第71話 巨大龍の警鐘
『お二人に良い知らせと悪い知らせがあります』
夜のセンタールームでくつろぐ唯と嶺華。
いちゃつく二人の間に割り込むように、天井から声がかけられた。
「悪い方から聞かせてくださいまし」
『現在、駆雷龍機の改修作業を進めていますが、性能面で問題が見つかりました』
「どういうことですの?」
『駆雷龍機側の損傷が予測よりも大きく、完全修復は困難であることが判明しました。不足部分を代替パーツで補完しても、元のスペックには届きません』
「不足とは?」
『具体的に申し上げると、背部装甲の翼は復元できない見込みです』
「な……」
口を開けたまま固まる嶺華。
駆雷龍機の翼が直らない。
龍の少女の十八番であった、縦横無尽の機動力で敵を翻弄するという戦い方はもう戻ってこない。
告げられた事実に、横で聞いている唯もショックを受ける。
「元通りとはいかなくても、別の手段で嶺華さんのアームズを強化できないんですか?」
『今回の改修によって、駆雷龍機の堅牢性と拡張性は従来よりアップしています。将来的には追加兵装を開発して出力の低下を補うことも可能でしょう』
「その追加兵装とやらはいつ使えますの?」
『未定です。本艦の設備だけでは開発できません』
「……………………はぁ」
マルルにきっぱりと言い切られてしまい、がっくりと項垂れる嶺華。
長期間の戦闘禁止だけでも辛いのに、アームズの弱体化と聞いて失望感を滲ませている。
「大丈夫! 械獣が出ても私が全部なんとかします!」
彼女のため息を打ち消すべく、唯は胸を張って宣言。
だがその自信は次の一言であっさり崩れてしまう。
「また妹さんが襲ってきたらどうしますの?」
「それは……」
嶺華の言葉に、答えを返すことはできなかった。
この1ヶ月間、ひたすら赤黒剣を制御する術を学び、械獣を討滅する力を磨いてきた唯。
再びデリートやスラクトリームに匹敵する械獣が現れても、今の唯ならば勝てる自信は大いにある。
相手が無差別に人を襲う無機質な獣であれば。
しかし、1ヶ月ぶりの外界で立ちはだかった敵は、闇雲に破壊を撒き散らす機械生命体ではない。
唯と同じ赤い血を通わせる、大切な『家族』だ。
次に梓が現れた時、唯がとるべき行動は。
粘り強く説得を続けるか、それとも、暴力で無力化して黙らせるか。
今のところ、唯の気持ちは全く整理できていない。
「ごめんなさい。私、やっぱりどうしたらいいか分からなくて」
「今日すぐに決断しろとは言いませんの。ですが、早めに考えておいてくださいまし」
「はい…………」
弱々しく頷くだけの唯。
煮えきらない態度に対し、嶺華はそれ以上の追及をしない。
というより、駆雷龍機のトラブルのせいで、唯をぴしゃりと叱る元気がないのだろう。
落ち込む彼女を励ますつもりが自分も落ち込んでしまい、唯は頭を抱えた。
先にこちらの問題を片付けたいのだが、妹の件は唯一人の力で簡単に解決できるものではない。
今後もしばらくは厄介な悩みの種に思考を圧迫されそうで憂鬱である。
「で、良い知らせというのは?」
消沈する唯をよそに、嶺華は不機嫌そうな声で次の報告を急かした。
『ヴァルガイアの修復が完了しました』
「…………やっとですの。そちらも随分時間が掛かりましたのねぇ」
「ヴァル……って、何でしたっけ?」
「唯さんも一度見たことがあるでしょう。街を守った大きな龍のことですわ」
「あぁ! 私が嶺華さんに倒された時の!」
「ふふっ、そんなこともありましたわね」
唯の反応が滑稽だったのか、くすりと笑みをこぼす嶺華。
彼女につられて笑いながら、唯は敷城市上空で遭遇した衝撃的な光景を思い出した。
あの時の景色は、今でも脳裏に焼き付いている。
宇宙から地球めがけて飛来した未確認飛翔体に対し、為す術が無かったAMF。
敵が地表に到達すれば関東に大穴が空くという絶望的な状況で、突如として空が割れた。
街一つ覆い隠すほどの広大な空裂から現れた存在こそ、嶺華がヴァルガイアと呼ぶ巨大龍であった。
地上に降り立った龍は、大顎から極太の光柱を放って未確認飛翔体を撃墜。
何もできなかった唯に代わって街と人々を救ったのだ。
「そういえば、あのドラゴンについては何も聞いてませんでした。嶺華さんの仲間なんですよね?」
「違いますわ」
「違うんだ!?」
降臨後、AMF側の攻撃によって損傷した龍は、嶺華に連れられて星空の世界へと撤退していった。
龍と嶺華は何らかのコミュニケーションを取っていたようだったし、てっきり仲間なのかと思っていたが、まさかの否定。
