第31話 焔
「ただいまー!」
玄関のドアが開く音に、ソファーで寝ていた唯はハッと目を開けた。
壁掛け時計の針は16時を過ぎたところ。
神代家のリビングに入ってきたのは、愛する妹・梓である。
「あれ、お姉ちゃん居たんだ」
「おかえり梓。今日も予備隊?」
梓の格好はジャージの上にAMFのジャケットという出で立ち。
休日にAMF予備隊の仕事がある時のスタイルだ。
「うん。でも中止になったから帰ってきたよ」
「中止? 何かあったの?」
梓は台所で手を洗いながら教えてくれる。
「昨日の戦いの現場調査をする予定だったんだけど。現場にまた人型械獣が出たらしくって」
「え!? デリートが??」
「現場はすごい嵐みたいになってて、近づけないから今日は解散になったんだ」
慌てて携帯端末を確認する唯。
しかし、不在着信は1件も入っていなかった。
「あれ? お姉ちゃんこそ出動してるんじゃないの?」
梓の素朴な質問を食らい、唯は気まずく口ごもる。
「…………それは、まあ、戦力外っていうか。どうせ勝てないから家で寝てろってさ」
「あー…………」
顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる二人。
唯の戦果が芳しくないことは梓も知っている。
自分のことをヒーローとまで言ってくれた手前、今の姿を見せるのが心苦しい。
「私、情けないよね」
「でも、お姉ちゃんが怪我しないならわたしは嬉しいな」
そう言うと梓は、いきなりぽふっと抱きついてきた。
「久しぶりのお姉ちゃんエナジー補給っ!」
「ちょっと梓……」
伝わってくる体温が、荒んだ心に染み渡る。
「…………いいけどさ」
落ち込んだ時、一緒にいてくれる家族は本当にありがたい。
唯も愛しい妹を両手で抱きしめてやる。
梓は少し驚いたようだったが、すぐに熱い抱擁を返してきた。
唯にべったりとくっつく様子は、なんだか犬みたいだ。
しっぽをパタパタ振るビジョンが見える。
姉妹のスキンシップ遂行中、唯の懐で梓が聞いてきた。
「そういえばお姉ちゃん、あのカミナリ装者を捕まえたの?」
「捕まえたっていうか、保護したっていうか…………説明が難しいな」
唯としては嶺華を助けたつもりだが、AMFの視点では捕獲という扱いになっている。
「良かったじゃん。カミナリ装者の問題が片付いたんでしょ? なら、あとは人型械獣に専念すれば」
「全然良くないよ!」
梓の一言に、唯は思わず立ち上がってしまった。
「せっかく嶺華さんを助けられたのに、今度はAMFが嶺華さんを処分するってさ」
「お姉ちゃん?」
首を傾げる梓に対し、喉につっかえた思いを吐き出す唯。
「だっておかしいでしょ!? 普通は一緒に力を合わせて戦うところでしょ?」
「え、えーっと…………」
妹に愚痴を言ったところで、AMFの決定は覆らない。
しかし、一度切られた堰は塞がらない。
「司令も皆も嶺華さんを殺す殺さないって、意味分かんない!」
両手を仰々しく広げて説く唯の姿に、梓は困惑しているようだ。
「な、何言ってるのお姉ちゃん…………お姉ちゃん達の仕事は械獣から皆を守ることでしょ。械獣を倒すのは当たり前じゃ」
「違う!!」
ビクっとした梓の反応を見て、自分が大声を出したことに気づく。
それでも、これだけは断言しておきたかった。
「梓、よく聞いて。嶺華さんは…………人間だよ」
「え? どういうこと?」
「私は嶺華さんと実際に話して、触れたから分かる。嶺華さんは私達と同じ人間だった。梓も助けてもらったから分かるでしょ?」
AMFに対する不満を、せめて梓には分かって欲しい。
悩みを聞いてもらいたいと思った唯だったが、梓は尚も疑問符を浮かべていた。
「お姉ちゃんの言ってること、よく分かんない。
仮に人間だったとして、敵であることは変わりないんじゃないの?
戦車隊を襲ったのもあのカミナリ装者だし…………何より、お姉ちゃんに攻撃したんだよ?」
「それは」
「アームズの滅茶苦茶な強さだって、明らかに械獣の力じゃん」
「梓までそんなこと言わないでよ……」
すると、梓は唯の肩を掴んで訴えてきた。
「おかしいのはお姉ちゃんだよ! どうしてあんな、何考えてるか分からない女に味方するの!?」
今度は唯が困惑した。
これでは、司令室で繰り広げた論戦と同じだ。
「っ……!」
梓と目が合った時、唯はさらにショックを受けた。
その瞳には、涙が湛えられていたから。
「やめてよ……」
家族なのに、大切な妹なのに、どうして悲しい顔をするんだろう。
一人の少女を助けたいだけなのに、どうして誰も理解してくれないんだろう。
「私が間違ってるっていうの…………?」
司令も、梓も、他の隊員達も、正しいことを言っているのかもしれない。
人類は今まで散々械獣の被害に苦しんできた。
家も、仕事も、大切な家族さえも奪われた人が大勢いる。
械獣の仲間かもしれない。
それだけで、十人中十人が、百人中百人が、彼女の排除に同意するだろう。
「…………」
だとしても、唯だけは嶺華を疑いたくなかった。
どうしてこんなにも、嶺華を信じたいんだろう。
唯は心配そうに涙ぐむ梓の前で、孤独に自問自答を繰り返した。
――――その結果。
「………………………………………………………………ああ、そうか」
唯は、ある可能性に思い至った。
胸に手を当て、もう一度自分の心に問う。
「うん、間違いない」
気付づいた途端、思わず頬が緩んだ。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
梓は涙を引っ込めて不思議そうに首をかしげている。
姉の機嫌が天気雨のように移り変わり、突然穏やかな笑みを浮かべたのだから当然だ。
「梓、ありがとう。私……やっと分かったよ」
「へ? 何が?」
素っ頓狂な声を上げた梓の頭をそっと撫でてやる。
「よしよし、いい子いい子」
「ええ!? どういうこと???」
唖然とする梓に構わず、素早く身支度を整える。
「…………出かけてくるから、夕飯は適当に食べてて」
「どこへ!? やっぱりお姉ちゃん、変だよ??」
ぽんぽんと梓の肩を叩いた唯は、脱ぎ捨ててあった上着を軽快に羽織った。
「いってきます!」
「説明してよ!? お姉ちゃん!??」
妹の叫びなんて無視だ。
梓を含め、他人に理解してもらうことなど諦めてしまおう。
頭の中には、己のやるべきことがはっきりと決まっている。
「嶺華さんに、この想いを伝える…………手遅れになる前に!」
唯は勢いよく玄関を飛び出した。