第50話 忘れ物にはご用心
「ごちそうさまでした」
とりあえず腹を満たした唯は、あることに気付いた。
「食事がこれ一種類しかないのに、なんでこの部屋には立派なキッチンがあるんですか?」
唯たちがいるセンタールームの端には、部屋全体を見回せるダイニングキッチンが整備されている。
電磁コンロやらオーブンレンジやら、調理家電も充実。
しかし、使用された痕跡が無いのだ。
「知りませんわ。わたくしは使ったことありませんし」
嶺華が使わないのにキッチンがあるということは、以前は別の誰かが使っていたのか。
そもそも、なぜ嶺華はこんな人里離れた地下施設に一人で暮らしているのだろう。
疑問は挙げ始めるときりがない。
根掘り葉掘り聞いていきたい所だが、その前に唯は最優先で実行すべき任務を思いついた。
「決めた。私、嶺華さんに料理を作る。この前の約束もあるしね」
高台の公園で嶺華と話した日、去り際に交わした約束だ。
彼女たるもの、胃袋を掴んでこそだろう。
「お気持ちは嬉しいですけれど、食材がありませんわよ」
「だったら、一度地上に戻ってもいいですか?」
この地下施設には味気ないペースト液以外の食べ物は無い。
唯が料理の腕を振るうためには、地下施設の外に出て材料を集めるしかないだろう。
それに、生活に必要な要素は食だけではない。
「買い出しのついでに、私の家にも寄りたいんです。服とか化粧品とか、色々と回収したいし」
羽織ったシャツを見下ろす唯。
唯の服は現状この1セットのみだ。
当面はこの場所で暮らすというのに、いつまでも嶺華の服を借り続けるのは忍びない。
流石に下着のサイズは違うし。
夢の同棲生活へ突入するに際し、最低限の衣食住を確保する必要があった。
「なかなか大胆なアイデアですわねぇ。けれど、唯さんだって元お仲間の方々に追われているのではなくて?」
彼女の言う通り、AMFにはもう戻れない。
デリートを倒したとはいえ、唯は隊員たちに刃を向けた。
彼らの前にノコノコ姿を表せば問答無用で拘束されるだろう。
「うーん、やっぱそうだよね。家も監視されてるのかな…………」
やはり、ほとぼりが冷めるまでは日の当たらない地下潜伏生活か。
食の楽しみは皆無と分かってしまったし、ストレスで参ってしまわないか憂鬱だ。
というか、ずっとこんな施設で独りだった嶺華のことを思うと、胸が締め付けられる。
唯が文化的な食を諦めかけた時、天井から報せがもたらされた。
『外出なさるなら、寧ろ早い方がよいかもしれません』
「どういうことですか?」
『現在の地上の様子です』
マルルの声に合わせ、ソファーの前にある大型ディスプレイの電源が自動で点いた。
『…………現場から中継です…………』
過剰に拡大されて映し出された画面は、公共放送のニュース番組のようだ。
『未曾有の械獣災害を被った敷城市では、AMFによる救助活動が続いています。
一連の攻撃により、死者・行方不明者は300人を超え………………』
道路を覆い隠すように散乱した瓦礫。
黒焦げの鉄骨だけになった建物跡。
まるで紛争地域のように、破壊された街の様子が放映されていた。
ローカル局ではなく全国区で報じられているあたり、ここ数年で最大規模の械獣災害だったらしい。
映像では、AMFの制服を着た人々が重機や工具を持ち出して瓦礫を掻き分けている。
スラクトリームの襲撃から3日。
被害者の生存率が急低下する72時間を過ぎ、隊員たちの作業は救命から死体探しに変わっていた。
マルルが分析結果を補足する。
『AMF関東第三支部の人員リソースは逼迫しており、神代唯の追跡調査活動は行われていないと推測されます』
大量の無人機を失い、大半の隊員は現場に駆り出され、おまけに追跡部隊の指揮をとる補佐官は重傷を負った。
街の復興を早く進めるためには、裏切り者にかまっている余裕はないのだろう。
