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第36話 家族

 

 雷雲を見上げて夜道を駆ける。

 止まない雨に足を止めるな。

  

 一人の少女を担ぎ、ひたすらに走り続けた唯。

 気付けば地面は舗装された道路ではなく、泥濘(ぬかる)んだ土に変わっている。


 唯は人口密集地を離れ、雑木林のような場所に入っていた。

 周囲には民家も何も無く、本当に真っ暗だ。


 時計が無いので分からないが、2時間以上は走っただろうか。

 アームズを剥奪された生身の足では隣街にすら辿り着けていないが、流石に休憩しないと限界だった。


「ぜぇ…………ぜぇ…………」


 空からは相変わらずの土砂降りが続く。

 冷たい雨が緊張した筋肉を痛めつけ、体力の消耗が加速する。

 高熱のまま雨に打たれ続けた嶺華も、休ませてあげないとまずい。


 とにかく雨風を凌げる場所を探そうと、暗闇の中をふらふら彷徨う唯。


「っ! あれは……?」


 ふいに、木々の合間に光が見えた。


 近づいてみると、四角い建造物が浮かびあがる。

 びっしりと蔦に覆われていたのは、崩れかけた廃ビルだった。

 ビルといっても2階建てで、外壁にはいくつものひび割れが走っている。


 廃墟化粧を照らしていたのは、庭に佇むガーデンライト。

 どうやら太陽光発電で蓄電するタイプのようだ。

 住人がいなくなっても律儀に仕事を続ける働き者に助けられた。


 立入禁止の立て看板を退かし、入り口のドアノブに手をかける。

 幸いにも鍵は掛かっていない。


 唯は不用心な偶然に感謝し、廃ビルに足を踏み入れた。



 ◇◇◇◇◇◇



「お邪魔します」


 薄暗い屋内は湿気で蒸し暑かった。


 電気は来ていないようだが光源はある。

 割れた窓ガラス越しに、ガーデンライトの光が差し込んでいた。


「はぁぁぁーーーーーーー」


 久しぶりに雨から逃れ、唯は大きく息を吐いた。

 自分の身体を見下ろせば、髪から靴下の先までびしょ濡れだ。


 中途半端に剥がされたフローリングの床に、同じく濡鼠の嶺華を寝かせる。

 天然のシャワーによって、血と泥はいくらか洗い流されていた。

 とはいえ、少女の傷口が不衛生に晒されているのは変わらない。

 黒ずんだ包帯は早く替えた方がいいだろう。


 しかし、手元にあるのは水筒と携帯食料のクッキーのみ。

 唯は応急キットくらい持ってくればよかったと後悔しつつ、嶺華の額に手を当てる。


「熱いな……」


 まだまだ熱は下がっていない。

 朝まで寝かせてあげたいのは山々だったが、このままでは脱水症状になってしまう。


「嶺華さんごめん、ちょっとだけ起きてください」

「………………ぅ…………」


 唯が軽く肩を揺さぶると、嶺華は辛そうに目を開けた。

 どうやら意識が戻ったようだ。


「嶺華さん!」

「はぁ…………はぁ…………ここ、は?」

「基地から離れた所です。追手はまだ来てないみたい」


 窓の外から聞こえるのは雨音だけ。

 今すぐ廃ビルが包囲される気配は無かった。


「唯さん…………? わたくしは…………」

「大丈夫です。ここにはデリートも、嶺華さんを殺そうとする人間もいません」

「…………?」


 嶺華はまだ状況が飲み込めていないようで、不思議そうに唯の顔を見つめている。


「とにかく今は体力を回復しましょう。お水、飲めますか?」


 唯は水筒を開け、コップを兼ねた蓋に水を注ぐ。

 中身はただの水道水だ。


「ん………………ッ、げほッ!!」


 嶺華は唯に支えられながら口をつけたものの、すぐにむせてしまった。


「落ち着いて、少しずつで大丈夫ですから」

「ぅ……んく…………ごく……」


 もう一度口をつけた嶺華は、瞬く間にコップの水を飲み干した。

 やはり喉が乾いていたのだろう。


 唯は2杯目の水を注ぎつつ、嶺華の様子を伺う。

 左腕で肩を抱く嶺華は、発熱による悪寒で震えているようだ。

 

