第67話 シンクロアッパー
すっかり日が暮れた敷城市街。
再三の避難指示により、明かりを灯す民家は無し。
夜の闇に包まれた街並みで、ある区域だけが煌々と光を放っている。
光源の正体は、多数の車両のヘッドランプ。
一様にAMFのロゴマークを張り付けた車両はオフロード仕様の四輪や装甲車など、悪路でも走行できる車種に限られている。
普通車がいない理由は、舗装された一般道路向けの車では脱輪してしまうほど路面が破壊されていたからだ。
ひび割れ、めくれ上がったアスファルト。
根本から折れた電柱に、道路を塞ぐように倒壊した家屋。
辺り一帯には、械獣が暴れたのと同じくらいの被害が出ている。
まるで空爆されたかのように荒れた住宅街の中でも、特に激しく損壊している場所がある。
神代家跡地だ。
黒焦げになった建材の山の前で、白衣を羽織った女医・陣内美鈴は立ち尽くしていた。
「派手にやってくれたものね」
つい先日まで仲睦まじい姉妹が暮らしていた一軒家は、廃墟とも呼べないほど無惨な瓦礫の塊と化している。
そして周囲の地面には、強力な爆弾が炸裂したとしか思えない大穴が2つ。
路面が半球状に陥没してできたクレーターの中では、美鈴の部下たちが懐中電灯付きヘルメットを被りながら重労働に励んでいた。
装甲車とロープで繋がれた建材が牽引され、取り除かれていく。
工事現場のような作業は既に2時間ほど続いており、今しがたやっとクレーターに雪崩込んでいた障害物が片付いた所だ。
隊員たちの頭から降り注ぐ懐中電灯の光が、穴の底を照らし出す。
彼らの視線の先には、半身を地面にめり込ませ、うつ伏せに倒れる藍色の鎧が確認できた。
アームズの背中側の装甲は、握り潰したアルミ缶のように凹んでいる。
「よし、これだけ掘り起こせば後は手作業だ」
「引っ張ってみたか?」
「だめだ、抜けない」
一体どんな力で地面に押し込まれたのか。
装者の下半身は硬い土砂の下に完全に埋まっており、屈強な男たちであっても動かすことはできなかった。
顔を見合わせた隊員たちは、美鈴の指示を求めて振り返る。
「陣内補佐官!」
「皆お疲れ様、装動を強制解除するから、一旦離れて」
「了解」
隊員たちがクレーターの縁まで下がったのを確認した美鈴は、手元のタブレット端末の画面を叩いた。
補佐官以上の役職者にのみ操作が許された、アームズの装動状態を遠隔から解除する機能を発動させる。
藍色の鎧の各関節部分が淡く輝き、変形してしまった鎧がバラバラに分離していく。
道路の側溝のような細い空裂が装甲片を飲み込むと、地面に縫い留められていた少女がやっと開放された。
「脈拍確認!」
「担架回せ!」
再び慌ただしく動き始める隊員たち。
いくつもの懐中電灯の光を浴び、倒れていた少女がゆっくりと目を開ける。
「……………………ぷはっ! はぁっ、はぁっ、はぁっ…………」
意識を取り戻すや否や、少女は酸欠になったように短い呼吸を繰り返した。
埋まっている間は身動きがとれず、アームズと地面に挟まれる圧迫感で息苦しかったのだろう。
自由になった肺を必死に動かして酸素を吸っている。
美鈴はクレーターの底まで歩いていくと、ボロボロのAMF制服を着た少女に声をかけた。
「おはよう梓ちゃん。気分はどう?」
「美鈴さん! お、お姉ちゃんは…………ぅヴッ! ゲホッ!! ゲホッ!!!」
身を起こそうとした所で、喉元を押さえて激しく咳き込む梓。
土砂から顔を出していた灰色のコンクリート片が真っ赤な斑点で彩られる。
涙目で苦痛に悶える少女を、美鈴は冷めた目で見下ろしていた。
「ねえ梓ちゃん。『シンクロアッパー』の一日あたりの用量は、何錠までって説明したかしら?」