「確かに、私の家に行くなら今がチャンスかも。マルルさん、業炎怒鬼を」
『承知しました』
剣の名を口にした瞬間、唯の真上からピシッという音が響いた。
「!?」
真上から降ってきた黒い鞘を咄嗟に掴む。
ずっしりと重いのに、不思議と手に吸い付く感覚。
赤黒の剣は物理的な距離など無視してやってきた。
主と共に、再び炎を振りまくために。
「この剣を使えばまた…………」
脳裏に一瞬だけ破壊の情景が浮かんだが、すぐに振り払う。
今回は械獣と戦いに行く訳ではないのだ。
剣の力によって空裂を開き、あくまで地上との移動手段として使う。
それに刃を抜かずとも、持っているだけで抑止力として機能する。
業炎怒鬼の力は岡田たちとの戦闘でアピール済。
唯の家に向かう道中でAMF隊員と鉢合わせしても、彼らは生半可な戦力では手出ししてこないはずだ。
「よし、ちょっくら行ってきますか」
空裂を開くため、鞘に入ったままの長剣を構える唯。
地上に行くにあたり、今一度忘れ物はないかと考えた時。
唯は、根本的な問題に思い至った。
「…………………………………………お金ないわ」
お買い物には対価が必要。
そんな当たり前のことがすっかり抜けていた。
「そうか………そうですよねぇ………………………」
ショックで座り込んでしまう唯。
今までは、あらゆる買い物の支払いを携帯端末のキャッシュレス決済機能で済ませてきた。
現金は持ち歩かず、唯の全財産はオンラインサーバー上の銀行口座の中だ。
逆に言えば、携帯端末が使えなければ何も買うことができないのだ。
『保管してある携帯端末を持ってきますか?』
AMFから支給された携帯端末は、マルルが預かってくれているのだが。
「…………いや、止めときます」
逃亡者の銀行口座がそのままになっているとは思えない。
仮に使えたとしても、利用履歴から訪ねた店が一発でバレてしまう。
AMFは唯の捜索を行っていないらしいが、居場所が分かるならば武装した隊員たちを急行させるだろう。
「……………………もしかして唯さん、一文無しですの?」
憐れむように見下ろす嶺華。
彼女と目が合った時、唯は。
「うあああああああああぁぁぁ嶺華さんお金貸して下さいいいいいいいい!!!」
涙目になりながら土下座していた。
彼女の家でいきなり金銭をせびるとか、恋人として最低である。
「くすくす、仕方ないですわねえ。マルル、唯さんにお小遣いを差し上げましょう」
嶺華が笑いながら呼びかけると、センタールームの入口から再び台車がやってきた。
朝食を持ってきたのと同じお盆の上には、シンプルなデザインの革財布。
『地上での活動資金です。ご自由にお使い下さい』
「うぅ……申し訳ない…………ありがとうございます……………………」
手を合わせて感謝を表現しつつ、おずおずと財布を手に取る唯。
中を確認すると、連邦政府が価値を保証する共通通貨・「YEN」の紙幣が入っていた。
全人類にキャッシュレスが普及しきった現代でも、現金はしぶとく生き残っている。
決済サービスを運営するのは一企業だ。
システムトラブルやサービス終了など、使えなくなるリスクは常につきまとう。
一方現金ならば、連邦政府が消滅しない限り終了しないし、災害時でも問題なく使える。
そうした理由から、現金を好む人々は一定数いるのだ。
そんな心配性の人々に愛される一万YEN札が、1枚、2枚、3枚…………10枚。
「こんなに貰っちゃっていいんですか!?」
スーパーマーケットで二人分の食品を1週間分くらい買ったとしても、1万YENに届くか届かないか。
食材買い出しのお小遣いというには大盤振る舞いすぎな気がする。
「いいんですの。地球の貨幣なんていくらでもありますわ。遠慮せず、好きに使ってくださいまし」
「いくらでも!?」
唯は喜びつつも、ふと疑問を抱いた。
