第56話 宙に満ちる力
翌朝。
寝室の壁の小窓から、差し込む光が瞼をノック。
光といっても、見慣れた太陽が昇っている訳ではない。
朝日の代わりに、流星の瞬きが降り注いでいる。
星灯りの下、今が朝だと分かるのは、枕元の目覚まし時計が鳴動しているから。
唯は心地よい肌触りの布団から身を起こすと、規則正しいアラームを黙らせた。
「ふぁぁ…………よし、起きますか」
デジタル数字が示す時刻は午前6時。
AMF基地に出勤する必要はなくなったが、主婦の仕事は続投である。
愛する彼女に朝食を作る。
そのために唯は、神代家で暮らしていた頃と同じ時間に起床するのだ。
「梓もちゃんと食べてるかな」
かつて朝食を一緒に食べていた妹の顔が脳裏をよぎる。
心配ではあったが、会えないものは仕方がない。
梓は梓なりに食べているだろう。
そんなことを祈りつつ、身支度を整える唯であった。
◇◇◇◇◇◇
「まぁ! なんとも優しい美味しさですわね」
朝のセンタールーム。
唯と共に食卓を囲うのは、大げさなリアクションの少女だ。
「こちらは何という肉ですの? 昨日の鶏肉と違ってほろほろですの。少々塩気が強いですけれど」
「お肉じゃなくて、鮭っていう魚を焼いたものです。単品だとしょっぱいので、ご飯と一緒に食べるとちょうどいいですよ」
「あむ……なんと! 白米が絡むことで旨味が跳ね上がった気がしますわ!」
焼鮭、白米、野菜スープ。
西欧風のダイニングテーブルなのに、展開されているのは洋食フルコースなどではなく、スタンダードな和食である。
魚の骨を全て取り除いてあるのも主婦ポイント高い。
「朝から豪勢な食事を頂いてしまいましたけれど、よろしいんですの? 唯さんは随分早起きしたのではなくて?」
「実はそんなに手間じゃないんです。ご飯は昨日冷凍しておいたものを温めただけですし、スープに入ってる溶き卵は親子丼の余りですし。残り物を活用するのは主婦の基本スキルですから」
「流石ですわね。残り物というわりには……十分美味しいですわぁ」
唯にとっては日常的な朝食なのだが、嶺華は記念日のごちそうのように舌鼓を打っている。
「妹を飽きさせないように、一週間被らない献立を考えてましたからね。これが結構楽しいんですけど」
「毎日違うメニューを!? 唯さん凄すぎですわ!」
「私からしてみれば、部屋からこんな景色を毎日見てる嶺華さんが凄すぎるんですが」
温かい野菜スープを飲み干しながら、唯は窓の外へと目を向けた。
果ての見えぬ暗黒空。
太陽の代わりに輝く数多の流星。
美しさに只々息を呑む、壮大な絶景である。
今この瞬間も空裂の中を泳いでいるというのに、全く実感が湧いてこない。
「艦っていうわりには、全然揺れないんですね」
この施設に嶺華を担ぎ込んで来た時は、床と地球が繋がっていないことなど微塵も想像できなかった。
地球と変わりない重力、しっかりと地に足が着く安定感。
巨大な軍艦や豪華客船だって、高波や強風が来れば揺れを感じるはずなのに。
「当たり前ですわ。『デンゼルスペース』には波も風もありませんもの」
「『デンゼルスペース』…………って何でしたっけ?」
どこか聞き覚えがある単語に、記憶の底を掘り返す唯。
大雨の逃避行の最中、嶺華がそんな単語を口にしていた気がする。
「わたくしたちが滞在している、この空間のことですわ。唯さんの宇宙とは別次元に存在していますのよ」
「別次元…………うーん、ピンと来ないなぁ」
装者としてアームズを纏う度、目にしてきたはずの空裂世界。
しかし、その空間が一体何なのかは考えようともしなかった。
不思議な空間だとは思っていたが、よもやその中に住まう人間がいたとは。
「地球じゃないってことはもしかして…………この世界には私と嶺華さんの二人きりってこと!?」
誰にも邪魔されない、二人だけの宇宙。
その甘美な響きに胸をトキめかせる唯だったが、あっさり否定されてしまう。
