第43話 灼熱
見渡す限り、瓦礫の山。
大通りに面したビル群は軒並み薙ぎ倒され、日陰の路地裏は日向と化した。
家屋からはごうごうと火の手が上がり、舞い上がる煤が瓦礫を黒く染めてゆく。
再開発によって整備された街並みは、まるで隕石がヘッドスライディングしたかのように抉られていた。
破壊痕の最先端。
遮るもの全てを踏み潰し、進撃を続ける自律機械。
それは、全高5メートルを超える黒銀の龍であった。
名をスラクトリームという。
分厚いカッターナイフのような鉤爪が街路樹を切り飛ばし、大顎から放たれるオレンジ色の雷撃がマンションの壁を貫いた。
龍は無邪気に暴れている訳ではない。
脇を歩く銀色の人影が、明確な目的意識を持ってコントロールしていた。
「止マレ」
銀色の人影、すなわちデリートは、半透明の剣を掲げて龍を制止した。
言われた通りに破壊の手を止めるスラクトリーム。
表情などという概念を持たないデリートだが、人間であれば眉をひそめていたのだろう。
彼らの真正面。
ガラガラと崩れたマンションの向こう側。
一本の剣を携え、一人の女が立ち塞がっていた。
◇◇◇◇◇◇
7月27日午前10時、敷城市中央通り。
真夏の日差しと火災の熱波が照りつけるアスファルト上にて。
神代唯は、2体の械獣と対峙していた。
先に言葉を発したのは、嶺華を傷つけた張本人。
「オヤ? アナタ一人だケですカ? 龍ヲ纏うハヴァクは何処デス?」
デリートは周囲を舐め回すように首を振るが、無機質なゴーグルに映る存在は唯以外に無い。
「オ仲間の姿もありまセンね。いつもノようニ飛び回ル『虫』ハ……アア、スラクトリームが喰っテしまったんでシタ」
彼の言う通り、AMFの戦力は姿を見せていない。
破壊された無人戦闘機は全てではなかったはずだが、スラクトリーム相手に繰り出しても無意味と判断されたのだろう。
遠距離ミサイルですら一発も飛んできていなかった。
だが、唯がAMFに寄せる期待など皆無。
己を信じてくれた人だけを信じ、目の前の敵を睨みつける。
「お前は私が倒す」
「アナタが? ……ゴ冗談を。早ク逃げた方が身のタメですヨ」
どうやらデリートは、唯を敵と認識していないようだ。
確かに、唯は今までデリートと遭遇する度、ひたすら逃走を選んできた。
デリートにとって、唯の脅威など微塵も感じられないのだろう。
「ソれヨり、龍ヲ纏うハヴァクをサッサト差し出セ。さもナくば、スラクトリームがコノ街を焼き尽くス」
デリートは半透明の刃を軽く振った。
グォオオオオオオ!!!
鋭い牙がずらりと並んだ大顎を天に向け、黒銀の龍が咆哮する。
その頭部には、紫電を纏う機械大剣。
愛する人が振るっていた大切な剣。
「嶺華さんの相棒は、私が必ず連れ帰る。だから…………」
唯は、愛する人に託された剣を手に取った。
黒い鞘を左手で、黒い柄を右手で掴み、胸の前で一文字に構える。
「私に力を貸してください!」
両腕に全身全霊の力を込めて、分厚い鞘の戒めを解く。
「業炎怒鬼!! 装動!!!!!!!」
世界に、一筋の傷が入った。
抜き放たれた刀身の軌跡をなぞるように、空間の割れ目が広がっていく。
360度全方位、たちまち広がった亀裂が唯を取り囲む。
空裂の奥から噴き出したのは、炎。
ノコギリのようにギザギザした剣の峰に導かれ、焼けただれる紙のように燃えていく世界の輪郭。
交錯する火柱が熱風を奏で、炎の竜巻が唯を覆う。
視界はオレンジ色で埋め尽くされた。
息を止めていなければ、喉の奥を火傷してしまいそう。
「(熱い………………けど、私は逃げない!!)」
