第52話 ティータイム・ショック
新緑の遊歩道をのんびり歩くこと数十分。
木々が開けた先に、人工的な建物が見えてきた。
「最初の目的地到着ですね」
「お店ですの?」
「はい! ここでお茶にしましょう」
唯が嶺華を連れてきたのは、森林公園の入り口付近に構える喫茶店だった。
喫茶店といっても、キッチンカーが1台止まっているだけ。
客席は全て屋外で、大きなパラソルに覆われたテーブルがいくつか設置されている。
自然の中でお茶が飲める開放的な店だった。
飲食スペースが妙に広く見えるのは、唯たち以外に客がいないからか。
「注文してきますから、嶺華さんは座って待っててください」
「分かりましたわ」
嶺華を木陰のテーブルに座らせた後、唯は暇そうに木々を眺めている店員の所へ向かった。
タイヤの分嵩上げされたカウンターを見上げてメニュー表を確認。
特に捻ることもなく、一番人気と書かれた写真を指さした。
「アールグレイとチョコケーキのセットを2つ」
「お支払いは?」
「現金で」
カウンターに折り目一つ無い紙幣を載せると、店員は怪訝な表情を浮かべた。
「(やば、断られたらどうしよう)」
キャッシュレス決済が当たり前の時代に、わざわざ森の中にまで現金を持ってくる奴は不審に思われたか。
現金以外の決済手段は手元に無いため、焦る唯。
「ちょっと待ってな」
すると、店員はカウンター下の引き出しをごそごそ漁り始めた。
言われた通り待っていると、出てきたのは古びた紙幣の束。
店員は湿気でよれよれにくっついた紙幣を爪先で引き剥がし、うち数枚を唯に手渡してきた。
「はいよ、お釣り」
「どうも」
無事支払い完了。
こんな小さな店でも現金をストックしていて助かった。
安っぽい紙コップに紅茶を注ぎながら、店員が話しかけてくる。
「お客さん珍しいね? 現金なんて使われたのは久しぶりだよ」
「あはは、実は携帯端末のアカウントがロックされちゃって、明日まで決済機能が使えないんです。だから昨日慌ててお金を下ろして来たんですよ」
唯は咄嗟に嘘をついたが、内心は怪しまれないかドキドキしていた。
万が一にでもAMFに通報されたら、嶺華とのティータイムが台無しだ。
「そうかい、お客さんも大変だね」
「(お願い、あんまり聞かないで…………)」
唯の祈りが通じたのか、店員はそれ以上何も質問してこなかった。
「はい、ケーキセット2つ。ごゆっくり」
「ありがとう」
紙コップと小さなケーキが載ったトレーを受け取り、嶺華の元へ向かう。
「お待たせしました……ふぅ」
嶺華がキープしていた席はちょうど木の幹に隠れており、カウンターからは見えない位置。
店員の視線から外れると、唯の心に張り詰めていた緊張の糸が緩んだ。
「遅かったですわね。わたくしのお金に何か問題がありまして?」
「いえ、なんか現金が珍しかったみたいで。でもちゃんと支払いできましたよ」
「それなら良かったですわ」
少女と笑みを交わし、唯も向かいの席につく。
「早速食べてみてください…………って、私の奢りじゃないですけど」
さも唯が自腹を切ったかのように持ってきたが、元は嶺華のお小遣いである。
実質一文無しの唯は目の前の少女に感謝しつつ、紅茶とケーキを差し出した。
「見たことない食べ物ですわね。真っ黒ですけれど、食べられますの?」
「これはチョコケーキなんで、黒いのが正常です」
「ちょこ? 確か…………カカオ豆を加工して作った食品、で合ってましたかしら」
嶺華は百科事典を引いたかのようにチョコの定義を呟いた。
知識はあっても、実際に食した経験が無い。
口に入れてよいものか迷っているようだ。
「甘くて美味しいですよ」
「唯さんがそうおっしゃるなら…………頂いてみますわ」
「どうぞどうぞ」
唯が見守る中、嶺華は恐る恐るといった様子でフォークを突き立てた。
未知の食べ物を不思議そうに眺めた後、やがて意を決したように口へ運ぶ。
「……………………」
一、二回咀嚼した所で、嶺華はぴたりと動きを止めた。
「嶺華さん?」
唯の呼びかけにも反応なし。
嶺華はケーキを口の中に含んだまま、完全に固まってしまった。
「えっと、お口に合いませんでしたか?」
唯が沈黙に耐えかねて聞いた時。
ほろり。
少女の瞳から、涙が溢れた。
「えええ!? ど、どうしました!? もしかして変な味でしたか?」
泣くほど不味かったのだろうか。
唯も自分のケーキを食べてみる。
口の中に広がったのは、甘いチョコの味だった。
「うん、全然美味しい。でも嶺華さんの好みじゃなかったですかね……?」
ハイキングで歩き疲れた客を想定しているからか、甘さはやや強めだ。
甘党でない人からすれば、砂糖が多すぎると感じるかも。
「違いますの…………」
嶺華は、泣きながらふるふると首を振った。
「こんな、このような食べ物……………………初めて食べましたの!
