第41話 暗闇を超えて
鬱蒼と茂る山林の中。
木の枝から滴る雨水を背景に、甲高い鳥の声が交錯する。
昨夜は暗くてよく見えなかったが、木々の間から敷城市の街並みが覗いていた。
立ち上る黒煙を見れば、広範囲で火災が発生していることが分かる。
「駆雷龍機……」
唇を噛みながら声を震わせる嶺華。
彼女の肩にそっと手を回す唯は、携えた長剣の柄を握りしめる。
二人は再び地上に戻って来ていた。
嶺華に案内された謎の地下施設。
その中に、AMF基地にあるものと同じ空裂投射装置があったのには驚いた。
おかげで狭い通路や縄梯子の道を戻ることなく、一瞬で外に出られたというわけだ。
「嶺華さん、やっぱり寝てた方が良かったんじゃ」
「強壮剤を、打ちましたので……しばらくは大丈夫ですの。ぜぇ、ぜぇ……わたくしのことは、気にせず、連絡を」
白い袖なしワンピースを着た嶺華が息を荒げる。
点滴を外してから約20分。
既に熱が上がってきているのか、彼女の頬は赤い。
「本当にやばいと思ったら言ってください。休める所を探しますから」
唯は少女の体をしっかり支えると、ポケットから携帯端末を取り出した。
ふらつく嶺華を連れてきたのには理由がある。
唯がなんとしてでも確保したいV-105の中和剤。
喉から手が出るほど欲しい代物だが、その実物は見たことがなかった。
持ち運びには特殊な容器が必要かもしれないし、投与には専用の設備が必要かもしれない。
もしそうなら、嶺華を地下施設に寝かせたままでは投与できない。
デリートを倒せたとしても、中和剤の投与が間に合わなければ嶺華は死んでしまう。
そこで唯は、先に嶺華をAMF基地に運び込んでからデリートの元へ向かうことにした。
無論、基地の正門からではなく、他の隊員に察知されないようこっそり侵入する。
そのためには、AMF内で信頼できる人物に嶺華を預ける必要がある。
唯の戦いが終わるまで、嶺華を匿ってくれる誰か。
心当たりは、ただ一人。
位置情報の探知を恐れ、昨日から電源OFFだった携帯端末を起動する。
時刻は午前8時45分。
通話アプリのアイコンを押そうとして、指が固まった。
「うぇぇ!?」
アイコンの上に表示された通知件数、『99+』。
不在着信がカンストしているなんて初めてだ。
冷や汗を浮かべながらアイコンを押すと、嫌な予感は的中した。
10分前、神代梓。
20分前、神代梓。
30分前、神代梓。
妹様からの鬼電フェスティバルが開催されていた。
「……………………はぁ」
着信履歴をスクロールしても、そのペースは変わらない。
昨日の夕方からずっと、5分か10分間隔で掛けてきている。
どうやら一睡もしてないらしい。
「梓にだけは見つかりたくないな…………」
長年一緒に暮らしてきた唯には分かる。
こういう時、梓は本気でキレている。
普段はお姉ちゃん大好きっ子の妹なのだが、怒らせると何をしでかすか分からない。
顔を合わせることを想像するだけで恐ろしかった。
心配させてしまった唯が悪いのだけど。
「メッセージで安否だけでも伝えようかな」
「連絡を取る方以外に居場所や状況を教えてはいけませんわよ」
嶺華の忠告を聞いて思いとどまる。
今はこちらの動きを知られるわけにはいかないのだ。
「ごめん梓……」
心の中で土下座しながらスクロールを続けると、1件だけ別の名前を見つけた。
5時間前、陣内美鈴。
よく見ると不在着信には音声メッセージが付いている。
端末の音量を上げて、再生。
『唯ちゃん……無事なのよね?』
美鈴の声は押し殺すように小さい。
誰にも聞かれないようこっそり録ったのだろう。
『あの子を救いたければ、今日の朝9時に玉木公園まで来なさい。V-105の中和剤を用意して待ってるわ』
メッセージはそれだけ。
「…………さっすが美鈴さん」
唯がどこへ逃げようと、中和剤のために戻ってくることはお見通しだったのか。
嶺華の限界時間まで予測済かは知らないが、いずれにせよ助かった。
美鈴が中和剤を持ち出してくれたのなら、危険な基地までわざわざ戻る必要はない。
「罠ではありませんの?」
「いや、美鈴さんは信用できると思う……問題は待ち合わせの時間と場所ね」
玉木公園は、3週間前にピクニックで訪れた場所だ。
嶺華を展望台に案内したのが遠い昔のように感じる。
地図アプリで現在地を確認。
公園は、唯たちがいる山から基地を挟んで反対側の方角にあった。
距離にして、およそ20キロメートル以上離れている。
「あと15分か」
車両は無い。
徒歩で嶺華を連れていくなら、5時間以上はかかる。
とてもじゃないが待ち合わせの時刻には間に合わなかった。
「一旦地下に戻ります? マルルさんには悪いけど、また空裂投射装置で飛ばしてもらうしか」
再び縄梯子の穴を降りるのは面倒だが、玉木公園まで歩くよりはマシだろう。
「その必要はないと思いますけれど」
唯の腰に提げられた黒い長剣を指差す嶺華。
「業炎怒鬼ならば、わたくしの駆雷龍機のように直接空裂を開けるはずですわ」
