第66話 龍虎激突 II
自らを鼓舞するように叫んだ梓は、直方体のケースを傾けた。
錠剤を手のひらに乗せる手間すら惜しみ、上を向いて口中へダイレクト投入。
歯が砕けないか心配になる勢いで大量の錠剤をガリガリと咀嚼していく。
「ちょ、ちょっと、そんな一気に飲んで大丈夫なの!?」
唯の懸念は、ごうと吹き抜けた突風に飲まれて消えた。
風とはつまり、鋼の藍虎が駆け抜けた余波である。
「嶺華さん! 気をつけて!!」
隻腕の少女の方へ慌てて振り返り叫ぶ唯。
だが声が届く頃にはもう、数多の斬撃が嶺華へ殺到していた。
「ガルァ! ガルァ!! ガルルルゥゥゥウウウ!!!」
獣のような荒い息遣い。
きらめく双刃の輝き。
途切れることのない風切り音。
薬の服用前と比べて梓の動きは2倍速に見えた。
その姿、まるで疾風に住まう『かまいたち』。
「ガルガルガルッ! オ姉ちゃんは渡さなイィッ!!」
「シッ、諦めの悪い女は嫌われますわよ!」
短く息を吐いた嶺華は眉をひそめつつも、機械大剣の技巧でもって斬撃を防いだ。
続けざまに繰り出される短剣の乱舞にも反応し、最小限の動きだけで回避していく。
しかし流石の嶺華も反撃を行う暇は無いようだ。
梓の絶え間無い攻撃を受け止めながら、嶺華の表情から少しずつ笑みが消えていくのが見える。
かつての彼女なら、ここまで防戦一方になることはあり得なかった。
自身の背丈より何倍も大きい械獣に対して臆することなく突撃し、華麗に叩き潰す雷龍の姫。
そんな常勝無敗だった頃と違い、今の彼女には足りないものがある。
龍の翼、すなわち、重力を歪めて縦横無尽に大地を疾駆する機動力である。
本来の駆雷龍機は並大抵の械獣が追いつけないほどの高速機動戦闘を展開し、敵を圧殺するのが基本戦術だ。
その力を失った『ライジングドラゴン・リペア』では、式守景虎のようなスピードタイプに不利がつく。
それでも。
「速さだけではわたくしに届きませんの!」
彼女の技術は一流だった。
高速化した梓の一挙手一投足を見逃すことなく、攻撃タイミングに合わせて的確に大剣を振るい、迫る刃の軌道を逸らす。
万全でない鎧の性能を達人の剣捌きでカバーし、梓の連撃をいなしてゆく。
「崩レろォッッ!!」
「お断りしますわッ!」
目の前で披露される美しき舞踏に、唯は痛みを忘れて釘付けになっていた。
「(すごい、このまま時間切れまで粘れれば……)」
攻撃を当てることができなくても、嶺華に勝機はある。
それは時間だ。
梓の猛獣のような攻撃能力は、あくまで白い錠剤によって得られた一時的なもの。
そして二度の服用シーンを目撃した唯は、錠剤の効力が短時間で切れることに気付いていた。
戦闘開始前ではなく、戦闘中にわざわざ手を止めて服用しているのがその証拠である。
ドーピングタイムが終われば、新米装者のステータスに戻るはず。
「(梓の動きが止まったら、私が速攻で捕まえる!)」
これ以上嶺華の手を煩わせる訳にはいかない。
というより、元に戻った梓が機械大剣でバッサリ斬られないかが心配だ。
雷龍に牙を向いた愚妹を守るためにも、姉が責任持って謝罪させなくては。
そう思った矢先。
龍の少女に異変が起きた。
「あ、あらッ?」
ぐらり。
それまで寸分の狂いなく剣を振っていた嶺華の体が、不自然によろめく。
足をもつれさせ、バランスを崩し、左手の側に倒れそうになる。
嶺華はつま先立ちで踏ん張り、意図しない重心移動から復帰。
辛うじて転倒を免れたものの、一時的に無防備な姿を晒してしまう。
そんな大チャンスを、疾風の獣は逃さない。
「隙あり!」
ロケットのような瞬発力で嶺華の右側面に回り込んだ梓は、両腕をしならせて横薙ぎに短剣を振り抜いた。
水平に走る2つの刃が半月を描き、その軌道が嶺華の脇腹を捉える。
「くッ」
刃に触れる体積を少しでも減じようと、嶺華は腰を反らせて無理やり体を捻った。
だが完全に回避することは叶わない。
短剣の先端数センチが装甲表面に届き、稲妻のドレスに傷を付ける。
後を追って弾ける火花は、龍の次元障壁に綻びが生じたことを示す。
「やった!」
手首から伝わる確かな手応えに、満面の笑みを浮かべて下剋上を祝う梓。
しかしその喜びは、経験の浅さが招く油断である。
捻れた体を巻き戻すように、その場で急旋回する嶺華。