「寒いですか? 毛布でもあればいいんですけど」


 部屋の中を見回すが、使えそうな寝具や衣料品は見当たらなかった。

 今は唯のジャケットを着せておくしかない。


「…………もういいですわ」


 ジャケットの襟をぎゅっと握りしめた嶺華は、差し出されたコップを拒む。

 そして、唯に向かってはっきりと言い放った。



「唯さん、わたくしを殺してくださいませんこと?」



 湿った風が一際強く吹き荒れる。

 窓の外、揺れる木枝は緑葉を散らす。


「え…………?」


 冗談か聞き間違えかと思い、唯は嶺華の顔をまじまじと見た。


 疲労が滲む表情には、乾いた笑みが浮かんでいる。


「わたくしはもう、戦い続ける理由を無くしてしまいましたの」


 少女の口から漏れたのは、諦観混じりの声。


 唯は、あの威風堂々としていた嶺華の言葉とは信じられなかった。


「な、何言ってるんですか! まだデリートも械獣も残ってます。

 この星を、美しい景色を守りたいって言ってたじゃないですか!」


 丘の上の公園で、嶺華が話してくれた戦う理由。

 街の1つや2つじゃない、この星全てを守るという壮大すぎる願い。


 唯は、彼女の力があれば不可能じゃないと思った。

 崇高な使命を胸に戦う、気高き龍に憧れていた。


 だが、抱いた期待は本人の言葉によって砕かれる。



「そんなもの、嘘に決まってますわ」



 使命とか正義とか、高潔な理由で戦うヒーローなんて、本当はいない。


 目の前にいるのは、血も流すし嘘もつく、ただの一人の人間であった。


「…………だったら、どうして?」

「くだらない話ですの」


 額から汗を滴らせながら、ぽつりぽつりと語りだす嶺華。


「唯さんは、昔の記憶を夢で見たことはありますの?」

「夢、ですか?」


 唯は嶺華の意図が分からず、首をかしげる。


「わたくしはありますの。何度も何度も。その夢には、決まってあの方が現れる」


 目を閉じた嶺華は、記憶の断片をかき集めるかのように、夢の内容を教えてくれた。



 狭い部屋。

 横たわったまま動けない自身の体。

 現れる一人の男。

 与えられたのは、使命。



 少女が語ったのは、やけに鮮明な情景だ。


「顔も名前も分かりませんけれど…………その夢を見る度、不思議と懐かしい気持ちになるのですわ」

「それは、本当にあった出来事だから?」


 唯も、昔の知り合いが出てくる夢を見たことがある。

 夢とは脳が見せる回顧録だ。

 登場人物や場面は、記憶の引き出しに眠っている材料だけで構成される。

 強烈に印象的な出来事があれば、同じような夢を繰り返し見ても不思議ではない。


「わたくしはただ、夢で見たあの方ともう一度会いたい。

 あの方がわたくしに与えた使命を果たすことができれば、本当に会える日が来るかもしれませんの。

 わたくしはそのために剣を振り、戦い続けましたわ」


 空裂の向こう側、暗闇の世界、独りぼっちで育ったという嶺華。

 その話が嘘でないなら、生きる理由を、愛情を与えてくれる人などいなかったはずだ。

 夢の中の人物に縋るのも無理はない。


「けれど、わたくしはもう疲れてしまいましたの。

 バラルの兵器をいくら壊そうが、あの方の手がかりは何一つ見つからない。

