第63話 疾風の双刃
燃え落ちた唯の自宅跡地にて、対峙する二人の姉妹。
片方は紅蓮の装甲を、もう片方は藍色の装甲を身に纏う。
「なんで、梓がアームズを!?」
「はああああッッ!!!!」
唯の問いかけに対し、返事の代わりに飛んできたのは短剣の閃撃。
「ッ!」
咄嗟に構えた赤黒剣の腹で鋭利な刃を受け止める。
次元障壁同士が干渉し、オレンジ色の火花が弾け咲く。
「やッ! やッ! やあああッ!!!」
梓の攻撃は単発ではなかった。
左手を横薙ぎに振ったと思ったら、直後に右手の斬り上げが飛んでくる。
縦、斜め、水平、刺突。
様々な角度から繰り出される二振りの短剣。
両手の刃をバラバラに動かす時もあれば、二本を同時に振り抜く時もある。
一撃一撃の攻撃力は低い。
だが、目にも止まらぬ連続攻撃は凄まじい瞬間火力を叩き出す。
「何がッ、どうなってるの!?」
梓の猛攻に翻弄されつつ、唯の胸中には困惑が渦巻いていた。
装者という職業は、誰でもなれるものではない。
コアユニットに対する適合率。
その数値が先天的に高い人間でなければ、アームズを纏うことができないからである。
アームズを動かせるほど高い適合率を示す人間は数万人に一人と、極めて少ない。
ただの一般人だった唯が最前線で戦うAMF装者に抜擢されたのも、生まれつき高い適合能力を有していたせいだ。
「(私がAMFを抜けたから、代わりに梓が新しい装者に選ばれた…………でも、いきなりアームズを使えるなんて、そんなはずない!)」
適合の才能は、唯と同じ血が流れる梓にも備わっている。
ただし、適合率が高いだけでは装者として未完成だ。
当人の適正に合致した最適なアームズ。
動作試験を繰り返し、大勢の整備スタッフの手によって施される緻密な調整。
そして、鎧と武器を自在に操るための、装者本人の地道な鍛錬。
三拍子揃うことで初めて実戦の場に立つことができる。
唯だって、高校在学時から合わせて3年以上の厳しい訓練を経て、やっと式守影狼をまともに扱えるようになったのだ。
一方、梓が籍を置いていたのは後方支援専門のAMF予備隊。
もちろん唯が知る限り、装者としての訓練など受けていないはず。
しかし、梓は現に目の前で、藍色のアームズを身に纏っている。
「説明して! この1ヶ月であんたに何があったのよ!?」
「お姉ちゃんには関係ない! それよりお姉ちゃんこそ、今まで何してたの?」
「何って、それは」
「やっぱ答えなくていいよ、言わなくても分かるから。
どうせ毎日あの女に跪いて、尻尾振って奉仕でもしてたんでしょ。
ほんと汚らわしい。
その服もお姉ちゃんの趣味じゃないし」
梓は業炎怒鬼の鎧に対し、嫌悪感に満ち溢れた視線を向けてくる。
確かに唯の家のクローゼットには、肩を露出させた服や、焔模様の刻まれた派手な服は無い。
普段着では絶対に選択しない装束である自覚はあるが、この鎧は最愛の人から託されたもの。
彼女のことまで貶された気がして、ムカついた唯は初めて反論した。
「勝手な妄想しないで。これは嶺華さんから頂いた、大切な鎧なの。私はこのアームズで」
「黙って! あの女の服なんて、すぐに斬り刻んで脱がしてあげるから!」
梓は、唯の言葉に耳を傾けることも、攻撃の手を緩めることもしなかった。
会話など一切期待していないと言わんばかりに、藍色の装甲を纏った少女は容赦のない斬撃を加速させる。
短剣の刃が唯の装甲に触れる度、網膜プロジェクターに表示されている次元障壁の耐久値が僅かに減少した。
「(残量はまだ余裕だけど、地道に削られたら危ないかも)」
次元障壁は、銃弾やミサイルといった通常兵器であれば、その全てを防ぐことができる。
かつての人類が械獣たちに滅ぼされかけた理由もそれだ。
対抗手段は、同じく次元障壁を展開できるアームズのみ。
斬撃、爆杭、徒手空拳。
形は様々であれ、アームズから生み出される攻撃は次元障壁に干渉できる。
その攻撃を短時間の内に連続で当てることにより、次元障壁は削られ、弱体化し、やがては消失する。
械獣との戦いだけでなく、アームズ同士の戦いでも同じ。
業炎怒鬼の次元障壁がいかに堅牢であっても、このまま相手のアームズによる攻撃を喰らい続ければ、いつかは破られてしまう。
「動かないでよ、お姉ちゃん。動いたら剣が当たらないでしょ!」
「ああもう! しつこい!」
短剣の間合いから逃れようと、後ろへ後ろへとバックステップしていく唯。
そんな姉を執拗に追いかけ、一歩、また一歩と踏み込んでくる梓。
結局二人の距離は変わらず、唯は斬撃が届く範囲から出られない。
「(とにかく梓の動きを止めないと。爆炎でひるませてから…………いや、ダメだ!)」
梓が突然アームズを纏えるようになった理由は謎だが、実戦経験が浅いことは確か。
式守景虎とやらのスペックも不明であるものの、所詮はAMFのアームズだ。
次元障壁の耐久はたかが知れている。
対して、唯が手にしているのはスラクトリームを次元障壁ごと斬った剣だ。
この赤黒剣を全力で振り抜けば、目の前の少女を真っ二つにすることなど造作もない。
けれど。
「(そんなことできるか!!)」
たった一人の肉親、愛する妹に刃を向けるなど、唯には到底無理であった。
梓に対して唯から攻撃することは、姉としての矜持が断固拒否。
それでも彼女を止めたいならば、言葉をかけ続けるしかない。
「梓! 嫌なことが沢山あって、あんたが辛い思いをしたのはよく分かった!