縦横両軸で回転しながら飛び上がったかと思えば、遠心力を上乗せした電光石火の剛脚撃を地球の中心方向へと蹴り込んだ。
「シャッハァッ!!」
「ぐがッッッッ!!!!!!」
しなやかであり、パワフルであり、ダイナミック。
竜脚装甲による鉄槌は梓の肩甲骨の辺りに直撃し、アームズの次元障壁もろとも真下へ叩きつける。
艦砲をぶっ放したような轟音が響き渡り、近隣住宅の窓ガラスが一斉に割れた。
音源から全方位に飛び散るアスファルトの礫。
衝撃波でバラバラに崩壊していくコンクリート塀。
路面には、大樹の根のようなひび割れが放射状に延びていた。
割れ目の収束点は1メートル以上深く陥没し、大きなクレーターが形成されてしまっている。
神代家周辺に空いた大穴は、丙型燃焼杭の爆発で作られたものに続き本日2個目であった。
日没間際の住宅街に、静寂が戻る。
「ふぅ…………隙があるのはそちらではなくて?」
クレーターの中心で機械大剣を担ぐ龍の少女。
彼女の足元では、藍色の装甲が地に沈んでいた。
「あ、梓ぁ!?」
「ご安心を。急所は外していますわ」
「ええ!? これで!?」
唯が嶺華の言葉に疑念を持つのも仕方なし。
地面と一体化するような形で半身をめり込ませ、完全に沈黙した愛する妹の姿を見れば、致命傷を負っていないと考える方が難しい。
慌ててクレーターの底に降り、梓の首元に手をかざす唯。
業炎怒鬼のセンサーを介して呼吸と脈を測ってみる。
「…………一応、生きてますね」
「だって殺してませんもの」
確かに嶺華の言う通り、心肺は正常に動いていた。
単純に気を失っているだけのようだ。
あの一撃を喰らって生き残った梓のしぶとさには、称賛を送らざるを得ない。
「さて唯さん。帰りますわよ」
唯がどうやって妹を掘り起こそうか考えていると、龍の少女はそそくさと踵を返した。
「え? もうですか?」
「急ぎますの」
「ちょ、ちょっと待ってください。今度こそちゃんと梓を説得しますから」
「妹さんとのお話は、またの機会にしてくださいまし」
「でも、このまま梓を置いていくのは…………」
姉妹の問題は解決していない。
このまま母艦に帰ってしまえば、1ヶ月前と同じだ。
別れる前に、梓を叩き起こして話をつけておく必要がある。
せめて唯が提示した妥協案、週次で密会するという約束を取り付けなければ。
説得に時間がかかってもいい。
AMFの増援が来た所で、唯と嶺華に勝てる戦力は無いだろうし。
とにかく唯は、梓が首を縦に振るまでは帰らないつもりでいた。
しかし、嶺華はこう続けた。
「申し訳ありませんが、わたくし、今ちょっと余裕ありませんの」
息苦しそうな声音に、違和感を感じて振り返る唯。
嶺華の額には玉の汗がびっしりと浮かんでいた。
「れ、嶺華さん!? 大丈夫ですか!?」
顔色は真っ青で、姿勢もふらふらと安定していない。
彼女が膝をつくのと、唯が滑り込んで支えるのは同時だった。
「なんだか、体に力が入りませんわ」
「まさか梓の攻撃のせいで!?」
「いえ、妹さんの攻撃は大したことありませんでしたの。久しぶりの戦で張り切りすぎましたかしら…………」
尻すぼみに小さくなる嶺華の声。
戦闘中にふらついたことといい、彼女の体に何かトラブルが起きているのは明白だ。
「単なる疲労じゃなさそうですし、どうすれば……」
「わたくしの体のことは、マリザヴェールで診てもらうしかありませんわね」
「分かりました。すぐに帰還しましょう」
嶺華のただならぬ体調を肌で感じ取った唯は、瞬時に気持ちを切り替えた。
梓がちゃんと目を覚ますかどうか確認しておきたかったが、やむを得ない。
多少の怪我はAMF医療班がなんとかしてくれると信じよう。
それよりも、黄金色の少女が優先だ。
唯は地面に突き刺さったままだった赤黒剣を引き抜き、眼前の虚空を斬りつける。
「目的地、超次元母艦マリザヴェール!」
丙型燃焼杭の爆発に巻き込まれた長剣だが、空裂の門を開く機能は健在のようだ。
無事に人が通れるサイズの穴が開き、唯は胸を撫で下ろす。
「歩けます?」
「ええ、唯さんの手を借りれば、なんとか」
「ではエスコートします!」
燃え滓となった自宅跡に背を向け、嶺華に肩を貸しながら空裂の門をくぐる唯。
異次元空間と地表を繋ぐ割れ目が完全に閉じるまで、もう一人の家族の方を振り返ることはなかった。