第35話 雨降る夜の逃避行
甲高い爆発音が空気を揺らす。
「ッ! 何だ!?」
AMF関東第三支部、中央塔8階。
仮眠室で休んでいた佐原は飛び起きた。
枕元のデジタル時計は21時06分。
AMFのジャケットを羽織り、10階の司令室へと足を向ける。
廊下は薄暗く、足元がよく見えない。
僅かな明かりは橙色の非常灯のみ。
昼間のデリートの襲撃で、基地の電源は非常用に切り替わっている。
暗がりに目を凝らし、エレベーターのボタンを押す佐原。
しかし、すぐに異常に気付いた。
「?」
カチカチと何度も押してみるが、ランプが点かない。
非常用の電源だろうと、エレベーターは止まっていなかったはずだ。
「チッ」
舌打ちした佐原は仕方なく階段を使うことにした。
「ふぅ……ふぅ……くそっ」
たった2階分の階段なのに息が上がっている。
典型的な運動不足だが、本人に生活習慣改善の意思は無い。
佐原が司令室の前にたどり着くと、自動ドアが素早く開いた。
この部屋の電力は無事なようだ。
中からモニタ群の煌々とした灯りが溢れる。
「またデリートの襲撃か!?」
「不明です! 基地の複数箇所で停電が発生している模様!」
佐原より前に階段を駆け上がってきた青柳が、肩で息をしながらコンソールを叩いている。
「監視カメラの映像も取得できません!」
同じく先に来ていた紫村も協力するが、依然状況は把握できていない。
「昼間の襲撃と異なり、停電は局所的なようです。どこかの配電盤が損傷したのかもしれません」
予備電源に切り替えたことによる事故か、はたまた械獣の攻撃か。
「基地内に敵が潜んでいる可能性がある。第一小隊は完全武装で各フロアを哨戒、クリアリング急げ!」
佐原の指示を待たずとも、次々と無線が飛んでくる。
既に何人かの隊員が哨戒を始めていたらしい。
『中央棟3階、異常は確認できません!』
『4階も異常なしです!』
敵と邂逅したという報告は無し。
並行して、司令室ではオペレーター達による各種センサーの監視が続く。
「空裂のような反応は確認されていません」
「やはり電気系統の事故なのでしょうか?」
「いずれにせよ、原因となった設備は見つけ出さなければならん……事態が落ち着いたら、電源系の一斉点検が必要かもしれんな」
佐原が面倒くさそうに呟いた時、携帯端末が着信音を鳴らした。
司令の端末に直接連絡してくる者は限られている。
表示された発信元は、佐原の予想通り岡田だった。
「どうした?」
『……まずいことになった』
通話口に出た岡田は珍しく切羽詰まっていた。
それに、周囲も騒がしい。
『おい! しっかりしろ!』
『担架を回してくれ!』
「何があった? 映像を見せろ」
佐原がカメラONを指示すると、岡田の携帯端末からの映像が司令室のモニタに転送される。
場所は中央塔1階の廊下だ。
薄暗い廊下には、数人の隊員が倒れ伏している。
他の隊員によって介抱されているが、倒れた隊員はぐったりしたまま動かない。
岡田が重苦しい口調で告げる。
『カミナリ装者……覇龍院嶺華がいなくなった』
「………………はぁ」
報告を聞いた瞬間、佐原は天を仰いだ。
『見張りの隊員もやられてる。状況を見るに、銃撃戦もあったらしい』
よく見ると、床には自動小銃の薬莢が無数に転がっている。
「覇龍院嶺華は、お前が無力化したんじゃなかったのか?」
『もちろん完全に拘束し、逃走は不可能だった…………はずですが』
カメラが動き、嶺華を収容していた小会議室の中へ。
汚れたベッドはもぬけの殻。
束ねられた鎖は、ベルト諸共ずたずたに引きちぎられている。
まるで重機でも持ち込んだかのような惨状だ。
「奴にこれほどの力が残っていたのか?」
『あり得ません。あの身体じゃ、自力で動き回れるはずがない』
「現に脱走しているが」
『…………』
気まずそうに黙る岡田に、佐原はため息をついた。
「とにかく、まだ近くにいるはずだ! 必ず探し出せ!」
『はっ!』
佐原の叱責を受けた岡田は、第一小隊の隊員たちを無線越しに招集する。
『いいかお前ら! カミナリ装者を発見次第、迅速かつ確実に捕獲しろ! 足の一本くらい折っても構わん!』
『『了解!!』』
基地のいたる所で隊員達が動き出し、大捕物が始まった。
「こちらも監視カメラの復旧を急げ」
「了解」
司令室では引き続きオペレーター達が状況分析にあたる。
「やはり事故ではなく、械獣の仕業でしょうか」
「内通者の可能性は?」
「完全武装の隊員達を一方的に無力化するなんて、ただの人間には不可能でしょう」
「械獣ならもっと派手な痕跡が残るのでは?」
「隠密行動に特化した械獣かもしれません」
「次の械獣は忍者型か? 勘弁してくれ」
紫村がデータベースを検索するが、ステルス機能を持った械獣など登録されていなかった。
廊下に足跡すら残さない、械獣並の力を持った、正体不明の敵。
佐原たちが不気味な想像を広げていると、繋ぎっぱなしだった岡田との通話に動きがあった。
『意識が戻ったぞ!』
『大丈夫か!? 一体何があった? 械獣を見たのか?』
倒れていた隊員が目を覚ましたらしい。
「…………ろう……だ」
「え?」
岡田たちに支えられ、ふらふらと起き上がった隊員は、開口一番にこう言った。
「襲撃してきたのは、式守影狼だ…………!」
◇◇◇◇◇◇
大粒の雨がアスファルトを叩く。