今思えば、唯がこの超次元母艦に越してきてから、一度も巨大龍の姿を見ていない。
「説明が難しいのですけれど…………ヴァルガイアは敵ではない。そのことだけは確実ですの」
「存在自体は以前から知ってたんですね」
「ええ」
嶺華はセンタールームの窓の向こうに広がる星空を見つめながら、どこか懐かしむように語った。
「5年前、わたくしが自我を取り戻した頃から、時折この窓の外に見える影がありましたの。
…………それがヴァルガイア。圧倒的な力の象徴。
その姿に、わたくしは憧れたものですわ」
「憧れ? 械獣に?」
敷城市に現れた他の械獣を嬉々として斬り刻んでいた少女の行動と、今の発言は矛盾しているように聞こえる。
首をかしげる唯に対し、嶺華は説明を付け加えた。
「ヴァルガイアとは意思の疎通ができましたのよ」
「デリートみたいにしゃべる械獣ってこと?」
「しゃべる、という表現は正確ではありませんわね。言葉を発するのではなく、ダイレクトコア通信でぼんやりと意思のようなものが伝わってきますの。
それがわたくしの脳内で、わたくしが理解できる言葉に変換される。そんなイメージですわね」
「ダイレクトコア…………確か、コアユニットを持つ者同士が遠隔通信する技術でしたっけ」
「その通りですわ。ある日わたくしがこの部屋で微睡んでいたら、突然ヴァルガイアからメッセージが送られてきたんですの」
「怖くないですか!?」
未知の存在からのアポ無しコンタクト。
唯が初めてデリートに声をかけられた時は、頭の中が警戒感と恐怖で一杯になった。
人体とは似ても似つかぬ銀色の体に、人類よりも進んだ技術と文化。
対等な立場の人間ではなく、遥か上位の存在からいきなり話しかけられたら、普通は恐れ慄くものではないだろうか。
だが唯の感覚に反して、嶺華は当時のことを嬉しそうに話した。
「敵意は感じませんでしたわ。むしろ、向こうの方が低姿勢でしたの」
「おとぎ話でよくある、巫女が神様の使いからお告げを受ける……みたいな」
記憶を無くした独りぼっちの少女は、かの龍と比べれば象と蟻のような関係である。
そんな少女に龍がメッセージを送った理由について、唯は興味が湧いた。
「ヴァルガイアはわたくしが目覚めるよりもずっと前からバラルの連中と戦い続けているそうですわ。ですから、わたくしも一緒に戦って欲しいという話でしたの」
「それで嶺華さんは了承したんですね」
「目的が同じでしたので」
デリートのような凶悪械獣を次々と送り込んでくる元凶『バラル』。
彼らと長年戦ってきた龍は、いわば嶺華の大先輩ということだ。
「あの龍が同じ敵と戦ってくれるのは心強いですよね。また巨大隕石とかが落ちてきたら、助けてくれるのかなぁ」
唯がいかに剣の腕を上げようと、力の及ばない敵はいるだろう。
例えば先の未確認飛翔体のように巨大な相手は、そもそも身長2メートル未満の人間が鎧を着込んだ程度ではどうしようもない。
そんな時に要塞のような巨大龍がいれば。
いざという時に頼れる切り札として、是非とも力を貸して欲しい。
唯はそう思ったのだが。
「それは期待できませんわね」
「どうして?」
「老い、ですわ」
あまりに単純すぎる理由。
「人に寿命があるように、ヴァルガイアも老朽化からは逃れられませんの。恐らく、戦う力はもうほとんど残っていないでしょう」
「あんなに強力なビームを撃ってたのに?」
「次元障壁を展開できず、AMFに撃破されかけたのが証拠ですわ。あの時は体が崩壊する前にこちらの世界へ帰還できたのが奇跡でしたの」
「そうだったんだ……」
「わたくしたちにできるのは、早く老兵を隠居させてやること。そのために、わたくしたちはもっともっと強くならないといけませんのに……」
嶺華は今すぐ機械大剣を振るえないことがよほど悔しいのか、またしても深いため息をついている。
生きる伝説のような巨大龍。
その後継者である嶺華。
そして、戦えなくなった彼女の代わりに械獣と戦うことになった唯。
つまり唯は、隕石を撃ち落とすドラゴン並みに頑張らなくてはならない。
本当に龍の少女のピンチヒッターが自分一人に務まるのか。
のしかかる重責を想像するだけで、唯は戦々恐々としてしまう。
「ところで、あの龍って今はどこにいるんですか?」
マルルの報告は修理が完了したというものであった。
老兵とはいえ、まだ鉄くずに成り果てた訳ではない。
今後戦場に出るかどうかはさておき、唯は街を守ってくれたお礼を一言伝えておきたいと思った。
「実はわたくしも知りませんの」
