第47話 熱帯夜
炎。
吹き上がる火の粉が空を舞う。
地面を覆い隠すのは、破壊された家屋の残骸。
見知った街並みは業火に包まれ、自分の家がどの方角にあるのかも分からない。
神代唯は、地獄のような戦場に立っていた。
「(これ、は…………)」
己が手中に炎を生み出し、前方へ向かって解き放つ。
流れるような所作に自分ながら感心してしまう。
しかし、すぐ違和感に気づいた。
「(あれ?)」
意識はある。
けれど、体が言うことを聞かない。
振り上げた拳は空を切り。
絞り出した咆哮が喉を焼く。
でも、なぜ怒りを叫んでいるのかが分からない。
「(私、何してるの…………?)」
幽体離脱のような感覚に、唯は戸惑うしかなかった。
アームズを纏い、次々と炎を生み出す唯は、確かに戦っている。
それは分かる。
では、何と?
これほどの大規模な破壊攻撃だ。
街を焼いた敵は、よほど巨大で凶悪に違いない。
しかし、犯人と思わしき械獣の姿はどこにも見当たらなかった。
視界に映るのは火の海だけ。
足元から聞こえてくるのはパチパチという燃焼音だけだ。
唯が状況を飲み込めないでいると、瓦礫の山の向こうで見覚えのある高層ビルが崩れ落ちた。
「(あれは、AMF関東第三支部!?)」
本丸の基地が落ちたということは、AMFの戦力壊滅を意味する。
唯が守ってきた敷城市の復興は絶望的だった。
ふと脇を見ると、瓦礫の中に大きな姿見が突き刺さっている。
倒壊した住宅から弾き出されてきたのだろうか。
火柱を背景に、アームズを纏った自分が映り込む。
その姿を目にした時、唯は思わず息を呑んだ。
「(え…………)」
左右反転した世界に佇んでいたモノ。
それは、ドス黒い炎を纏う鬼だった。
極まる怒りを体現するかの如く、頭蓋から伸びた二本の角。
焼け焦げて変色した赤黒の装甲。
なにより、鏡を睨みつける己の顔。
長い角の下に張り付いていたのは、世界に絶望しきったような憎悪であった。
「(待って……どうして…………)」
訳が分からない。
一体、自分に何があったのだろうか。
復讐に燃える鬼は、次なる破壊を求めて歩き出した。
焼け。
灼け。
壊せ。
脳内に溢れる甘言に耳をすませば、徐々に意識が薄れていく。
その時、目の前に一人の少女が現れた。
鬼の進路に立ち塞がる彼女は、稲妻の装甲を纏っている。
少女の左手には、一振りの機械大剣。
見間違えるはずがない。
唯が、一生涯かけて守ると誓った愛する家族。
その少女に向かって、鬼は火勢を強め…………
◇◇◇◇◇◇
「だめぇぇぇ!!!!!」
自分の悲鳴で目が覚めた。
「(夢…………?)」
あまりにもリアルな悪夢に、自分の想像力が恨めしい。
バクバクと荒ぶる心臓を落ち着けながら、唯は朦朧とする意識を手繰り寄せた。
自分は今、仰向けに寝ている。
それもおそらく泥の中。
泥に埋もれるタイプのサウナかもしれない。
いや違う、これは汗を吸った毛布だ。
分厚い布団の中で、滝のような汗をかきながら朝を迎えたのだ。
今が朝なのか夜なのかは分からないけど。
「(そもそも、ここは何処? 私は、なんで寝てるんだっけ…………?)」
目を開けてみても、光源は無し。
真っ暗な部屋ということしか分からない。
深夜か早朝に目が覚めてしまった時の感覚だ。
生暖かいベッドの中でしばらく呆けていると、記憶の断片が徐々に復旧してきた。
「(ああ、そうだ。嶺華さんを助けて、それから…………)」
丘陵地の公園。
AMFの魔手から愛する人を救い出した。
その後、赤黒い長剣の力で空裂を開いた唯は、嶺華を連れて謎の地下施設まで戻ってきたのだ。
そこまでは覚えている。
だが、その後の記憶が無い。
赤い絨毯の敷かれた廊下に降り立ち、地面とごっつんこして…………。
「(もしかして、そこで気絶しちゃった!?)」
