第57話 目標
朝食の片付けを終え、ふかふかソファーで食休め。
唯と嶺華の二人は、改めて今の状況を整理していた。
「嶺華さんは、本当に自分が何者か分からないんですか?」
「ええ。わたくしには過去の記憶がありませんわ…………ただ一つの場面を除いて」
「夢の話、ですか」
「そうですの。あの夢……いえ、唯一残っている記憶。それだけが、わたくしの進むべき道を示す手掛かりですの」
嶺華が何度も繰り返し見ていたという明晰夢。
その夢の中では、寝たきりの嶺華の前に謎の男が現れ、神託のように使命を与えるという。
「奴らの兵器を全て破壊する。わたくしの使命はまだ終わっていない」
「嶺華さんは、その…………また械獣と戦いたいんですか?」
その身体で、とは恐ろしくて聞けなかった。
けれど心配になって口を挟んだ唯。
対して、嶺華は迷わず答えた。
「無論ですわ。戦いの果てに、きっとわたくしの過去がありますの。
使命を果たし、戦い抜くことこそがわたくしの生きる価値。
失われた過去に辿りつくまで、剣を置くわけには参りませんわ」
握りしめた左手を見つめる嶺華。
一度は折れかけた心も、今は持ち直している。
片腕を失ったくらいで立ち止まる彼女ではない。
唯としては、彼女の意志を尊重することにした。
「嶺華さんが戦うなら、私にも手伝わせてください。械獣を倒すことは私たちの世界を守ることにも繋がりますから」
「いいんですの? 唯さんは、件の組織から抜け出してきた身でしょう」
確かに唯はAMFに反逆し、現在は追われる身の上だ。
人前に立つことはできないし、市民のために戦う義務も職責も無い。
だがこのまま剣を手放すかと問われると、否だ。
「械獣が出現して暴れたら民間人に被害が出る。
今の関東第三支部には装者がいないから、誰かが戦わないと大勢の人が死ぬ。
AMFに従う気はないけど、関係ない人たちを見殺しにするのは、きっと駄目だと思う」
突き動かすのは、力を持つ者の責任感か。
組織から逃げた唯だったが、械獣との戦いから逃げる気は無かった。
「敵は多い。きっと長い道のりになりますけれど…………本当に、最後までわたくしに付き合ってくれるんですの?」
「嶺華さんと一緒に居られるなら、いつまでもどこまでもついて行きます!」
赤黒剣を託された時から、唯の覚悟はとうに決まっている。
「ふふふ、それではよろしくお願いしますわ。唯さんと業炎怒鬼がいれば心強いですの」
気合十分な唯に対し、少女はにっこりと微笑んだ。
「ところで今更なんですが。嶺華さんの敵って、『械獣』って何なんですかね?」
デリートは倒した。
けれど、地球全土に出現し続ける械獣たちが、全て彼の仕業だったとは考えにくい。
地球人がアームズ装者を束ねる組織を作ったように、械獣たちにも組織があるのか。
「敵の名は『バラル』。地球に械獣を送り込んでいる元凶ですわ」
「あ、名前は分かってるんですね」
「マルルが教えてくれましたの」
一世紀も前から人類を苦しめていた敵。
それでいて、AMFが尻尾すら掴めなかった黒幕。
その名を告げられ、唯の心がざわめく。
「マルルさん。その『バラル』とかいう存在について詳しくお聞きしても?」
敵の正体、そして械獣を送り込んでくる目的とは。
はやる気持ちを抑えつつ、唯は何かを知っているらしき天井の声に解説を求めた。
『敵勢力は、正式には『バラル連邦』と呼称されています』
「連邦!? 人間と同じように社会的な生物がいるってことですか!?」
高度な知能を持った生命体が集まれば、群れ、村、町、そして、国が出来上がる。
その国が集まったものが連邦と呼ばれるのだから、擁する生命体は相当数いるということになる。
当然ながらそのような名前の集団は、唯の知る地球上には存在しない。
つまり。
「地球外生命体……」
母なる大地の外から来たる者たち。
人類の間で『宇宙人』と呼ばれる存在。
彼らがこのデンゼルスペースに住んでいるとすれば、『異次元人』という呼び方が正解か。
とにかく、地球以外の世界に文明があることは間違いない。
「その『バラル連邦』ってどこにあるんですか? 住んでる人は? 地球人よりも多いんですか?」
思い浮かんだいくつかの質問を矢継ぎ早に繰り出す唯。
しかし、天井から返ってきた答えはたった一言。
『その情報の開示には、管理者権限が必要です』
「またですか!? 権限って……マルルさんは私たちの味方なんですよね? だったら敵のことは教えてくれないと困るんですけど」