 誰かに褒められることもなく、それどころか、他の人間からは忌み嫌われて」


 嶺華は目を開けると、失った右腕に視線を落とす。

 雑に巻かれ、解けかけた包帯は、処置した者の嫌悪感を表すかのように汚れていた。


「わたくしは今までも、これからもずっと独りですわ。

 戦って戦って、いつかは負けて。体が壊れて、戦えなくなって。

 きっと最後は誰にも看取られず、独りぼっちで死ぬ運命ですの」


 嶺華の口から吐き出されるのは、耐え難い孤独。

 美しい瞳の奥には、暗い感情がどろどろと蟠っていた。


「でも、唯さんと会えてよかったですの」


 少女の折れそうなほど華奢な左腕が、唯の肩に触れる。

 自分の夢を諦めてしまった少女は、熱に冒されているとは思えないほど穏やかに微笑んだ。


「唯さんに名前を呼んでいただいて、助けていただいて、嬉しかったですわ。

 …………だから、最後は唯さんの手で終わらせて欲しい。

 唯さんに殺されるなら、わたくしも悔いはありませんの」


 目の前の少女が求めているのは、安らかな眠りだった。

 終わりの見えない孤独の刑、心を蝕み続ける苦痛からの、開放。


 世界に絶望した少女の願いを聞いて、唯は。



「嫌ですッ!!!」



 そんな願いを、叶える訳にはいかなかった。


「嶺華さんを殺すなんて、絶っっっ対に嫌です!」


 唯に拒否されても尚、表情を変えずに続ける嶺華。


「別にいいではありませんの。わたくしはどうやら人類の敵のようですし。わたくしを殺したところで、罪には問われませんわ」

「敵とか味方とかじゃない! 私は、嶺華さんと会えなくなるなんて耐えられない!!」

「確か、唯さんには妹さんがいらっしゃいましたわよね。家に帰れば家族が待っていますの。わたくしがいなくなったところで、唯さんが独りになる訳ではありませんわ」


 裏を返せば、家族のいない嶺華は消えてもいいと、そう言っているように聞こえた。


「私には大切な家族がいる。でもそれは、嶺華さんを見捨てる理由にはならない」

「では何が不満なんですの?」

「嶺華さんがずっと独りのままなんて、許せないから」


 拳を握りしめて凄む唯に対し、嶺華は不快そうに眉をひそめた。


「わたくしと唯さんは赤の他人。わたくしが死のうが生きようが、唯さんには関係ないではありませんの」

「関係なくないッ!!!!!」


 急に大声を上げた唯の勢いに押し黙る嶺華。


 唯は、天涯孤独と決めつけている少女に向き合った。


「私が今生きていられるのは、嶺華さんに助けてもらったからです。

 嶺華さんが認めてくれたから、私も頑張ろうって思えた。

 私はもう、嶺華さんがいないとダメなんです。

 嶺華さんが傷ついたら、心配だってする。

 嶺華さんが死んでしまったら、私はきっと立ち直れない」


「…………だから?」


 冷え切った嶺華の視線から目を逸らすことなく、秘めた想いを解き放つ。


「嶺華さん…………これからずっと、私と一緒にいませんか?」


 独りぼっちは、寂しいから。


「一緒にごはんを食べて、一緒にお出かけして、一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝て、一緒に朝を迎えて。毎日毎日、同じ時間を共有して」