一体全体、このお金はどこから出てきたのだろう。
嶺華が働いているとは思えないのだが。
「念のため聞きますけど、嶺華さんは窃盗とかしてないですよね……?」
「失礼ですわね!? そのお金は安心安全クリーンなものですわ!」
「そうですよね! 疑ってすみません!」
ムスッと憤る嶺華にペコペコと平謝り。
彼女のことは信じたいが、依然として収入源は不透明である。
「それだけあれば、食料のついでに衣類も購入できるでしょう。
わざわざ敵がいるかもしれないご自宅に戻る必要はありませんわよ」
「いえ、私の家には寄っていこうと思います」
「何故ですの? お小遣いでは足りないほど高価なお召し物でもありまして?」
嶺華の疑問は尤もだ。
AMF基地の目と鼻の先である神代家に近づく行為は、相当なリスクが伴う。
敷城市から遠く離れた街で買い物を済ませ、そのまま寄り道せずに帰ってくるのが無難だ。
しかし唯には、危険を冒してでも自宅に立ち寄りたい理由があった。
「梓と、ちゃんと話しておきたいんです。これからの私について」
「…………唯さんの妹さん、でしたかしら」
「はい。あの子、私のことになるとすぐ思い詰めちゃうから」
幼少期からずっと一緒に暮らしてきた梓は、いきなり唯がいなくなって困惑しているだろう。
唯の安否が分からないままでは、さらに心配をかけてしまう。
「一言だけ、私が無事だってことを伝えたいんです」
「ふむ…………」
「会えるかどうかは分かりませんけどね」
梓もAMF予備隊の一員だ。
ニュース番組に写っていた隊員たちと同様、救護活動に参加している可能性が高い。
家にいなかった場合は、せめて書き置きでも残していく予定だ。
「嶺華さんと暮らし始める前に、梓と話をつけておかないと」
嶺華と家族になったとして、梓が家族でなくなる訳ではない。
唯一の肉親である梓に何も言わないまま新生活を始めたら、胸に蟠りが残ってしまう。
一時帰宅する意思が変わらぬ唯に対し、嶺華はジト目になり。
「唯さん…………わたくし以外の女のことを考えてますの」
「ええ!? そ、そういうわけじゃなくて……!!」
「ふふふ、冗談ですわ。妹さんならいいですの。家族のことを想う唯さんも悪くないですし」
「あはは…………」
ころころと笑う嶺華と、苦笑いの唯。
恋人に疑われる恐怖と嫉妬される喜びがごっちゃになり、冷や汗をかいてしまった。
ともあれ彼女の了承も得られたことだし、気を取り直して出発だ。
そう思った矢先。
「もちろん、わたくしも連れて行ってくれるのでしょう?」
隻腕の少女が元気に立ち上がった。
「嶺華さん、でも…………」
「わたくしを独りにしない。唯さんはそうおっしゃったのですから。まさか置いていくなんて言いませんわよね?」
嶺華はしばらく地下施設で療養するものだと思っていたが、本人はそこまで大人しくないらしい。
「唯さんが寝ている間、わたくしも十分休養をとりましたの。
少しくらいは動きませんと体が鈍ってしまいますわ」
左手を添えて首をひねり、首筋からコキコキと音を鳴らしてみせる嶺華。
ニッと笑う彼女の表情からは、疑似ウイルスに冒されていた時の面影は消えている。
「ああ、そうですわ! せっかく外に行くのですし、唯さんと二人でお散歩というのはいかがでしょう」
「二人っきりで、お出かけ…………!」
恋人同士が共に歩く行為。
唯はその行為の名称をよく存じている。
「それって、つまりつまり、デートってことですか!?」
「唯さん。わたくしの彼女を名乗るなら、しっかりエスコートしてみなさいな」
跪く騎士に対して、姫が忠誠を試すように。
少女の手が優雅に差し出される。
「お任せ下さい! お嬢様!!」
瞬時にテンションをぶち上げた唯は、少女の手を仰々しく取った。
憧れの人との初デート。
舞い上がる気持ちは、追われていることなど忘れてしまいそうなほど熱くなった。