第42話 誰が為に剣を取る
公園の芝生の上、突然開いた空裂。
「え? 唯ちゃん!?」
その中から飛び出してきた二人を見て、美鈴は目を丸くしていた。
「美鈴さん。ご無沙汰しています」
「いや昨日ぶりだけど…………その剣は一体? 式守影狼じゃないわよね」
「色々ありまして。美鈴さんこそ、その服どうしたんですか?」
美鈴の格好は、いつものブラウス+タイトスカートのセクシースタイルではなかった。
上下共に灰色の作業着。
長い髪をポニーテールに結び、ハンチング帽まで被っている。
一瞬どこかの清掃作業員かと思った。
「今日は私一人よ。ここへ来ることは、AMFの誰にも言ってないわ」
美鈴の後ろに停めてある車は、これまた見慣れない灰色のバンだ。
変装までしてきた所を見るに、美鈴の言うことは本当だろう。
唯は短刀直入に用件を言った。
「ご配慮ありがとうございます。早速ですが、中和剤をいただけませんか?」
脇に立つ少女を一瞥する美鈴。
「唯ちゃんの望みはその子を助けること。それは合っているわよね?」
「はい。ですから早く中和剤を」
「私たちを裏切ってでも?」
美鈴の言葉に棘が立つ。
「それは……」
唯は、嶺華を逃がすことを美鈴にも相談しなかった。
2年以上の付き合いで築き上げてきた、美鈴との関係に泥を塗ったのだ。
糾弾されるかと思って身構えたが、美鈴はすぐに優しい口調に戻った。
「まあ、私もその子を殺すことには反対だけどね。
神出鬼没に現れる械獣に対して、ひたすら防戦一方の人類。
この現状を変えるには、その子の力と、その子が持つ情報が必要よ」
「美鈴さんの言っていることは理解できます。でも、AMFに嶺華さんを渡すのは嫌です」
傷ついた少女にさらなる追い打ちをかけたAMF。
敵に脅され、少女を生贄に捧げることを迷わず選択したAMF。
唯は、嶺華を一人の人間として扱わない組織が許せなかった。
嶺華も黙ったまま美鈴を睨みつけている。
「唯ちゃん。確かに岡田たちのやり方は最低だと思うわ。暴力に訴えても建設的な関係は築けない。私たちは、その子を敵ではなく客人としてもてなすべきだった」
「司令たちはそう思ってないみたいですけど」
不信感を顕にする唯。
脳裏に浮かぶのは、嶺華の殺害を命じた佐原たちの顔だ。
彼らはもてなしの方法ではなく、いつ殺すかを考えていた。
今から嶺華をAMFに連れて行っても、その命が長く持つことはないだろう。
「そこは交渉次第ね。彼女を生かしておいた方が有益、と理解してもらうことができれば、司令も考えを改めるはずよ」
人類の利益になる情報。
例えば、唯が地下施設で見た数々のオーバーテクノロジーが挙げられるだろう。
嶺華のバックにどんな存在がいるかは知らないが、あの技術の断片でも手に入れることができれば人類の科学が大きく進歩するに違いない。
「だからお願い、もう一度だけ私を信じてくれないかしら」
美鈴は唯に対して頭を下げた。
AMFに背いた唯に対して、だ。
長年組織の中で信頼を勝ち取り、補佐官の役職まで上り詰めた美鈴の誠実さが滲み出ている。
美鈴の言う通り、嶺華とAMFが協力する未来もあるのかもしれない。
「そこまで言うなら、賭けをしませんか?」
唯は黒い長剣を見せつけるように、胸の前で掲げてみせた。
「今日、私はデリートと戦います。
私が負けたら、嶺華さんを連れて帰っても構いません。
仲間にするなり、デリートに差し出すなり、お好きにどうぞ」
「唯さん!?」
突然売られそうになり、嶺華は驚いたように唯を見た。
「ただし。私がデリートに勝ったら、私が嶺華さんを連れて帰ります。
AMFには渡さない。
私だけが、嶺華さんを独占する」
「唯さんったら……」
唯の背中にぴっとりと密着し、頬を赤らめる嶺華。
唯は、どんな条件が付こうと、この少女を渡したくなかった。
たとえ嶺華を国賓級の扱いで招くことになっても、唯は断っただろう。
なぜなら唯の望みは、嶺華と二人で暮らすことだから。