空を覆う黒雲は月を隠し、溜め込んだ雷をゴロゴロ鳴らす。
人の気配が消えた街並みに、光を漏らす窓は無し。
白い街灯が寂しく照らす、無人の夜道にて。
疾走する影が一つ。
「はぁッ…………はぁッ…………」
息を切らしながら駆けるのは、アームズを纏った神代唯である。
その背中には大きな荷物。
両手で支えていなければ、今にも滑り落ちてしまいそう。
濡れた衣服の隙間から、美しい黄金色の髪が覗く。
唯が担いでいたのは、病衣を着たままの嶺華だった。
目を閉じ、ぐったりと脱力した少女に意識は無い。
顔だけでも雨ざらしを回避しようと、申し訳程度に唯のジャケットを被せてある。
AMFのジャケットは撥水仕様とはいえ、この大雨から全身を守り切るのは不可能だ。
濡れた衣服を着たままでは体力がどんどん奪われていくだろう。
雨宿りしたい所だが、唯は立ち止まる訳にはいかなかった。
「できるだけ距離を稼ぐ……!」
唯がとった行動はシンプルだ。
基地の電源設備を破壊して停電を起こし、監視システムが止まっている間に嶺華を奪う。
拘留部屋の見張りは速攻で片付けた。
隊員は自動小銃を装備していたが、式守影狼の前には無力。
浴びせられた銃弾を次元障壁で弾き、死なない程度の力で張り倒す。
証拠隠滅などしなかった。
目撃者を排除した所で、佐原達が状況を見ればすぐに唯の犯行だと勘付くだろう。
朝になれば、AMF隊員総出の捜索網が張られるはずだ。
そうなる前に、1キロでも、1メートルでも遠くへ逃げる。
「もっと速くッ、速くッ…………」
式守影狼の最高速度は時速60キロメートル。
嶺華を背負ったまま全力を出すことは叶わないが、それでも時速50キロメートルは超えていた。
周囲一帯には今も避難指示が出ている。
市民は皆、地下シェルターの中。
誰も外を歩いていないおかげで、唯の姿が目撃される心配は無い。
このまま走り続ければ、夜明けまでに関東第三支部の管轄地域を抜けられる。
その後は、潜伏しながら他のAMF支部とコンタクトが取りたいと思っていた。
械獣との戦いで疲弊した人類にとって、嶺華の持つ情報は極めて重要だ。
交渉次第では、嶺華の治療をしてくれる人がいるかもしれない。
そんなことを考えていると、不意の浮遊感が唯を襲った。
「えッ!??」
地面を蹴り上げようとした脚から力が抜ける。
走行姿勢を維持できない。
自動車並みのスピードで走っている最中、バランスを崩したらどうなるか。
咄嗟に背中の嶺華を抱きかかえたが、転倒は免れられない。
「ぐあぁッ!!!!」
唯は肩から地面に突っ込んだ。
嶺華を庇いながら、濡れた路面の上を派手に転がる。
全身に打ち付ける衝撃。
その時、唯の纏っていた青い装甲がバラバラに弾け飛んだ。
「なッッッ!????」
展開していたはずの次元障壁は消えている。
それどころか、式守影狼の装動が解除されてしまった。
接続の切れた装甲は、空気に溶けるように消えていく。
生身に戻された唯は、歩道の縁石にぶつかってようやく停止した。
「痛っったぁ…………!」
鈍痛に顔を歪めながら、ふと気付く。
手の中に感触が無い。
衝撃で嶺華を離してしまったのだ。
慌てて顔を上げ、少女の姿を探す。
数メートル先、汚れた水溜まりに浮かぶ白い肌。
「嶺華さんッ!」
唯はふらつく体に鞭を打ち、倒れ伏した嶺華に駆け寄った。
仰向けに抱き起こし、口元で耳を澄ます。
「……、……」
小さく開けた口から、浅い呼吸を確認。
まだ生きている。
最悪の事態は回避したが、安心はできない。
嶺華の額にそっと手を当てると、唯の体温よりずっと熱いのが分かる。
美鈴の解熱剤が効くまでにはもう少し時間がかかるようだ。
「っていうか、なんでアームズが解除されたの……?」
アームズの操作を誤った覚えは無い。
唯は式守影狼の刀身をまじまじと見つめる。
通常なら、アームズが解除されるのは短刀を鞘に収めた時だけだ。
しかし、唯の手に握られた刀身は外気に晒されたまま。
それなのに、なぜ。
「式守影狼、装動!!」
いつものパスフレーズを叫ぶが、短刀はうんともすんとも言わない。
「まさか…………司令室からロックされた?」
アームズを遠隔から強制停止できるなんて聞いたことがない。
だがAMFには、装者の暴走を止めるという名目で作られた化学兵器・V-105という前例がある。
唯本人には知らせず、いつでもアームズを無力化できる安全装置があったとしたら。
「…………信用されてなかったな、私」
唯は仕方なく短刀を鞘に収めた。
ロック機能が使われたということは、唯の謀反はもうバレてしまっている、ということだ。
既に捜索部隊が結成され、唯たちを躍起になって探しているかもしれない。
基地を出る前に、携帯端末の電源を切ったのは正解だった。
位置情報を直接取られなければ、まだ逃げる猶予はある。
唯は短刀を腰に提げると、生身のまま嶺華を背負った。
「よい……しょ!」
背中から、アームズ越しでは分からなかった嶺華の体温が伝わってくる。
嶺華の体重は成人と比べれば軽いものの、意識のない人間を運ぶのは一苦労だ。
「だからどうした…………」
歯を食いしばり、傷ついた少女の身体をしっかりと支える。
「渡すもんか…………デリートにも、AMFにも!」
唯は独り言で自分を鼓舞すると、再び雨の中へと走り出した。