「げほっ…………て、敵を殺すまで無制限、でしたっけ……?」
「一日一錠よ! 無理やり適合率を引き上げる試薬の危険性は十分説明したはずでしょう!」
美鈴は梓のことを嫌っている訳では無い。
彼女が予備隊にいた頃は期待の若手として可愛がってきた。
しかし、今の彼女は全く可愛げのない、反抗的な目で美鈴を見上げている。
「あの女を倒すためには、一錠じゃ全然足りなかった」
「そういう問題じゃないわ! あなたの体が耐えられないと言ってるの!」
「お姉ちゃんを取り戻すためなら、わたしの体はどうなってもいい!」
叱責されても一切反省の素振りを見せない梓は、鉄錆の匂いを振り撒きながら声を張る。
「ッ! そうだ、お姉ちゃん! お姉ちゃんはどこ!?」
「唯ちゃんなら姿を消したわ。敷城市全域の監視網にも引っかかってない。この街の外へ出たのか、それとも、別の世界に行ったのか」
「…………また、お姉ちゃんと、離れて…………くそっ、くそっ、くそっ!!」
年端も行かない少女の包帯まみれの拳が、瓦礫の散乱した地面をヒステリックに殴りつけた。
尖った破片が柔肌に突き刺さり、新たな切創から血が滴る。
自棄っぷりは見るに堪えない。
傷口をどんどん広げていく梓に対し、美鈴は一応忠告しておく。
「今は唯ちゃんよりも自分の体を労りなさい。次またあんな戦い方をしたら、今度こそ死ぬわよ」
「畜生…………わたしがもっと強ければ…………お姉ちゃんを助け出せたのに……………………」
死にかけて尚、自分の命よりも姉のことを優先する少女。
梓の行動原理は姉への歪んだ愛情一辺倒である。
いつも通りすぎる調子に、美鈴は怒る気も失せて呆れていた。
美鈴がいくら説明した所で、梓が薬の用法用量を守ることはないだろう。
そうと分かっていても、言わずにはいられなかった。
「あの子たちのために梓ちゃんが命を捧げる必要、ないと思うんだけどね」
美鈴は知っていた。
神代唯がAMFを抜け出し、龍の少女に付き従う理由を。
力に溺れたとか、人類に対する裏切りとか、そんな大層な理由ではない。
ただ単純に、唯が嶺華を好きになってしまった。
それだけであることを。
無論、AMFにはくだらない冗談を信じる者はいないため、誰にも報告していないが。
「うるさい。わたしの気持ちなんて、お姉ちゃん以外に分からないでしょ」
「はいはい、そうでしたね」
美鈴はそれ以上、心を閉ざす少女に説教するのを止めた。
黙って清潔なタオルを取り出し、少女の顔についた血を拭ってやる。
その間も、梓は焦点の合っていない目でどこか遠くを見つめていた。
そうこうしているうちに担架が到着。
体内に溜まった血が気道を塞がないよう慎重に担ぎ上げられた梓は、クレーターの外で待つ車両へと運ばれていく。
「とにかく今は安静にして、ゆっくり頭を冷やしなさい」
担架に付き添いながら、美鈴はこれから始まる怒涛の検査ラッシュのことを想像して憂鬱な気分になった。
外傷よりも薬の過剰摂取による内臓ダメージの方が大きいため、梓の身体の隅々まで調べる必要がある。
数日間は基地の医療班エリアに籠ることになるだろう。
車両に乗せられる間際、梓の口から恨みがましい呟きが漏れた。
「殺す…………たとえ刺し違えてでも、絶対あの女を殺す…………!!」
ギリギリと歯を食いしばり、憎しみを募らせる痛々しい少女。
叶わぬ片想いのために捨て身すら決意する姿を憐れみながら、美鈴は深い深いため息をついた。
「(唯ちゃんの方が、もっと単純で扱いやすかったのになぁ)」
くぐもったエンジン音を連れ、ヘッドランプの群れが動き出す。
誰もいない住宅街には轍と暗闇だけが残された。