これから始まる二人だけの生活を、誰にも邪魔させない。
「唯ちゃんがやる気なら、その賭けに乗ってもいいわ。けど、本当にデリートを倒せるのかしら?」
美鈴は唯の異様な自信に首をかしげる。
「私は負けませんよ。嶺華さんを守るためなら、何でもするって決めましたから」
「昨日とは別人みたいじゃない。どうしてその子のために唯ちゃんが戦うの?」
美鈴の呈した疑問に、唯は胸を張って答える。
「未来の嫁のために命張るのは、婚約者なら当然です!」
「唯ちゃん??????」
今度こそ仰天する美鈴。
まさか唯が、嶺華をそういう目で見ていたとは思ってなかったらしい。
人前で堂々と婚約宣言した唯に対し、隣に立つ彼女が訂正する。
「ちょっと唯さん! わたくしはまだ結婚を受け入れたわけではっ……」
その時、嶺華の声が途切れた。
唯の背中に張り付いていた感触が唐突に消える。
「ごはぁッッッ!!!」
いきなり地面に倒れた嶺華は、真っ赤な血の塊を吐いた。
「かッ……かひゅっ…………」
体をくの字に折り曲げ、ビクビクと痙攣する少女。
「嶺華さん!!!!!」
「まずいわ! V-105の末期症状が発症している!」
唯と美鈴はかがみ込んで介抱しようとしたが、のたうち回る少女の勢いに気圧される。
「があああああああああああ!!! 痛いいぃぃぃぃ!!!!」
頭に手を当てているところを見るに、割れるような頭痛に襲われているようだ。
喉を切り刻むような声で泣き叫ぶ嶺華を前にして、頭が真っ白になる唯。
解熱剤や強壮剤で誤魔化し続けてきた体がついに限界を迎えたのだ。
緑色の芝生が、少女の血で汚れていく。
「この子が死んだら唯ちゃんの賭けも無意味よ。すぐに中和剤を投与するから、車の中に運んで!」
「っ、了解っ!」
美鈴の冷静な声によって思考を取り戻した唯は、じたばたと暴れる嶺華を抱え上げた。
観音開きの後部ドアを開け、車の中に運び込む。
車内にはストレッチャーを中心に複数の医療機器が設置されていた。
外見を除けば、ほぼ救急車。
嶺華をストレッチャーの上に寝かせると、美鈴は慣れた手つきで落下防止用の拘束ベルトを巻き付けた。
「がぅあッ…………」
「押さえて!」
「嶺華さん、ごめんなさいッ!」
唯は申し訳ない気分になりつつも、嶺華の肩を押さえつける。
少女の白い首筋に注射器を当てた美鈴は、針を浅く突き刺した。
この2、3日の間に、嶺華は何回注射を打たれてるんだろう。
薬剤が注入されていくと、のけぞったまま硬直していた嶺華の筋肉から力が抜けた。
「ショック症状を抑える麻酔よ。中和剤は点滴で入れるわ」
美鈴が透明な液体で満たされた点滴バッグを取り出し、天井のフックに吊り下げる。
どうやら中和剤の投与には、唯が懸念していたような特殊な設備は不要らしい。
点滴の管が嶺華の左腕に繋がれ、悪意に満ちた化学兵器が打ち消されていく。
「もう大丈夫。V-105の症状は徐々に和らぐはずよ」
「美鈴さん! ありがとうございます!」
血で汚れた嶺華の口元を拭きながら、唯は胸を撫で下ろした。
結局、無条件で中和剤を投与してくれた美鈴。
彼女の優しさには感謝しかない。
「それじゃ、次は唯ちゃんの覚悟を見せてもらおうかしら」
美鈴の言葉に頷く唯。
嶺華の体調という、目下最大の懸念は解消された。
あとは唯が、デリートとスラクトリームを倒すだけだ。
愛する彼女が静かな寝息を立て始めたのを見届けると、唯は車を降りた。
ポケットから携帯端末を取り出し、地図アプリを開く。
行き先のマーカーを打ったのは、木並駅とAMF基地の中間くらいの地点だ。
長剣は唯の手元で位置情報を読み取り、異次元の世界に道を描く。
「…………行ってきます」
美鈴が興味深そうに見守る中、長剣を振り上げる唯。
教わった通りに引き金を引く。
瞬く間に虚空が引き裂かれ、星空のトンネルが口を開けた。
組織の命令ではない。
街の人々のためでもない。
ただ、大切な人と共に生きる未来を手に入れたい。
唯は初めて、己の欲望のためだけに、戦いへ身を投じる。