第40話 破壊ノ剣
ふかふか、ぽかぽか、夢心地。
「うぅ…………ん……」
やわらかい羽毛布団に包まれた唯は、背中から根を張っていた。
地上は真夏だというのに、布団を被っても暑くない。
部屋の温湿度は空調設備によって涼しく保たれていた。
冷房が効いているというよりかは、春のそよ風が吹いているかのよう。
足腰に溜まった疲労感が睡眠の継続を懇願してくる。
『おはようございます、神代唯』
「っ!?」
瞼を押さえつけていた眠気という重りは、不意に響いた声によって消失した。
「う…………おはよう、ございます」
寝返りをうって枕に顔を押し付けると、昨夜の記憶が蘇ってくる。
包容力に溢れた女性の声は、確かマルルというAIだ。
自力で布団に入った覚えはないが、マルルがこの部屋に運んでくれたのだろうか。
あと、いつの間にか唯の名前が把握されている。
『お休みの所申し訳ありませんが、マスターがお呼びです』
「っ! そうだ、嶺華さん……!」
唯がなぜ、自宅でも基地でもない部屋で寝ているのか。
それは、瀕死の嶺華を連れてAMFから逃げてきたからだ。
はっきりと覚醒した唯は、心地よい布団の誘惑を無理やり跳ね除けた。
『お召し物は洗浄済です。上着の一部がほつれていましたので、修繕しておきました』
ベッドの脇を見ると、綺麗に洗濯された唯の制服が折りたたまれていた。
嶺華に貸していたジャケットも一緒だ。
「すごい……ありがとう!」
唯は出動時のように素早く制服を着込み、彼女の待つ部屋へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
メンテナンスルームの大きな手術台の上には、昨夜と同じように嶺華が寝かされていた。
左腕には点滴の管が繋がれ、透明な液体が注がれている。
「嶺華さんっ!」
「…………はぁっ、はぁっ…………唯さんっ」
視線だけを唯に向け、息苦しそうに返事をする嶺華。
彼女は一糸まとわぬ姿……ではなく、白いスポーツブラとパンツを着用していた。
妖艶な玉の肌は、雪霜の如く美しい。
いや、それにしても綺麗すぎる。
「あれ? 嶺華さん、怪我が治ったんですか!?」
唯は、浴室で見た姿との違いに目を疑った。
全身の外傷が癒えている。
記憶違いかとも思ったが、そんなはずはない。
少女の体を洗った時、お腹と背中には大きな傷口が空いていた。
デリートの長剣によって貫かれた穴だ。
また、顔や体には無数の擦り傷と痣もあったはず。
デリートに付けられた傷もあれば、岡田たちAMF隊員に暴行されてできた傷もあった。
とにかく昨夜の時点では、嶺華の体は誰がどう見てもボロボロだったはずなのだ。
しかし、今の嶺華の体からは、傷や痣が綺麗さっぱり消えていた。
お腹の大穴に至っては、傷口の縫い跡すら見当たらない。
『回復措置により、マスターの外傷修復が完了しています』
「外傷……修復?」
『損傷部位を切除後、マスターの遺伝子情報から生成した細胞塊を吹き付けることで、内蔵、筋肉、および皮膚を再生しました』
天井から響く声は、さも当然のように実行したタスクを説明してきた。
『ただし右腕は損失量が多く、完全な再生は不可能でした。傷口付近で壊死しかけていた細胞は再生済のため、これ以上の損失は回避できるでしょう』
失われた右腕の付け根を見ると、切断面は白い肌で覆われていた。
元から腕など生えていなかったかのように自然な加工。
一晩でこれほどまで人体を修復できるのか。
AMF医療班よりも遥かに飛躍した医療技術に、唯はゾッとするような驚きを覚えた。
『問題はマスターの体内に入り込んだ有害物質です』
「はぁっ、はぁっ、げほッ! げほッッ!!」
マルルが説明している最中、嶺華は激しく咳き込んだ。
「嶺華さん!?」
「う……唯さん…………がはッ!!」
「無理して喋らなくて大丈夫です!」
声を出そうとする度に咳き込む嶺華は、辛そうに顔を歪めた。
「マルルさん! 昨日は確か、有害物質も除去できるって言ってましたよね!?」
『様々な抗生物質の投与を試みたものの、効果がありませんでした。
現在は注入したナノマシンによる有害物質の除去を行っていますが、あくまで対症療法となります。
有害物質の増殖速度の方が早いため、症状の進行を止められない状況です』
魔法のような外科手術を行ったマルルでも、未知の疑似ウイルス兵器を消し去ることはできないらしい。
改めて、V-105がどれだけ恐ろしい兵器なのかが分かる。
「症状が進んだらどうなるんですか!?」
『シミュレーションの結果、およそ18時間後にマスターの心肺停止。
人口心肺を装着し延命を試みたとしても、23時間後には脳機能が完全に停止して死に至るでしょう』
余命1日未満。
残酷すぎる宣告だった。
「そんな…………」
『有害物質のサンプルを採取し、各抗生物質に対する反応を分析しました。
どうやら特定の薬剤に反応して増殖が止まるようですが、本艦に蓄積されたデータだけでは、その薬剤の再現には至りませんでした』
