第65話 龍虎激突 I
悲哀に暮れる住宅街に、ゴロゴロと鳴り響く雷の咆哮。
地から天へ、鮮やかに駆け昇る黒い稲妻。
沈みかけた太陽に代わり、眩い閃光が遥か遠くの空まで照らす。
天上から降り注ぐ力強い輝きを全身に浴び、神代唯は正気を取り戻した。
「あ…………」
乱れ咲く雷光、続けざまに爆ぜる地面。
爆竹を振り回すような音と煙に驚いた神代梓は、素早く唯の体から飛び退いた。
「なに!? こんな時に敵襲!?」
短剣を握りしめたまま腰を低く落とし、警戒態勢をとる梓。
同じく唯も周囲を見回し、雷電を放った主を探す。
大方予想はついていたけれど。
「まったく、帰りが遅いから来てみれば。何を呑気に寝転がっているのです?」
頭上から凛とした声が響いた。
唯が寄りかかっていたコンクリート塀の、道路を挟んで向かいの家。
その屋根の上から、一人の少女が仁王立ちで見下ろしている。
朝日が昇るような黄金色の長髪。
袈裟懸けに稲妻模様の入った漆黒のドレス。
三叉の鉤爪を有する脚部に、気品漂う龍姫のティアラ。
そして、左手に握られた一振りの機械大剣。
覇龍院嶺華であった。
「れい、か、さん…………」
「唯さん! そんな半人前の小娘に負けた、とは言わせませんわ。わたくしが託した業炎怒鬼の力があれば一捻りでしょうに」
雷龍の鎧を纏った少女は、情けなく寝そべる唯を不機嫌そうな口調で叱りつけた。
「それは…………私のせいで、梓が傷ついて……だから」
「はぁ。優しすぎるのも考えものですわね」
唯の後ろめたい弁明に対し、深いため息で返す嶺華。
けれど、気のせいかもしれないが、少女の口元は僅かに緩んでいるようにも見えた。
唯が次の弱音を拵えるよりも前に、竜脚の爪先が屋根を蹴る。
空に向け、トンッと鳴り渡る軽快な足音。
華麗に宙を舞う一匹の龍。
夕日に照らされた機械の鎧が、刺々しい影を地に落とす。
「チッ」
舌打ちと共に後ずさる梓。
直後、藍虎が立っていた場所へ大質量の雷槌が振り下ろされる。
姉妹の間へ割り込むように、隕石の如き豪快着地。
地面に大きなクレーターを造成しつつ、隻腕の少女が大剣を担ぐ。
「嶺華さん!? その姿は……?」
唯を庇うように立つ少女は尊いほどに凛々しい。
だが、その背中を至近距離で確認した唯は、声を上げずにはいられなかった。
駆雷龍機の形状が、記憶の中にあるものと若干異なっていたからだ。
まず、ドラゴンのシルエットを形作る上で特徴的だった、背部装甲の翼がまるごと無い。
背中に残っているのは給排気口のみで、頑強な下半身に対して何か物足りない。
また、失った右腕の付け根には風防のような薄いカバーが応急措置的に取り付けられている。
よくよく見れば、カバーの色は周囲の装甲とは少しだけ違っていた。
左右非対称な立ち姿は、それはそれで格好いいのかもしれない。
けれども十全な状態より一回り小さくなった体躯は、力の減衰を否応なしに感じさせる。
デリートとの戦いで破壊された駆雷龍機は復旧中と聞いていたが、未だ完治に至っていないのだ。
現在の姿は、言うなれば『ライジングドラゴン・リペア』である。
全力を出せないことを見抜いているのは、もちろん唯だけではない。
「そんな見苦しい身体でノコノコと。今さら何しにきたの!?」
苛立ちを隠すどころか全面的に押し出す梓は、双剣の切っ先を龍の少女へと突き付ける。
鋭い刃の警告に対し、嶺華は眉一つ動かさなかった。
「唯さんの妹さん、ですわよね。ずいぶんと変わってしまったようですけれど」
「お前には関係ない! とっとと失せろ!!」
「まあ! 血気盛んですこと。いつぞやの借りを、今ここで返して差し上げても良いのですわよ?」
ニヤリと嗤う嶺華の眼差しは、獲物を狙う肉食獣のよう。
梓に睡眠薬入りの紅茶を飲まされた一件については、しっかりと覚えているらしい。
「……………………」
「……………………」
無言で見つめ合う両者、一触即発の雰囲気。
いたたまれなくなった唯は嶺華を宥めようと声をかける。