舌がとろけるような、脳が痺れるような、胸が打ち震えるような…………ああ、何と言ったらいいのでしょう!」
「それを『美味しい』って言うんです」
「『美味しい』……これが、本物の『美味しい』…………!!」
毎日毎日、味の薄いペースト状の食事だけを食べてきた少女。
彼女にとっては、普通のケーキ一切れが落涙に値する感動だったらしい。
「わたくし、このケーキという食べ物が気に入りましたの!」
「良かったぁ…………じゃあ、そっちの紅茶も飲んでみて」
唯に勧められ、嶺華は赤みがかった液体に口をつけた。
「……………………どうですか?」
紙コップを傾ける嶺華の反応を待つ。
初体験の紅茶の味は。
「…………心が落ち着きますの」
続いて唯も紅茶を啜る。
少女の言う通り、甘みの強かったケーキとは対照的な味わいだった。
砂糖は控えめで、茶葉の風味が色濃く感じられる。
かといって渋すぎない。
甘ったるい口内を優しく包み込む舌触りは、チョコとベストマッチだ。
「紅茶も初めてですか?」
「情報としては知っていましたわ。乾燥した植物の葉を漉した飲料。
けれどそれが、これほどまでに奥深い味とは想像もしませんでしたの」
「うんうん。それに景色も良いから、余計に美味しく感じるよね」
微風に揺れる枝葉の緑。
それを眺めながら、日陰で甘味を堪能するひととき。
嵐のような戦いを忘れてしまうくらい、穏やかな時間が流れていた。
「ああ、ああ、なんと素晴らしい味わい……手が止まりませんわ」
ぱくぱくとフォークを往復させた嶺華は、あっという間にチョコケーキを平らげてしまった。
「そんなに気に入ってもらえたなら、私の分もどうぞ」
「本当ですの!? でも、唯さんの分が無くなってしまいますわ」
「いいのいいの。ケーキなんて私は何度も食べてるし。
嶺華さんの『初ケーキ』は今日しか食べられないんですから」
空になった皿を寂しそうに見つめる彼女が目の前にいれば、一口しか食べていないケーキでも平気で差し出せる。
唯がケーキを載せた皿を滑らせると、少女は目をきらきらと輝かせた。
「そこまで言うのでしたら、ありがたくいただきますわ!」
一口食べただけで、恍惚とした笑みを浮かべる嶺華。
見ているだけで満足の唯。
すると、嶺華はおもむろにケーキを切り分けた。
「唯さんにもおすそ分けですの」
そう言って、一口大のケーキ片が刺さったフォークを差し出してくる。
「はい、あーんですの」
「ッッッッ!!!!」
なんとも古典的な、まさかの『あーん』である。
唯は、己の豪運が信じられなかった。
「ほ、ほ、本当に……いいんですか!?」
「あら、わたくしの手で食べさせるのは嫌ですの?」
「いえいえそんな!! いただきます!!!」
前のめりに身を乗り出し、チョコケーキをぱくり。
やっぱり甘い。
自分で食べた一口目よりも、さらに甘くなった気がする。
「(よく考えたら、嶺華さんと間接キスじゃね!??)」
そんなことを考えた刹那。
「なんで唯さんまで泣いてるんですの?」
「え……?」
唯は、全く無意識のうちに涙を流していた。
「あれ? なんでかな…………嬉しすぎて、つい」
恋人と『あーん』。
漫画の世界の話だと思っていたシチュエーションが今、現実に。
幸福感が喉奥を締め付け、涙腺がゆるゆるに緩んでいる。
「全くおかしな方ですわ」
「えへへ、嶺華さんのムーヴが最高すぎて、やばい」
「ふふっ。意味分かりませんわ」
カウンターから見えない席で本当に良かった。
昼間からケーキ食ってるだけで号泣し、笑い合う女が二人。
ありえないほど甘ったるい不審者である。