「増殖を止める…………あ! 中和剤か!!」
唯は基地での作戦会議を思い出した。
元々、V-105は嶺華を捕らえるため、市街地で散布される予定だった。
市民を巻き込む可能性がある危険な作戦だが、許可が降りたのは中和剤の存在によるところが大きい。
V-105を吸い込んでしまっても、中和剤を摂取すれば助かる。
「私、基地に戻ります。V-105の中和剤を手に入れてくる」
結局V-105は散布されなかったのだから、中和剤もまだAMF基地に保管されているはずだ。
「……無茶ですわ。唯さんはもう、げほっ…………」
消え入りそうな嶺華の声。
彼女の言わんとしていることは分かる。
式守影狼を使用不能にされ、生身丸腰の唯。
たった一人で基地に戻ってどうするのか。
唯たちを追うAMFが親切に中和剤を渡してくれるとは思えない。
それでも、唯は目の前の少女が苦しんでいるのを、黙って見ていることなどできなかった。
「美鈴さんを介して交渉するか、盗み出すか……とにかく、私がなんとかする」
アームズが無くとも、中和剤さえ手に入れられれば良い。
「マルルさん、地上はどうなってるか分かりますか?」
唯が天井に呼びかけると、空中に白い板がふわりと現れた。
天井から吊り下げているようには見えず、ドローンのように自力で浮遊している。
これまた唯の知らない技術だ。
『地上の様子を投影します』
白い板に外の映像が映し出された。
「………………え?」
一面の灰燼景色。
岩山のようにデコボコした地面。
唯は最初、見たことない場所だと思った。
5秒ほど観察を続け、ようやくそこが木並駅前の広場だと理解する。
だが、唯の記憶とはずいぶん違っていた。
瓦礫と瓦礫、そしてまた、瓦礫の山。
ビルは軒並み薙ぎ倒され、あちこちの家屋から激しい炎が上がっている。
地形が変わる程の破壊の嵐。
その中心にいたのは。
「ああ……わたくしの駆雷龍機が…………」
両手両足に巨大な鉤爪を備えた、二足歩行の異形。
頭から銀色の機械大剣を生やした械獣が、街を焦土に変えていた。
無秩序に破壊を振るう愛剣の姿に、嶺華は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「あいつが美鈴さんの言っていた械獣、スラクトリーム……!」
美鈴の話では、デリートは市民の命と引き換えに嶺華の身柄を要求したらしい。
身柄を渡さなければ、械獣を使って大量殺戮に及ぶとも。
『既にスラクトリームは移動を開始。AMF基地の方角へ向かっています』
「基地に!? なんで? デリートは日没まで待ってくれるんじゃなかったの?」
『威嚇攻撃のようですが、加減を知らないようです。日没までにAMF基地は崩壊するでしょう』
無人兵器の大半を失い、装者も不在。
残存戦力だけでスラクトリームの攻撃を凌ぐことは不可能だ。
今頃、関東第三支部の中は修羅場だろう。
逃げ出した唯と嶺華を探すどころか、自分たちが脱出の準備を整えているのかもしれない。
「くっ……基地には中和剤があるのに!」
基地が破壊され、中和剤が失われたらおしまいだ。
嶺華は死に、唯の暮らしてきた街も滅ぶ。
「嶺華さん、マルルさん、スラクトリームを止める手段はありませんか!?
足止めでもいい。それを条件に、今すぐ中和剤を貰えないかAMFと交渉を」
『現状ありません。マスターが健在ならスラクトリームを破壊できる可能性がありましたが、今のマスターは戦えませんので』
ダメ元で聞いてみたが、マルルの回答は予想通り。
唯の心にじわじわと絶望が広がっていく。
その時、嶺華が力を振り絞るように体を起こし、か細い声で聞いてきた。
「唯さん……ごほっ、……貴方、はぁっ、本当に、わたくしを守ってくださいますの?」
「はい! もちろんです!」
昨夜の告白で唯は言った。
何があっても嶺華を守ると。
「嶺華さんを守るためなら私、なんでもやります。
……って言っても、どうしたらいいか分からない。
口先だけで信用できないですよね、私。はぁ……」
唯の気持ちは変わっていない。
故に、何もできない自分が情けなかった。
「その気持ちがあれば上等ですわ……」
すると嶺華は、にやりと笑って天井に叫んだ。
「マルル! お願いがありますの!」
『何でしょう』
「唯さんに『マスター代行権限』を与えなさい。
わたくしが死んだら、唯さんをマスターにしてくださいまし」
突拍子もない嶺華の言葉。
死んだら、と言った。
昨夜、言わないでって言ったのに。
彼女はもう自分の命を諦めてしまったのか。
『よろしいのですか?』
「構いませんわ。唯さんはわたくしのことが好きみたいですし、跡を継いでいただくことになっても問題ないでしょう」
『承知しました。神代唯にマスター代行権限を付与します』
強引に話を進める嶺華と、素直に受け入れてしまうマルル。
「ちょ、待ってください! 『マスター代行権限』って何ですか!?
