第49話 朝食ストレンジ
巨体の四肢を引きちぎった時。
不気味な械獣と拳を交えた時。
至近距離で死を感じた刹那、唯は確かに快感を覚えていた。
「ごめんなさい。私、あの時、嶺華さんのことが頭から消えててて」
正直に懺悔する唯。
何故あそこまで昂ぶってしまったのか、自分でも不思議だ。
「別に、唯さんを責めているのではありませんわ。
業炎怒鬼を纏ったのなら破壊衝動に呑まれるのは当然ですもの」
『神代唯が暴走した原因は、業炎怒鬼に組み込まれた攻撃性強化機構の影響です』
「攻撃性強化?」
首を傾げる唯に対し、天井の声が丁寧に説明してくれる。
『業炎怒鬼には2つの機能があります。
1つ目は頭部装甲に埋め込まれた電極による脳波刺激。
2つ目は装者に覚醒作用をもたらす薬剤投与です』
「そういえば、首筋に何か打ち込まれたような」
唯が力を欲した時、ちくりと痛みを感じたのを思い出した。
『これらの機能で脳のリミッターを外すことで、装者の身体能力と思考能力がおよそ50%向上します』
人体の出力150%。
素人がいきなり歴戦の剣士になるようなものだ。
「ただし、無理やり引き上げた力には代償が伴いますの。
身体に蓄積されるダメージで数日は動けなくなってしまうのですわ」
今朝まで寝たきりだった理由にようやく合点がいった。
発熱、倦怠感、筋肉疲労。
戦闘1回に対するバックファイアが重すぎる。
「何故にそんな機能が?」
「元々、業炎怒鬼はわたくしが駆雷龍機を失った時のために用意された予備。
生半可な戦い方では勝てない強敵を想定していますの。
アームズの性能だけでなく、自分自身の限界を超える必要があるのですわ」
恐怖心が消えたのも。
無性に何かを壊したくなったのも。
敵を殲滅し、生き残るための緊急装置だったのだ。
「つまり、業炎怒鬼を纏ったら毎回あんな風に暴走しちゃうんですか!?」
デリートを倒した後、激情収まらぬ唯はAMF隊員たちを襲撃した。
もしもあの時、血に飢えた長剣の誘惑に負けていたら。
一度人殺しの罪を犯してしまえば、自己嫌悪で嶺華と共に居ることはできなかっただろう。
『薬剤投与については、装者自身が力を要求しない限り行われません。
脳波刺激については、訓練によって感情の指向性をコントロールすることが可能です』
「要するに『慣れ』ですわね。感情をコントロールできれば身体の負荷も減り、戦闘後のダウン時間も短縮できますの」
「慣れれば破壊衝動を抑えられる……?」
「もちろんですの。唯さんの手に業炎怒鬼が渡った以上、まずはその力を制御できるようになって欲しいですわ」
唯が赤黒剣を抜いた理由。
それは嶺華を守るためだ。
自分を見失っているようでは、彼女を守ることなどできない。
「分かりました。嶺華さんに託されたこの力、必ず使いこなしてみせます!」
唯は、改めて長剣と向き合うことを決意した。
「期待していますわよ」
嶺華が優しく微笑んだ時、センタールームの入口ドアが開いた。
ごろごろと車輌を転がし、やってきたのは自律式の台車。
無人のまま、ダイニングテーブルの方に近づいてくる。
「もしかしてあれが朝ごはん?」
「ええ。テーブルにお座りくださいな」
2人は大きな長方形のダイニングテーブルに腰掛けた。
嶺華はテーブルを俯瞰する短辺、いわゆるお誕生日席。
唯はその隣、長辺の末席である。
テーブルに横付けされた台車の上には、平べったいトレーが2つ。
アルミっぽい銀色の蓋で覆われている。
弁当箱にしては薄っぺらい。
台車の側面からロボットアームが伸びた。
アームはトレーを掴み、テーブルの上に配膳する。
唯たちは何もせず、座っているだけでいい。
「なんか、わくわくしますね!」