でもそれは、私とあんたが戦う理由にはならないでしょ!」
「黙れって言ってるじゃん!! 洗脳されたお姉ちゃんの言葉なんて聞きたくない!! やあああッッ!!!」
説得を試みる唯の顔面めがけて、短剣の切っ先が急接近。
「うおッ……」
反射的に仰け反った唯はブリッジの姿勢をとると、瞬時に右足を跳ね上げた。
「フッ!」
考えるよりも先に体が動いた。
仮想戦闘シミュレーションで幾度となく繰り返した、強靭な械獣たちとの死闘。
今しがた放ったキックは、訓練の中で何度も手痛い被弾を経験するうちに、唯の体に染み付いた反撃行動の一つだった。
正面からの急所攻撃をカウンターに転ずるこの技、我ながらキレイに決まったと思う。
問題があるとすれば、手加減ができないことくらいか。
「がはッッッッ!!」
骨ばった脚部装甲の爪先が、愛する妹の腹部にクリーンヒット。
刺突の重心移動とは真逆の運動エネルギーをもろに喰らい、体をくの字に折った梓は3メートルほどの高度まで打ち上げられた。
そのまま硬いコンクリートの地面へ頭から落下する。
「(やべ、思いっきり当てちゃった)」
姉としての矜持、終了。
頭の片隅には手加減しようという気持ちもあったが、余裕が無さすぎて炎鬼のじゃじゃ馬出力を抑えきれなかった。
梓がアームズを纏ったことには驚かされたが、やはり戦闘能力はこちらが上。
唯は態勢を立て直しつつ、倒れ伏す妹に向かって言い訳じみた謝罪を口にする。
「ごめん! 今のは違うっていうか、正当防衛っていうか。梓を傷つけるつもりは」
「痛たた…………」
お腹を押さえながら苦悶の表情を浮かべる梓。
「やっぱり、お姉ちゃんは強いね。わたしなんかじゃ全然届かないよ」
諦観混じりの声を漏らしつつも、唯を睨みつけながらよろよろと身を起こす。
「お姉ちゃんを取り戻すには、お姉ちゃんを超える覚悟が必要、か」
梓は片膝をついたまま、アームズの腰に備わっているポーチを開いた。
中から取り出されたのは、薄い直方体のケース。
「?」
唯は脈略の無い妹の行動に首をかしげた。
ぱっと見、彼女の手にある物体は、コンビニのレジ脇に置いてあるような、メントールの効いた清涼菓子の容器に似ている。
「だったら見せてあげる。わたしの覚悟を」
梓がトントンとケースを振ると、真っ白な錠剤が手のひらに転がり出た。
「お姉ちゃんと一緒に暮らす。お姉ちゃんと添い遂げる。そのためなら、何でもするってことをね!」
そう言うと梓は、手のひらの錠剤を一気に呷った。
ガリガリという音を鳴らしながら、硬そうな錠剤を無理やり噛み砕いていく。
何やら怪しげな薬を服用した妹を見て、思わず心配してしまう唯。
「梓? あんたそれ、大丈夫なやつ…………?」
変化はすぐに表れた。
「うぅぅ…………ガルゥゥゥ………………」
女子高生の声帯から発せられたとはにわかに信じがたい、獣のような唸り声。
短剣を掴んでゆっくりと立ち上がった梓の目が、カッと見開かれる。
「グルァアアア!!!!!」
咆哮が聞こえた。
そう思った直後、藍色の装甲は唯の視界から掻き消えていた。
「は!?」
慌てて長剣を構え直すも間に合わず、唯の背中に強い衝撃。
紅蓮の装甲が軋み、トラックに撥ねられたかのような勢いで吹き飛ばされる。
「うわあッッ!!!!」
地面をゴロゴロと転がりながら、唯は自分が飛び膝蹴りを浴びたことに気付く。
それから一拍遅れて、唯の耳にけたたましいアラート音が鳴り響いた。
業炎怒鬼に備わった攻撃予測機能が発動したのだ。
網膜プロジェクターに映る赤いマーカーが、次なる攻撃の軌道を示す。
「ガルゥ!!」
「くッ!」
長剣を水平に倒し、追撃の縦斬りを受け止める唯。
今度は辛うじてガード成功。
剣の腹で銀の刃を跳ね除け、続けざまの刺突は体を捻ってギリギリ回避。
次も、その次も、藍虎の攻撃方向は紅蓮のアームズに搭載されたセンサー類と演算能力が正確に予測してみせる。
これこそ業炎怒鬼の真髄。
唯はマーカーの表示に従うだけで、全ての攻撃を防ぐことができるはずだった。
しかし、一度に表示される予測軌道の数が10を超えるともなれば話は別。
「(速い速い!?)」
