けると、目を伏せて、
「ぷぷっ……そ、それがどうかしましたの…………くくっ」
笑いを堪えようとして失敗し、盛大に吹き出した。
「いやいやいや! 笑い事じゃないですよ!? 乙女の一大事なんですよ!?」
ちっとも深刻に捉えない本人の態度に、唯の方が大慌て。
彼女のトレードマークである美しい髪が失われてしまうのではないかと心配が止まらない。
このまま黒い毛が伸び続ければ、彼女の頭はキャラメルプリンのようになってしまうだろう。
髪の色が突然変わるなんて漫画の世界以外では聞いたことがない。
原因は極度のストレスか、それとも、唯が提供してきた食事の栄養バランスに致命的な問題があったのか。
真相は不明だが、とにかく今は、この事件にどう対処するかが重要だ。
「嶺華さんの髪って、この艦の医療設備で修復できる!? それか食事に金粉混ぜれば戻るかな!?」
「あらあら唯さん、落ち着いてくださいまし。別にわたくしは」
「落ち着いていられるかぁぁ!! このままじゃ嶺華さんが黒髪ロングに…………いや、それはそれで素敵だけど!!」
唯は気が動転しすぎて、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
「ふふふ……唯さん、わたくしの顔をよく見てくださいまし」
「へ? だから、嶺華さんの綺麗な髪色が…………あれ?」
言われるがまま、少女の整った顔立ちを見つめる唯。
水晶のような曇りなき瞳。
眼差しを魅惑的に引き立てる長いまつ毛。
その色は黒である。
「もしかして…………黒の方が地毛!?」
驚天動地のリアクションで仰け反る唯。
それを見て満足したのか、嶺華は笑いながらネタばらし。
「金色に輝く髪なんて、染めてるに決まってますの」
開いた口が塞がらない。
龍の少女を象徴する、朝日が昇るような髪色は、ただ染めてるだけだった。
言われてみれば彼女の顔立ちや肌の色は唯と同じ東洋系だし、黒髪の方が自然ではある。
「全然気づきませんでした……」
一ヶ月以上同じ空間で過ごしてきたというのに、黄金色の輝きを地毛だと信じて疑わなかった自分にも驚く唯。
同居人の頭皮に目を凝らす機会なんて普通は無いけれど。
「最後に染めたのは唯さんと恋仲になる直前でしたかしら。そろそろ染め直しませんと」
「嶺華さんなら普通に黒も似合いそうですけど、なんでこの色に?」
唯が初めて嶺華と出会った時から、彼女の髪は黄金色だった。
異次元空間に浮かぶ艦の中ではおしゃれを披露する相手などいなかったはず。
加えて嶺華は現在、AMFから追われる身である。
無理やりフードを被せても隠しきれない派手な色は、AMFに限らず一般人にも目立ってしまう。
しかし、嶺華は今の今まで髪色を変えようとしなかった。
頑なに黄金色を維持するのには、一体どんな理由があるというのだろうか。
想像力の及ばなかった唯に対し、嶺華は胸を張って自信満々に答えた。
「駆雷龍機にふさわしいからですわ」
「…………へ?」
「雷撃を扱うアームズなのですから、纏う本人は雷属性っぽい髪色にした方が良いに決まってますの! 唯さんもそう思うでしょう!?」
「え……………………嶺華さんが、それでいいなら」
想像の斜め上を行く、髪色へのこだわり。
嶺華があまりに純粋な目で訊いてくるものだから、唯は首肯しつつも困惑した表情を浮かべた。
気持ちのこもっていない返事に、嶺華が笑みを崩さず確認してくる。
「もしかして、似合ってませんの?」
「いえいえそんなことは!! もう超絶似合ってます! 嶺華さんにはこの色しかありえません!」
「ええ、ええ、やはりそうでしょう。唯さんは見る目がありますわ!」
ぶんぶんと首を振って彼女の不安を打ち消す唯。
これが地上ならちょっと痛い子だと思われてしまいそう、だなんて口が裂けても言えない。
それに、似合っていると思うのは本心だった。
嶺華は普段大人びた雰囲気を纏っているが、たまにこうして子供っぽい一面を覗かせる。
そんな所も愛おしいと感じ、唯は彼女の髪を優しく撫でた。
「やっぱり綺麗。嶺華さんって器用ですよね。私なら染めようと思っても、絶対プロの理容師に頼むもん」
「わたくしではなく、マリザヴェールの設備が便利なだけですわ」
「まさか、この艦って整髪までできるんですか!?」
「全自動でプロと同じクオリティですわよ。唯さんも好きに使ってくださいまし」
「すごすぎる……」
唯は前々から思っていたとはいえ、改めてこの艦の居住設備の充実っぷりに愕然とする。
プロの理容師が常駐していて使い放題だなんてセレブの暮らしである。
美容院の空き状況と自分の休日を四苦八苦しながら調整していた手間とはもうおさらばだ。
これからは気が向いた時にカラーまで頼めてしまうと知った途端、唯の中にちょっとした冒険心が目覚める。
「じゃあ、私の髪もアームズに合わせて真っ赤に染めてみようかな!」
業炎怒鬼の焔模様を思い浮かべながら呟くと、嶺華は急に真顔になった。
「お止めなさい。唯さんには絶対似合いませんわ。そのままでいてくださいまし」
「そうですか……」
冷めた口調でダメ出しを受け、燃える冒険心は一瞬で消火された。
人生で一度くらい派手な色に挑戦してみたかったが、雷龍のセンス的にはNGらしい。
「マルル! 明日はわたくしの髪のアップデート日としますわよ」
消沈する唯をよそに、独特の言い回しで美容院の予約を取る少女。
しかし星船の設備を統括するAIの回答は、理容師の台詞ではなかった。
『整髪の予定は延期した方が良いでしょう』
「何か問題がありまして? わたくし、この輝かしき色を変えるつもりはありませんわよ」
嶺華は黄金色の毛先に手櫛を通しながら天井を睨む。
しかしマルルは少女の髪には言及せず、全く脈略のない報告を読み上げた。
『現在敷城市内で、異常な霧が発生しています』
唐突な気象報告。
ソファーに寝転がったまま、二人して顔を見合わせる。
「わたくしの髪と何の関係が?」
『忙しくなるのは神代唯ですが、マスターも支援に回ることを提案いたします』
「つまり、どういうこと?」
『械獣が出現している可能性が高いです』
「それを真っ先に言ってくださいまし!!」
弾かれるように立ち上がる唯と嶺華。
太ももに触れていた少女の体温を名残惜しむ余裕は無い。
「なぜもっと早く報告しなかったんですの!?」
天井に向かって不満そうに叫ぶ少女。
すると有能AIマルルは、母性溢れる優しい声で回答した。
『お二人の甘い時間を邪魔してはならないと判断しました』
「それは……そうですけれど……」
「えへへ……」
艦内設備がこれほど便利に使えるのは、気の利く母親のような人工知能の采配があってこそだろう。
うまく言い返せず口ごもる嶺華の様子に、唯は思わず口角を上げた。