第58話 修行無常
静寂、いや、風の音。
意識が飛んだような感覚を乗り越え、おっかなびっくり目を開ける唯。
「……………………へ?」
もしもこの場に鏡があれば、唯は狐につままれたような自分の顔を拝めただろう。
照りつける太陽。
荒れ果てた大地。
見渡す限りの地平線。
異次元に浮かぶ艦に乗っていたはずの唯は、いつの間にか地球の景色の中に立っていた。
星見の部屋はどこへやら。
というか、部屋ですらない。
何度瞬きを繰り返してみても、赤茶色の大地に高々と陽が昇っている。
「どこですかここーーーーーーーーーーー!!!?」
唯の絶叫は、雲ひとつ無い晴天に吸い込まれた。
何日も雨が降っていないのだろう。
乾いた地面はひび割れ、砂埃が舞っている。
気候としては、赤道より少し南の地域だろうか。
「えぇ…………????」
いきなり見知らぬ荒野に放り出され、唯の頭はパニック状態。
すると、背後から聞き慣れた声が響いた。
「あら唯さん。無事に接続できたようですわね」
振り向けば、ゆったりとした足取りで近づいてくる嶺華。
「嶺華さん!? この南半球っぽい場所はいったい…………って、今どこから来たんですか!?」
少女の姿を見て安心しかけた唯だが、同時に奇妙な違和感を覚えた。
360度遮蔽物の無い平地なのに、手の届く間合いに入るまで気が付かなかったのだ。
まるで虚空から現れたかのよう。
目を白黒させる唯に対し、嶺華は平然とした様子で説明する。
「落ち着いてくださいまし。これは仮想現実ですの。わたくしたちの体は今もセンタールームにありますわ」
「思いっきり太陽出てますけど!? お日様が心地いいんですけど!?」
日差しの熱を肌で感じる。
踏みしめる土の感触も、吹き抜ける風の音も本物と相違ない。
仮想現実用のゴーグルを被っただけでは、こんな感覚は有り得ないはずだ。
「体の感覚も含めて、唯さんが見ているのは全て作り物の景色ですの」
『本艦のシミュレーション機能により、神代唯の脳内で地球の気候を再現しました』
どこからともなく聞こえる声。
壁も天井も無いのに、マルルの声はクリアに聞こえる。
「今、脳内って言いました?」
「マリザヴェールのシステム内で、わたくしと唯さんの意識が繋がっていますの。『同じ夢を見ている』と言った方が分かりやすいですわね」
五感を自在に操りながら特定の夢を見せ、複数人の意思疎通を成り立たせる。
そんなことが可能なのか。
にわかに信じれらない唯だったが、現に体験してしまっている。
以前嶺華が話していた『ラーニングギア』とかいう睡眠学習装置と似た仕組みなのかもしれない。
限りなく現実に近い仮想空間に呆然とする間もなく、黄金色の少女が指示を出した。
「マルル! 早速始めてくださいまし!」
『レベルはいかがいたしましょう』
「最初は肩慣らし程度がいいですわね」
『承知しました。ディノトレーナー・タイプAをロードします』
マルルのアナウンス直後、足元を突き上げるような揺れが襲った。
「今度は何ですか!???」
尻もちをついた唯の目が、前方に生じた異物を捉える。
大地から噴出する土煙。
蜃気楼をゆらめかせ、立ち上がってゆく黒い影。
砂塵のベールが剥がれると、巨大な体躯がぬっと現れた。
その強烈な威圧感に、唯の背筋が凍りつく。
「まさか、械獣!?」
メタリックな灰色の装甲に覆われた体長は、目視で5メートル程。
太い四本の脚に、背中には鉄板を突き刺したような背びれが並ぶ。
シルエットだけならおとなしい草食恐竜のようだが、ゴツゴツした頭骨はまっすぐ唯を睨んでいる。
『ディノトレーナー・タイプA。戦闘シミュレーションの仮想敵です』
どうやら、目の前の械獣はマルルによって呼び出されたものらしい。
「ほら唯さんも。早く剣を抜いてくださいまし」
「わ、分かりました!」
嶺華に言われるがまま、黒い長剣を胸の前で構える唯。
械獣を前にして、装者は怯えてなどいられない。
「業炎怒鬼、装動…………!!!」
認証の言葉と共に、赤黒の剣を引き抜いた。
