第38話 龍の住処
険しい山道を登っていくと、草木の密度はさらに上がっていった。
胸の高さまで生い茂る草をかき分け、道なき道を突き進む。
「本当にこの先に目的地があるんですか?」
「ええ、マルルはそう言ってますの」
嶺華は体を切りつける葉刃に臆することなく、短剣に導かれるままどんどん歩いて行く。
疑似ウイルスに冒されているとは思えない勢いだが、彼女に肩を貸す唯は気づいていた。
数歩に一度、嶺華の足取りがふらふらと覚束なくなる。
解熱剤はあくまで誤魔化し。
少女の体が少しずつ限界に近づいているのが分かる。
唯はひやひやしながら彼女を支え続けた。
草木の海を泳ぐこと数十分。
やっと開けた場所に出た。
月明かりの下、そびえていたのは大きな杉の木。
その根本にたどり着いた所で、嶺華が立ち止まった。
「着きましたわ」
「何もない……ようですけど」
唯は周囲を見回すが、変わり映えしない夜の森に人工物は見当たらない。
「いえ、ここで間違いないですの」
短剣の声に耳を傾け、左手で落ち葉の絨毯をかき分ける嶺華。
唯も一緒になって膝をつき、粘土のような泥を掘り起こす。
すると、土の下から縦横1メートル程の四角い板が現れた。
山の自然にカムフラージュされた物体は、言われなければ絶対に見つけられないだろう。
「これは……蓋?」
「『ポータル』への入口ですわね」
嶺華が側面に触れると、かちりという音と共に金具が外れた。
何年も放置されていたかのように錆びついた蓋が開かれる。
中を覗き込む二人。
蓋の下には、闇を切り取ったような狭い空洞が広がっていた。
底は見えない。
「この下に降りるんですか?」
「ええ。何か足場になるものは……あら」
穴の縁をぺたぺたと触っていた嶺華は、何かを掴んでひっぱり上げる。
しなやかに編み込まれた紐状の人工物。
それは、縄梯子であった。
先端は穴の壁に固定され、暗闇の奥に向かって垂れ下がっている。
「でもこれじゃ、嶺華さんは……」
腕が一本しかない嶺華は、一人で梯子を上り下りするのが困難だ。
今の体力なら五体満足でも転げ落ちてしまうかもしれないが。
「面倒ですわね。飛び降りてしまいましょうか」
「何言ってるんですか!? 私が先に行きます!」
唯は血迷った少女を引き止めると、恐る恐る縄梯子に足をかけた。
縄梯子、といっても素材は麻や藁のような植物由来ではなかった。
金属線を撚り合わせたようなワイヤーで出来ており、手に触れる感触はとにかく硬い。
ナイフ程度では切れなさそうだ。
体重を預けても問題ないと判断した唯は、手を滑らせないように気をつけながら降りていく。
縄梯子の先端以外は固定されていないため、体を動かす度にゆらゆらと揺れる。
穴の中は真っ暗で、梯子が続いているかどうかは足を下ろしてみないと分からない。
底までどのくらいの距離があるのか。
もしも途中で梯子が切れていたら。
足を踏み外したら。
閉所恐怖症ではないつもりだが、狭い空間の圧迫感に体が慄いてしまう。
だが今は嶺華を信じて進むしかない。
恐怖心を飲み込み、慎重に足を動かしていく唯。
ゆっくりと次の一歩を下ろした時、足先に梯子とは違う硬いものが触れた。
感触を確かめる。
……床だ。
梯子を固く握りしめたまま、両足を付けてみる。
床が抜けることはなかった。
ちゃんと唯の体重を支えてくれるようだ。
とりあえず転落の恐怖から解放され、唯はほっと胸を撫で下ろした。
地上からここまでの深さは4、5メートルくらいだろうか。
おんぶか肩車の体勢なら、少女を運んで上り下りできそう。
横を見ると、真っ暗な通路が伸びている。
どうやら目的地はこの先にあるらしい。
「(よし、あとは嶺華さんを連れてくるだけ)」
見上げれば、四角く切り取られた空から彼女が覗き込んでいた。