危うくファーストキスの相手が廊下になる所だった。
直前に済ませておいてよかったと安堵する唯。
「(嶺華さんは…………もう大丈夫だよね?)」
中和剤の投与を受けた嶺華は、疑似ウイルス兵器の恐怖からは開放されているはず。
早く彼女の顔を見て、変な夢を見てしまった自分を安心させたかった。
「(嶺華さんの所へ行く前に、まずはシャワー浴びたいけど…………ん?)」
今の唯はとにかく汗だくだく。
温かいシャワーで汚れを落とし、清潔な衣服に着替えたい。
そのためにはまず、このベッドから起き上がる必要があった。
しかしどうしたことだろう。
体がぴくりとも動かない。
両手両足が石になってしまったかのようだ。
だるい。
体の節々が痛い。
明らかに発熱している。
「(まさか、今度は私の体にV-105が!?)」
美鈴から貰った中和剤は全て嶺華に使ってしまったため、余剰は無い。
疑似ウイルス兵器を退ける中和剤を用意できない、ということは。
「(あれ、もしかして私、死んだ?)」
心の中で頭を抱える唯。
とりあえず辞世の句でも考えるか。
「(えーっと、今は夏だから、儚い蝉の命を掛詞にして…………)」
唯が自暴自棄になりかけた時、真っ暗な視界に一筋の光が差し込んだ。
「失礼しますわ」
スライド式のドアが開き、廊下の明かりと共に入ってきたのは。
「唯さん、まだおねむですの?」
唯の新たな家族・覇龍院嶺華であった。
彼女の格好は、レースの付いた黒いベビードール。
龍の乙女の無防備な姿に、色めき立つ唯。
「れい、か、さん…………」
だが、元気に返事をする余裕はなかった。
痛む喉からはガサガサに掠れた声しか出ない。
「おはようですの。早速ですけれど、口を開けてくださいまし」
「へ? え、あ、わぷっ…………」
いきなり口の中に管を突っ込まれたかと思えば、冷たい水が流れ込んできた。
唯が何か言う前に、乾ききった舌は勝手に動き、水分補給を歓迎する。
今の今まで気づかなかったが、尋常じゃないくらい喉が渇いていた。
「惰眠を貪るのも良いですれけど、水を飲まないと干からびてしまいますわよ」
漏斗の上で水筒をひっくり返し、強引な気遣いを流し込む少女。
だが唯の心中は水どころではない。
「あの、私、もしかしたら死ぬかも」
「寝ぼけてるんですの?」
唯は声を震わせながらカミングアウトしたが、少女は動じなかった。
「いや、実は熱があって、体が動かなくて……」
「マルル。唯さんの健康状態を教えてくださいまし」
嶺華が天井に向かって語りかけると、穏やかな女性の声が返答した。
『おはようございます、神代唯』
「マルルさん! 私の体の中にV-105が!!」
『神代唯の身体をスキャンしましたが、有害物質の侵入は認められません』
速攻否定。
マルルの声に合わせて、白い天井にぼんやりと画面が浮かび上がる。
表示されたのは人型のシルエットと多数の棒グラフ。
唯の血圧や白血球数など、身体情報がびっしりと列挙されている。
『現在の発熱は一時的なものです。業炎怒鬼の装動によって身体に強い負荷がかかり、急激に疲労が蓄積されたのが原因と推測されます』
「マルルの言う通り、唯さんはもう少し眠れば復活しますわよ」
「そうですか……良かったぁ…………!」
二種の優しい声を聞き、ほっと胸を撫で下ろす唯。
もし本当に死の化学兵器に冒されていたのなら、嶺華を未亡人にしてしまう所だった。
「それで、唯さんはこれからまたお眠りになりますの?」
「うーん…………起きたいけど、起きれそうにないしなぁ…………」
「ふふふ。好きなだけ寝て構いませんわ。それにしても、ずいぶん長いお休みですこと」
呆れたような嶺華の言い方に引っかかる。
「私、何時間寝てるんですか?」
どのくらい寝過ごしてしまったのだろう。
気になって聞いてみると、嶺華の代わりにマルルが答えた。
