第64話 処罰欲求
『ヒートストライク』
推進機関に点火され、高速回転しながら射出される杭。
格上の鬼を地に引きずり降ろすべく、天へ向かって一直線に突き進む。
ドクン。
逃げ場の無い空中で、胸元に迫る赤い杭を凝視した瞬間。
唯の視界は突如としてスローモーションになった。
業炎怒鬼の強化機構、すなわち脳波刺激による思考加速が働いたのだ。
考える猶予は実時間にして0.1秒。
取り得るアクションは、せいぜい長剣を握る手首を動かすくらい。
刹那の判断。
唯は、赤黒剣を自分自身の体に向けた。
『プロミネンスラッシュ』
血に飢えた刃から噴き出す爆炎。
紅蓮の装甲がオレンジ色の炎に包まれる。
アームズ表面に展開された次元障壁が癇癪玉のように弾け、鎧に守られているはずの生身にまで熱が届く。
肌を焼く痛みに歯を食いしばる暇もなく、赤い杭が下剋上を果たすべく到達した。
大爆発。
脳のキャパシティを超える閃光の嵐が視界を埋め尽くす。
真っ白になった思考の中に、エコーがかかったように反響する轟音の壁。
視覚と聴覚を奪われた無防備な状態で、唯の体は不快な浮遊感に包まれる。
重力はどこへ行った。
頭と足先、どっちが上で、どっちが下か。
手足を動かせているのかも把握できない。
指先からは長剣を握る感覚も消え失せている。
海月のように空を揺蕩う不思議な感覚。
このまま身を任せていれば、大気と一つになれるのだろうか。
心と体が分離してしまったかのように、唯は現実味のない妄想に溺れていた。
されどもここは青い星。
翼を持たぬ遊泳は、唐突に終わりを告げる。
強い衝撃が唯の全身を襲った。
壁だか地面だか分からない所に叩きつけられ、バウンドし、激突する。
自分の体が停止したんだ、と認識するまでに約10秒。
それからさらに5秒遅れて、今度は内臓をシェイクされたような気持ち悪い吐き気がせり上がってきた。
ぐわんぐわんと揺り返す脳内はパニック状態。
ここがギャグ漫画時空なら、頭の上で数羽のひよこがぐるぐると回っているだろう。
「…………痛ッッつうぅぅ………………!!」
腹部から訴えられた激痛で、混濁していた唯の意識は強制的に再起動させられた。
涙ぐむ瞼をこじ開けて状況を確認する。
背中から伝わる硬い感触は、半壊した住宅の塀。
自分はそこへ寄りかかり、尻もちをついた姿勢のまま固まっているようだ。
肩にパラパラと降り注ぐ礫は、激突の衝撃でひび割れたコンクリートの破片だった。
「はあっ、はあっ…………けほっ」
乱れた呼吸を整えつつ、先ほど下した判断について振り返る。
丙型燃焼杭が直撃する寸前、唯が自らに放った爆炎の斬撃。
ゼロ距離で爆ぜた激流に押され、唯の体は後方へとずれ動いた。
火傷の痛みと引き換えに、胸のど真ん中を目指していた赤い杭の軌道から逃れることに成功。
また、アームズ表面を覆った炎は杭の起爆タイミングを僅かに早めた上、爆発反応装甲のように衝撃を中和した。
その結果、唯は致命的な損害を免れることができたのだ。
「剣は、どこ…………」
眼球だけを左右に動かし、吹き飛ばされる途中で手放してしまった長剣を探す。
幸い、剣の位置はすぐに分かった。
唯の前方5メートルほど先の地面から、ノコギリのようなギザギザ峰が生えている。
「早く剣を拾わなきゃ………………ぐっ」
立ち上がろうとしたが、唯の手足は油が切れたように動かなかった。
辛うじて直撃を避けたとはいえ、必殺兵装の爆風は業炎怒鬼に相当なダメージを与えていたのだ。
網膜プロジェクターに表示された次元障壁残量は65%。
スラクトリームの破壊光線すら受け流した次元障壁が、丙型燃焼杭の一撃によって3割以上喪失している。
唯自身は五体満足なのが、せめてもの救いか。
とにかく、いつまでもこんな場所で座り込んでいる訳にはいかない。
赤黒剣の力で空裂を開き、母艦に戻らねば。
剣に向かって手を伸ばそうとしてみるも、やはり体に力が入らない。
もどかしい思いで赤黒剣を見つめていると、網膜プロジェクターに新たな動きが。