「あれ? この前は一緒に空裂の中に入ってましたよね?」
「わたくしがマリザヴェールに帰還する途中で別れましたの。その後の航路は把握してませんわ」
「じゃあ、補給とか修理とかも……」
「あれだけの巨体を整備するには、あれ以上に巨大な整備基地が必要ですわね。でも、肝心の場所までは」
嶺華は本当に巨大龍の居所を知らないようだった。
仲間ではない、という彼女の説明に嘘はないのだろう。
しかし、では何故、天井の声は『修理が完了した』という報告を上げてきたのか。
「マルルさんは知ってます?」
『はい。ですが、開示することはできません。権限がありませんので』
「また!?」
『ヴァルガイア自体の整備状況は戦術上の理由で開示していますが、基地の場所や運用者といった情報へのアクセスには管理者権限が必要です』
「そんな中途半端に隠されると、もやもやするなぁ」
マルルに『権限が』と言われてしまうと、それ以上の追及は無駄である。
最近になってようやく慣れてきた唯だが、味方ならばもったいぶらずに全部教えて欲しいとも思う。
「居場所が分からずとも、この空の星々のどれかがヴァルガイアですわ。そのうち、ひょっこり向こうから会いに来てくれますわよ」
「私たちが生きてる間に会えるといいですけど」
巨大龍の寿命やら時間感覚やらは人間と同じなのだろうか。
なんてことを考えながら、唯は嶺華と一緒にセンタールームの窓から見える絶景に目を向けた。
その時。
無数の星の海の中に、一際明るく輝く点があった。
「んん!?」
途切れることなく続く明滅。
眩い光は次第に大きくなってゆく。
いや、近づいてくる。
明滅が巨大な翼の羽ばたきであることを認識した時、唯は驚愕に目を見開いた。
「言ったそばからご本人登場!?」
「まあ! 早速会いに来てくださるなんて!」
目を輝かせて興奮する嶺華を追って、窓際の手すりに駆け寄る唯。
大きなシルエットがぐんぐんと近づき、細部が肉眼で確認できるほどの距離にまで迫る。
空母の甲板を思わせる、一対の翼。
銀色の鱗に覆われた胴体、首から尻尾の先まで規則的に並ぶ棘のような装甲。
大樹の如き2本の剛角がそびえ立つ頭部には、恒星のように煌めく瑠璃色の邪眼。
おとぎ話に出てくるような銀の龍が、昏い空を舞っていた。
ヴァルガイアと呼ばれた巨大龍はゆっくりと翼を動かし、唯たちの乗る超次元母艦に並走する形で隣に付ける。
「でっっっっっっっっか……………………」
50メートルを超える体躯が、窓ガラスを隔ててすぐ目の前に。
唯はその大山のようなスケール感に息を呑む。
翼を動かしているといっても、空気の揚力で巨体を浮かせているとは思えない。
実際には宇宙船のように推力を生み出す噴射装置か、重力制御機構が存在するのだろう。
「ふむ、ふむ。それは何よりですわ」
「え?」
嶺華の方を振り返ると、彼女は唯ではなく窓の外に向かってぶつぶつと呟いていた。
「わたくしも早く復帰したいのですけれど、難しいようですわ。 ………………ええ、困ってしまいますのねぇ」
「もしかして嶺華さん、現在進行系であの龍と話してます!?」
「ヴァルガイアのコアとわたくしのコアがリンクしたのですわ。こちらの発した言葉と向こうから送られてくる意味情報の羅列がリアルタイムで翻訳されてますの」
「す、すごい…………全然分かんないけど」
唯の耳にはヴァルガイア側の声は届いていないので、少女が独り言を言っているようにしか聞こえない。
しかし淀みなく相槌を打つ様子は、演技や虚言ではないと信じられるほどに自然だった。
「一体どんな話をしてるんですか?」
「ちょっとした雑談ですわ。こちらの修理が終わったので、早くお前も戦線に戻れるといいな、的なことを言ってますの」
「あんなでっかいのに、妙に人間臭いんですね」
神聖なお告げを授けに来たかのような荘厳たる外見であるため、メッセージ内容とのギャップが激しい。
嶺華を気遣う優しさもあるようだし、彼女の言う通り、敵ではないのだろう。
「…………それは本当ですの!?」
しばらく会話のやり取りを見守っていると、嶺華は突然大声で叫んだ。
何やら重大な話があったようで、神妙な顔つきで龍の言葉に聞き入っている。
「ええ、ええ…………分かりましたわ。唯さんにも伝えますの」
やがて会話が途切れたタイミングで、唯の方に向き直る。
「ヴァルガイアさんは、何と?」
「唯さん。落ち着いて聞いてくださいまし…………」
嶺華は一度深呼吸してから、巨大龍からもたらされた情報を口にした。
「新たな『コード付き』が地球に来ている、とのことですわ」