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鎧装イリスアームズ ~超次元に咲く百合~  作者: 秋星ヒカル
第二章 愛憎螺旋 編 
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第61話 炭


 人気のないマンションの裏庭。

 道路からは死角となっている場所で、一筋の亀裂が口を開ける。

 地球上の物理法則を無視して宙に浮かぶ神秘の裂け目。

 その奥から歩いてきたのは、紫がかったショートヘアーの女である。


「(よっと)」


 足音を立てないように気を付けつつ、唯は空裂を飛び出した。

 その装いはオシャレとは程遠い、上下紺色のスポーツウェア。

 目深に被ったキャップと片耳に下げたカナル型イヤホン。

 運動の秋ということで、ランニングに励む一般人の変装である。

 残暑が和らいで過ごしやすい季節になり、土曜日の午後に一汗かこうという市民はそこら中にいるだろう。

 背中の荷物がやや大きいことに目を瞑れば、マルルが選んだコーディネートは違和感なく街並みに溶け込めていた。

 

 隣家の屋根の向こうに覗く10階建てのビルをひと睨みしつつ、唯は足早に家路を目指す。


「(今日は学校も休みだし、(あずさ)は家にいるのかね…………それ以前に、まず家に近づけるかって問題だけど)」


 妹と決別してから1ヶ月、久しぶりの敷城市。

 大通りから一本外れた裏道を静かに走りながら、AMF側の体制について推察する。

 デリートとスラクトリームの襲撃直後で人手不足だった前回と違い、人員の再配置は完了しているとみて間違いない。

 今度こそ神代家を監視する隊員がいてもおかしくないだろう。

 唯は軽いジョギングフォームを流しつつ、背中の布袋に収まった長剣をいつでも取り出せるように意識する。


 秋の日差しが傾き始める中、あっという間に神代家の近くまで到着。


 1ヶ月前に確認した通り、唯の自宅周辺はスラクトリーム襲撃による被害を免れている。

 立ち並ぶ家々は唯の記憶にある景色から変わっていない。

 現在は避難指示も解除されているようだし、この地区の住民たちは既に日常生活に戻っているはずである。

 つまり、ただの通行人に鉢合わせるリスクは非常に高い。

 嶺華のように目立つ髪色ではないにしろ、ご近所さんに顔を見られたらすぐに唯だと見破られてしまうだろう。

 偶発的な出会いにビクビクしながら、唯は歩き慣れた道をぎこちない足取りで進む。

 目的地に近づけば近づくほど、誰かに見つかるかもしれないという緊張感が膨れ上がっていった。


「(梓の顔だけ見たら、さっさと帰るぞ……)」


 嶺華との共存を拒否した妹を、今日すぐに説得できるとは思っていない。

 ただ、唯が指名手配となったことで、梓の暮らしにダメージが波及していないかを確かめたいだけだ。

 駆け足を忍び足へとシフトさせながら、唯は外出の目的を改めて心に留める。


 やがて、自宅までの経路における最後の曲がり角が見えてきた。

