第68話 シンクロダウン
透明感のある白い壁に囲まれた、手術室のような部屋。
精密機器ひしめく室内に、金属を軋ませる不協和音が転がり込む。
煤と埃を舞い上げながら膝をついたのは、傷ついた2体の鋼の鎧。
唯は脱力する少女を抱きかかえながら必死に声をかける。
「嶺華さん! 気をしっかり! メンテナンスルームに着きましたよ!」
「う………く………………装動……解除……!」
献身的な炎鬼に支えられ、龍の少女は震える手で機械大剣を鞘に収めた。
雷のドレスが虚空に溶け消え、私服に戻った嶺華が床に崩れ落ちる。
フリル付きの黒いワンピースの裾がしおれた花のように横たわった。
星空の世界に浮かぶ超次元母艦・マリザヴェール。
二人が到着したのは、無数のオーバーテクノロジーで以て嶺華の特異な身体を御する部屋である。
「装動解除。 ……マルルさん! 早く嶺華さんを診てあげてください!」
唯は自分の剣を鞘に収めつつ、天井に向かって助けを乞う。
『既にマスターの身体をスキャン中です』
梓に追い詰められた唯を連れ帰るため、不完全なアームズを纏って現れた嶺華。
瞬速の双剣を振るう式守景虎に対し、一時は優勢に思われた駆雷龍機だったが、途中から急に動きが鈍くなった。
なんとか梓を行動不能にしたものの、嶺華の体調はどんどん悪化。
逃げ込んだ空裂トンネルを進む道中、ついに一歩も動けなくなってしまった。
そこからは唯が彼女を担いで猛ダッシュ、今に至る。
「ぜぇ…………ぜぇ…………くっ…………ふ…………」
体をくの字に折り、黄金色の髪を乱しながら蹲る嶺華。
絞り出すような浅い呼吸は何らかの苦痛を堪えているようだ。
「どこか痛いんですか…………って熱ッッ!!」
彼女の胸元に触れた瞬間、唯は脊髄反射で手を放した。
めちゃくちゃ熱い。
少女の体は、人間の触覚が警報を鳴らすほどに熱かった。
さらに、異常なのは温度だけではない。
嶺華に触れた手のひらに、ベタつくような感触が残っている。
電灯の下で確認すると、唯の手のひらは真っ黒に染まっていた。
「え? 何この液体!? 嶺華さんの体から!?」
少女の胸の真ん中、心臓の位置。
その部分から、タールのような黒い液体が漏れ出していた。
ドロドロとした粘性のある液体は床に溢れ、広がり、純白の部屋を汚してゆく。
「ちょ、ちょっとこれ、やばいんじゃ…………」
「ぜぇ…………ぜぇ…………このくらい、何とも、ありませんわ…………」
「いやいやいや、明らかにやばい感じですよね!? どうしよう!?」
額から滝のような汗を流しながら引きつった笑みを浮かべる嶺華。
誰がどう見ても危険な状態である。
しかし、人間の体では絶対に起こり得ない未知の現象を前にして、どう対処すればよいのかサッパリ分からない。
唯がパニックに陥りかけた時、天井から頼もしい機械音声が鳴り響いた。
『スキャン完了。マスターの異変は、デュアルコアシステムのバックファイアが原因と特定しました』
「デュアルコア?」
間抜けな声で聞き返した唯にも分かるよう、マルルは母性あふれる声で丁寧に解説してくれた。
『駆雷龍機は本来、生身の人間が扱える剣ではありません。
マスターの内蔵コアユニットと駆雷龍機のコアユニット、2つのコアが同調することによって初めて制御が可能となるのです』
「そっか、嶺華さんの体にはコアユニットが……」
嶺華がAMFに囚われた時の、CTスキャン画像を思い出す。
華奢な少女の身体に備わる異物。
円盤状のフレームに覆われ、炉心の如く駆動する立方体。
そんなものが心臓に寄り添っているせいで、嶺華は械獣と同一視されることになってしまった。
なぜ少女の体内に、械獣やアームズと同じコアユニットが埋め込まれているのか。
唯も詳しいことはまだ聞けていない。
というより、記憶を無くした嶺華自身も知っていなさそうである。
「内蔵コアがあるから駆雷龍機を使えるのは分かったけど、それが嶺華さんの体調にまで影響するんですか?」