月明かりに照らされた黄金色の髪が美しい。
見惚れている場合ではないと気づいた唯は、嶺華に向かって声をかける。
「嶺華さーーん! 底に着きました!」
「思ったより浅いですわね」
「今迎えに行きますね!」
一度地上に戻ろうと縄梯子を掴み直す唯。
その時、暗い穴の中がさらに暗くなった。
「?」
顔を上げた瞬間、唯は驚愕した。
重力に従って加速した少女が垂直に落ちてきたのだから。
「ええっ!? ちょ、ちょっとっ!! ……わぷっ!!!」
咄嗟に両手で受け止めるが、勢いを殺しきれずに尻もちをつく。
「痛っった!!」
肩が外れるかと思った。
踏まれたお腹はボディーブローを喰らったよう。
唯をクッションにして着地した無謀少女がすまし顔で立ち上がる。
「ナイスキャッチ、ですの」
「ナイスじゃないですよ!」
唯が受け止めなかったらどうなっていたことか。
この高さなら足の骨が折れてもおかしくない。
もしかしてこの子、自分の体をあまり顧みないのだろうか。
最強のアームズに慣れすぎて、度胸のリミッターが外れているのかも。
「申し訳ありませんけれど、時間がありませんの」
仰向けでひっくり返る唯には目もくれず、暗い通路を走りだす嶺華。
直後、通路が青い光に包まれた。
「っ!?」
久しぶりに浴びた眩しい光に、唯は思わず目を瞑る。
「唯さん、早く!」
「わ、分かりました」
嶺華に急かされ、目をしばたかせながら後を追う唯。
青い光の正体は天井に敷き詰められた電灯だった。
人感センサーか何かが反応し、自動で点灯したのだろう。
なぜこんな山奥に人工的な空間が隠されているのか。
唯は驚きつつも、炭鉱のような通路を走り抜けた。
狭い通路の突き当りで嶺華に追いつく。
そこには、重厚な扉が待ち構えていた。
扉にドアノブはなく、代わりに黒いタブレット端末のような物体が付いている。
「やっと『ポータル』に着きましたの」
「この扉が? 鍵が掛かっているみたいですけど」
「生体認証ですわ。ここはわたくしでないと開けられませんのよ」
左手の平をぺたりと端末に押し付ける嶺華。
すると、端末の表面に青白い帯のようなエフェクトが生じた。
光の帯は嶺華の手を撫でるように流れていく。
指紋、掌線、血管……何らかの生体情報をスキャンしているようだ。
光の帯が画面端まで達した時、端末全体が鮮やかな青色に光った。
どうやら認証をクリアしたらしい。
重苦しい音と共に、扉がゆっくりと開いていく。
嶺華は扉が開ききるのも待たず、滑り込むように中へ入った。
「さあ、唯さんも入ってくださいまし」
「は、はいっ!」
唯は少女の手招きに従い、鋼鉄の門をくぐった。
◇◇◇◇◇◇
二人の体が完全に中に入りきると、扉は自動で閉じていった。
ガスが抜けるような音が響き、隙間なく壁と一体化。
まるで空気を完全に遮断する気密扉だ。
退路を塞がれた唯は、入ってきた場所を確認した。
「って……狭!」
そこは、僅か一畳ほどしかない空間だった。
無機質な金属壁に囲まれた密室は、軍艦の船倉のよう。
「え、これ、閉じ込められたんじゃないですよね?」
「大丈夫ですわ。こっちが開くまで待ちますの」
よく見ると、入り口の反対側の壁にも扉があった。
「二重扉、ですか」
この部屋は、建造物の内外を隔てるエアロックのようだ。
潜水艦や宇宙船の出入口に備わっているエアロックは、空気の存在しない外界との中継機構の役割がある。
しかし、唯たちがやってきた扉の外には空気があったはず。
なぜわざわざワンクッション置く必要があるのだろうか。
唯は首を傾げつつも、扉が開くのを待った。
数秒間待機した後、正面の壁がゆっくりと動き始める。
「ようこそ唯さん。ここがわたくしの拠点ですわ」
「お、おじゃまします?」
二人が扉をくぐると、きらびやかな明かりが一斉に出迎えた。