「まさか。唯さんにも見えるでしょう? 鋼の機械から放たれる輝きが」
嶺華が指さした先は、不気味なほど透き通った星空の彼方。
何光年離れているか分からないが、力強く光を放つ点が散りばめられている。
「星が沢山………それしか見えませんけど」
「この世界に恒星などありませんわ。あるのはただ、『デンゼル粒子』の奔流のみ」
「『デンゼル粒子』?」
「知らぬとは言わせませんわ。
わたくしや唯さんが纏うアームズ。
そして、唯さんたちが械獣と呼ぶ兵器たち。
それら全てに共通するエネルギー源が『デンゼル粒子』ですの」
「アームズと械獣のエネルギー源が、同一のもの…………!!」
彼女が語る内容に驚きつつも、唯はどこか納得していた。
AMFという組織において、アームズのコア技術は決して開示されない情報であった。
アームズの開発元であるゼネラルエレクトロニクス社の企業秘密。
装者であっても一切の情報開示がなされず、動力源についても全くの謎。
単純にバッテリーの電力という訳でもないし、ガソリンでエンジンを回している訳でもない。
AMF隊員たちは日々疑問を抱えつつも、表面的な整備だけを行っていた。
「(士気に関わるから、秘密にしておかないといけなかったのか)」
アームズが本質的には械獣と同じ力であるなどと知れたら、AMFは大騒ぎだろう。
情報が厳重に隠蔽されるのは当然だ。
『本艦から観測できる光は、デンゼル粒子を使用する機械たちが放ったものです。
本艦も同様にデンゼル粒子を使用していますので、本艦自体が星の一つと言えるでしょう』
天井の声・マルルの補足を聞いた唯は、ある恐ろしい考えに至った。
「それってつまり、あの星一つ一つが械獣かもしれないってこと!?」
「人間が呼び出したアームズも混ざっていますけれど…………まあ、敵の方が多いですわね。マリザヴェールのような艦船かもしれませんし、それ一つが巨大な械獣かもしれませんわ」
「地球よりも危険じゃないですか!?」
彼女と共に駆け落ちた安息の地。
地球上のあらゆる追手から逃れたと思ったら、数多の械獣住まう世界に来ていた。
「心配要りませんわ。今見える光は長い時間をかけて到達したもの。
いわば何日、何ヶ月も前に放たれた過去の光ですわね。
今からあの光の場所まで行けたとしても、そこには既に何もありませんわ」
「でも、光自体は相手からも見えてるんですよね? 私たちの光を追跡する械獣がいたら、いつか追い着かれちゃいませんか?」
「杞憂ですわね。あれだけ遠くの光を見て、どれが敵でどれが味方かなんて区別つきますの?」
「この艦の設備でも区別できないんですか?」
『はい、本艦の索敵レーダーにも有効距離があります』
オーバーテクノロジー満載の母艦でも、できないことはあるらしい。
「彼らも同じですわ。一つ一つ近づいて、敵かどうか確かめるなんて効率悪すぎて誰もやりませんわよ」
『本艦は現在、慣性航行モードで移動しています。ブースターを点火しない限り、本艦の発する光パターンを敵に識別される可能性は低いでしょう』
「じゃあ、一応安全ってことなんですかね……?」
「偶然鉢合わせる可能性はゼロとは言えませんけれど」
『デンゼルスペース内において、目視圏内まで敵と接近する確率は0.00000001パーセントにも満たないでしょう』
「私の住んでた地球で、たまたま宇宙人と接触するようなもんですか」
マルルの解説を聞いて、ぼんやりと納得する唯。
あまりのスケールの大きさでくらくらしてきた。
一人の少女を助けただけなのに、気が付けば宇宙旅行をしている。
厳密に言えばここは宇宙ではなく、異次元空間らしいのだが。
唯にとって未知の世界であることに変わりない。
ここでは、地球の常識など一切通用しないのだ。
「(とんでもない家に嫁いできちゃったなぁ…………)」
窓越しに星空を見上げながら、唯は苦笑いするしかなかった。
尚、入籍はまだまだ先の話である。