『駆雷龍機は2つのコアを綿密に連携させることで制御されています。
しかし、先のデリート戦によりマスターの身体が損傷、内蔵コアの出力が低下していました。
そのため外装となる駆雷龍機のコア出力と同期不全を起こし、マスターの肉体に負荷がかかったと推測されます』
マルルの説明を聞いた途端、唯の頭に恐ろしい想像がよぎった。
「つまり、もう嶺華さんは駆雷龍機を纏えないってこと!?」
機械大剣は嶺華の戦う力であると同時に、精神的支柱でもある。
再び剣を振るうため、この1ヶ月間リハビリに励んでいたのだ。
剣を恒久的に失うことになれば、少女はどれだけ落ち込むだろうか。
『いいえ、そうではありません』
唯が天を仰いた直後、マルルは速攻で訂正した。
『駆雷龍機の修理完了後、マスターの内蔵コア・龍之逆鱗との出力調整が予定されています。
調整が終われば、再び戦闘可能な状態にまで復旧できるでしょう』
「なぁんだ、修理を待ってればいいのね」
ひとまず嶺華の問題は一時的なものだと分かり、唯は胸をなでおろす。
『ただし、デュアルコアシステムを搭載したアームズは強力な反面、調整には時間を要します』
「時間って、どのくらい?」
『前回の戦闘後から修復作業を続けており、完全復旧まであと1週間程度を見込んでいました。しかし本日の戦闘で内蔵コアに追加ダメージが入ったため、最低でも2週間は延長になります』
「なかなか待ちますね…………」
『内蔵コアの調整が絡むため、マスターは仮想戦闘シミュレーターを含む一切の戦闘行為は禁止です』
駆雷龍機が戦線復帰するまで、最低でもあと3週間。
片や、敷城市で最後に械獣が出現してから4週間もの時が経ぎている。
デリートを倒したとはいえ、械獣は引き続き世界各地に出現中。
敷城市にだって、いつ次の械獣が現れてもおかしくなかった。
「そんなに待てませんわ……!」
嶺華は床に伏せたまま、不服そうな声を漏らした。
「わたくしの使命を、果たさなければ」
「械獣が出たら私が戦います。だから元気になるまで、嶺華さんはゆっくり休んでくださいね」
「もう休むのは飽きましたの。それより、このままではわたくしの腕が鈍ってしまいますわ。マルル! 修理は1週間以内に終わらせなさい!」
鞘に収まった大剣の柄を掴み、天井に向けて無茶振りする嶺華。
しかしマルルは珍しく、彼女を叱りつけるような口調で回答した。
『マスターの無茶が原因ですので、諦めてください。
修理未完了の駆雷龍機と調整不十分な内蔵コアでは、当面実戦を見合わせるべきとお伝えしていたはずです。
なのに出撃なさったのですから、自業自得です』
「くっ……」
正論をぶつけられ、嶺華は何も言い返せずに口ごもる。
だがそもそも、彼女が出撃しなくてはならない状況を招いたのは唯である。
「ごめんなさい、私が不甲斐ないせいで」
「唯さんのせいではありませんわ。わたくしはただ、唯さんに格好良い所を見せて差し上げたかったのですけれど…………げほッ、醜態を晒してしまいましたわね」
「そんな理由で嶺華さんが傷つくのは困ります! …………確かに格好良かったですけど」
「ふふ…………げほッ、ごほッ」
咳き込みながらも僅かに口角を上げる嶺華。
普段大人びた言動の彼女だが、子供っぽい面も持ち合わせているようだ。
「それで結局、嶺華さんは休めば元気になるんですよね?」
苦笑いを浮かべつつ、唯は改めて天井に確認する。
嶺華の不調の原因は内蔵コアの不具合。
マルルの言う調整とやらが完了すれば、嶺華自身の体調も元に戻るはず。
そう思っていたのだが。
『現在はマスターの内蔵コア・龍之逆鱗が暴走し、微小な空裂の歪みが胸部で連続発生している状態です。
この暴走状態を停止させなければ、マスターは数時間以内に死亡するでしょう』
「ええええええ!!!!??」
唯の想像を遥かに上回る緊急事態であった。