外気に晒される真っ黒な刀身。
ノコギリのようなギザギザ峰と、血のように赤い焔模様。
やがて襲ってくるであろう灼熱の痛みに耐えるべく、唯は歯を食いしばった。
が、何も起こらない。
剣を振り回してみても、周囲に空裂が開いていなかったのだ。
「……………………あれ?」
唯が首をかしげた所で、マルルの一声。
『業炎怒鬼をロードします』
次の瞬間、唯は鬼の装甲を身に纏っていた。
「え! いきなり!? ぐぅあっ…………!!」
頭の奥に灯る、チリチリとした感覚。
背筋を駆け上がる、ゾクゾクとした感覚。
「本当にこれも仮想!? 力が、漲りすぎて…………!」
デリートと戦った時と同じ、暴力のリミッターが外れていくような衝動が心身を巡る。
『神代唯の脳には、本物の業炎怒鬼と同じ脳波刺激を付加しています。剣の操作も含め、極めて実戦に近い感覚を養えるでしょう』
「つまりっ! この状態に慣れろってことですねッッ!!」
拳を握りしめた唯の口角は、無意識のうちに上がっていく。
早く暴れ回りたい。
巨体をぶっ壊してやりたい。
械獣に向かって闇雲に突っ込もうとする寸前、少女の声が耳に届いた。
「『ステ五郎』は鈍足ですけれど、パワーは侮れませんわ。業炎怒鬼との力比べにはうってつけの相手ですの」
「ステ五郎!?」
間抜けな名前に思わず聞き返してしまう。
「わたくしがそう呼んでいるだけですの。『タイプA』よりは愛嬌があるでしょう?」
「見た目は全然可愛らしくないんですけど…………ふふっ」
凶悪な造形とあだ名のギャップに噴き出す唯。
だが嶺華のお茶目な発言のおかげで、身体の力みがちょっと抜けた。
「さあさあ唯さん! 遠慮はいりませんわ! 思いっきりステ五郎をぶちのめしてご覧なさい!」
「了解です!」
冷静さを取り戻した唯は、改めて械獣に向き直る。
鬼の装甲が大地を蹴るのと、四足歩行の巨体が走りだすのはほぼ同時。
械獣と真正面からぶつかった唯は、爬虫類のように尖った顎を両手で受け止めた。
「はあッッ!!」
両者の力は拮抗。
アームズの踵がじりじりと下がっていることから、唯の方がやや不利か。
嶺華の言う通り、械獣の膂力は凄まじい。
「業炎怒鬼の力はそんなものではありませんの! 衝動に飲まれないよう注意しつつ、力の出し方を掴むのですわ!!」
「ぐぅぅ……うおおおお!!!」
破壊の力よりも、応援してくれる彼女の言葉を信じる。
全身に漲る力を集め、両腕をねじりながら押し込んでゆく唯。
今度は械獣の巨体が後退った。
このまま敵の体幹を崩すことができれば、赤黒剣の一撃にて大ダメージを与えられるだろう。
「こいつを倒せば! 訓練は終わりなんですか!?」
「まさか。簡単に終わってしまったら訓練になりませんの。すぐにタイプBとタイプCの準備に入りますわよ!」
『承知しました』
「うへぇ」
よく見れば、唯と取っ組み合いをしている械獣の背後で蠢く別の影がある。
『ディノトレーナー・タイプB、スポーンまで300秒』
どうやら嶺華とマルルが用意した訓練は連戦形式らしい。
おまけに時間制限付き。
急いでステ五郎を倒さなければ、次の械獣と合わせて一対二、次の次は一対三の戦いになってしまう。
処理が追いつかなくなり、やがては械獣たちの物量に押し潰されるだろう。
「これは過酷な予感…………!」
「唯さんが乗り越えられるまで付き合ってあげますわ。まあでも、夕飯までには本日分のノルマをこなしていただきたいですけれど」
嶺華の口ぶりから察するに、この仮想戦闘訓練は毎日続くらしい。
「ご飯を美味しく食べるためにも、頑張らないとですね!」
愛する少女が話しかけてくれるおかげで、暴力的な思考はいくらか抑制されている。
今なら、アームズに強制された力ではなく、唯自身の実力を伸ばせるかもしれない。
「はああああああああ!!!!」
心と技を磨き抜け。
いつか訪れる戦のために。
偽りの世界で、本物の強さを掴め。
大切な人を守るために。
燃え盛る真紅の炎を纏い、唯は赤黒剣を振り上げた。