 孤独の闇に囚われ、苦しむ彼女の心を、救いたいから。


「私は嶺華さんを守りたい。嶺華さんを傷つけるもの全てを排除したい。

 械獣にも、AMFにも、他の誰にも、あなたを渡したくない。

 今日も明日も明後日も、1ヶ月後も1年後も100年後も、ずっとずっとずっと、あなたと一緒にいたい。

 私の全てを捧げてでも、あなたの笑顔を独占したい」


「何を、言っているんですの?」


 戸惑う嶺華の目を真っ直ぐに見つめて。


「嶺華さん。こんな状況だけど…………いえ、こんな時だからこそ、伝えたいことがあります」


 嶺華を取り巻く状況は最悪だ。


 デリートに命を狙われ、人類に敵意を向けられ。

 機械大剣を奪われ、右腕を奪われ、悪意ある化学兵器に体を蝕まれ。


 しかしその程度、唯の想いを諦める理由にはならなかった。


 例えどんな壁が立ち塞がろうと、胸の奥底から湧き上がる情動はもう止められない。


 心の声に従い、勇気を振り絞れ、神代唯。


 一世一代の覚悟を決めて、唯は叫んだ。



「初めて会った時から、あなたの事が好きです。

 私と結婚してください!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



 ◇◇◇◇◇◇



 時が止まる。

 暗く蒸し暑い部屋の中、二人の息遣いが混じり合う。


「………………………………………………………………は?」


 ぽかんと口を開けた嶺華は、何を言われたのか1ミリも理解できていないようだった。


「だから、私が嶺華さんの家族になるって言ったんです!」


 顔を赤らめながら告白の意図を説明する唯。


「……………………」


 しばらく唖然と固まっていた嶺華だったが、はっと思考を取り戻すや否や、唯を睨みつけた。


「ふ、ふざけないでくださいまし」

「私はいたって真面目です。本気で嶺華さんのことが好きなんです」


 真剣と書いてガチと読む。

 一切曇りない目で、愛の言葉を紡ぐ唯。


「わたくしを…………わたくしを、馬鹿にしないでくださいましッ!!」


 怒り狂った嶺華は力任せに唯を突き飛ばした。


「唯さんには家族がいるから、上から目線でわたくしを憐れんでいるんでしょうッ! 侮辱しているんでしょうッ!」

「違う!! 私は嶺華さんに、温かい家族がいる幸せを知って欲しい!!」

「同情なんていりませんのッッ!!!」

「同情じゃない! 私はただ、嶺華さんが好きなだけです!!!!」


 真夜中の廃墟に、悲鳴のような叫喚が交差する。

 ついさっきまで息も絶え絶えだったはずの嶺華も、喉が張り裂けるほどの大声を出していた。

 高熱のせいで疲労を感じる機能が麻痺してしまったのか。


「確かにわたくしは、温かい家族なんて知らない! 

 だって今までずっと独りでしたもの! 独りの生き方しか分からない!

 そもそも生まれた場所も、育った環境も、唯さんとは違いますの!」


 必死にまくしたてる嶺華は、唯の言葉を畏れているかのようだ。

 理解できないのではなく、理解することを拒んでいる。


 誰かに愛された経験が無いから。

 突然向けられた未知の感情を拒絶してしまう。


 そんな悲しすぎる理由、唯に許容できるはずがない。


「嶺華さんがどこで生まれたかなんて関係ない!

 今までの人生がどれだけ寂しいものだったとしても、新しく家族を作ることはできる!!!」


「家族を『作る』? ……無理ですわね! 