「嶺華さん、あの時は梓が全面的に悪いんですけど、この場はとりあえず穏便に……」
「くすくす、冗談ですわ。今日のわたくしは唯さんを連れ戻しに参じただけですの。妹さんに構って差し上げるつもりはございません」
歯牙にもかけない嶺華の物言いに、鋼の藍虎が怒りを顕にする。
「連れ戻すなんて許さない……お姉ちゃんの帰る場所はわたしの所だけだ! すぐにお前を殺して、お姉ちゃんの洗脳を解く!」
「ほう? わたくしを、貴方が殺す?」
「そのダッサい腕を晒しておいて吠えるな! 今の不完全なお前なら、わたしの力だけで十分殺せるんだから!」
「あらあら、舐められたものですわねえ」
罵詈雑言なぞ全く気にしないといった様子の嶺華だが、その視線は梓の眼球から一ミリも外れていなかった。
唇は柔らかな三日月を描いているのに、目はちっとも笑っていない。
横で見ている唯の方が戦々恐々としてしまう。
「れ、嶺華さん? ムカつくのは分かりますけど、梓をぶっ殺すのはどうかご勘弁を……!」
「そんなことしませんわよ。唯さんのご家族ですし」
唯の親族じゃなかったら殺ってたのか、とは恐ろしくて聞けなかった。
「それより、早く帰りませんと夕食の時間になってしまいますわ」
「あ…………うん、そうだよね」
目の前で殺気立つ相手よりも食事の心配をする嶺華に苦笑しつつ、唯は思い出す。
自分の使命。
それすなわち、嶺華のために生きること。
唯の人生は全て、龍の少女に捧げると誓ったのだ。
今の唯の最優先事項は嶺華を幸せにすること。
それ以外の森羅万象は二の次である。
唯が死んだら、代わりに誰が嶺華の夕飯を作るのだ。
唯の代わりなんていない。
まごころ込めた手料理で嶺華を笑顔にできるのは、唯だけだ。
自暴自棄になって命を投げ捨てようとしていた数分前の自分が馬鹿らしく思えてきた。
「ありがとう嶺華さん。目が覚めたよ。嶺華さんのご飯は私が作らなきゃいけないんだった」
「理解ればよろしい」
頷き合い、笑顔を交わす唯と嶺華。
それを間近で眺めていた梓は、わなわなと声を震わせる。
「勝手なことを言うな…………生きて帰れると思うなよ!!!!」
恫喝じみた威嚇を浴びせられるも、唯は怯まない。
大好きな妹ともう一度向き合うべく、落ち着いた声音で問いかけた。
「梓。あんたと離れるのは、私だって本意じゃない。だから、やっぱり私たちの所へ一緒に来ない? 嶺華さんもいいですよね?」
「ええ。唯さんが許すのなら、この間のことも水に流して差し上げますわよ」
唯に同調し、ニコニコと営業スマイルを浮かべる嶺華。
それでも梓の意志は変わらなかった。
「絶対に嫌!! 誰がお前なんかと一緒に!」
「あんたねぇ……」
「やだやだやだ!! 嫌ったら嫌!!」
ムキになって拒絶する梓に対し、唯は別の案を提示してみる。
「じゃあこういうのはどう? 週に一度、私があんたに会いに行く。
一緒にご飯食べるとか、買い物するとかさ。
AMFに見つからないようにこっそりだけど」
これが今の唯から出せる、精一杯の折衷案。
毎日一緒にはいられない。
同じ屋根の下で暮らすことはできない。
けれど、少しでも同じ時間を共に過ごす習慣があれば、姉妹の絆を最低限は保つことができると思った。
「無理だよ」
「確かに今は指名手配までされちゃって厳しい状況だけど、週一くらいならきっと大丈夫」
「違う…………お姉ちゃんは24時間365日わたしと一緒じゃないとダメなんだから…………」
「いやいや、前もそこまでは密着してなかったでしょ」
「違う! 今は、もう耐えられない。お姉ちゃんと離れたくないよ…………」
「ほとぼりが冷めれば、会える頻度をもっと増やせるかもしれないし。だから、ね? 一旦はそれで我慢してくれないかな?」
刃を収めてもらうため、懸命に落とし所を探る唯。
しかし、結果として、唯の提案は火に油を注いだだけだった。
「いい加減にして! わたしの大好きなお姉ちゃんを、これ以上穢さないでよ!