 2メートルほどの塀に囲まれた隣家の脇を右折すれば、唯の家が視界に入るはずだ。

 真正面から突撃する前に、塀に背中をぴったりと張り付けて身を隠し、深呼吸を3回。


 ちょうど1ヶ月前もこんな状況だったと思い返す。

 自分の家なのに、敵地に乗り込むかのような感覚。

 嶺華の護衛が無い分、あの時より身軽な気持ちではあるが。


 もはや長剣を背負うことは止め、胸の前でしっかりと柄を握りしめる唯。

 AMFの伏兵が待ち構えている可能性も承知の上で、白昼堂々姿を晒す覚悟を決めた、その時。


「(…………ん?)」


 ふと、焦げ臭い匂いが鼻についた。


 近隣住民がBBQでもしているのかと思ったが、話し声や肉の焼ける音は聞こえない。

 キッチンの換気扇から漏れるような微々たる匂いでもなかった。

 もっと大きな何かが、燃えたような。


 胸騒ぎがして、唯は塀の陰から飛び出した。


「…………………………………………………………………………」


 嶺華と出会う前までは、唯にとって自宅こそが、ただ一つの安息の地だった。

 AMFの仕事がどんなに過酷でも、家に帰れば温かいお風呂とベッド、それに家族が待っていた。

 一つ屋根の下、愛する妹と暮らしていた、大切な場所。


「…………………………………………………………………………」


 角を曲がった先には、唯の家がある。

 はずだった。


「…………………………………………………………………………」


 思考が停止する。

 現実を受け止めることが、できない。


 民家が立ち並ぶ住宅街の一区画に、ぽっかりと開いた黒い領域。

 玄関のドアも、窓も、外壁も、屋根も…………見当たらない。

 神代家が建っていたはずの土地には、人が住むために必要なものが何一つ残っていなかった。

 黒焦げになった住宅の基礎部分だけが放置されており、静かに煙を燻らせている。



 神代家、全焼失であった。



 何度瞬きを繰り返しても、視界に映るのはどこからどう見ても『焼け跡』と形容せざるを得ない惨状。

 唯の大切な場所は見る影もなく、崩れ去った建材は犬小屋以下の灰燼に帰している。


「は…………は……………………」


 呆然と立ち尽くす唯の口からは、無意識に笑い声が漏れていた。

 ショックが一周回って面白く思えてきたのかもしれないが、あいにく脳は正常な笑い方を忘れてしまっている。


 家で待つ妹の様子を見に来ただけなのに、肝心の家そのものが消えていた。


 では、当の妹は、梓はどこへ行ったのか。

 唯と別れ、孤独になった一人の少女は。


「まさか、梓は……」


 煤で汚れた瓦礫を見つめていると、最悪の想像が脳裏を掠める。

 だが、妹の安否を案じている暇は無かった。



「そこを動くな神代唯!!!!」



 ドアを蹴破るような音が四方八方の住宅から響く。

 続いて、硬い軍靴の足音、足音、足音。

 一体何人隠れていたのやら。

 脇道や隣家の中から次々わらわらと、ライフル銃を構えたAMF隊員たちが湧き出てくる。

 銃口の列が扇を描き、あっという間に唯を包囲した。

 