地上と異次元の混ざり合う狭間で。
舞い踊る火の粉に臆することなく、唯は炎の中に垣間見える星空へと目を凝らす。
最奥より、瞬きキラリ。
暗黒の彼方から飛来する、真っ赤に輝く流れ星。
その正体は、怒りに燃える紅蓮の鎧。
胴、腰、足、手、頭。
暴れ狂う装甲は唯の体に喰らい付き、次々と連結しながら鋼の甲殻を形作る。
「(ぐうぅぅッ!!!!)」
熱したヤカンに触れたような、肌を灼く高温。
襲い来る痛みと火傷の恐怖に顔を歪める唯。
それでも、歯を食いしばって装甲との合身を受け入れる。
「(掴んでみせる! 嶺華さんが託してくれた力を!!)」
規則的な連結音を繰り返した末に、全てのパーツが接続を終えた。
赤黒い手甲で長剣の柄を握りしめると、剣が腕に吸い付くように馴染む。
肩の調子を確かめながら、横薙ぎを一振り。
唯を包み込む火柱が空間ごと上下に引き裂かれると、亀裂の向こうから地表の風が吹き込んだ。
新鮮な空気を受けた炎はさらに勢いを強めたが、唯の体は灼かれない。
その装甲は、炎と一つになった。
その剣は、怒りを力に変える。
異次元の火球を食い破り、一匹の鬼が産声を上げた。
『クリムゾン・オーガ』
◇◇◇◇◇◇
「何ダ!?」
炎の中から現れた唯の姿に、デリートが狼狽えた。
まず目を引くのは、頭部装甲から生えた二本の角。
禍々しく太い剛角は三日月のように後頭部側へ反っている。
頭部の印象に引けを取らず、胴体の色合いも派手やかだ。
装甲のベースカラーは駆雷龍機と同じ黒だが、全身の至る所に真紅の焔模様がメラメラと刻まれている。
足先から膝上までを覆う、骨ばった脚部装甲。
袖の無い胸部装甲に、二の腕の半分から下を覆う腕部装甲。
脇や太腿など、重要な血管を擁する部位は軒並み素肌を露出させている。
装甲の排熱を促し、少しでも体温を下げるための設計だ。
楔型の棘が並ぶ背部装甲は低い唸り声を上げながら、四肢にエネルギーを滾らせていく。
刺刺攻戦、荘厳威圧。
灼熱のヴェールを脱ぎ捨てて、地上に降り立つ新たな鎧。
ARX-02 業炎怒鬼【クリムゾン・オーガ】
唯は、炎の鬼と相成った。
「雑魚ガ衣を替エようト無意味ダ。消シ飛ばセ!」
デリートは半透明の刃を振り下ろし、スラクトリームに攻撃を指示。
鋭い牙を並べた大顎がガバッと開き、唯に向かって即死級の雷撃が放たれた。
回避する猶予は1秒にも満たない。
数多のビルを解体してきた雷撃が棒立ちの唯へと殺到する。
足元に転がっていた瓦礫が飛び散り、唯の姿は白煙に消えた。
「…………蒸発しタカ。つマらン奴ダ」
デリートは勝利を確信したかのように吐き捨てた。
死体の確認すらしない。
スラクトリームが振るうのは、駆雷龍機の力そのものだ。
数多くの械獣たちの次元障壁を斬り裂いてきた超攻撃力。
人類が見よう見まねで作り出した次元障壁など、一撃で消し飛ばされてしまうだろう。
そのアームズが、AMFの機体ならば。
煙が晴れ、視界が開ける。
そこには、真紅に煌くアームズが微動だにせず佇んでいた。
「……何ヲやってイル? 早ク仕留メろ!」
進撃を再開しようとしたデリートは、苛立たしげに半透明の剣を振り下ろす。
すると、スラクトリームの口中でまばゆい雷光が迸った。
先程の早撃ちとは異なり、ゆっくりと時間を掛けてエネルギーを充填。
直視できない程の強い光を蓄え、放たれた雷撃の威力は一発目の3倍となった。
極太の光がアームズに直撃。
凄まじい閃光が一帯を包む。
「…………ム!?」
今度こそデリートは硬直した。
何故なら、爆心地のど真ん中で、無傷の鬼が仁王立ちしていたから。