さっきまでの狭い通路とは打って変わって、広くゆとりのある空間。
床にはふかふかの赤い絨毯。
天井に埋め込まれた電灯は雪の結晶のような磨りガラスに覆われ、優しい暖色の光で来客をもてなしている。
「綺麗……」
さながら高級ホテルに来たかのよう。
それ以前に、こんな建造物が山の中に埋まっているなんて信じられない。
唯がふと足元を見ると、塵一つ落ちていなかった絨毯に泥だらけの足跡を付けてしまっていた。
不可抗力と思いつつも、なんだかすごく悪いことをしている気がする。
嶺華は床が汚れることなど気にせず、勝手知った自宅のように歩いて行く。
『おかえりなさいませ、マスター』
突如、廊下に女性の声が響いた。
「!?」
唯はきょろきょろと辺りを見回したが、嶺華以外の人影は無い。
「ただいまですの」
虚空に向かって返事する嶺華。
もしかして、さっきまで短剣を通して話していた相手だろうか。
今度は唯の耳にもはっきり聞こえる声だ。
『マスター、隣にいる人間はお客様ですか?』
「ええ、この方は唯さん。わたくしの……」
言いかけた嶺華の体が、ふらりと傾いた。
そのままばたーんとうつ伏せに倒れこむ。
「嶺華さん!?」
「……」
嶺華は、まるで電池が切れたかのように動かなくなった。
慌てて嶺華に駆け寄る唯。
「しっかりしてください!」
肩を軽く叩いてみたが、反応はない。
姿勢を仰向けに変えさせ、脈と呼吸を確認。
わずかに上下する胸元を見るに、まだ息はあるようだ。
だが嶺華の意識が無いのは困る。
唯一人では、この建造物の中で何をすればいいのか分からない。
「嶺華さん! 目的地に着いたんですよね!? もう少し、あと少しだけです! 起きてください!」
強めに体を揺さぶっても、嶺華は目を開けない。
こんな所で力尽きて終わりなのか。
「私、どうすれば…………」
唯が狼狽えていると、再び女性の声が喋りだした。
『マスターの状態をスキャンします』
嶺華が突然倒れたというのに、声の主は全く動じていない。
「あの! どなたか存じませんが、嶺華さんを助けてください! このままじゃ嶺華さんが死んじゃうんです!!」
唯は顔も分からない相手に助けを求めていた。
嶺華を守ると言っておきながら、他力本願とは情けない。
しかし、未知の地下空間の中、医者でもない唯が嶺華を助けることは困難だ。
誰でもいいから縋るしかなかった。
『スキャンが完了しました』
「嶺華さんの容態は!?」
『マスターは過労により気絶したものと推定』
「へ?」
天井の声が告げた診断結果に、唯は拍子抜けした。
V-105が全身に回り、危篤状態に陥ったのだと思ったが。
美鈴の栄養剤の効果が切れたのだろうか。
いずれにしろ、瀕死の嶺華を歩かせすぎた。
地下へ飛び降りた時点でとっくに限界を超えていたのかもしれない。
「嶺華さんを休ませてあげたいんですけど、ベッドとかってあります?」
『はい。マスターを休息させる準備は完了しております。また本艦では、マスターの怪我の治療、および、体内に入った有害物質の除去も可能です』
「それって……!」
唯の心に光明が差した。
有害物質という言葉を出したということは、先程のスキャンとやらでV-105の存在に気づいたのだろう。
この建造物が保有する医療設備の高度さが伺える。
声の主を信じた唯は、天井に向かって頭を下げた。
「すぐに嶺華さんを治してください! お願いします!」
『はい。処置は行います。ですがその前に』
優しさと厳しさを足して2で割ったような声は、まるで娘を叱る母親のように告げた。
『お二人とも入浴されることを強く推奨します』
唯は逡巡しかけるも、自分たちの格好を見下ろしてすぐに合点した。
雨と、汗と、血と、泥に塗れたままでは、とてもじゃないが休めない。