 絵に描いたような待ち伏せ。

 街の監視カメラか何かのおかげで、唯の接近は筒抜けだったのだろう。


「お前にもう逃げ場は無い!」

「住民たちは予め避難させてある。我々は火器の使用に一切躊躇しないぞ」

「武器を捨て、おとなしく投降すれば」


 包囲陣形の最前列に並ぶ隊員たちが早口でまくし立てる。

 眼前の逃亡犯が銃口に怯え、両手を上げて対話に応じてくれると信じて。


「…………装動」


 唯の口から、苛立たしげに漏れた音。

 それは、我が身に鬼を宿す認証の言葉。

 現実を受け止め、感傷に浸る時間すら与えられなかったことに対する怒りの声が、渦巻く敵意を迎え討つ。


 隊員たちがライフル銃の引き金を引く前に、唯は分厚い鞘から刀身を引き抜いていた。


「撃て! 早く撃つのだ!!」


 隊員たちの声は、唯の耳には遠く、くぐもって聞こえた。


 銃声よりも先に、火柱の盾が唯を包む。


 空間を食い破るかのように、たちまち燃え広がってゆく世界。

 ゆらぐ炎に滲む視界。

 唯を飲み込む仄暗い星空。

 暗闇に怯むことなく、遥か遠くの光の海へと手を伸ばす。

 星空の彼方から、赤い流星一直線。

 熱を帯びた鋼の装甲が唯の体に降り注ぐ。

 爆ぜる炎に身を任せ、唯は紅蓮の鎧と一つになった。


『クリムゾン・オーガ』


 ギザギザ峰の長剣を振るい、舞い踊る火の粉を背に浴びて。

 二角の鬼が大地に立つ。



 ◇◇◇◇◇◇



 唯は腕部装甲の調子を確かめるように手のひらを開閉した後、己を取り囲む隊員たちを睥睨(へいげい)した。


「私は、あなたたちを斬りたい訳じゃない。武器を捨て、おとなしく投降して」


 さっき言われた言葉を、そっくりそのまま返してやる。


 唯の足元。

 撃ち込まれた無数の銃弾は全て、ぐにゃりと歪んだ形状で転がっている。

 対人用の弾をいくら打ち込んだ所で、炎鬼の次元障壁は揺るがない。


「…………わ、分かった」


 手元の装備だけでは唯を止められないと悟り、リーダー格の男が声を震わせながら頷く。

 たかが歩兵を十数人集めようと、アームズを纏った装者の前では道端の石ころも同然。

 隊員たちは蒼白な顔を見合わせると、ライフル銃をゆっくりと地面に置いた。

 数の上ではAMF側が圧倒しているというのに、抵抗しようと考える愚者は一人としていなかった。


 西日に照らされた刺々しい装甲。

 その表面に刻まれた、メラメラと燃え上がるような真紅の焔模様は、常人には重すぎる威圧感を投げかけている。


「(うん、シミュレーション通りで大丈夫だ)」


 自宅焼失の動揺をひとまず棚に上げた唯は、鎧を纏った後も正気を保てていることに安堵した。

 初めて業炎怒鬼(ゴウエンドキ)を纏った時のような、抑えが利かなくなる情動は発現していない。

 後頭部をチリチリと焼く感触は僅かに存在するものの、破壊衝動の誘惑に飲まれて闇雲に剣を振り回すことはなかった。

 仮想の荒野で浴び続けた獣欲を、唯は自らの意志で制御できている。


「いくつか聞きたいことがあるの。私の家がなんでこんなことになっているのか。あと、私の妹はどこへ行ったのか」


 銃口の代わりに、赤黒い刀身を突きつける唯。

 狩り甲斐のある獲物がいなくて気乗りしないのか、背部装甲の吸気音は控えめ。

 それでも、隊員たちの怯えっぷりはまるで肉食獣に睨まれた無力な草食動物だ。

 炎鬼に歯向かう部隊がどのような運命を辿るのかは、火を見るよりも明らか。

 壊滅した第一小隊の末路を共有されているはずの彼らは、唯の恐ろしさを十分に理解している。


 この場の支配権は、完全に唯の手中にあった。


「ねえ、教えてくれない?」


「…………」


 リーダー格の男に問うてみたが、彼は黙って目を伏せるのみ。

 横に並んだ隊員たちの顔を順番に見ていくも、皆同じように目を逸らしてしまい、アイコンタクトが成立しない。


「これでも元同僚なんですけど。雑談くらいしたっていいじゃない」


 隊員たちは業炎怒鬼の禍々しい容姿にすっかり萎縮してしまった。

 しかし唯としても、妹の安否を確認するまでは母艦に帰れない。


 徐々に夕陽が傾いていく中、誰の益にもならない無駄な時間が過ぎていく。

 さっさと答えてくれればいいのにと、ため息をつく唯。


 しかし、そんな膠着状態を破ったのは、予想外の声だった。



「やっと来たんだ」



 波紋一つ無い水面に石ころを投げ入れたかのように、場の空気が一変する。

 隊員たちの作る人垣が左右二手に分かれた。

 彼らの後方からゆっくりと歩いてきたのは、一人の女。


 背丈は唯よりも一回り小さい。

 首から足先までは藍色の外套にすっぽりと覆い隠されている。

 襟が左右非対称に立ったユニークなデザインの外套は、まるで竜巻のよう。

 頭髪はバッサリと短くカットされ、ピンクのメッシュまで入っていた。


 けれど。

 見慣れぬ格好や髪型ではあるが、その声、その顔立ちを、唯が忘れるはずがない。


 そこにいたのは、愛する妹・神代梓であった。


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