『およそ72時間です』
「そっか。72時間…………ななじゅうに!??」
耳を疑った。
自分はそんなに長く眠り続けていたのか。
嶺華が水を飲ませてくれなかったら、間違いなく脱水症で死んでいた。
「まじですか…………でも、今は寝かせてもらおうかな」
寝すぎと言われよう何だろうが、体が動かないのだから仕方ない。
起きたら色々と考えないといけないことがある。
衣食住、これからの生活をどうしていくのか。
だがその前に、まずは体調を万全とするのがいいだろう。
こんな地下施設にAMFの追っ手が入ってくるとは思えないし、こうなりゃ徹底的に休んでやる。
唯は気怠さに身を任せ、再び泥のようなベッドに埋もれた。
脇に立つ少女はもう少し話したそうにしていたが、今日の所は帰ってもらうしかないだろう。
そう思っていた。
しかし。
「では、わたくしもご一緒させていただきますわね」
掛け布団を捲り上げた少女は、唯の隣へと華奢な体を滑り込ませてきた。
「(ご一緒????)」
突然の不意打ちに、一瞬フリーズする唯の脳。
ところで現在、布団の中は。
「待って!? 今は無理無理無理だから!!!」
3日も布団の中で汗をかき続けていたのだ。
自分ではよく分からないが、どんな匂いになっているか想像するのも恐ろしい。
「どうしましたの?」
「いや~、今は一人で寝たい気分で……って、ちょっ!」
嶺華に待ったをかけようとするが、ふわふわ熱っぽい体は相変わらず言う事を聞いてくれない。
唯の抵抗むなしく、少女の侵入を許してしまう。
「わたくしだって、一人で寝るのは飽きましたの。恋人同士なんですから、いいでしょう?」
「それはっ! …………シャワー浴びて、布団を洗濯した後で」
「唯さんはわたくしにお構いなく、ごゆっくりお休みになってくださいまし」
「こんな状態で隣にいられたら、恥ずかしすぎて寝られないですよ! 嶺華さんも汗臭い女なんて嫌ですよね!?」
「くんくん…………これが唯さんの匂いですの。別に臭くないですわ」
「嗅がないでぇ!?」
鏡を見なくとも、唯は自分の顔が真っ赤になったのが分かった。
至近距離で微笑む少女と目を合わせるなんてできるはずもなく、寝返りを打って顔を逸らす。
「(どうしよう…………)」
布団の中、唯の背中にぴたりと密着してくる少女。
黄金色の髪からは、ほんのり甘い柑橘系の香り。
首筋にかかる吐息がくすぐったい。
「唯さん…………」
さらに嶺華は左腕を回し、唯にしがみついてきた。
薄い衣の向こう、伝わる少女の体温。
ドキドキ、フルスロットルに高鳴る心臓。
「(どうしよう! このままじゃ寝れないよ!!)」
緊張で睡眠どころではない。
泥沼ベッドから脱出することもできず、悶々とする唯。
その時、龍の少女がぽつりと呟いた。
「ごめんなさい…………わたくしの痛みを…………忘れさせてくださいまし」
か細い声に混じっていたのは、苦悶。
唯は彼女のただならぬ気配を感じ、背中越しに尋ねた。
「嶺華さん…………どこが痛いんですか」
「…………右の手首が。ずっと痛いんですの」
「……………………そっか」
唯は、それ以上何も言えなかった。
幻肢痛。
身体の喪失に慣れていない脳は、存在しないはずの痛覚を誤認する。
余裕ぶって布団に入ってきたので忘れていたが、唯より苦しんでいたのは嶺華だ。
敗北し、戦う力を奪われ、人の尊厳も踏みにじられた。
傷ついた彼女には、誰かの支えが必要なのだ。
「(私が、嶺華さんの腕にならなきゃ)」
すっかり冷静になった唯は、震える少女に背中を貸した。
………………。
湿った布団の中、無言で温もりを共有する二人。
…………………………。
やがて、背後からすぅすぅという寝息が聞こえてくる。
「(おやすみなさい)」
規則的な吐息を子守唄に、やがて唯も眠りに落ちた。