嶺華さんの跡を継ぐって……私、嶺華さんのいない生活なんて嫌ですよ!??」
「唯さん。別にわたくしは生きることを諦めたわけではありませんの」
嶺華は困惑する唯を遮ると、マルルに向けてさらに指示した。
「『予備』を出しなさい。もう改修は済んでいるのでしょう?」
『はい。先の戦いを受け、デリートの対策兵装を増設済です』
「予備? 対策? 何の話ですか?」
さっぱり状況が飲み込めない唯。
すると、唯の疑問に答えるかのように、メンテナンスルームの床が動き出した。
スライドして開く白い床板。
中に敷設されていたのは小型のエレベーター。
唯はせり上がってきた物を見て息を呑む。
長さは約1.5メートル。
ノコギリを思わせるギザギザの峰。
真っ黒な刀身に刻まれた、血のように赤い焔模様。
そこには、一振りの長剣が殺意と共に佇んでいた。
「剣の名は『業炎怒鬼』
……わたくしが駆雷龍機を失った時のために用意された、もう一本の剣ですの」
「業炎怒鬼……!」
圧倒的な攻撃力と機動力を兼ね備えた最強のアームズ・駆雷龍機。
その代わりとなるアームズだなんて、一体どれほど強大な力を持つのだろうか。
「マスター代行権限があれば、唯さんでも業炎怒鬼を起動できますの」
「これを、私が?」
長剣をまじまじと見つめる唯。
「……っ」
装者になってからずっと、式守影狼以外のアームズは触ったことがない。
なのに、感じる。
分かってしまう。
この剣は、怖い。
黒く輝く刀身を見ているだけで、吸い込まれそうな錯覚を覚える。
この剣は、危険だ。
頭の中に警鐘が鳴り響く。
唯は、剣が放つ禍々しいオーラに慄いた。
「…………!」
その時、じっと唯を見つめる視線と目が合った。
「唯さんに、この剣を託しますわ」
少女の顔に浮かんでいたのは、相棒を奪われた悔しさと、新しい家族への期待。
「ですからどうか……どうか、わたくしの駆雷龍機を取り戻してくださいまし」
真剣な眼差しで唯の手を取った嶺華は、頭を下げて懇願してきた。
ずっと独りだった嶺華にとって、ずっと一緒に戦ってきた機械大剣はかけがえのない存在なのだろう。
それを奪われた嶺華の喪失感が伝わってくる。
唯が期待に応えられるかは分からない。
でも、嶺華は唯を頼ってくれた。
彼女として、新しい家族として、その想いに応えなくてはならない。
「嶺華さんが私を信じてくれるなら……私は戦います!」
唯は力強く頷いた。
『マスター、本当によろしいのですね?』
「ええ。どうせ今のわたくしでは扱えない代物。ならば、唯さんに賭けてみますの」
迷わず答える嶺華。
『承知しました。それでは、業炎怒鬼のチューニングを行います』
マルルが最終確認を終えると、長剣を載せていた台座が水平に動き出した。
行き先はメンテナンスルームの中央。
先程まで嶺華を取り囲んでいた多数のロボットアームの前へ。
いくつかのアームの先端から刀身に向かって光線が照射され、新たな紋様を刻んでいく。
『神代唯の体型に合わせ、装甲の展開サイズを調整します』
「体型!?」
『神代唯の身体情報は、昨夜の内にフルスキャン済です』
「プライバシーは無いんですね」
唯が苦笑いしていると、ロボットアームの一つが何かを運んできた。
それは、刀身と同じように真っ黒な鞘。
式守影狼の鞘と比べるとはるかに分厚い。
『チューニング作業完了』
ロボットアームの光線が止まった。
長剣はするすると鞘に納められ、再び台座が移動する。
今度は、新たな主の元へ。
『神代唯、マスター代行。お受け取りください』
唯はごくりと喉を鳴らし、長剣の柄に手を伸ばした。
ずしりとのしかかる重量に、託された責任の重さを痛感する。
だが怯まない。
大切な家族を守るという使命があるのだから。
「スラクトリームを倒す。デリートも倒す。中和剤も手に入れる。
そして必ず、嶺華さんを救ってみせる!」
唯は決意と共に、長剣を携えた。