『権限がありません』
「えぇーーそこをなんとか」
『権限がありません』
昨日と全く同じ。
声色は優しいままなのに、態度は石のように硬い。
何度聞いてみても、天井の声は同じ回答を機械的に繰り返すだけだ。
「無駄ですわ。権限のことになるとマルルは一切譲歩しませんの」
「むむむ…………納得いかないけど、嶺華さんがそう言うなら」
嶺華のやれやれ顔を見て、唯は仕方なく追求を止めた。
「とにかく、わたくしたちの方針は決まっていますの。
敵がどこから来るのか不明。ですから、地球に現れた械獣共を片っ端から叩き潰す。これを地道に繰り返すしかありませんわ」
「今までとあんまり変わらないんですね」
「ええ。そのために今、一番にやるべきことがありますの」
そう言うと、嶺華はいつの間に手にしていたのか、黒い鞘に収まった長剣を唯に差し出した。
紛うことなき、本物の業炎怒鬼である。
「唯さん。わたくしと共に戦うというのなら、まずはこの業炎怒鬼の力を使いこなして頂かなければなりません」
「うっ」
少女からずっしりとした重みを受け取った途端、炎のアームズを纏った初陣を思い出す。
それは猛烈な破壊衝動に襲われた記憶だ。
械獣を殴り、蹴りつけ、投げ飛ばし。
さらに、追手のAMF隊員たちを炎の斬撃で次々と焼き払った。
AMF補佐官の岡田を斬ったことは後悔していないが、激情のあまり嶺華の存在を一時忘れてしまったことは後悔している。
「業炎怒鬼に備わった攻撃性強化機構。すなわち、脳波刺激と薬剤投与。後者はできるだけ使わないとして、問題は前者ですわ」
「装者を興奮させて、戦闘に集中させる……そんな機能、本当に要りますかね?」
元々は、嶺華の駆雷龍機では勝てない敵を討ち滅ぼすための力。
圧倒的な攻撃力と引き換えに、装者の心身を激しく消耗させる。
おまけに戦闘後は爆睡必須のバックファイア。
デメリットは到底無視できない。
「そのおかげで、唯さんがデリートに押し勝てたのも事実でしょう」
「まあそうかもしれませんけど」
あの時は『集中力が上がる』なんて生易しいものではなかった。
強烈な快楽に溺れる感覚。
破壊衝動を増長させる脳波刺激は、普段は理性に隠されている人間の残虐性を引き出してしまう。
同時に、己の中に暴力的な性状が隠れていることに気付かされ、嫌悪すら覚える。
「身体は戦闘に集中し、けれども心は冷静に。感情をコントロールすることができれば、業炎怒鬼は唯さんの力を純粋に引き上げてくれますの」
「『感情をコントロール』……マルルさんも言ってたことですよね」
言うは易し、成すは難。
そもそも、自分の感情を普段から100%コントロールできている人間などいない。
喜び、哀しみ、怒り。
自分の感情を制御する力を伸ばすには、どうすればいいのか。
滝行? 瞑想?
ぱっと思い浮かぶアイデアは、下らないものばかり。
だがしかし、これを克服しなければ、嶺華を守りながら戦うことなどできない。
「頑張ってはみますけど…………うーん、どうしたものか」
頭を抱えて思い悩む唯に対し、嶺華は優しく微笑んだ。
「そう難しく考える必要はありませんわ。昨日お伝えしたように、アームズの機体制御は『慣れ』が肝心ですの。頭を捻るのではなく、剣を振る。つまりは訓練あるのみですわね」
『本艦には仮想戦闘シミュレーターが設置されています。神代唯も自由に使って頂いて構いません』
「仮想戦闘?」
またもや聞き慣れぬ単語に聞き返す唯。
AMFに居た頃の訓練は、アームズの負荷に耐えることが主目的だった。
アームズを纏って走り回り、ハリボテのようなデコイ相手に剣を振ることはあっても、械獣との直接戦闘はぶっつけ本番。
机上の戦闘シミュレーション映像を見せられても、実際の械獣相手には通用しなかった。
天井の声が言う『仮想戦闘』は、そういったAMFの非実戦的な訓練に対する解になるのかどうか。
疑る唯の質問に答える代わりに、嶺華は手を上げて合図した。
「マルル。今すぐシミュレーターを起動なさい」
『承知いたしました』
「え? うわっ!!?」
一切の説明無しに、いきなり視界が闇に包まれた。
地面が消失してしまったかのような浮遊感。
背中に手を回しても、さっきまで座っていたソファーの感触はヒットしない。
「嶺華さん!?」
暗闇の中、彼女の姿を探す唯。
瞳孔を開きかけた直後、今度は眩い光が辺りを覆う。
唯は光量の落差に驚き、ぎゅっと目を瞑るしかなかった。