「そうですの? わたくしはとっくの昔に慣れましたわ」
嶺華は何故か冷めきった目でトレーを見つめている。
そういえば、せっかく部屋に備わっているキッチンは誰も使っていない。
キッチンとは別に厨房があるのだろうか。
「(さて、嶺華さんのご家庭の味はいかに……)」
龍の住処、謎の地下施設で頂く最初の食事だ。
一体どんな料理が出てくるのだろう。
高級ホテルのような空間で提供されるのだから、さぞ贅沢な料理に違いない。
フカヒレとか、キャビアとか、凡人には縁のない食材が頭の中で踊る。
唯は、期待と好奇心を奮わせながらトレーの蓋を開けた。
「………………………………………………………………え?」
アルミのベールの下から出てきたものを見て、唯は凍りついた。
赤、緑、白。
ヨーグルトと寒天の中間くらい。
色んな具材を混ぜ合わせ、ミキサーで徹底的に細断したスムージーのような。
とにかく、固形感が全くないペースト状の何かが敷き詰められていた。
「What……?」
無駄に発音の良いイングリッシュを漏らす唯。
高級食材の妄想はガラガラと崩れ去った。
「あ、もしかして。私のために消化しやすいものにしてくれたんですか?」
飲まず食わずで寝込んだ直後だ。
いきなり脂っこいステーキが出てきても食べられない。
マルルが唯に配慮して、胃腸に優しいメニューにしてくれたのだろう。
風邪を引いた時のおかゆみたいに。
きっとそうだ。
「わたくしも同じものですけれど」
隣を見ると、同じように蓋を開けた嶺華がペースト状の液体にスプーンを突き立てていた。
『こちらが本艦の平常食となります』
唯の仮説は天井の声によって否定されてしまう。
「食べないんですの?」
「もちろん食べますけど…………」
嶺華に急かされ、唯もスプーンを手に取った。
見た目にはあまり食欲をそそられないが、味はどうだろう。
「いただきます」
緑色の部分をスプーンで掬う。
粘り気はほとんどなく、絹ごし豆腐のような断片が掘削できた。
匂いも特になし。
そのまま恐る恐る、口内に招き入れる。
…………。
舌に触れ、気持ちだけでも咀嚼した。
ゆっくり噛んで、味を確かめること10秒間。
「(…………………………………………うっす)」
唯の味覚は、大変残念なことに『落胆』を伝達した。
美味しくもなく、不味くもなく。
病院食のように薄味の食べ物は、なんとも反応に困る味だった。
「嶺華さん。本当にこれがいつもの食事なんですか?」
「ええ。わたくしは基本、これしか食べませんの」
嶺華は表情を変えず、溶けた寒天のような液体を口に流し込んでいく。
「地上に行った時は、レストランとかカフェに入りますよね?」
唯の質問に対し、彼女は少しだけ考え込んでから、思い出すように答えた。
「『レストラン』、『カフェ』…………金銭と引き換えに食事を提供する施設、でしたわよね。わたくしは入ったことありませんけれど」
「ええ!? どうして?」
「生命維持に必要な栄養は全て平常食で賄えますの。わざわざ外で食事する必要はありませんわ」
そう言いながら、ペースト状の食事を機械的に平らげる嶺華。
「マルルさん、他にもメニューはあるんでしょうか…………」
『平常食以外の食品は用意しておりません』
つまりは、朝食も昼食も夕食も同じメニュー。
「唯さんはしばらくここで暮らすのでしょう? ならばこの味にも『慣れ』ていただきませんと」
「ひん…………」
栄養バランス以前に、こんな味気ない食事は2日で飽きてしまう。
刑務所の方がまだバリエーション豊かな日替わりランチが出そうな気がする。
料理好きを自負する唯は、涙目になりながら薄味の液体を飲み込んだ。