視野の隅っこに緑色の文字で表示された『Recovering』の文字。
背部装甲が静かに吸気を始め、手足の装甲が微かに蠢いた。
「もしかして、復旧できるの?」
どうやら炎鬼の装甲には、自動的にアームズの不具合を修復するダメージコントロール機能が備わっているようだった。
しばらくじっとしていれば、再び立ち上がることができるかもしれない。
もっとも、相手が悠長に唯の回復を待ってくれれば、の話だが。
「今ので倒しきれないなんて、さっすがお姉ちゃんだね」
爆心地の方角から、散乱した窓ガラスを踏みしめる音が近づいてくる。
二振りの短剣を羽のように広げ、煤にまみれた一匹の獣が歩いてくる。
高速機動は一休みなのか、その足取りは緩慢である。
けれど身動きのとれない獲物からすれば、牛歩だろうと関係ない。
悠々と唯のもとへ追いついた梓は、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「この式守景虎はね、式守影狼の姉妹機なの。まさに! わたしにふさわしい機体でしょ!」
藍色の鎧を自慢げに披露する梓の言葉に、唯は内心合点した。
姉妹機ということは、大多数の部品は共通。
そして、AMF関東第三支部には式守影狼を整備するための設備とスタッフ、それにスペアパーツがそのまま残されていた。
流用できるリソースをフル活用することで、僅か1ヶ月で新機体を実戦投入するという無茶な計画を実現できたのだろう。
ただし、肝心の装者は未熟な高校生の少女に頼るしかなく、人手不足感は拭えていないが。
「どう? これでわたしも戦えるって分かってくれた?」
「…………何が、言いたいの?」
短剣を高々と掲げた梓は、自分の力を誇示するようなポーズをとってみせた。
「お姉ちゃんがわたしを捨てたのは、わたしが弱くて頼りなかったからだよね」
「………………は?」
梓の突飛な発言に、唯はまたしても困惑した。
唯がAMF装者として剣を振るったのは、街を、人を守るため。
その中でも、梓は一番に守りたい存在だった。
過酷な戦いを乗り越えてこれたのも、梓の笑顔があったから。
決して梓を足手まといだとか、煩わしいと思ったことはない。
「またあんた、思い込みを……」
「でもね! 今は違う!
この剣があれば、わたしも械獣と戦える。
お姉ちゃんと同じ場所に立てる。
そうしたら、お姉ちゃんはわたしを認めて、捨てないでくれる!」
「いや、捨てるとかじゃなくて」
「はははッ! 大丈夫、大丈夫だよ!!」
相変わらず一人語りを続ける梓の耳に、唯の反論は届かない。
座り込んだまま動けない唯の前で、藍色の鎧を纏った少女が膝をつく。
「大丈夫。一人じゃ心細くても、二人なら。
わたしとお姉ちゃんがいれば、この街を械獣から守り抜ける。
お姉ちゃんの名誉も絶対挽回してみせるし、お姉ちゃんをいじめる奴はわたしが全員やっつける。だから…………」
唯を見下ろす梓の目は真っ赤に充血し、大粒の涙を湛えていた。
熱い雫をぽたぽたと垂らしながら、梓は嗚咽にも似た懇願を喚く。
「だからお願い! 戻ってきて! もう一度、わたしと一緒に暮らしてよ!!」
愛する妹の手によって。
二振りの刃が、唯の腹部へ力いっぱい振り下ろされた。
「ぐあああああああッッッ!!!!」
素肌に釘を打ち込まれたかのような、鋭い痛みが走り抜ける。
装甲表面でバチバチと弾ける青白い火花。
抵抗を試みる業炎怒鬼の次元障壁に対し、梓は溶接工のように短剣の先端を押し付けてきた。
ぐりぐりと剣先をこねくり回される度、唯のお腹にはプレス機に挟まれたような圧力がのしかかる。
肋骨から臀部にかけて、あちこちの骨がミシミシと悲鳴を上げる。
息が止まるような苦しさと火傷の痛みがダブルで襲いかかり、耐え難い苦痛を連鎖させる。
「あッ……ぐァッッ………………やめ……て…………!!」
「痛い? 痛いよね!? でも、もう少しの辛抱だから我慢してね!