私を愛してるお姉ちゃんがそんなこと言うはずない!」
目を真っ赤に腫らし、涙の雫を振り撒きながら叫ぶ梓。
しかも怒りの矛先は、何故か唯ではなく龍の少女の方へと向けられている。
「お前がお姉ちゃんを操って、でたらめを言わせてるのは分かってるんだから!!」
ひりつくような敵意を向けられ、嶺華は呆れたように肩をすくめた。
「ちょっと貴方、先ほどから自分勝手でワガママな妄想ばかりですの。少しは唯さんのお話を聞いてあげなさいな」
「黙れ元凶! まずはそのよく回る舌を切り落としてやる!!」
「梓! やめなさい!」
「はああああ!!」
言葉による交渉は、ついに実ることはなかった。
唯の制止を完全に無視し、双剣を胸の前で交差させながら踏み込む梓。
突撃目標は当然の如く、雷龍の鎧を纏う少女である。
刃の煌めきが動き出した瞬間。
嶺華は嬉しそうに目を細めた。
戦闘モードだ。
交差した梓の腕が同時に解き放たれ、ハサミのような挟撃が嶺華の首筋に襲いかかる。
対する嶺華は大剣を胸の前で垂直に構え、半歩だけ下がった。
ギンッという鈍い金属音。
梓の双撃は、大剣の腹に吸い込まれるように防がれた。
「そんなにわたくしと遊びたいんですの? 仕方ないですわねぇ」
左手一本で二本の剣を受け止め、尚も微動だにしない嶺華。
龍姫の不動っぷりを前に、藍虎は逆上を加速させる。
「はッ! はッ! はッ! はあぁッッ!!!」
先ほど唯を翻弄した時と同様、素早いフットワークと共に四方八方から連撃を浴びせていく梓。
しかし唯と違って、嶺華は慌てない。
一歩下がり、体を捻り、手首のスナップを効かせ、小刻みに大剣を操る。
少女の動きは、まるで剣とペアダンスを踊っているようだった。
式守景虎の自慢の機動力は惜しみなく発揮されているというのに、双剣の攻撃が通らない。
左右に回り込もうとする梓だが、嶺華との間には常に機械大剣が立ち塞がる。
いつまでも死角を取れないまま時が進み、梓の頬には疲労の汗が伝っていた。
「くそッ! どうして!!」
「一つ教えて差し上げますわ。
剣というのは、でたらめに振れば良いというものではありませんの。
己の体の一部と思い、神経を通わせるイメージで腕の感覚を研ぎ澄ます…………
まあ、貴方の練度では難しいかもしれませんけれど」
「馬鹿にするな!!」
嶺華のありがたい助言を受けて更にヒートアップする梓。
彼女は短剣を力任せに振り回した後、一度大きく下がって距離を置いた。
さらにその手には、薄い直方体のケースが握られている。
「わたしの力をその欠けた体に刻み込んでやる!!」
「あんた、またその怪しい薬を……!?」
唯の方には目もくれず、憎悪に満ちた目でひたすら嶺華の顔を睨みつける梓。
「お姉ちゃんを誑かした罪! そして、わたしからお姉ちゃんを奪った罪!
わたしが全部裁いてやるんだからあああああ!!!!」
藍虎の牙が荒々しく研がれてゆく。