 わたくしは所詮、戦うために作られた存在。

 何かを壊すことしかできない兵器ですの。

 この星の言葉を借りれば『械獣』ということになりますわ。

 そんな女が誰かと一緒になれる訳が」



 唯は、喚く少女を抱擁で黙らせた。



「もう、いいんです」


「っ…………!!」


 唯を引き剥がそうと抵抗する嶺華。


 しかし、唯は今度こそ、少女の体を離さない。

 華奢な細腕の力に負けぬよう、強く強く抱きしめる。


 二人の体が密着し、互いの鼓動が肌で感じ取れた。

 緊張でバクバクとビートを刻む心音が騒がしい。


 …………………………。


 唯の胸を押し付けること数十秒、ようやく少女の腕から力が抜ける。


 唯は、少女を宥めるように耳元で囁いた。


「もう苦しまなくていい。怖がらなくても大丈夫。だって嶺華さんは、独りじゃないから」

「……………………わたくし、とっても我儘ですわよ。世間知らずで、面倒なことばかり言いますわ」


 細々と呟かれた戯言に、唯は満面の笑みで応える。


「大歓迎です。いつでも私を頼ってください」

「…………右腕は無いし、全身は傷だらけですし、今までのようには戦えない、キズモノの体ですわよ」


 自嘲気味な(さえず)りには、自信を持ってフォローを入れる。


「私が嶺華さんの右腕になります。掃除も料理も戦闘も、全部私がこなしちゃいます。一応、私も装者の適正あるんですよ」

「……わたくしと一緒にいても、どうせすぐ死にますわよ」


「嶺華さんと一緒にいられないなら、どうせ死んだほうがマシです」


 嶺華の弱さも、孤独も、全て受け入れる。


 彼女と共に生きるために。


「わたくしはっ…………」


 言い訳が思いつかなくなったのか、言葉を詰まらせる嶺華。


 その隙を逃さず、唯は誓いの言葉を畳み掛けた。


「これからは、私がずっと傍にいます。私が一生、嶺華さんを支えます。何があっても、私が嶺華さんを守ります。この命にかけて約束しますから」

「っ…………!」



「だからもう、死にたいなんて言わないでください」



 唯には、この星全てを守る力なんて無い。

 それどころか、この街一つ守ることさえできない。

 だけれども。


 好きになった人の笑顔くらい、守ることができるはずだ。



 「……………………ぅぅ……ひぐっ…………唯さんっ…………」



 いつしか唯の腕の中で、嶺華が嗚咽を漏らしていた。

 心の封印が解かれ、堰を切ったように溢れ出す涙。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 涙を見せる相手すらいない生活は、どれだけ寂しかったのだろう。

 弱音を吐く相手すらいない生活は、どれほど辛かったのだろう。


 わんわん泣き続ける嶺華の声を、しとしと降り続ける雨音が優しく包みこんだ。



 ◇◇◇◇◇◇



 しばらくして嶺華が落ち着いてきた頃、唯はそっと腕を離しながら訊ねた。


「で、お返事は?」


 嶺華は真っ赤に泣きはらした目を逸らそうとしたが、逃さない。


 華奢な肩をがっちりと掴み、美しい瞳を射抜くように見つめる。


 全てを賭けたプロポーズ、有耶無耶にさせてたまるものか。


「…………わたくしが弱っている時に告白するなんて、卑怯ですわ」

「卑怯もらっきょうも上等です。嶺華さんを手に入れるためなら、手段は選びません」


 唯のストレートすぎる邪道宣言に、嶺華の唇がにやりと歪んだ。


「……ふふ」

「え?」

「ふっふっふ…………ふははははっ!」


 嶺華は泣きじゃくることも忘れ、高らかに笑いだした。


「あーはっはっはっはっ!!!! 本当におかしな方ですわ。

 …………そこまで大口を叩かれては、仕方ありませんわね」


 瞼に湛えた涙を拭い、唯の目をまっすぐ見つめる嶺華。



「唯さん、わたくしの家族になってくださいまし。

 そして、わたくしと共に戦ってくださいな!」



「はい! 喜んで!」



 契りが成った。

 唯に、生まれて初めて恋人ができた瞬間だった。


「でも結婚については待ってくださいまし」

「ええっ!? なんでですか!」

「わたくし達はまだ出会ったばかり。こういうのは段階を踏むべきではなくって?」


 少しだけ冷静になった嶺華に指摘され、興奮した唯は我に返った。

 いきなり結婚は言いすぎたかもしれない。



「それにわたくし、結婚するなら『運命の人』と、って決めてますの」



「う、運命の人???」


 突如嶺華の口から飛び出した乙女発言に、驚愕する唯。


「この星の本を読んだ時に知りましたの。

 世界には、結ばれる定めの人間が必ず一人いますの。

 その方とは不可視の赤い糸で結ばれ、いつか必然の出会いを果たす。

 もしそんな御方がいるのでしたら、わたくしはその方と結婚したいですわ」


 嶺華は恥ずかしげもなく言ってのけた。


 唯も昔むかしの若かりし頃、少女漫画という古典を読んだことがある。

 嶺華もそういう本を読むのだろうか。


 これから一緒に暮らすならば、彼女の趣味趣向も知っていかなければならない。


「ですから、まずは恋人からでもよろしくて? 唯さんがわたくしの『運命の人』かどうか、じっくり見極めさせていただきますわよ」

「望むところです! 必ず嶺華さんを落としてみせます!」


 唯は歓喜のガッツポーズをとりながら、新たな決意を胸に刻む。


 いつの間にか雨は止んでいた。

 真っ黒な雲が徐々に途切れ、雲間から月が顔を出す。


 廃ビルの窓から差し込む月光に照らされ、黄金色の髪が美しく輝いた。



 唯と嶺華、二人の旅路が幕を開ける。



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