「この剣が?」
はっとした唯は、空裂を開く嶺華の姿を思い出した。
械獣とアームズしか通ることを許されない狭間の世界。
その世界に単身で乗り込み、自由自在に行き来する力。
唯に託された剣にも、同じ力が宿っている。
「でも、それなら嶺華さんを連れてこなくてもよかったんじゃ?」
空裂を通ってどこへでも移動できるのなら、中和剤を確保してから嶺華を迎えにいけば済むのでは。
そんな疑問を抱く唯に対し、少女が伝えたのは根本的な問題。
「あら? わたくしのサポートなしで、空裂の開閉をコントロールできますの?」
「すいませんできません! サポートお願いします!」
「ふふ、仕方ありませんわね」
勢いよく頭を下げた唯を見て、嶺華は少しだけ笑った。
「空裂は始点と終点を繋ぐ道。すなわち、目的地の方角とおおよその距離を定めてから開くことが重要ですの」
鞘に納まった長剣を構える唯。
嶺華はぴたりと体を密着させ、左手を唯の腕に添えてマンツーマンレクチャーを開始した。
「わたくしほど慣れていればなんとなく感覚で分かりますけれど、最初は機械に頼るのがおすすめですわ。例えばその地図アプリ」
少女に言われるがまま、携帯端末を剣の柄に近づける。
唯の携帯端末はAMFから支給されたものだ。
嶺華のアームズと互換性なんてあるはずがない……と思ったら、黒い剣が反応した。
端末を検知するかのようにランプが点滅し、柄から青白いホログラムが浮かび上がる。
矢じり型のアイコンは、現在位置。
唯の掌の上に、半透明の地図が表示されていた。
地図アプリの画面と同期もとれている。
「剣に備わった多目的インターフェースは、この星で使われる一般的な通信規格も一通りサポートしていますの。端末を近づければ勝手に中の情報を引っこ抜いてくれるのですわ」
「非接触でハッキング、みたいな? すごい……」
高度な情報技術に関心している暇は無い。
嶺華の手に導かれ、剣の柄に備わる引き金に手をかける。
「さあ、トリガーを引いてくださいまし」
「わ、わかりました」
唯が引き金を引いた瞬間、目の前の空間にバキバキと亀裂が走った。
「ええッ!? こんな簡単に!?」
手を動かす度、剣先で空間を引っ掻くように亀裂が広がっていく。
空裂はあっという間に人一人通れるほどの幅に。
「この程度の大きさなら、剣を鞘から抜く必要もないですの」
唯は自分で開けた穴に驚きつつ、中を覗き込む。
「…………」
暗い。
ただひたすらに暗い。
「ほら、早く入ってくださいな」
「入るんですか!?」
「当たり前ですの」
怖気づきそうな所で尻を叩かれ、唯はぎゅっと目を瞑りながら異次元の扉を潜った。
◇◇◇◇◇◇◇
いきなり落下するようなことはなかった。
踏みしめる地面がある。
「…………っ」
目を開き、顔を上げた唯は息を呑んだ。
初めて踏み入れた空裂の中。
亀裂の奥には、暗黒の空が広がっていた。
瞳が闇に慣れてくるにつれ、灰色の地面が露わになる。
360度、見渡す限りの地平線。
地表の物理空間を無視した光景に、夢幻を疑う唯。
「わっ!」
突然、唯の足元がチカチカ瞬いた。
地面が白く光りだしたのだ。
「なになに??」
光は徐々に面積を広げ、帯の形状を作り出す。
帯はまっすぐ、時々ぐねぐねと蛇行しながら伸びていく。
やがて、白い道が現れた。
淡い輝きは、行き先を導くように地平線の先へと続いている。
「これが剣の力……」
「剣が読み取った地図を反映して、案内してくれますの」
「この道に沿っていけばいいんですね!」
二人は頷き合うと、光の道の上を歩きだした。
光の道は固くてつるつるしている。
西洋の宮殿にあるような、大理石の床を歩いているようだ。
「デンゼルスペースは地上と比べて距離の概念が『短い』のですわ。こちらで数メートル進むだけで、地上の数百メートルになりますの」
「は、はぇ~」
唯は口を開けたまま、上下左右をきょろきょろと見回した。
生き物の気配どころか、自然が奏でる音すら存在しない、静謐な世界。
首が痛くなるほど真上を見上げてみるが、天井なんてものは見えない。
息を吸う空気はあるけれど、宇宙空間に放り出されたような錯覚に陥る。
その時、唯の遥か上で一筋の軌跡が描かれた。
「あ! 流れ星! …………ってことは本当に宇宙!?」
「そんな訳ないですの。あれは人類のアームズか、地球へ向かうバラルの連中ですわ」
「え?」
唯の聞き間違いでなければ、少女は『地球へ』と言った。
械獣がどこから来て、何を目的とするのか。
AMFが長年調査し続けている謎の答えを、嶺華は知っているのか。
「よそ見している内に着きましたわ。もう一度剣を振ってくださいまし」
下を見れば、光の道がぷっつり途切れていた。
疑問は後でゆっくり聞けばいい。
今は一刻も早く中和剤を入手するために、暗闇の世界を抜け出さなければ。
唯は再び引き金を引き、目の前の虚空を斬る。
亀裂から差し込む眩しい光。
目を晦ませながらも、暖かな日差しの中へと帰還する。