すぐにその悪趣味な鎧を解体して、お姉ちゃんを助けてあげるから!!!!」
両手の短剣を唯の腹部にメスの如く突き立てる梓は、傍から見れば手術中の外科医のよう。
しかし、血走った目つきは命を救う医者などではなく、命を奪う実験中のマッドサイエンティストのようであった。
「(この子、本気で私を…………アームズの修復はまだなの!?)」
狂気じみた妹の顔に慄きつつ、網膜プロジェクターの片隅に表示された文字情報を急かすように見つめる唯。
緑色の文字は『Recovering』のままだ。
一方で、次元障壁残量の数値は60%、55%と徐々に減ってゆく。
ダメージを受け続けている状況で、アームズの修復が正常に進んでいるのかは怪しかった。
「(私が…………悪いのか……………………)」
増してゆく痛みに反比例するように、唯の冷静な思考は薄れてゆく。
チカチカと明滅するの意識の中。
唯の中から徐々に抵抗する力が失われてゆく。
代わりに脳内を蝕むのは、後悔。
そして、愛する妹に対する懺悔。
「(私のせいで、梓は……………………)」
唯の知る梓は、いつも笑顔で家族想いの優しい子だ。
姉妹のスキンシップが過剰に感じられる時はあるものの、人を殴るような性格ではなかったはず。
そんな梓がここまで暴力的になったのは、彼女を独りにしてしまった唯のせいだ。
AMF基地の地下で囚われた嶺華を見た、あの日。
神代家を飛び出してから今日まで、唯は嶺華を助けたい一心で行動してきた。
けれどその間、大事な家族である梓のことをおざなりにしたことは否定できない。
姉として、妹を守ってやることができなかった。
梓の心に深い傷を負わせたのは事実だ。
「ごめん、なさい…………」
「謝るのは洗脳が解けてからにして! くそっ、しぶとい次元障壁だなぁッ!!」
短剣を逆刃に持ち替えた梓は、唯をすり潰す勢いで体重を掛けてくる。
「いぎッッッ!!」
唯は痛みに悶絶しながらも、許しを乞うべく藍虎を見上げた。
そこで気づく。
牙獣のヘッドギアに囲まれた妹の顔には、焦りが浮かんでいることに。
「(梓…………)」
洗脳という妄言を連呼するのは、自らに言い聞かせるため。
たとえ突き放されても、絶対に唯を諦めない執着心。
単純な血縁関係を越えた、強い強い依存。
梓は、唯がいなければ壊れてしまうのだ。
だから彼女は、何が何でも唯を連れ戻そうとしている。
本当に追い詰められているのは、梓の方だ。
家族と一緒にいたい。
家族と離れたくない。
家族を、失いたくない。
その気持ちは、長年にわたり仲良し姉妹を営んできた唯には、身が裂けるほど理解できる。
「梓!! 私が悪かった!! 本当に、ごめんなさい!」
「黙れ……」
「どうやって償えばいいか分からない! けど、私は」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!!!」
金切り声と共に右手を振りかぶる梓。
鋼の拳の宛先は、唯の顔への直撃コース。
避けられないと悟り、追加の痛みを覚悟した直後。
唯は反射的に首を振って殴打を回避していた。
「(あれ、体が動く…………?)」
もう一度網膜プロジェクターの表示をよく見ると、緑色の文字が『Recovered』に変わっていた。
背部装甲が甲高い吸気音を叫び、四肢に再びエネルギーを供給していく。
指先が、手首が、腕が、徐々に制御を取り戻す。
「(直った! これで…………でも…………)」
業炎怒鬼のダメージコントロール性能は梓の猛攻を上回った。
間もなく完全に力が戻る。
そうすれば、梓の剣など容易に振り払い、形勢を逆転できるだろう。
炎鬼の鎧もそれを望んでいる。
だがしかし。
泣きながら姉に縋り付く妹を突き飛ばしたとして、その後何と声をかければ良いのだろう。
唯は嶺華の元へ帰る。
それは揺るがない。
だから妹に対しては、姉のことは忘れて一人で生きろ、と言うべきなのか。
否。
そんな無慈悲な言葉を聞けば、今度こそ梓は孤独の闇へと転落してしまう。
そもそも唯が嶺華を助けたいと思ったのは、家族のいない彼女の苦しみを見過ごせなかったからだ。
天涯孤独なんて運命、間違っていると思ったから。
じゃあ、梓に対する唯の仕打ちは、正当化できるものなのか。
「(私、家族失格だな)」
唯の中に生じた疑問と罪悪感は、紅蓮の鬼から反撃する気力を奪った。
梓を苦しめ、傷つけ、追い詰めた犯人は、紛れもなく唯だ。
唯の体に注がれるこの痛みは、苦しみは、罪に対する罰だ。
罰を受け入れなければならない。
心の奥底から強迫観念が湧き上がる。
史上最低姉貴のお前は、このまま妹の怒りに身を委ねるべきだ。
最悪殺されてしまっても、それは罪を犯した自分への正当な裁きなのだと。
「壊れろおおおおお!!!!」
涙を流しながら絶叫する梓は、全身全霊で短剣の柄に力を込めてきた。
一層激しい火花を散らす炎鬼の鎧が、不協和音を奏でて軋む。
次元障壁残量、40%……35%……30%。
ポップアップした黄色の警告ウィンドウが、これ以上のダメージは許容できないと訴える。
デッドラインが刻々と迫る。
けれど、唯は動けない。
動かない。
「ごめんなさい…………ごめんなさい…………」
唯の敗因は、アームズの力が足りなかったことではない。
大切な家族を傷つけた自分を、許せなかったことだ。
心神喪失状態となった唯が、愛する妹に命を差し出そうとした、その時。
轟く雷鳴が鼓膜を殴りつけた。