あまりのスピードに、上下左右から同時に剣が飛んでくるような錯覚に陥る。
眼球を動かす速度よりも速い波状攻撃が、予測通り一斉に唯を襲う。
うち一つに長剣を合わせた所で、他の攻撃は防ぎきれない。
斬撃、斬撃、時々キック。
加速した梓の攻撃速度は、かつて相対したデリートをも上回っていた。
明らかに、さっき服用した白い錠剤の影響。
副作用のようなものがあるかは知らないが、ノーリスクでこんな荒れ狂う力を振るっているとは思えない。
このまま梓と戦い続けたら、お互いにとって良くない結果になる。
嫌な予感というより確信を持った唯は、彼女を止めようと必死に叫ぶ。
「梓! やめてッ」
「ガるガるガるガるガるガるガるガるガるガるガるガるガるガるガる!!!!」
人語ではなかった。
殺気立つ獣の息遣い。
唯の脳内では、『説得』の二文字が否応なしに『防御』へと置き換えられる。
突風の如き機動力で目まぐるしく立ち位置を変える式守景虎。
止まらない連続攻撃。
唯は攻撃予測の中でも特に危険な、首や目といった急所を狙うものに絞ってガードを行う。
それが手一杯。
足、腕、腹、背中と、次々に叩き込まれる攻撃は甘んじて受けるしかない。
体のあちこちで次元障壁の火花が散り、炎鬼の守護が少しずつ減じてゆく。
被弾箇所からじわじわと湧いてくる痛みに顔をしかめる唯。
少しでも梓の姿を捉えようと、閃光にくらむ目を凝らす。
その時、唯はさらに恐るべきものを目撃した。
梓の右腕に接続された、長さ約50センチメートルの赤い杭。
「(なッッ……あれはマズすぎる!)」
械獣を打ち倒すため、人類が開発した必殺兵装。
唯の命を何度も救ってきた切り札・丙型燃焼杭。
その矛先が、今度は唯へと向けられている!
「(冗談じゃないッ!)」
爆散する械獣たちの最期を思い出した唯は、同じ運命を辿る自分を想像して震え上がった。
かの兵装は、次元障壁を抉り取りながら突き崩す破城槌だ。
業炎怒鬼の防御力でもってしても、直撃すれば大ダメージを負うこと必須。
アレに当たってはならない。
唯は必殺兵装が放たれる前兆を絶対に見逃すまいと、梓の右手に最大限の警戒を注ぐ。
だが、その反応こそ梓の思うつぼだった。
丙型燃焼杭に気を取られるあまり、おろそかになる通常攻撃のガード。
その隙を、姉の不覚を認識し、目を細める梓。
トリガーボタンに指をかける右手ではなく、短剣を握った左手が動く。
対処が遅れた長剣の裏をすり抜けるように、唯の顔の真下から差し込まれるアッパーカット。
「あぎッ!」
顎先に短剣の柄を強打され、舌を噛んでしまった唯は強制的に天を見上げる羽目になった。
赤みを増した夕焼け空が目に沁みる。
それはつまり、必殺チャンスを伺う梓に対し、無防備な懐を晒すことを意味していた。
唯の口内で鉄の味が広がるよりも前に、藍虎が加速する。
「グルルルゥゥ……終わりだァァァ!!!」
梓は腰を低くしながら踏み込むと、姿勢を崩した唯の胸元を狙ってまっすぐに右拳を突き出してきた。
「(やばい、撃たれる)」
鬼気迫る梓の叫びを聞きつつ、今の体勢で取り得る選択肢を必死に手繰り寄せる唯。
正面から杭を受け止めれば長剣が破損する可能性があるため、ガードは不可。
体を捻る程度では、式守景虎の俊敏なフットワークによって即座に狙いを修正されてしまう。
ならばと唯は真上へと跳躍し、右拳の軌道から逃れた。
唯の足の下すれすれを、赤い杭を装備した腕が通り抜ける。
必殺兵装の弱点は、一発限りであること。
回避してしまえば、二発目は無い。
しかし。
「甘いよお姉ちゃん」
「なッ」
唯が立っていた場所で、梓はトリガーボタンを押さなかった。
単純な右ストレートはフェイント。
その場でギュルンと180度ターンした梓は、右腕を掲げながら地面を蹴る。
「(しまった!)」
唯は先にジャンプしてしまったことを悔いた。
飛行能力を持たぬ業炎怒鬼は、空中で自由に動くことができない。
一度跳躍したら、あとは落下するだけ。
おとなしく重力に従う唯を迎えたのは、鋼の拳と赤い杭。
二人の姉妹が空中で交錯する間際、今度こそ梓の指がトリガーボタンを押し込んだ。
『ヒートストライク』